› トラネコ日記 › 暮らし変な給食も視点を変えれば・・・
2010年02月10日
少し前の記事だが、考えさせられることがあったので取り上げた。
酢豚と一緒にジャムトースト? 変な給食、集めて本にあなたは酢豚とジャムトースト、豆腐のカレー煮とココア揚げパンを一緒に食べられますか――。
首をかしげたくなる学校給食のメニューを集めた本「変な給食」を、東京都立川市幸町の管理栄養士、幕内秀夫さん(56)が出版した。今週は給食週間。「成長期の子どもが学校で何を食べているのか、関心を高めてほしい」と幕内さんは話す。
<中略>
幕内さんが定義する「変な給食」は、食べ合わせがミスマッチ▽砂糖と油を多く使った「お菓子給食」▽分量そのものが足りない「貧乏給食」など。「成人病の低年齢化といった健康問題につながるばかりか、子どもの味覚がおかしくなる」と指摘する。
<中略>
このうち21点は都内の給食が占める。冒頭の「酢豚とジャムトースト」は東京都調布市、「豆腐のカレー煮とココア揚げパン」は東京都日野市の小学校で実際に出された給食だ。
「桜エビのかき揚げ、みそ汁、黒糖パン」(大阪府高槻市)、「カレーうどん、アメリカンドッグ、小倉白玉」(沖縄県浦添市)など、全国の事例も豊富に盛り込んだ。
幕内さんによれば、「変な給食」が出てくるのは、決まって「パン給食」の時だという。「米飯給食の場合、おのずとおかずも決まるので、まともなメニュー。パンやめん類が主食だと、取り合わせが難しくなるし、砂糖や油の使用量が増えます」
<中略>
給食を改善するために幕内さんが唱えるのは、週5回の完全米飯給食。これまでも同会の活動の中で、自治体の首長に拡大を働きかけてきたが、都内の米飯給食は、施設の制約などから週平均3回に届かない。本では、完全米飯給食を取り入れた新潟県三条市の週間メニューも紹介している。
「健康や食の安全だけでなく、食糧自給率向上にもつながります」
「変な給食」はブックマン社、1333円(税別)。(米沢信義)
asahi.com 2010年1月28日
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY201001270483.html
著者には申し訳ないが、私に関して言えば、
酢豚とジャムトースト、豆腐のカレー煮とココア揚げパンを
一緒に食べることはさほど抵抗はないんだなあ。
確かにこの取り合わせは、ちょっとセンスがないような気がする。
しかし現代の若者の食文化は我々おっさん族の想像よりも、
もっと奇妙なものがあるのをご存知だろうか?
プリンに醤油とか、刺身にマヨネーズとか、卵焼きにチョコレートホイップとか・・・
こんなのが結構あるらしいことを何かで読んだ覚えがある。
でもこれって味覚障害なのだろうか?
著者の指摘でもっともだと思うものは、やはり給食である以上、
子供の発育や健康の観点から、栄養バランスの取れた献立が重要
であることは言うまでもない。
上記の例がどういう栄養バランスなのかは知らないが、
この点をクリアすれば、別に酢豚とジャムパンでもいいような気がするのだが・・・
私はカレーライスと味噌汁ファンだが、なんかおかしい?
もともと日本文化は食文化も含めて、ミスマッチングの成功例が多いのではないだろうか。
外来文化をうまく風土や国情に合わせて融合するのが、日本文化の特徴だ。メニューの組み合わせではないが、調理方法の和洋融合は結構ある。
たとえば明治の文明開化のときに入ってきた、西洋食文化の積極的融合例では、
まずパンという西洋食にお饅頭の餡子を融合した餡パンがあり、
後にはカレーパン、カツサンド、コロッケパン、焼きそばサンド、
最近たこ焼きサンドなんて聞いたが、一回食べてみたいものだ。
たこ焼きとパンで思い出したが、子供のころ私は、
冷めたお好み焼きを食パンに挟んで食べたことがあったが、
結構おいしかった記憶がある。
まあパンだけでもいろいろ融合させている。
そういえば、パンといえばハンバーガーを思い出したのだが、
照り焼きバーガーとかライスバーガーなんてのもあったな。
カツ丼やカレーうどんなんてものミスマッチングから生まれたものだろう。
以前神戸の元町商店街で豚カツそばなんて食べたこともあった。
近年のイチゴ大福やバナナ大福なんかも同じミスマッチング商品だ。
神奈川県だったか、変な寿司メニューを出す寿司屋があった。
フルーツパフェ寿司とか、クレープにホイップしたクリームと酢飯をサンドしたのとか、
もう酢飯さえ使えばなんでも寿司にするというめちゃくちゃぶりだが、
結構人気があって繁盛しているらしい。
アメリカの寿司では、ハムやベーコン、ステーキを酢飯に乗せたものもあって、
おそらく私が知らないだけで、ステーキ巻きやチーズ巻きなんてものあるのかも知れない。
ちなみにカリフォルニア巻きに出てくるアボカドだが、
既に有名な食べ方だが、私は毎日わさび醤油をかけて食べている。
食文化は世界中さまざまだから、その組み合わせや調理法などは、
衛生面と健康面などに極端な悪影響が出ない限り、
別に批判的に観る必要はないのではなかろうか。
「新たな文化は遊び心から生まれる」と、
どこかの碩学が仰っていたのを思い出す。
酢豚と一緒にジャムトースト? 変な給食、集めて本にあなたは酢豚とジャムトースト、豆腐のカレー煮とココア揚げパンを一緒に食べられますか――。
首をかしげたくなる学校給食のメニューを集めた本「変な給食」を、東京都立川市幸町の管理栄養士、幕内秀夫さん(56)が出版した。今週は給食週間。「成長期の子どもが学校で何を食べているのか、関心を高めてほしい」と幕内さんは話す。
<中略>
幕内さんが定義する「変な給食」は、食べ合わせがミスマッチ▽砂糖と油を多く使った「お菓子給食」▽分量そのものが足りない「貧乏給食」など。「成人病の低年齢化といった健康問題につながるばかりか、子どもの味覚がおかしくなる」と指摘する。
<中略>
このうち21点は都内の給食が占める。冒頭の「酢豚とジャムトースト」は東京都調布市、「豆腐のカレー煮とココア揚げパン」は東京都日野市の小学校で実際に出された給食だ。
「桜エビのかき揚げ、みそ汁、黒糖パン」(大阪府高槻市)、「カレーうどん、アメリカンドッグ、小倉白玉」(沖縄県浦添市)など、全国の事例も豊富に盛り込んだ。
幕内さんによれば、「変な給食」が出てくるのは、決まって「パン給食」の時だという。「米飯給食の場合、おのずとおかずも決まるので、まともなメニュー。パンやめん類が主食だと、取り合わせが難しくなるし、砂糖や油の使用量が増えます」
<中略>
給食を改善するために幕内さんが唱えるのは、週5回の完全米飯給食。これまでも同会の活動の中で、自治体の首長に拡大を働きかけてきたが、都内の米飯給食は、施設の制約などから週平均3回に届かない。本では、完全米飯給食を取り入れた新潟県三条市の週間メニューも紹介している。
「健康や食の安全だけでなく、食糧自給率向上にもつながります」
「変な給食」はブックマン社、1333円(税別)。(米沢信義)
asahi.com 2010年1月28日
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY201001270483.html
著者には申し訳ないが、私に関して言えば、
酢豚とジャムトースト、豆腐のカレー煮とココア揚げパンを
一緒に食べることはさほど抵抗はないんだなあ。
確かにこの取り合わせは、ちょっとセンスがないような気がする。
しかし現代の若者の食文化は我々おっさん族の想像よりも、
もっと奇妙なものがあるのをご存知だろうか?
プリンに醤油とか、刺身にマヨネーズとか、卵焼きにチョコレートホイップとか・・・
こんなのが結構あるらしいことを何かで読んだ覚えがある。
でもこれって味覚障害なのだろうか?
著者の指摘でもっともだと思うものは、やはり給食である以上、
子供の発育や健康の観点から、栄養バランスの取れた献立が重要
であることは言うまでもない。
上記の例がどういう栄養バランスなのかは知らないが、
この点をクリアすれば、別に酢豚とジャムパンでもいいような気がするのだが・・・
私はカレーライスと味噌汁ファンだが、なんかおかしい?
もともと日本文化は食文化も含めて、ミスマッチングの成功例が多いのではないだろうか。
外来文化をうまく風土や国情に合わせて融合するのが、日本文化の特徴だ。メニューの組み合わせではないが、調理方法の和洋融合は結構ある。
たとえば明治の文明開化のときに入ってきた、西洋食文化の積極的融合例では、
まずパンという西洋食にお饅頭の餡子を融合した餡パンがあり、
後にはカレーパン、カツサンド、コロッケパン、焼きそばサンド、
最近たこ焼きサンドなんて聞いたが、一回食べてみたいものだ。
たこ焼きとパンで思い出したが、子供のころ私は、
冷めたお好み焼きを食パンに挟んで食べたことがあったが、
結構おいしかった記憶がある。
まあパンだけでもいろいろ融合させている。
そういえば、パンといえばハンバーガーを思い出したのだが、
照り焼きバーガーとかライスバーガーなんてのもあったな。
カツ丼やカレーうどんなんてものミスマッチングから生まれたものだろう。
以前神戸の元町商店街で豚カツそばなんて食べたこともあった。
近年のイチゴ大福やバナナ大福なんかも同じミスマッチング商品だ。
神奈川県だったか、変な寿司メニューを出す寿司屋があった。
フルーツパフェ寿司とか、クレープにホイップしたクリームと酢飯をサンドしたのとか、
もう酢飯さえ使えばなんでも寿司にするというめちゃくちゃぶりだが、
結構人気があって繁盛しているらしい。
アメリカの寿司では、ハムやベーコン、ステーキを酢飯に乗せたものもあって、
おそらく私が知らないだけで、ステーキ巻きやチーズ巻きなんてものあるのかも知れない。
ちなみにカリフォルニア巻きに出てくるアボカドだが、
既に有名な食べ方だが、私は毎日わさび醤油をかけて食べている。
食文化は世界中さまざまだから、その組み合わせや調理法などは、
衛生面と健康面などに極端な悪影響が出ない限り、
別に批判的に観る必要はないのではなかろうか。
「新たな文化は遊び心から生まれる」と、
どこかの碩学が仰っていたのを思い出す。
とりあえず、ミスマッチング精神
2009年11月05日
讃岐うどんアイス登場
香川の伝統的な味をアイスクリームにとじこめた「讃岐あいす物語」が発売された。
香川緑茶、さぬきうどん、あん餅雑煮の3種類
社会福祉法人田村やまびこ会・Doやまびこ(高松市)が「ご当地アイス」の新作をと考案。
刻んだうどんなどがふんだんに入り、1個250円。Doやまびこ、高松空港などで発売。製造担当の中川志緒里さんは
「B級ご当地グルメの祭典(B―1グランプリ)に出したい」。
asahi.com 2009年11月3日11時40分
http://www.asahi.com/national/update/1029/OSK200910290114.html
久方ぶりに「ここまでやるか、日本食」のコーナーです♪
・・・ってコーナーはないのだが、食文化も日本のユニークさを語る上で欠かせない。
以前エントリした「『調子乗り』が文化を豊かにする?!」であずき味のコーラを話題にした。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2510529.html
讃岐うどんで有名な香川県がご当地自慢の食品を売り出した。
しかしうどんをアイスクリームに加えるという発想もやはり日本人である。
でも味というより食感を楽しむ感じだろうなあ。
ミスマッチかどうかわからないが、以前、巨大越前クラゲの大量発生で、
頭を悩ませていた日本海沿岸の各漁協のニュースがあった。
クラゲ対策の一つにクラゲの肥料とかあったが、
ご当地商品に利用してやろうと、何県だったか失念したが、
クラゲアイスなるものを商品化して販売していたのを、ニュースで見た覚えがある。
あれはその後どうなったのだろうか・・・
クラゲとアイスクリーム・・・う~ん、これぞミスマッチング精神!
これも讃岐うどんアイス同様、食感を楽しむんだろうな。
でもこのミスマッチングへの試みはこれからも新製品開拓の基本精神だと思った。
是非とも讃岐うどんアイスが全国的ヒットするよう祈りたい。
さてここからの話は、ここドミニカ共和国サルセド市である。
先日近所のカフェテリアのおばちゃんや、そこに集まる暇人を招いてお食事会をした。
日本料理を希望とかいわれたのだが、調味料その他を手に入れるのが面倒なのと、
味覚には貧困単純のドミニカーナが、日本の味覚を気に入るかどうか疑問があった。
そこでまず問題なく誰でも美味いというだろう、というメニューを考えたら、
豚カツに決まった。豚カツが日本料理かと問われれば自信はないが、
でもカレーもラーメンもいまや日本食と言ってもいいくらいフツーだから、
豚カツも日本食ということにした。
豚カツなら作るのも簡単だし、材料もここでも簡単に手に入る。
これだけなら芸がないので、ポテトサラダの凝った奴も作った。
しかし一つ問題があった。ソースである。
こちらには豚カツソースもウスターソースも売っていない。
さてどうしたものか・・・考えたあげく、ケチャップとカラシとマヨネーズ、
それに塩コショウとレモン汁を少々、さらにタマネギのみじん切りを混ぜた。
これが意外に豚カツにマッチする。
お好み焼きのソースとタルタルソースを合体させた、何かわからないソースである。
味としては甘辛く少々酸っぱ目だが、豚カツに限らず串揚げ系に合いそうだ。
案の定豚カツ定食は評判が良かった。
そして料理人のおばちゃんがこのソースは何というソースか?と尋ねられたが、
「さあ、わからないな、トラネコ風ソースとでも言っておこう。」と答えた。
もちろんこのトラネコは私の本名が入る。
基本的にドミニカ人のメインの味は脂っこく濃厚で塩辛いである(と思う)。
材料についてもいろいろ聞かれたが、ここですべて手に入るものばかりだ。
おばちゃんはこれを店で使おうと思っているみたいだ。
しかし採算が合うかどうかが商品として成立するかのポイントだ。
ドミニカの地元料理はどこへ行っても殆ど同じものばかりしかない。
しかも種類は極めて限られている。
ギサドと呼ばれる牛豚鳥各肉の煮込み、アビチュエラという豆のスープ、
サンコーチョという根菜類の煮込み、それにトストーネという食用バナナのフライに野菜サラダ。あとは白ご飯かモロという豆ご飯である。
これを飽きもせず毎日毎日食べ続けているのだ。
私は昼食が外食なので、もう見るのも嫌になっており、
最近はサンドウィッチか、フライドチキンとポテトで済ましている。
ドミニカーナを日本につれてきてデパートの食堂街を連れて回るだけで、
余りの種類の多さに、きっと目を回すだろうと思う。
ちょっと工夫するだけで、少し変わった風味のものも作れると思うのだが、
そのちょっとした工夫をしようとしない、或いはできないのだ。
ある意味保守的な味覚なのだろう。
次回はお好み焼きを試してみようと思う。
香川の伝統的な味をアイスクリームにとじこめた「讃岐あいす物語」が発売された。
香川緑茶、さぬきうどん、あん餅雑煮の3種類
社会福祉法人田村やまびこ会・Doやまびこ(高松市)が「ご当地アイス」の新作をと考案。
刻んだうどんなどがふんだんに入り、1個250円。Doやまびこ、高松空港などで発売。製造担当の中川志緒里さんは
「B級ご当地グルメの祭典(B―1グランプリ)に出したい」。
asahi.com 2009年11月3日11時40分
http://www.asahi.com/national/update/1029/OSK200910290114.html
久方ぶりに「ここまでやるか、日本食」のコーナーです♪
・・・ってコーナーはないのだが、食文化も日本のユニークさを語る上で欠かせない。
以前エントリした「『調子乗り』が文化を豊かにする?!」であずき味のコーラを話題にした。
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2510529.html
讃岐うどんで有名な香川県がご当地自慢の食品を売り出した。
しかしうどんをアイスクリームに加えるという発想もやはり日本人である。
でも味というより食感を楽しむ感じだろうなあ。
ミスマッチかどうかわからないが、以前、巨大越前クラゲの大量発生で、
頭を悩ませていた日本海沿岸の各漁協のニュースがあった。
クラゲ対策の一つにクラゲの肥料とかあったが、
ご当地商品に利用してやろうと、何県だったか失念したが、
クラゲアイスなるものを商品化して販売していたのを、ニュースで見た覚えがある。
あれはその後どうなったのだろうか・・・
クラゲとアイスクリーム・・・う~ん、これぞミスマッチング精神!
これも讃岐うどんアイス同様、食感を楽しむんだろうな。
でもこのミスマッチングへの試みはこれからも新製品開拓の基本精神だと思った。
是非とも讃岐うどんアイスが全国的ヒットするよう祈りたい。
さてここからの話は、ここドミニカ共和国サルセド市である。
先日近所のカフェテリアのおばちゃんや、そこに集まる暇人を招いてお食事会をした。
日本料理を希望とかいわれたのだが、調味料その他を手に入れるのが面倒なのと、
味覚には貧困単純のドミニカーナが、日本の味覚を気に入るかどうか疑問があった。
そこでまず問題なく誰でも美味いというだろう、というメニューを考えたら、
豚カツに決まった。豚カツが日本料理かと問われれば自信はないが、
でもカレーもラーメンもいまや日本食と言ってもいいくらいフツーだから、
豚カツも日本食ということにした。
豚カツなら作るのも簡単だし、材料もここでも簡単に手に入る。
これだけなら芸がないので、ポテトサラダの凝った奴も作った。
しかし一つ問題があった。ソースである。
こちらには豚カツソースもウスターソースも売っていない。
さてどうしたものか・・・考えたあげく、ケチャップとカラシとマヨネーズ、
それに塩コショウとレモン汁を少々、さらにタマネギのみじん切りを混ぜた。
これが意外に豚カツにマッチする。
お好み焼きのソースとタルタルソースを合体させた、何かわからないソースである。
味としては甘辛く少々酸っぱ目だが、豚カツに限らず串揚げ系に合いそうだ。
案の定豚カツ定食は評判が良かった。
そして料理人のおばちゃんがこのソースは何というソースか?と尋ねられたが、
「さあ、わからないな、トラネコ風ソースとでも言っておこう。」と答えた。
もちろんこのトラネコは私の本名が入る。
基本的にドミニカ人のメインの味は脂っこく濃厚で塩辛いである(と思う)。
材料についてもいろいろ聞かれたが、ここですべて手に入るものばかりだ。
おばちゃんはこれを店で使おうと思っているみたいだ。
しかし採算が合うかどうかが商品として成立するかのポイントだ。
ドミニカの地元料理はどこへ行っても殆ど同じものばかりしかない。
しかも種類は極めて限られている。
ギサドと呼ばれる牛豚鳥各肉の煮込み、アビチュエラという豆のスープ、
サンコーチョという根菜類の煮込み、それにトストーネという食用バナナのフライに野菜サラダ。あとは白ご飯かモロという豆ご飯である。
これを飽きもせず毎日毎日食べ続けているのだ。
私は昼食が外食なので、もう見るのも嫌になっており、
最近はサンドウィッチか、フライドチキンとポテトで済ましている。
ドミニカーナを日本につれてきてデパートの食堂街を連れて回るだけで、
余りの種類の多さに、きっと目を回すだろうと思う。
ちょっと工夫するだけで、少し変わった風味のものも作れると思うのだが、
そのちょっとした工夫をしようとしない、或いはできないのだ。
ある意味保守的な味覚なのだろう。
次回はお好み焼きを試してみようと思う。
文明と免疫力の低下
2009年10月31日
昨日ついに具合が悪くて仕事を休んだ。
連日猛暑の中での屋外での壁画制作作業がたたってか、
ややきつめの頭痛と嘔吐を繰り返し一日中寝ていた。
おそらく熱射病の軽いものか、暑気当たりというやつではないかと思う。
今は回復してこのブログを書いている。
もちろん亜熱帯地域での屋外作業なので、帽子・サングラス・タオルなどで、
直射日光を避ける工夫はしている。日焼け止めクリームもしっかり塗っているが、
この日差しの中では火傷にはならないが、腕などは結構日焼けしている。
しかし驚くのは現地人である。
助手を二人使っているが、彼らは帽子もサングラスもなしに、
直射日光をもろ浴びながら作業しているではないか。
汗はかいているようだが、気分はなんともないみたいである。
私なら一時間でぶっ倒れるであろうwww
こちらは黒人及び黒人と白人の混血で約85パーセントを占めるので、
肌の色は褐色~黒色である。大半はコーヒーブラウン系の濃淡である。
しかしそれでも日焼けで肌が火傷することはあるという。
よく観察すれば、日の当たっている部分と、そうでない部分との色の濃さの違いがある。
しかし暑さに関しては、先祖のアフリカ人のDNAを持つドミニカーナには、
さすがの縄文人と弥生人のハイブリットでも敵わない。
さてここで考えてみたが、沖縄で暮らしていたといっても、
毎日炎天下の屋外に一日中(休憩時間は除いても)いることは、
屋外労働者やスポーツ選手を除いては、
一般的にはあまりないのではないかと思う。
たいていはエアコンの効いた屋内か、エアコンはなくても、
日陰で過ごす時間が多いのではないだろうか。
だから現代の沖縄人は意外にも、熱さにはさほど強くないのではないだろうか。
大昔北海道に暮らしたことがある。
北海道は北国で約半年は雪と付き合う生活が続く。
だから道産子は寒さに強いと思うだろうが、
実は道産子は寒がりが多いのだ。
なぜなら、北海道は北国だけあって、耐寒使用の住宅であり、
エアコン(主に暖房用)、ストーブ、その他暖房器具は完全装備品である。
だから真冬の氷点下になっても室内はパジャマ姿でも大丈夫である。
つまり道産子は屋外に出る以外、寒さを経験しないのだ。
本土の都会でも似たようなことがいえる。
真夏の東京も近年のヒートアイランド現象のせいもあり、恐ろしく暑い。
しかしあらゆる建築物の屋内はほぼエアコンで涼しく快適である。
バスやタクシー、電車などあらゆる乗り物もエアコンで涼しい。
オフィスビルなどは逆にクーラー病などと呼ばれ、かえって寒いくらいである。
真冬の東京も寒いが、やはり屋内はエアコンの暖房が効いており、
ブティックのお兄ちゃん、おねえちゃんなどはTシャツ姿で平気である。
逆にダウンジャケットなどでは暑すぎるくらいだ。
そうして考えると、われわれ「文明国」とよばれる国に暮らす人間は、
自然の温度差をあまり体感しないで、一年を過ごしているのではないか。
だから現代人の多くは体温調整機能が劣ってきているのではないだろうか。
もっとも欧米先進国の状況を知らないので、日本だけの現象かも知れないが。
最近あまり汗をかかない人がいるという。
また低体温症という体温が平均より1~2度低い人がいるという。
もしかしてこれらの症状はエアコンによる温度調整が、
気温差を感じない体に変えていった結果なのだろうか?
また極度の清潔志向のある日本人は、薬用石鹸とか、抗菌グッズとか
ひたすら身体にいる菌類を殺す製品を使っている。
しかし専門家によれば皮膚には体を守ってくれている常在菌がいるが、
これらも消毒作用のある石鹸などで殺され、
逆に人間が他の病原菌に攻撃されやすくなっているという。
ここにも文明による免疫力低下の原因がある。
ここドミニカーナはたくましく強い。
エアコンもまだまだ普及していないし、生活も決して日本ほど清潔とはいえない。
しかしそれだからこそ、かれらの生命力の強さが維持できるのではないだろうか。
私は昔から知力が乏しい分、体力だけは自信があった。
常に同年代の人よりも体力は上だと自負してきた。
いつも20代の若者と仕事をしていても、体力には劣等感は感じない。
しかしここでの屋外作業は正直、キツイ、辛い、
ドミニカーナの若者に負けている自分がいるw(汗)。
まあいってみれば、現代の我々は温室育ちなわけだ。
温室の花は美しくしかしデリケートである。
しかし一旦表に出されると、すぐ枯れてしまうものも少なくないだろう。
文明は人間を楽に快適にしてくれる反面、
人間の本来そなわっている肉体的・精神的強さを失わせる。
何かを得るには、何かを失うものである。
人生も人間社会もすべてプラス・マイナス=ゼロである。
文明で失ったものって、他になにがあるのだろう・・・
連日猛暑の中での屋外での壁画制作作業がたたってか、
ややきつめの頭痛と嘔吐を繰り返し一日中寝ていた。
おそらく熱射病の軽いものか、暑気当たりというやつではないかと思う。
今は回復してこのブログを書いている。
もちろん亜熱帯地域での屋外作業なので、帽子・サングラス・タオルなどで、
直射日光を避ける工夫はしている。日焼け止めクリームもしっかり塗っているが、
この日差しの中では火傷にはならないが、腕などは結構日焼けしている。
しかし驚くのは現地人である。
助手を二人使っているが、彼らは帽子もサングラスもなしに、
直射日光をもろ浴びながら作業しているではないか。
汗はかいているようだが、気分はなんともないみたいである。
私なら一時間でぶっ倒れるであろうwww
こちらは黒人及び黒人と白人の混血で約85パーセントを占めるので、
肌の色は褐色~黒色である。大半はコーヒーブラウン系の濃淡である。
しかしそれでも日焼けで肌が火傷することはあるという。
よく観察すれば、日の当たっている部分と、そうでない部分との色の濃さの違いがある。
しかし暑さに関しては、先祖のアフリカ人のDNAを持つドミニカーナには、
さすがの縄文人と弥生人のハイブリットでも敵わない。
さてここで考えてみたが、沖縄で暮らしていたといっても、
毎日炎天下の屋外に一日中(休憩時間は除いても)いることは、
屋外労働者やスポーツ選手を除いては、
一般的にはあまりないのではないかと思う。
たいていはエアコンの効いた屋内か、エアコンはなくても、
日陰で過ごす時間が多いのではないだろうか。
だから現代の沖縄人は意外にも、熱さにはさほど強くないのではないだろうか。
大昔北海道に暮らしたことがある。
北海道は北国で約半年は雪と付き合う生活が続く。
だから道産子は寒さに強いと思うだろうが、
実は道産子は寒がりが多いのだ。
なぜなら、北海道は北国だけあって、耐寒使用の住宅であり、
エアコン(主に暖房用)、ストーブ、その他暖房器具は完全装備品である。
だから真冬の氷点下になっても室内はパジャマ姿でも大丈夫である。
つまり道産子は屋外に出る以外、寒さを経験しないのだ。
本土の都会でも似たようなことがいえる。
真夏の東京も近年のヒートアイランド現象のせいもあり、恐ろしく暑い。
しかしあらゆる建築物の屋内はほぼエアコンで涼しく快適である。
バスやタクシー、電車などあらゆる乗り物もエアコンで涼しい。
オフィスビルなどは逆にクーラー病などと呼ばれ、かえって寒いくらいである。
真冬の東京も寒いが、やはり屋内はエアコンの暖房が効いており、
ブティックのお兄ちゃん、おねえちゃんなどはTシャツ姿で平気である。
逆にダウンジャケットなどでは暑すぎるくらいだ。
そうして考えると、われわれ「文明国」とよばれる国に暮らす人間は、
自然の温度差をあまり体感しないで、一年を過ごしているのではないか。
だから現代人の多くは体温調整機能が劣ってきているのではないだろうか。
もっとも欧米先進国の状況を知らないので、日本だけの現象かも知れないが。
最近あまり汗をかかない人がいるという。
また低体温症という体温が平均より1~2度低い人がいるという。
もしかしてこれらの症状はエアコンによる温度調整が、
気温差を感じない体に変えていった結果なのだろうか?
また極度の清潔志向のある日本人は、薬用石鹸とか、抗菌グッズとか
ひたすら身体にいる菌類を殺す製品を使っている。
しかし専門家によれば皮膚には体を守ってくれている常在菌がいるが、
これらも消毒作用のある石鹸などで殺され、
逆に人間が他の病原菌に攻撃されやすくなっているという。
ここにも文明による免疫力低下の原因がある。
ここドミニカーナはたくましく強い。
エアコンもまだまだ普及していないし、生活も決して日本ほど清潔とはいえない。
しかしそれだからこそ、かれらの生命力の強さが維持できるのではないだろうか。
私は昔から知力が乏しい分、体力だけは自信があった。
常に同年代の人よりも体力は上だと自負してきた。
いつも20代の若者と仕事をしていても、体力には劣等感は感じない。
しかしここでの屋外作業は正直、キツイ、辛い、
ドミニカーナの若者に負けている自分がいるw(汗)。
まあいってみれば、現代の我々は温室育ちなわけだ。
温室の花は美しくしかしデリケートである。
しかし一旦表に出されると、すぐ枯れてしまうものも少なくないだろう。
文明は人間を楽に快適にしてくれる反面、
人間の本来そなわっている肉体的・精神的強さを失わせる。
何かを得るには、何かを失うものである。
人生も人間社会もすべてプラス・マイナス=ゼロである。
文明で失ったものって、他になにがあるのだろう・・・
もう忘れたのか汚染食品を!
2009年07月23日
うなぎの販売好調 中国産も復活
19日は、うなぎの需要が年間で最も高まる「土用の丑の日」。
猛暑続きのうえ、値ごろ感のあるうなぎの取り扱いも増え、7月のスーパー各社の売上高は前年同月に比べ2けた増となる見通しだ。昨年、中国産ギョーザの中毒事件の影響で敬遠された中国産うなぎも店頭に復活し、節約志向を強める消費者に受け入れられている。
西友はプライベートブランド(自主企画=PB)の「国産うなぎかば焼き」の1尾当たりの価格を1日~22日までの期間限定で970円から850円に引き下げた。6月1日から価格を1270円から970円にしていたが、一段の値下げを武器にこの期間に前年の1・5倍の販売を見込む。
食品スーパーのいなげやは、土用の丑の日の売上高が前年よりも14%増えると見込む。「気温が高く、今年は日曜日なので売り上げの増加が見込める」(いなげや)と鼻息が荒い。同社は国産のかば焼きを1尾当たり1280円、中国産は680円で販売。今月1日~14日までの売り上げは前年よりも10%増と好調だ。
産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090718/biz0907181855011-n1.htm
「人の噂も75日」とか言ったが、この数年来からの
嫌中国産食品ブーム?はなんだったのか。
私もブログで何度も中共産食品の危険性を指摘してきたし、
私は少なくとも食品表示に中国産と明記されたものはぜったい買わなかった。
もう一度下のyoutubeの動画をご覧になられよ。
かなりグロいものもあるので要注意である。
http://m.youtube.com/watch?v=DsypLFAub0U&warned=True&client=mv-google&gl=JP&guid=ON&hl=ja
<参考>中国からの大気汚染
http://kobe-haricure.net/health/e83.htm
どこかのシッタカ売国バカが「中国産を大いに食べよう」などと、ブログで煽っていた。
確かに少なくとも食品表示の偽装があったり、
加工品の一材料に中共産が隠れて混入している可能性は大きいし、
国産と言えど様々な添加物や農薬の隠れ危険物の可能性も否定はできない。
国産表示とあればすべて安全か、というと決してそうではないだろう。
例えば、日本は乳幼児死亡率が世界一多いというデータがある。
日本は0歳児の死亡率が先進国の中でスウェーデンに続いて二位の低さを誇る。
ところが1~4歳児で世界最高最悪の死亡率を誇るという。
その原因は離乳食では無いかと検査したところ、
鉛やカドミウムなどの重金属が通常の数十倍入っていた。
それは離乳食の原材料は中共から来ていると言う事が判明したのだ。
これは先日youtubeのチャンネル桜で水島政憲氏が詳細にレポートしていた。
しかし中共の国土のかなりの部分が大気、水質、土壌汚染されている現実は、
多くのサイト、ブログ、出版物などで確認できる。
恐ろしいまでの環境破壊が進行中のこの国で、
奇形児・障害児や生物の変形種が大量に生まれ、
環境汚染が原因と見られる病気、病死が大量に報告されている。
さらに国内の安全基準が適当であり、遵法精神のゼロの国民が、
危険な化学薬品を食品加工に使用するなど日常茶飯事だという。
そんな環境で作られている食品などを、
わざわざ買ってまで食べる神経がどうかしてないか?
無論他人様の嗜好にいちいち私ごときが口を挟む筋合いではない。
中共産食品を食べたい人は勝手に食べればよいのだ。
しかし食べたくない人間も少なからずいるのも事実だ。
食べたくない人間が食べざるを得ない輸入システムが問題ではないか。
政府のチェック体制は実に甘い。
意図的に中共産を輸入することを推進しているかのような甘さだ。
民主党の岡田クンんちのイオングループは、
わんさか中共産食品のオンパレード♪だそうだ。
さすがシナ犬の岡田クンだなwww
民主党政権になったら、
国民全員が中共産食品を
強制的に食べさせられるぞwww
・・・・・というのも言いすぎか?
「すべての日本人に捧ぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=aw_mWZ0LqQQ
↑の「大地讃頌」はとても良い曲です。
NHKの受信料解約祭り実施中♪
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3326/nhk2.html
19日は、うなぎの需要が年間で最も高まる「土用の丑の日」。
猛暑続きのうえ、値ごろ感のあるうなぎの取り扱いも増え、7月のスーパー各社の売上高は前年同月に比べ2けた増となる見通しだ。昨年、中国産ギョーザの中毒事件の影響で敬遠された中国産うなぎも店頭に復活し、節約志向を強める消費者に受け入れられている。
西友はプライベートブランド(自主企画=PB)の「国産うなぎかば焼き」の1尾当たりの価格を1日~22日までの期間限定で970円から850円に引き下げた。6月1日から価格を1270円から970円にしていたが、一段の値下げを武器にこの期間に前年の1・5倍の販売を見込む。
食品スーパーのいなげやは、土用の丑の日の売上高が前年よりも14%増えると見込む。「気温が高く、今年は日曜日なので売り上げの増加が見込める」(いなげや)と鼻息が荒い。同社は国産のかば焼きを1尾当たり1280円、中国産は680円で販売。今月1日~14日までの売り上げは前年よりも10%増と好調だ。
産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090718/biz0907181855011-n1.htm
「人の噂も75日」とか言ったが、この数年来からの
嫌中国産食品ブーム?はなんだったのか。
私もブログで何度も中共産食品の危険性を指摘してきたし、
私は少なくとも食品表示に中国産と明記されたものはぜったい買わなかった。
もう一度下のyoutubeの動画をご覧になられよ。
かなりグロいものもあるので要注意である。
http://m.youtube.com/watch?v=DsypLFAub0U&warned=True&client=mv-google&gl=JP&guid=ON&hl=ja
<参考>中国からの大気汚染
http://kobe-haricure.net/health/e83.htm
どこかのシッタカ売国バカが「中国産を大いに食べよう」などと、ブログで煽っていた。
確かに少なくとも食品表示の偽装があったり、
加工品の一材料に中共産が隠れて混入している可能性は大きいし、
国産と言えど様々な添加物や農薬の隠れ危険物の可能性も否定はできない。
国産表示とあればすべて安全か、というと決してそうではないだろう。
例えば、日本は乳幼児死亡率が世界一多いというデータがある。
日本は0歳児の死亡率が先進国の中でスウェーデンに続いて二位の低さを誇る。
ところが1~4歳児で世界最高最悪の死亡率を誇るという。
その原因は離乳食では無いかと検査したところ、
鉛やカドミウムなどの重金属が通常の数十倍入っていた。
それは離乳食の原材料は中共から来ていると言う事が判明したのだ。
これは先日youtubeのチャンネル桜で水島政憲氏が詳細にレポートしていた。
しかし中共の国土のかなりの部分が大気、水質、土壌汚染されている現実は、
多くのサイト、ブログ、出版物などで確認できる。
恐ろしいまでの環境破壊が進行中のこの国で、
奇形児・障害児や生物の変形種が大量に生まれ、
環境汚染が原因と見られる病気、病死が大量に報告されている。
さらに国内の安全基準が適当であり、遵法精神のゼロの国民が、
危険な化学薬品を食品加工に使用するなど日常茶飯事だという。
そんな環境で作られている食品などを、
わざわざ買ってまで食べる神経がどうかしてないか?
無論他人様の嗜好にいちいち私ごときが口を挟む筋合いではない。
中共産食品を食べたい人は勝手に食べればよいのだ。
しかし食べたくない人間も少なからずいるのも事実だ。
食べたくない人間が食べざるを得ない輸入システムが問題ではないか。
政府のチェック体制は実に甘い。
意図的に中共産を輸入することを推進しているかのような甘さだ。
民主党の岡田クンんちのイオングループは、
わんさか中共産食品のオンパレード♪だそうだ。
さすがシナ犬の岡田クンだなwww
民主党政権になったら、
国民全員が中共産食品を
強制的に食べさせられるぞwww
・・・・・というのも言いすぎか?
「すべての日本人に捧ぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=aw_mWZ0LqQQ
↑の「大地讃頌」はとても良い曲です。
NHKの受信料解約祭り実施中♪
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3326/nhk2.html
お知らせ
2009年03月17日
先週でようやく研修・訓練が終わり沖縄に戻りました。
久しぶりの沖縄はよく晴れて太陽もまぶしく、
これから赴任する南国を彷彿とさせられました。
研修訓練期間の生活も自分の立てた目標を、
ある程度まで達成し、体力強化と体重軽減も実現し、
語学のほうもそこそこ進歩上達のあとが見られ、
それなりに充実した二ヶ月をすごせました。
来週にはNY経由で中米の某国に出発します。
次の更新では国名を明かしますが、現時点では秘密です。
ただし赴任地のネット環境がいまだ不明なので、
ブログ再開までしばらく時間が必要かと存じます。
インターネット・カフェでもあればそこから発信することも考えておりますので、
いましばらくお待ち願い申し上げます。
では次回からは中米から皆様に愛を込めて、
トラネコ日記海外版をお送りいたしますので、
お楽しみに!
久しぶりの沖縄はよく晴れて太陽もまぶしく、
これから赴任する南国を彷彿とさせられました。
研修訓練期間の生活も自分の立てた目標を、
ある程度まで達成し、体力強化と体重軽減も実現し、
語学のほうもそこそこ進歩上達のあとが見られ、
それなりに充実した二ヶ月をすごせました。
来週にはNY経由で中米の某国に出発します。
次の更新では国名を明かしますが、現時点では秘密です。
ただし赴任地のネット環境がいまだ不明なので、
ブログ再開までしばらく時間が必要かと存じます。
インターネット・カフェでもあればそこから発信することも考えておりますので、
いましばらくお待ち願い申し上げます。
では次回からは中米から皆様に愛を込めて、
トラネコ日記海外版をお送りいたしますので、
お楽しみに!
情報遮断の快適さ
2009年02月08日
現在この施設に来て一ヶ月ほど経過した。
とにかく毎日スケデュールに追われ、特に語学関係は忙しい。
そんな状況なので、新聞もテレビもここの施設にはあるのだが、
私は殆どニュースも見ないし、記事も読まない。
もちろんこまめに毎日の出来事をチェックしている人もいる。
しかし私はそれをしない。
というか私の頭脳メモリー容量では、
現段階ではそこまでのキャパがない。
インターネットもスペイン語学習のために
Web版のスペイン語放送を聴くのがほとんどで、
その他今の自分の必要性に応じた情報検索しかしない。
ニュース記事は少ししか読まない。
いま世間でなにが起きているのかまったくわからない。
政治の動向も知らない。
たまに人の話を聞いて知るくらいである。

またここの環境が実に快適である。
標高も高く、周りは日本アルプスに囲まれ、田園地帯が広がり、
商店や人の集まる場所がほとんどなく、人も車も殆どなく、
静寂感に包まれている。
上の写真がここなのだが、現在積雪はない。
そんな暮らしを約一ヶ月してみて気がついたことは、
まったくストレスがないということだ。
まったくないというのは語弊があるが、語学その他のことは
自分から望んで参加しているわけだから、プレッシャーなどがあっても
別に苦痛とか不快なストレスではない。
以前はニュースを見たりするたびに腹を立てていた自分だが、
世間から遠ざかるとこれほどまでに快適なのだということが、
今さらながら実感させられる。
もともと社会や政治には関心が強いほうなのだが、
今はそちらへ関心が向かないほど忙しいこともあり、
必然的に情報遮断するような生活をしている。
社会人としてこういう感覚は間違っているのかも知れない。
しかしそれとは別にやはり精神的には実に快適である。
政治の世界ほど醜く不快なドロドロしたものはないと、
思いつつ、やはり自分達の暮らしに関係するのだから、
無関心ではいられない・・・といって腹をたてる毎日であった。
しかし・・・
今は嫌なものや不快なものを感じずにすむのだから、
こんなに気分のいいことはない。
もっとも普通の暮らしにおいても、政治や社会に無関心ならば、
別にどうということもない。
とくに私の場合は勤めはしていても、人間関係が希薄なこともあり、
しかも仕事はカネを稼ぐ為と割り切っているので、生活面ではあまりストレスはない。
精神衛生ということばがあるが、やはり現代人の病気の多くが、
ストレス由来のものがあることはうなずける。
胃がんや心臓病などは生活習慣ももちろんだが、
ストレス由来のものも多いと聞く。
精神は肉体へも大きく影響を及ぼすのは、
医学会でも常識である。
一番手っ取り早いストレス撃退法は、可能であればだが、
ストレス原因から遠ざかり、その情報を遮断することだろう。
しかしいつでも誰でもそれを実行するということは難しい。
であればストレスと上手く付き合うしかない。
ストレスを受け入れつつ、すんなりと流し出す方法を
各人が見つけるしかないだろう。
ストレスをうまく受け流しコントロールすることは、
ひとつの処世術、生き方の技術だと思う。
しかしこの生活もあと一ヶ月である。
めったにないこの機会を存分に楽しみたい。
とにかく毎日スケデュールに追われ、特に語学関係は忙しい。
そんな状況なので、新聞もテレビもここの施設にはあるのだが、
私は殆どニュースも見ないし、記事も読まない。
もちろんこまめに毎日の出来事をチェックしている人もいる。
しかし私はそれをしない。
というか私の頭脳メモリー容量では、
現段階ではそこまでのキャパがない。
インターネットもスペイン語学習のために
Web版のスペイン語放送を聴くのがほとんどで、
その他今の自分の必要性に応じた情報検索しかしない。
ニュース記事は少ししか読まない。
いま世間でなにが起きているのかまったくわからない。
政治の動向も知らない。
たまに人の話を聞いて知るくらいである。

またここの環境が実に快適である。
標高も高く、周りは日本アルプスに囲まれ、田園地帯が広がり、
商店や人の集まる場所がほとんどなく、人も車も殆どなく、
静寂感に包まれている。
上の写真がここなのだが、現在積雪はない。
そんな暮らしを約一ヶ月してみて気がついたことは、
まったくストレスがないということだ。
まったくないというのは語弊があるが、語学その他のことは
自分から望んで参加しているわけだから、プレッシャーなどがあっても
別に苦痛とか不快なストレスではない。
以前はニュースを見たりするたびに腹を立てていた自分だが、
世間から遠ざかるとこれほどまでに快適なのだということが、
今さらながら実感させられる。
もともと社会や政治には関心が強いほうなのだが、
今はそちらへ関心が向かないほど忙しいこともあり、
必然的に情報遮断するような生活をしている。
社会人としてこういう感覚は間違っているのかも知れない。
しかしそれとは別にやはり精神的には実に快適である。
政治の世界ほど醜く不快なドロドロしたものはないと、
思いつつ、やはり自分達の暮らしに関係するのだから、
無関心ではいられない・・・といって腹をたてる毎日であった。
しかし・・・
今は嫌なものや不快なものを感じずにすむのだから、
こんなに気分のいいことはない。
もっとも普通の暮らしにおいても、政治や社会に無関心ならば、
別にどうということもない。
とくに私の場合は勤めはしていても、人間関係が希薄なこともあり、
しかも仕事はカネを稼ぐ為と割り切っているので、生活面ではあまりストレスはない。
精神衛生ということばがあるが、やはり現代人の病気の多くが、
ストレス由来のものがあることはうなずける。
胃がんや心臓病などは生活習慣ももちろんだが、
ストレス由来のものも多いと聞く。
精神は肉体へも大きく影響を及ぼすのは、
医学会でも常識である。
一番手っ取り早いストレス撃退法は、可能であればだが、
ストレス原因から遠ざかり、その情報を遮断することだろう。
しかしいつでも誰でもそれを実行するということは難しい。
であればストレスと上手く付き合うしかない。
ストレスを受け入れつつ、すんなりと流し出す方法を
各人が見つけるしかないだろう。
ストレスをうまく受け流しコントロールすることは、
ひとつの処世術、生き方の技術だと思う。
しかしこの生活もあと一ヶ月である。
めったにないこの機会を存分に楽しみたい。
語学学習の「即効性と簡便性」
2009年01月25日
更新が遅れて申し訳ありません。
毎日様々な講座その他に追われなかなかブログに手がまわりません。
おまけに風邪を引き、こじらせています。
南国暮らしの身には結構こたえるものがあります。
さて本日は今語学研修も行っていますが、
このことで思いついたことを書くことにしました。
今の世の中にはなんでもインスタントに結果を出せないと、
時代のニーズに対応できない風潮があるようだ。
物事が細分化され時間のテンポが急速にスピードアップして、
地球上の時間が過去の何万倍も早くなってきたみたいだ。
冷凍食品や半加工食品などは電子レンジで、
簡単、即できたての美味しさが味わえるのが嬉しいといえば嬉しい。
インスタント食品の元祖ともいえるチキンラーメンなどの即席麺などは、
世界中で生産され一日数億食も食べられているそうだ。
忙しい現代社会のニーズから、即効性を求める商品が多く売り出されている。
特にダイエット商品などそのノウハウものも含めたら、
過去どれくらいの商品があったことだろうか・・・。
1週間で○キロ体重が落とせるとか、
一日一食商品を食べるだけで後は何を食べてもかまわないし、
それだけで短期間に体重を減らせるなど、
手間隙かけずに好結果が得られる点では、
即効性と簡便性がセットになっている点は即席麺と同じである。
一体どれくらいの人がダイエットに成功したのものか、
第三者機関のリサーチ報告があれば調べてみたいものだ。
「即効性と簡便性」
これが現代社会に求められている商品の重要な条件の一つである。
ここからが本題である。
今回考えたのは、よくある英語学習である。
雑誌や新聞の広告などで目にするのだが、
聞き流すだけで自然と英語が身に付き、知らない間に話せるようになるとか、
CDを聞いてるだけで英会話の中身が自然と理解できるとか、
面倒な努力はほとんど必要なく、とても楽してしかも何年もかけず、
数週間あるいは数ヶ月で英会話が可能になるという・・・
まあそんな夢のような「素晴らしい」教材である。
結論からいうと、このような教材は成功者がどれほどいるのかが
わからないのでなんともいえないが、私は眉唾物だと思っている。
語学学習がこんな簡単に身に付けられるはずがないと思っている。
今、語学研修を受けているが、これが結構ハードな内容である。
大体中学校二年間分の英語の授業を、約2ヶ月余りで完結することをご想像いただきたい。
各国語がレベルに応じたクラス分けをされており、
基礎文法をベースに会話能力に直結させれるようなカリキュラムが組まれているようだ。
さらに宿題や学習言語の日記も毎日あり、それが毎日続く。
勿論それ以外の研修講座や実習もあるので、語学ばかりやっているわけではない。
私など一度海外経験があるのでまだ楽なほうだが、
初めてフランス語やスペイン語に出会った人などはとても余裕はないだろう。
ましてやウルドゥー語やカザフ語など、日本ではなじみが極めて薄い言語など、
想像するのも不可能な言語の学習である。
それでも毎日外人講師もネイティブ言語で授業を受けていれば、
黙っていても言語が理解できたり、会話が出来たりするかというと、
経験からそうではないと私は思う。
ここまで詰め込み学習をしても語学は身につかない。
正確にいうと、基本文法などは理解できるが、
自由に聞き取ったり、話したりする能力は決して身には付かない。
まず二ヶ月缶詰で勉強しても難しい。
もちろん個人差はあるが・・・
言語学の専門家によれば、子供がバイリンガルに育てられる年齢は、
一般的に7~8歳くらいまでだそうだ。それ以上の年齢になると、
母国語の言語システムが脳の回路に出来上がってしまうので、
聞いてるだけでは自然に他言語を理解するのは難しくなるらしい。
無論コミニュケーションを積極的にとっていく姿勢があれば話は別である。
あくまで「聞くだけ」教材に限ってのはなしである。
年齢が上がれば上がるほど、言語学習、
とくに会話学習が難しくなるのはそのためだという。
なるほど我々日本人は日本語で物事を考えるわけである。
だから両親の片方が外国人の子供は、
幼い内はまだ日本語の思考回路が未完成なので、
単純に生活経験のなかで二ヶ国語を聞いているだけで、
二ヶ国語の習得ができるのかも知れない。
しかし成長に伴って言語の思考回路が固まってきだすと、
聞くだけでは他の言語は理解できない。
だから文法という言語構造とシステムを理解する学習が必要になってくるのだ。
我々日本人が英語をはじめ他の言語を理解し、
話せるようになる為にはまず文法学習が不可欠である。
少なくとも成人して以降に語学を学び始めるなら、なおさらである。
さらに単語のつづりなどは漢字と同じで、
実際に書いて覚えない限りなかなか身に付かない。
知らない言葉をCDで百万回聞いても絶対に理解などでるわけがない。
あの聞くだけで英会話能力が飛躍的に伸びる教材は、
補助教材ならまだしも、あれだけで会話が可能というのは、
やはり眉唾であると思う。
我々は楽して好結果を求めてしまう。
この欲求が科学やシステムの発展に寄与してきたことも事実である。
だからこのこと自体別に悪いことだとは思わないが、ケース・バイ・ケースだと思う。
ダイエットにしても、健康にしても、語学にしても効率的なやり方はあると思うが、
やはり「美味い話」にはご用心である。
毎日様々な講座その他に追われなかなかブログに手がまわりません。
おまけに風邪を引き、こじらせています。
南国暮らしの身には結構こたえるものがあります。
さて本日は今語学研修も行っていますが、
このことで思いついたことを書くことにしました。
今の世の中にはなんでもインスタントに結果を出せないと、
時代のニーズに対応できない風潮があるようだ。
物事が細分化され時間のテンポが急速にスピードアップして、
地球上の時間が過去の何万倍も早くなってきたみたいだ。
冷凍食品や半加工食品などは電子レンジで、
簡単、即できたての美味しさが味わえるのが嬉しいといえば嬉しい。
インスタント食品の元祖ともいえるチキンラーメンなどの即席麺などは、
世界中で生産され一日数億食も食べられているそうだ。
忙しい現代社会のニーズから、即効性を求める商品が多く売り出されている。
特にダイエット商品などそのノウハウものも含めたら、
過去どれくらいの商品があったことだろうか・・・。
1週間で○キロ体重が落とせるとか、
一日一食商品を食べるだけで後は何を食べてもかまわないし、
それだけで短期間に体重を減らせるなど、
手間隙かけずに好結果が得られる点では、
即効性と簡便性がセットになっている点は即席麺と同じである。
一体どれくらいの人がダイエットに成功したのものか、
第三者機関のリサーチ報告があれば調べてみたいものだ。
「即効性と簡便性」
これが現代社会に求められている商品の重要な条件の一つである。
ここからが本題である。
今回考えたのは、よくある英語学習である。
雑誌や新聞の広告などで目にするのだが、
聞き流すだけで自然と英語が身に付き、知らない間に話せるようになるとか、
CDを聞いてるだけで英会話の中身が自然と理解できるとか、
面倒な努力はほとんど必要なく、とても楽してしかも何年もかけず、
数週間あるいは数ヶ月で英会話が可能になるという・・・
まあそんな夢のような「素晴らしい」教材である。
結論からいうと、このような教材は成功者がどれほどいるのかが
わからないのでなんともいえないが、私は眉唾物だと思っている。
語学学習がこんな簡単に身に付けられるはずがないと思っている。
今、語学研修を受けているが、これが結構ハードな内容である。
大体中学校二年間分の英語の授業を、約2ヶ月余りで完結することをご想像いただきたい。
各国語がレベルに応じたクラス分けをされており、
基礎文法をベースに会話能力に直結させれるようなカリキュラムが組まれているようだ。
さらに宿題や学習言語の日記も毎日あり、それが毎日続く。
勿論それ以外の研修講座や実習もあるので、語学ばかりやっているわけではない。
私など一度海外経験があるのでまだ楽なほうだが、
初めてフランス語やスペイン語に出会った人などはとても余裕はないだろう。
ましてやウルドゥー語やカザフ語など、日本ではなじみが極めて薄い言語など、
想像するのも不可能な言語の学習である。
それでも毎日外人講師もネイティブ言語で授業を受けていれば、
黙っていても言語が理解できたり、会話が出来たりするかというと、
経験からそうではないと私は思う。
ここまで詰め込み学習をしても語学は身につかない。
正確にいうと、基本文法などは理解できるが、
自由に聞き取ったり、話したりする能力は決して身には付かない。
まず二ヶ月缶詰で勉強しても難しい。
もちろん個人差はあるが・・・
言語学の専門家によれば、子供がバイリンガルに育てられる年齢は、
一般的に7~8歳くらいまでだそうだ。それ以上の年齢になると、
母国語の言語システムが脳の回路に出来上がってしまうので、
聞いてるだけでは自然に他言語を理解するのは難しくなるらしい。
無論コミニュケーションを積極的にとっていく姿勢があれば話は別である。
あくまで「聞くだけ」教材に限ってのはなしである。
年齢が上がれば上がるほど、言語学習、
とくに会話学習が難しくなるのはそのためだという。
なるほど我々日本人は日本語で物事を考えるわけである。
だから両親の片方が外国人の子供は、
幼い内はまだ日本語の思考回路が未完成なので、
単純に生活経験のなかで二ヶ国語を聞いているだけで、
二ヶ国語の習得ができるのかも知れない。
しかし成長に伴って言語の思考回路が固まってきだすと、
聞くだけでは他の言語は理解できない。
だから文法という言語構造とシステムを理解する学習が必要になってくるのだ。
我々日本人が英語をはじめ他の言語を理解し、
話せるようになる為にはまず文法学習が不可欠である。
少なくとも成人して以降に語学を学び始めるなら、なおさらである。
さらに単語のつづりなどは漢字と同じで、
実際に書いて覚えない限りなかなか身に付かない。
知らない言葉をCDで百万回聞いても絶対に理解などでるわけがない。
あの聞くだけで英会話能力が飛躍的に伸びる教材は、
補助教材ならまだしも、あれだけで会話が可能というのは、
やはり眉唾であると思う。
我々は楽して好結果を求めてしまう。
この欲求が科学やシステムの発展に寄与してきたことも事実である。
だからこのこと自体別に悪いことだとは思わないが、ケース・バイ・ケースだと思う。
ダイエットにしても、健康にしても、語学にしても効率的なやり方はあると思うが、
やはり「美味い話」にはご用心である。
お知らせ
2008年12月31日
ブログの更新をしばらく休止または週一~二にします。
私の日々感じている様々な社会不安や疑問や妄想に
お付き合いいただいて、心から感謝しております。
このブログは08年5月下旬より書き始めて毎日更新してきました。
とくにジャンルは特定せず、思っていることを何でも書いてきました。
最初は一日100ヒットもあれば嬉しいなと思って書いていましたが、
お陰さまで毎日400以上、多い日で600ヒットもアクセス頂いております。
またコメントも沖縄はもとより全国からも頂いており、
大変嬉しく思っています。
ブログを通じて考え方を共有できる方々とも知り合えました。
全くお名前もお住まいも顔もわからないながらも、
礼儀や品性や常識をわきまえた皆様と親和感を持てるのは幸せです。
また社会常識や礼儀、品性のない方や、
人格に問題をかかえた方もわずかにおられましたが、
何とはなしにネットを通じて顔が想像できました。
今さらながら世の中には様々な人びとがおられることを実感しました。
さてこのたび私は海外にお仕事にいくことになりました。
詳細はまた後ほどお伝えしますが、その準備に追われそうなので、
毎日更新は不可能になると考え、このような判断をいたしました。
海外に行ってもブログは続ける予定です。
ただし私が行く土地は途上国のさらに田舎町なので、
向こうのネット環境がいまだ不明なのです。
出発は3月下旬ころになると思います。
出来るだけ週に1~2回は更新しますので、
ちょくちょくお立ち寄りくださいませ。
それでは皆様良いお年をお迎えくださいませ!
有難うございました。
平成20年12月31日 トラネコ拝
私の日々感じている様々な社会不安や疑問や妄想に
お付き合いいただいて、心から感謝しております。
このブログは08年5月下旬より書き始めて毎日更新してきました。
とくにジャンルは特定せず、思っていることを何でも書いてきました。
最初は一日100ヒットもあれば嬉しいなと思って書いていましたが、
お陰さまで毎日400以上、多い日で600ヒットもアクセス頂いております。
またコメントも沖縄はもとより全国からも頂いており、
大変嬉しく思っています。
ブログを通じて考え方を共有できる方々とも知り合えました。
全くお名前もお住まいも顔もわからないながらも、
礼儀や品性や常識をわきまえた皆様と親和感を持てるのは幸せです。
また社会常識や礼儀、品性のない方や、
人格に問題をかかえた方もわずかにおられましたが、
何とはなしにネットを通じて顔が想像できました。
今さらながら世の中には様々な人びとがおられることを実感しました。
さてこのたび私は海外にお仕事にいくことになりました。
詳細はまた後ほどお伝えしますが、その準備に追われそうなので、
毎日更新は不可能になると考え、このような判断をいたしました。
海外に行ってもブログは続ける予定です。
ただし私が行く土地は途上国のさらに田舎町なので、
向こうのネット環境がいまだ不明なのです。
出発は3月下旬ころになると思います。
出来るだけ週に1~2回は更新しますので、
ちょくちょくお立ち寄りくださいませ。
それでは皆様良いお年をお迎えくださいませ!
有難うございました。
平成20年12月31日 トラネコ拝
ゴミ屋敷の謎
2008年12月28日
静岡・三島市にあるごみ屋敷で75歳女性の安否確認のためごみの撤去作業
静岡・三島市でごみ屋敷の強制撤去が行われた。今回の撤去作戦は、ごみに阻まれ確認できなくなっていた75歳女性の安否確認のためで、市職員ら50人態勢による作業の結果、女性を発見、元気な様子だった。
ごみ屋敷に住む女性は「絶対にダメ、ダメ、ダメ。こんな寒い時に開けると、猫なんかも住んでいるのよ」と話した。
静岡・三島市にあるこの住宅は、10数年前からごみで埋め尽くされてきたいわゆる「ごみ屋敷」。
これまで市が、ごみの撤去要求をしてきたが、それには応じてこなかったという。
そして、16日、ついに市がごみの撤去に踏み切った。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00145967.html
ゴミ屋敷に関するトラブルとかニュースはここ何年かよく聞く話だ。
幸い私の近所や知り合いにゴミ屋敷関係者はいない。
それにしてもこの77歳と75歳の老姉妹は二人とも独身で、
妹は体が弱いらしく2年間家のそとに出たことがなく、
姉は毎日せっせとゴミ集めをして、
家の周りは壁のようにゴミで覆われていた。
何か人間の執念のようなものを感じてしまった。
近年印象に残ったゴミ屋敷の話題は、
元NHKの技術系職員だったという初老の男性は、
持ち家3軒もあって、しかもすべてゴミ屋敷だという。
家族もなく一人暮らしで、ゴミ集めが日課みたいな暮らしだった。
ゴミは財産であり、家は財産の置き場なのだという。
何年か前には東京の下町の男性で、ゴミ屋敷ほどではないが、
犬猫や自らの糞集めをして「肥料」作りとかで、
糞尿を鍋にいれてぐつぐつ煮るのが日課という、
すっごいオッサンがニュースに出ていた。
近所の、特に食べ物関係者は大迷惑だそうだ(臭っ)。
そりゃそうだわな、当たり前かwww
他にもアパート、マンションでゴミを捨てられない、整理できないというのがある。
ただしこれはわざわざ拾って来るのではないので、ここでは除く。
私はこのゴミ屋敷の住人の心理が不思議だったが、
もしかしてと、自分の中の心理に思い当たることがあった。
私は趣味ではないが引越しが比較的多い。
そのたびに決して少なくないゴミを出している。
生活していると必然的にモノが増えていく。
そのとき捨てるもの、残すものの選択があるのだが、
例えば現在は全く使っていないものでも、
何らかの思い出とか、思い入れのある品物は捨て辛い。
またいつか使えるという心理も働く。
しかしそれを考え出すと、所持品はどんどん溜まっていくので、
最近はあまり考えないで、どんどん捨てていくことにしている。
またモノを増やさないように心がけている。
何年かまえに「捨てる技術」とかいう本がベストセラーになったが、
本屋で立ち読みしたときになるほどと思うことが書いてあった。
例えば
「10年以上も押入れや段ボール箱にしまいっぱなしのものなどは、
この先10年たっても使うことも、取り出すこともないだろう。」
確かにこの考えは当たっているなと思う。
自分でも忘れているようなものは、この先何十年たっても使わないだろう。
しかしもったいないという心理もある。
年配の方はモノを捨てるのはもったいない、申し訳ないという心理が大きいのではないか。
だから拾ってきてまで自宅に置こうとするのではないかと思うのだ。
だいたい家にゴミ集めしているのは年寄りが殆どだと思う。
ゴミ屋敷の住人はこの心理が極度に拡大しているのではないだろうか?
いろいろな関連サイトをググッテみたらこんなサイトに出会った。
それによると、私の考えともどうも違うようである。
「Garbage residence(ゴミ屋敷)」
http://www.tanbot.net/tisiki/gomi-yasiki/
それによると、ゴミ屋敷の住人の心理とは・・・
・孤独感からゴミを集めてしまう
・とりあえず収集したい・執着心が強い
・物が捨てられない・片付けられない
・衛生の観念が鈍い・汚いと思わない
・体が不自由でゴミを出せない
・誰もいない住居に近所の人などがゴミを捨てていく
・ADHDである
※ADHDとは…多動・衝動・不注意・先延ばしといった行動によって
生活に支障をきたすことをいいます。
・・・とあった。
まあ人それぞれいろんな理由もあり、また複合的な原因もあるのだろう。
でもゴミ屋敷にする心理って、やはり精神的な疾患、病気なんだろうと思う。
最初の記事の老姉妹の姉も役所がある程度、ゴミ撤去した後も
また集め始めたというから、これは病院での治療が必要である。
このような病気が増えてきたのも近年のことなのだろうか。
昔はあまり聞かなかったから、もしかしたら現代病の一つかも知れない。
自分も病気にならないように注意しようと思う。
静岡・三島市でごみ屋敷の強制撤去が行われた。今回の撤去作戦は、ごみに阻まれ確認できなくなっていた75歳女性の安否確認のためで、市職員ら50人態勢による作業の結果、女性を発見、元気な様子だった。
ごみ屋敷に住む女性は「絶対にダメ、ダメ、ダメ。こんな寒い時に開けると、猫なんかも住んでいるのよ」と話した。
静岡・三島市にあるこの住宅は、10数年前からごみで埋め尽くされてきたいわゆる「ごみ屋敷」。
これまで市が、ごみの撤去要求をしてきたが、それには応じてこなかったという。
そして、16日、ついに市がごみの撤去に踏み切った。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00145967.html
ゴミ屋敷に関するトラブルとかニュースはここ何年かよく聞く話だ。
幸い私の近所や知り合いにゴミ屋敷関係者はいない。
それにしてもこの77歳と75歳の老姉妹は二人とも独身で、
妹は体が弱いらしく2年間家のそとに出たことがなく、
姉は毎日せっせとゴミ集めをして、
家の周りは壁のようにゴミで覆われていた。
何か人間の執念のようなものを感じてしまった。
近年印象に残ったゴミ屋敷の話題は、
元NHKの技術系職員だったという初老の男性は、
持ち家3軒もあって、しかもすべてゴミ屋敷だという。
家族もなく一人暮らしで、ゴミ集めが日課みたいな暮らしだった。
ゴミは財産であり、家は財産の置き場なのだという。
何年か前には東京の下町の男性で、ゴミ屋敷ほどではないが、
犬猫や自らの糞集めをして「肥料」作りとかで、
糞尿を鍋にいれてぐつぐつ煮るのが日課という、
すっごいオッサンがニュースに出ていた。
近所の、特に食べ物関係者は大迷惑だそうだ(臭っ)。
そりゃそうだわな、当たり前かwww
他にもアパート、マンションでゴミを捨てられない、整理できないというのがある。
ただしこれはわざわざ拾って来るのではないので、ここでは除く。
私はこのゴミ屋敷の住人の心理が不思議だったが、
もしかしてと、自分の中の心理に思い当たることがあった。
私は趣味ではないが引越しが比較的多い。
そのたびに決して少なくないゴミを出している。
生活していると必然的にモノが増えていく。
そのとき捨てるもの、残すものの選択があるのだが、
例えば現在は全く使っていないものでも、
何らかの思い出とか、思い入れのある品物は捨て辛い。
またいつか使えるという心理も働く。
しかしそれを考え出すと、所持品はどんどん溜まっていくので、
最近はあまり考えないで、どんどん捨てていくことにしている。
またモノを増やさないように心がけている。
何年かまえに「捨てる技術」とかいう本がベストセラーになったが、
本屋で立ち読みしたときになるほどと思うことが書いてあった。
例えば
「10年以上も押入れや段ボール箱にしまいっぱなしのものなどは、
この先10年たっても使うことも、取り出すこともないだろう。」
確かにこの考えは当たっているなと思う。
自分でも忘れているようなものは、この先何十年たっても使わないだろう。
しかしもったいないという心理もある。
年配の方はモノを捨てるのはもったいない、申し訳ないという心理が大きいのではないか。
だから拾ってきてまで自宅に置こうとするのではないかと思うのだ。
だいたい家にゴミ集めしているのは年寄りが殆どだと思う。
ゴミ屋敷の住人はこの心理が極度に拡大しているのではないだろうか?
いろいろな関連サイトをググッテみたらこんなサイトに出会った。
それによると、私の考えともどうも違うようである。
「Garbage residence(ゴミ屋敷)」
http://www.tanbot.net/tisiki/gomi-yasiki/
それによると、ゴミ屋敷の住人の心理とは・・・
・孤独感からゴミを集めてしまう
・とりあえず収集したい・執着心が強い
・物が捨てられない・片付けられない
・衛生の観念が鈍い・汚いと思わない
・体が不自由でゴミを出せない
・誰もいない住居に近所の人などがゴミを捨てていく
・ADHDである
※ADHDとは…多動・衝動・不注意・先延ばしといった行動によって
生活に支障をきたすことをいいます。
・・・とあった。
まあ人それぞれいろんな理由もあり、また複合的な原因もあるのだろう。
でもゴミ屋敷にする心理って、やはり精神的な疾患、病気なんだろうと思う。
最初の記事の老姉妹の姉も役所がある程度、ゴミ撤去した後も
また集め始めたというから、これは病院での治療が必要である。
このような病気が増えてきたのも近年のことなのだろうか。
昔はあまり聞かなかったから、もしかしたら現代病の一つかも知れない。
自分も病気にならないように注意しようと思う。
年中行事のクリスマス
2008年12月25日
今日はクリスマスである。
私は昔からクリスマスに殆ど無関心である。
はっきり言ってどうでもいい。
しかし日本の普通の社会では、クリスマスは冬の定番の行事である。
まあ冬の風物詩として定着している。
むかしラテンアメリカの某国にいた。
ラテンアメリカのクリスマスは日本のような大バーゲンもなければ、
クリスマスのディナー・パーティもないし、恋人とロマンチックに過ごす日でもない。
やはりキリスト教カトリックの国だけあって、厳かにキリストの生誕を祝う日である。
厳粛な宗教行事だから当然だろう。
もっともキリストは12月25日に生まれたなんて、
聖書にも書いていないのだが、ま、どうでもいいが・・・
大むかし札幌にいた。
雪国札幌はクリスマスのイルミネーションが美しい。
大通り公園を西11丁目から、
旧北海道庁舎を越えて厚生年金会館あたりを夜歩いていると、
クリスマスに興味のない私にも、なんかうっとりする冬景色である。
ただし一人だとメッチャ寂しい~~~が・・・
札幌のある小学校でクリスマスのパーティーをやることになったが、
PTAからクレームがついて中止になった。某宗教団体の親たちだった。
特定の宗教行事を公立でやるのは非常識だという。
それを聞いた他の親御さんたちは、
「そうか、そうか」と言ったとか、言わなかったとか・・・
確かに公立学校で特定の宗教行事を行うのは、
憲法に違反する行為だろう。
それはその通りだ。
また5,6年前だったか、久留米市内の小学校で校長が病気入院していたが、
12月に退院してきた。入院中には生徒達から励ましの手紙を貰ったり、
千羽鶴を貰ったりしたお礼にと、校長はサンタクロースの衣装を着て、
終業式で生徒達全員にチョコレートを配った。
ところがその学校の教職員組合は校長が特定の宗教を意識した恰好で、
生徒に私的なプレゼントをするのは憲法違反だ、と騒ぎ出し、
チョコレートを回収し、校長をつるし上げにかかった。
これが新聞やニュースに出た。
Takashiさんのブログ「沖縄県民斯ク戦ヘリ」に詳しい。
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/
しかし今の日本でクリスマスを宗教行事だなんて認識している日本人は、
キリスト教徒以外には殆どいないだろう。
この日はケーキ食って、シャンパン飲んで、七面鳥やご馳走を食べる日で、
親は子供に何かプレゼントをする日である。
最近は家庭ごとに家を電飾のイルミネーションで装飾するのも流行ってる。
若い人は皆でワイワイガヤガヤとパーティーだかコンパだか開いて、
大いに飲めや歌えやで楽しむ。あるいは恋人同士でロマンチックに過ごす。
ただそれだけの日である。
別段公に認められた宗教性も何の意味もまったくないのだ。
私は個人的には公立学校でのクリスマス関係の行事には反対である。
日本人のキリスト教自体に好感を持っていないからだ。
しかしやったところでどうと言うこともないし、どうでもいいと思っている。
久留米の先生みたいに、国旗も国歌も尊重もしないし、
Made in USAのケンポーを尊重するわりに、
憲法に規定されている天皇を尊重しないくせに、
そんなに目くじら立てることもないのではないか。
校長の生徒への感謝の気持を時節に応じてちょっと演出しただけじゃないか。
もっとも組合は体制側は敵だから、管理職のやることは何でもかんでも、
イチャモンつけたいのはわかるけど、
もう少し大人になってはいかがなものか。
そうか組合はマルクス教だから、
異教徒は認めないんだ、な~るほどw
そういえばウチの学校の玄関の突き当りには、
毎月PTAのお母さん方が季節にちなんだ装飾を、
きれいに工夫して展示してくださっているが、
やはり12月はクリスマスの装飾だ。
高教組の先生も校長も何にもいわないんだ。
いい学校だな・・・
私は昔からクリスマスに殆ど無関心である。
はっきり言ってどうでもいい。
しかし日本の普通の社会では、クリスマスは冬の定番の行事である。
まあ冬の風物詩として定着している。
むかしラテンアメリカの某国にいた。
ラテンアメリカのクリスマスは日本のような大バーゲンもなければ、
クリスマスのディナー・パーティもないし、恋人とロマンチックに過ごす日でもない。
やはりキリスト教カトリックの国だけあって、厳かにキリストの生誕を祝う日である。
厳粛な宗教行事だから当然だろう。
もっともキリストは12月25日に生まれたなんて、
聖書にも書いていないのだが、ま、どうでもいいが・・・
大むかし札幌にいた。
雪国札幌はクリスマスのイルミネーションが美しい。
大通り公園を西11丁目から、
旧北海道庁舎を越えて厚生年金会館あたりを夜歩いていると、
クリスマスに興味のない私にも、なんかうっとりする冬景色である。
ただし一人だとメッチャ寂しい~~~が・・・
札幌のある小学校でクリスマスのパーティーをやることになったが、
PTAからクレームがついて中止になった。某宗教団体の親たちだった。
特定の宗教行事を公立でやるのは非常識だという。
それを聞いた他の親御さんたちは、
「そうか、そうか」と言ったとか、言わなかったとか・・・
確かに公立学校で特定の宗教行事を行うのは、
憲法に違反する行為だろう。
それはその通りだ。
また5,6年前だったか、久留米市内の小学校で校長が病気入院していたが、
12月に退院してきた。入院中には生徒達から励ましの手紙を貰ったり、
千羽鶴を貰ったりしたお礼にと、校長はサンタクロースの衣装を着て、
終業式で生徒達全員にチョコレートを配った。
ところがその学校の教職員組合は校長が特定の宗教を意識した恰好で、
生徒に私的なプレゼントをするのは憲法違反だ、と騒ぎ出し、
チョコレートを回収し、校長をつるし上げにかかった。
これが新聞やニュースに出た。
Takashiさんのブログ「沖縄県民斯ク戦ヘリ」に詳しい。
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/
しかし今の日本でクリスマスを宗教行事だなんて認識している日本人は、
キリスト教徒以外には殆どいないだろう。
この日はケーキ食って、シャンパン飲んで、七面鳥やご馳走を食べる日で、
親は子供に何かプレゼントをする日である。
最近は家庭ごとに家を電飾のイルミネーションで装飾するのも流行ってる。
若い人は皆でワイワイガヤガヤとパーティーだかコンパだか開いて、
大いに飲めや歌えやで楽しむ。あるいは恋人同士でロマンチックに過ごす。
ただそれだけの日である。
別段公に認められた宗教性も何の意味もまったくないのだ。
私は個人的には公立学校でのクリスマス関係の行事には反対である。
日本人のキリスト教自体に好感を持っていないからだ。
しかしやったところでどうと言うこともないし、どうでもいいと思っている。
久留米の先生みたいに、国旗も国歌も尊重もしないし、
Made in USAのケンポーを尊重するわりに、
憲法に規定されている天皇を尊重しないくせに、
そんなに目くじら立てることもないのではないか。
校長の生徒への感謝の気持を時節に応じてちょっと演出しただけじゃないか。
もっとも組合は体制側は敵だから、管理職のやることは何でもかんでも、
イチャモンつけたいのはわかるけど、
もう少し大人になってはいかがなものか。
そうか組合はマルクス教だから、
異教徒は認めないんだ、な~るほどw
そういえばウチの学校の玄関の突き当りには、
毎月PTAのお母さん方が季節にちなんだ装飾を、
きれいに工夫して展示してくださっているが、
やはり12月はクリスマスの装飾だ。
高教組の先生も校長も何にもいわないんだ。
いい学校だな・・・
この世で一番大切なもの
2008年12月20日
むかし八重山にいたとき、中学校の非常勤講師をしていた。
ある学校で「人権教育」が行われていた。
生徒の一人が私にこう尋ねた。
「先生、この世で最も大切なものは何か知ってる?」
私は一瞬いろいろ考えたが一杯あったので、即答できず、
逆にそれは何かと尋ね返した。すると生徒はこう答えた。
「この世で一番大切なものは平和と人権だよ!」
生徒は学んだばかりの「素晴らしい教え」を誇らしげに語った。
なるほどこれが平和・人権教育の成果なのか。
私はそう思った。
これでなるほどね、その通りだねといえばよかったのだが、
このあと非難を買う破目になった。
私はその生徒にその答えを打ち消すようにこういった。
「それは間違っているよ、この世で一番大切なものは、命とカネだよ。
これに優る大切なものなんてこの世にないんだよ。」
生徒は呆気にとられていた。
つまり人権教育の学習をして、どっかのエライ大先生の講演を聴いて、
担任の先生が一生懸命語ったことを私が打ち消したのだ。
トラネコ先生がそのようなことを言うなんて思わなかったのだ。
カネと命だなんて、なんと実利的で現実的で、子供の夢を壊すのだろうw
う~ん、なんて私はKYなんだろうw
その後そのことが担任の真面目な、多分組合系の中年の女教師に伝わり、
私は抗議をうける破目になったのだ。
担任教師いわく、自分達は平和や人権のために次代をになう子供達に、
一生懸命、真面目に教育をしているのに、
私のようなふざけた茶化しを入れられると、
非常に迷惑だということだった。
私もここで素直に謝っておけばよかったのだが、
生来のひねくれ根性が鎌首を持ち上げて反論してしまった。
「では先生お聞きしますが、この世で一番大切なものはと尋ねられ、
命とカネ以上に大切なものって何ですか?
そもそもあなたが教育公務員を志した動機のひとつは、
教育が好きだからということもあるでしょうが、沖縄で一般にいわれるように、
公務員は生活が安定しているからということも、
教師志望の選択肢に入っていたんじゃないんですか?
生活の安定って、とどのつまり命とカネでしょう?
命とカネがなくて平和も人権もないんじゃないですか?
世界の9割の国は途上国ですよ。
アフリカ諸国など今日食う糧すらどうするかの毎日ですよ。
そのために殺人や戦争が起きてる国ですよ。
朝起きて生きていたことに感謝する国なんですよ。
人権や平和以前に命の危機がある国が世界の大半なんですよ。
あなたは公務員だから生活の心配なんかまったくないんですよ。
あなたはそのような命もカネの心配のないことを前提に、
平和だ、人権だと言ってるだけじゃないですか?
完全に生活も安定し、定年後も保障され、権利も保護された中で、
組合活動もやり平和だ人権だ、と言ってればいいんですね。
しかし子供の親たちの多くは自営業や中小企業の労働者ですよ。
不況の時代で内地に出稼ぎに行ってる親だっているじゃないですか。
リストラで首をくくる人が続出している時代ですよ。
私が命とカネが一番大事だと言ったところで、
それがそんなに非難されるほど、間違っているとは思いませんがね。」
一度にこう言ったわけではなく、いくつかのやり取りの中で、
大体このような主旨のような内容のことを私は語ったのだ。
もちろん人権教育や平和学習が一つの人類のあるべき理想を追及し、
そのような世界を目指そうと教育していることはわかる。
しかし現実に目を向けず、平和教育といえば、
沖縄戦しか出てこない単純発想も問題ではないか。
世界中にいまある危機や戦争に目を向けない平和教育って何なんだ?
この女教師は私とは価値観が違うからと言って、
話しても無駄だと怒って物別れになった。
その後この職場では孤立感を感じる日々を送った・・・
ある学校で「人権教育」が行われていた。
生徒の一人が私にこう尋ねた。
「先生、この世で最も大切なものは何か知ってる?」
私は一瞬いろいろ考えたが一杯あったので、即答できず、
逆にそれは何かと尋ね返した。すると生徒はこう答えた。
「この世で一番大切なものは平和と人権だよ!」
生徒は学んだばかりの「素晴らしい教え」を誇らしげに語った。
なるほどこれが平和・人権教育の成果なのか。
私はそう思った。
これでなるほどね、その通りだねといえばよかったのだが、
このあと非難を買う破目になった。
私はその生徒にその答えを打ち消すようにこういった。
「それは間違っているよ、この世で一番大切なものは、命とカネだよ。
これに優る大切なものなんてこの世にないんだよ。」
生徒は呆気にとられていた。
つまり人権教育の学習をして、どっかのエライ大先生の講演を聴いて、
担任の先生が一生懸命語ったことを私が打ち消したのだ。
トラネコ先生がそのようなことを言うなんて思わなかったのだ。
カネと命だなんて、なんと実利的で現実的で、子供の夢を壊すのだろうw
う~ん、なんて私はKYなんだろうw
その後そのことが担任の真面目な、多分組合系の中年の女教師に伝わり、
私は抗議をうける破目になったのだ。
担任教師いわく、自分達は平和や人権のために次代をになう子供達に、
一生懸命、真面目に教育をしているのに、
私のようなふざけた茶化しを入れられると、
非常に迷惑だということだった。
私もここで素直に謝っておけばよかったのだが、
生来のひねくれ根性が鎌首を持ち上げて反論してしまった。
「では先生お聞きしますが、この世で一番大切なものはと尋ねられ、
命とカネ以上に大切なものって何ですか?
そもそもあなたが教育公務員を志した動機のひとつは、
教育が好きだからということもあるでしょうが、沖縄で一般にいわれるように、
公務員は生活が安定しているからということも、
教師志望の選択肢に入っていたんじゃないんですか?
生活の安定って、とどのつまり命とカネでしょう?
命とカネがなくて平和も人権もないんじゃないですか?
世界の9割の国は途上国ですよ。
アフリカ諸国など今日食う糧すらどうするかの毎日ですよ。
そのために殺人や戦争が起きてる国ですよ。
朝起きて生きていたことに感謝する国なんですよ。
人権や平和以前に命の危機がある国が世界の大半なんですよ。
あなたは公務員だから生活の心配なんかまったくないんですよ。
あなたはそのような命もカネの心配のないことを前提に、
平和だ、人権だと言ってるだけじゃないですか?
完全に生活も安定し、定年後も保障され、権利も保護された中で、
組合活動もやり平和だ人権だ、と言ってればいいんですね。
しかし子供の親たちの多くは自営業や中小企業の労働者ですよ。
不況の時代で内地に出稼ぎに行ってる親だっているじゃないですか。
リストラで首をくくる人が続出している時代ですよ。
私が命とカネが一番大事だと言ったところで、
それがそんなに非難されるほど、間違っているとは思いませんがね。」
一度にこう言ったわけではなく、いくつかのやり取りの中で、
大体このような主旨のような内容のことを私は語ったのだ。
もちろん人権教育や平和学習が一つの人類のあるべき理想を追及し、
そのような世界を目指そうと教育していることはわかる。
しかし現実に目を向けず、平和教育といえば、
沖縄戦しか出てこない単純発想も問題ではないか。
世界中にいまある危機や戦争に目を向けない平和教育って何なんだ?
この女教師は私とは価値観が違うからと言って、
話しても無駄だと怒って物別れになった。
その後この職場では孤立感を感じる日々を送った・・・
「顔」と生き様
2008年11月13日
「40歳を越えたら自分の顔の責任を持て」と言われる。
これはアメリカの南北戦争時の
第16代大統領エイブラハム・リンカーンが言ったそうだ。
やっぱり偉い人の言うことは違うね。
顔といってもその造作ではないのはいうまでもない。
それをいっちゃあ、私なんかこのテーマでとてもとてもエッセーなんて書けない。
人の年輪を刻む生きた証拠としての「顔」である。
昔は人生50年と言われた時代だったから40歳といえば、
老境に入り人生の酸いも甘いもかみ分けた、
一種の「悟りの境地」にいるべき年齢なのだろう。
今は寿命も伸びて、平均寿命が70代後半以上になっているから、
別に40歳過ぎても自分の顔に責任持たなくてもいいかも知れない。
60歳過ぎたら責任持とう♪、な~んて言い訳していてはいけません。
年齢に関係なく人の顔、というか顔付きはその人間の
生い立ちや性格や人格などが表れるものであると思う。
大昔、中学校教員をやっていたころのことである。
数年前に卒業した生徒Yが私を学校に訪ねてきたことがあった。
Yは在学中とんでもない不良グループの番長格で、
生徒指導担当の私も大いに手を焼いたのだった。
そのときYの弟が私の担任クラスにいた。
私は嫌な予感がしたが、とりあえず職員室に戻りドアを開けて驚いた。
ある背の高い少年が私の前に直立し、「先生、弟がいつもお世話になっています!」と、
とても爽やかな声で頭を下げて一礼をするのだ。一瞬だれだかわからなかった。
よく見るとYである。顔付きが昔とまったく違って好青年になっているのだ。驚いた。
まだ十代の少年なのにここまで顔付きが変わるものなのかと。
中学生時代はチンピラヤクザの顔付きだったが、
まともな普通の十代後半の若者のそれになっていた。
生活やものの考え方が変われば顔付きも変わるのだ。
その後弟が成人してからもYは時々連絡もくれていた。
人間の顔付きとはやはりその人の人生そのものの投影なのだろう。
それがおそらく40年以上も生きていると、
それまでの生き方が如実に顔に表れてくるのだろう。
誠実に生きてきた人とウソにまみれて生きてきた人とは、
おのずと顔付きも変わってくるのかもしれない。
誠実な顔、優しい顔、神経質な顔、卑しい顔、狡猾な顔、凶悪な顔・・・・・・・・
先日亡くなった俳優の尾形拳さんの顔は最高だ!


それからエド・ハリスも。
ま、率直に言って私は彼らのファンですが、何か?
そこで私はこの顔による人間判断をするのだが、
特に政治家と宗教団体の教祖には顔判断で人間性が推し量れる。
ちなみにここには以下の人たちの顔写真は上げない。
別に肖像権がどうこういう問題ではない。
理由はブログやネットが汚れるからだ。
もう引退したが、自民党の媚中派の第一人者の某氏などは
在職中は国務大臣や官房長官にまで上り詰めた「優秀?」な人だが、
私は彼の顔付きが非情に不愉快だった。無性に腹が立つ顔だった。
この人を見てなるほど、人間の生き方と顔付きはこうも密接なのだな、と実感した。
時代劇の悪代官役がメイクなしでピッタリの顔付きである。
その後某氏が引退する直前に彼の生い立ちを書いたルポルタージュが
月刊誌に連載されて読んでみたら、なるほどと思われる過去がそこにはあった。
やはり生い立ちは顔に出るものである。
もちろん某氏は悪人ではないし、良いこともしてきた政治家である。
しかし良い事といってもその手法が、公正なものであったか否かはわからない。
善意でも北朝鮮や中国の利益を日本より優先するようじゃ、まともな政治家ではない。
そこに何らかの利権が絡んでると見られても仕方ないことをしてきた人だ。
自民党にはこれと類する売国奴は他にもいるが。
とにかく彼はあの顔のような人生を送ってきたんだなあ、と実感した。
政治家といえば、あの「北の将軍サマ」の顔付きも嫌いである。
朝鮮人民はあの将軍サマに涙を流して感動しているが、
閉鎖的カルト国家のマインドコントロールの恐ろしさを痛感する。
将軍サマの長男の顔付きも嫌いである。
あれがロイヤルファミリーのプリンスには絶対見えない。
プリンスといえばイギリスのチャールズ皇太子にはなぜか、
気品を感じられないのだが・・・・・・
中国の江沢民前主席も気持悪い顔付きである。
卑しく気持悪いだけでなく不気味で冷酷で恐ろしさも感じる。
特に彼の目が気持悪い。
冷酷ついでに福田前首相も冷酷で人を見下した傲慢さを感じる。
とくに彼の笑った顔は気持が悪い。
次に某宗教団体の教祖の顔もヘドが出そうなくらい生理的嫌悪感をもよおす。
私にとってその教祖の顔は不気味な爬虫類のバケモノに見える。
この人くらい不気味で不快で気味の悪い人物は、世の中にそういるものではないと思う。
実際にこの人には黒い噂が絶えることはないくらい怪しさ満点である。
信者もよくもまあ、こんな教祖を有難がって崇拝しているものだと感心する。
おそらく信者の精神性や知的レベルあるいは、
魂のレベルがその教祖と同じようなものなのだろう。
「類友の法則」である。
むかしオウム真理教に入っていた友人から
オウムのヨガ道場を見に行こうと誘われたことがあったが、断った。
サリン事件の何年も前だが麻原彰晃の写真は著作の写真で知っていた。
その顔付きが聖人君子とは大きくかけ離れた卑しさを感じて、
オウムの本は読む気もしなかった。
私がこれまでの人生でいかがわしい宗教や勧誘に引っかからなかったのは、
一つには常識力であり、もう一つは相手の顔付きに対する直感であった。
私はこれまでの人生で幸いにも、上記のような人物にはまだ直接出合ったことがない。
しかしこれから新たに人に出会うときは、その人の顔付きの印象をよく観察することは大事だと思う。
反対に私自身も他人から不快感や卑しさを感じられないような、
尊敬されなくてもいいから、できれば少しは立派な「顔つき」に見られるような生き方をしていきたいと思う。
これはアメリカの南北戦争時の
第16代大統領エイブラハム・リンカーンが言ったそうだ。
やっぱり偉い人の言うことは違うね。
顔といってもその造作ではないのはいうまでもない。
それをいっちゃあ、私なんかこのテーマでとてもとてもエッセーなんて書けない。
人の年輪を刻む生きた証拠としての「顔」である。
昔は人生50年と言われた時代だったから40歳といえば、
老境に入り人生の酸いも甘いもかみ分けた、
一種の「悟りの境地」にいるべき年齢なのだろう。
今は寿命も伸びて、平均寿命が70代後半以上になっているから、
別に40歳過ぎても自分の顔に責任持たなくてもいいかも知れない。
60歳過ぎたら責任持とう♪、な~んて言い訳していてはいけません。
年齢に関係なく人の顔、というか顔付きはその人間の
生い立ちや性格や人格などが表れるものであると思う。
大昔、中学校教員をやっていたころのことである。
数年前に卒業した生徒Yが私を学校に訪ねてきたことがあった。
Yは在学中とんでもない不良グループの番長格で、
生徒指導担当の私も大いに手を焼いたのだった。
そのときYの弟が私の担任クラスにいた。
私は嫌な予感がしたが、とりあえず職員室に戻りドアを開けて驚いた。
ある背の高い少年が私の前に直立し、「先生、弟がいつもお世話になっています!」と、
とても爽やかな声で頭を下げて一礼をするのだ。一瞬だれだかわからなかった。
よく見るとYである。顔付きが昔とまったく違って好青年になっているのだ。驚いた。
まだ十代の少年なのにここまで顔付きが変わるものなのかと。
中学生時代はチンピラヤクザの顔付きだったが、
まともな普通の十代後半の若者のそれになっていた。
生活やものの考え方が変われば顔付きも変わるのだ。
その後弟が成人してからもYは時々連絡もくれていた。
人間の顔付きとはやはりその人の人生そのものの投影なのだろう。
それがおそらく40年以上も生きていると、
それまでの生き方が如実に顔に表れてくるのだろう。
誠実に生きてきた人とウソにまみれて生きてきた人とは、
おのずと顔付きも変わってくるのかもしれない。
誠実な顔、優しい顔、神経質な顔、卑しい顔、狡猾な顔、凶悪な顔・・・・・・・・
先日亡くなった俳優の尾形拳さんの顔は最高だ!


それからエド・ハリスも。
ま、率直に言って私は彼らのファンですが、何か?
そこで私はこの顔による人間判断をするのだが、
特に政治家と宗教団体の教祖には顔判断で人間性が推し量れる。
ちなみにここには以下の人たちの顔写真は上げない。
別に肖像権がどうこういう問題ではない。
理由はブログやネットが汚れるからだ。
もう引退したが、自民党の媚中派の第一人者の某氏などは
在職中は国務大臣や官房長官にまで上り詰めた「優秀?」な人だが、
私は彼の顔付きが非情に不愉快だった。無性に腹が立つ顔だった。
この人を見てなるほど、人間の生き方と顔付きはこうも密接なのだな、と実感した。
時代劇の悪代官役がメイクなしでピッタリの顔付きである。
その後某氏が引退する直前に彼の生い立ちを書いたルポルタージュが
月刊誌に連載されて読んでみたら、なるほどと思われる過去がそこにはあった。
やはり生い立ちは顔に出るものである。
もちろん某氏は悪人ではないし、良いこともしてきた政治家である。
しかし良い事といってもその手法が、公正なものであったか否かはわからない。
善意でも北朝鮮や中国の利益を日本より優先するようじゃ、まともな政治家ではない。
そこに何らかの利権が絡んでると見られても仕方ないことをしてきた人だ。
自民党にはこれと類する売国奴は他にもいるが。
とにかく彼はあの顔のような人生を送ってきたんだなあ、と実感した。
政治家といえば、あの「北の将軍サマ」の顔付きも嫌いである。
朝鮮人民はあの将軍サマに涙を流して感動しているが、
閉鎖的カルト国家のマインドコントロールの恐ろしさを痛感する。
将軍サマの長男の顔付きも嫌いである。
あれがロイヤルファミリーのプリンスには絶対見えない。
プリンスといえばイギリスのチャールズ皇太子にはなぜか、
気品を感じられないのだが・・・・・・
中国の江沢民前主席も気持悪い顔付きである。
卑しく気持悪いだけでなく不気味で冷酷で恐ろしさも感じる。
特に彼の目が気持悪い。
冷酷ついでに福田前首相も冷酷で人を見下した傲慢さを感じる。
とくに彼の笑った顔は気持が悪い。
次に某宗教団体の教祖の顔もヘドが出そうなくらい生理的嫌悪感をもよおす。
私にとってその教祖の顔は不気味な爬虫類のバケモノに見える。
この人くらい不気味で不快で気味の悪い人物は、世の中にそういるものではないと思う。
実際にこの人には黒い噂が絶えることはないくらい怪しさ満点である。
信者もよくもまあ、こんな教祖を有難がって崇拝しているものだと感心する。
おそらく信者の精神性や知的レベルあるいは、
魂のレベルがその教祖と同じようなものなのだろう。
「類友の法則」である。
むかしオウム真理教に入っていた友人から
オウムのヨガ道場を見に行こうと誘われたことがあったが、断った。
サリン事件の何年も前だが麻原彰晃の写真は著作の写真で知っていた。
その顔付きが聖人君子とは大きくかけ離れた卑しさを感じて、
オウムの本は読む気もしなかった。
私がこれまでの人生でいかがわしい宗教や勧誘に引っかからなかったのは、
一つには常識力であり、もう一つは相手の顔付きに対する直感であった。
私はこれまでの人生で幸いにも、上記のような人物にはまだ直接出合ったことがない。
しかしこれから新たに人に出会うときは、その人の顔付きの印象をよく観察することは大事だと思う。
反対に私自身も他人から不快感や卑しさを感じられないような、
尊敬されなくてもいいから、できれば少しは立派な「顔つき」に見られるような生き方をしていきたいと思う。
頭の良し悪しと適性能力
2008年11月01日
私は正規、臨任、非常勤と20年以上教育に関わっている。
生徒をいろいろ見ていると、すごい能力や素晴らしい人格を持った子が
いくらでもいるのがわかる。
例えば私の専門である美術分野においても、
私よりもはるかに優れた才能を持った生徒は、少なからずいるのだ。
しかし惜しいかな、殆どすべてに近い生徒は美術を人生の選択肢からはずしている。
まあね、美術じゃあメシ喰えないのも当然だから、
ある意味正しい選択だな・・・・・(笑)→(涙)
おそらく数学や国語や理科、社会などでも教師の目からみても、
その方面に秀でた才能やセンスをもった生徒は多くいるのではないかと思う。
私の勤める某高校のある生徒のことを書くが、
その生徒は母子家庭で4人兄弟の一番上である。
成績はトップクラス、運動部に所属し九州大会などにも出場している。
さらに様々な資格試験すべてに合格し、
美術や国語に関する公募やコンクールにも積極的に応募し受賞もしている。
そして塾にも予備校にも行かず、今年の春現役で国立大学に合格している。
私など及びもしないが、こういう生徒って本当に頭がいいのだと思う。
話していると普通の生徒でとくに目立つこともないが、
能力的には常人以上の能力を持っているのだろう。
私の同級生のF君もおなじく頭の良い生徒だった。
中学時代から成績は抜群で、しかも彼も塾だの予備校だのに行ったことはない。
普通に勉強していて、決してガリ勉タイプではなく、
音楽の趣味を持ち、映画鑑賞をして、適度に高校生活を楽しみ、
現役で大阪大学工学部に入学し、卒業後は住友電工の技術研究部門に入社している。
私は何故彼があんなに簡単に優秀な成績を取れるのか不思議だった。
答えは生まれつき学問的頭脳が優れているのだ。それだけだ。
一般に言われることだが、
日本の教育で伸びる能力というのは、
記憶力と情報処理能力である。
表現力とか創造力を伸ばす教育ではない。
また欧米の多民族国家のようにディベートやディスカッションなどの
討議能力も多くの日本人にはほとんど期待できない。
とくに日本の外交官は世界的にも最低レベルであろう。
だから日本の外交は三流、否五流もいいところなのだ。
世間には塾や予備校に通っても中流の学校にも入れない人も大勢いる。
しかしそれは頭が悪いのではなく、学問的な才能に恵まれていないだけである。
選択した方向性が間違っているのである。
もっと自分に適応した能力の方向性を発見すれば、かならず努力すれば報われるだろう。
しかし学校教育だけでは人間の広範な能力は見出すことはできないが、
それを発見する一助にはなりうるだろう。
私に関しては文系と美術はまずまずだが、
理数科系は才能がないことが判明した。
しかし日本の特に義務教育の考え方がおかしい。
基本的に「悪平等主義」が正しいという日教組のコンセプトである。
沖縄でも運動会でお手てつないで徒競走やっている小学校があると聞く。
全員一列でゴールインして何等賞もクソもない平等?な競争だ。
たしか浦添の宇○○小学校って聞いたことが・・・
この学校は定期テストなんかも全員100点つけてるのか?
大体人間顔も体も指紋もDNAもすべて一人ひとり異なるのだ。
しかし能力は同じって!? 馬鹿じゃない?
日教組のアホは人間の能力は皆平等とか、同じとか、能力差はないとか、
よくもまあ、ウソ八百つきまくったものだ。
人間は生まれた段階から
既に能力の方向性は決まっているし、
おそらく能力の優劣も
決まっていると思う。
こんな当たり前のこと、組合の教師だって認めてることだが、
いざ文科省や労働運動になると組合員全員嘘つきになる。
ただしどういう方向の能力があり、優劣があるのかはわからない。
それが教育を通じて発見されるのであろう。
一番手っ取り早いのは、学校の科目で一番好きな科目は何かを発見できれば、
自分の適性を見出す方向性の発見は早まるだろう。
あるいは世間の職業で興味関心を強く惹かれるものが発見できればそれでもよい。
社会人になって不幸なことは自分の適性がいつになってもわからないこと、
そして不適正な職業を続けなければならないことの二点だろう。
これでは生まれてきた意味や生きている意味がわからない。
ただ飯を食い、子孫を作って終わりの人生である。
もっともそれで満足ならそれも一つの人生の選択肢である。
わたしの従兄弟には結構そういうのが多いが・・・・
私は今自分の選んだ道に後悔はないし、幸せであると思っている。
また日本人に生まれたことを誇りに思う。
そして愛する祖国・日本が正常な愛国心を持てる国になれば、
もっと幸せだろう。
生徒をいろいろ見ていると、すごい能力や素晴らしい人格を持った子が
いくらでもいるのがわかる。
例えば私の専門である美術分野においても、
私よりもはるかに優れた才能を持った生徒は、少なからずいるのだ。
しかし惜しいかな、殆どすべてに近い生徒は美術を人生の選択肢からはずしている。
まあね、美術じゃあメシ喰えないのも当然だから、
ある意味正しい選択だな・・・・・(笑)→(涙)
おそらく数学や国語や理科、社会などでも教師の目からみても、
その方面に秀でた才能やセンスをもった生徒は多くいるのではないかと思う。
私の勤める某高校のある生徒のことを書くが、
その生徒は母子家庭で4人兄弟の一番上である。
成績はトップクラス、運動部に所属し九州大会などにも出場している。
さらに様々な資格試験すべてに合格し、
美術や国語に関する公募やコンクールにも積極的に応募し受賞もしている。
そして塾にも予備校にも行かず、今年の春現役で国立大学に合格している。
私など及びもしないが、こういう生徒って本当に頭がいいのだと思う。
話していると普通の生徒でとくに目立つこともないが、
能力的には常人以上の能力を持っているのだろう。
私の同級生のF君もおなじく頭の良い生徒だった。
中学時代から成績は抜群で、しかも彼も塾だの予備校だのに行ったことはない。
普通に勉強していて、決してガリ勉タイプではなく、
音楽の趣味を持ち、映画鑑賞をして、適度に高校生活を楽しみ、
現役で大阪大学工学部に入学し、卒業後は住友電工の技術研究部門に入社している。
私は何故彼があんなに簡単に優秀な成績を取れるのか不思議だった。
答えは生まれつき学問的頭脳が優れているのだ。それだけだ。
一般に言われることだが、
日本の教育で伸びる能力というのは、
記憶力と情報処理能力である。
表現力とか創造力を伸ばす教育ではない。
また欧米の多民族国家のようにディベートやディスカッションなどの
討議能力も多くの日本人にはほとんど期待できない。
とくに日本の外交官は世界的にも最低レベルであろう。
だから日本の外交は三流、否五流もいいところなのだ。
世間には塾や予備校に通っても中流の学校にも入れない人も大勢いる。
しかしそれは頭が悪いのではなく、学問的な才能に恵まれていないだけである。
選択した方向性が間違っているのである。
もっと自分に適応した能力の方向性を発見すれば、かならず努力すれば報われるだろう。
しかし学校教育だけでは人間の広範な能力は見出すことはできないが、
それを発見する一助にはなりうるだろう。
私に関しては文系と美術はまずまずだが、
理数科系は才能がないことが判明した。
しかし日本の特に義務教育の考え方がおかしい。
基本的に「悪平等主義」が正しいという日教組のコンセプトである。
沖縄でも運動会でお手てつないで徒競走やっている小学校があると聞く。
全員一列でゴールインして何等賞もクソもない平等?な競争だ。
たしか浦添の宇○○小学校って聞いたことが・・・
この学校は定期テストなんかも全員100点つけてるのか?
大体人間顔も体も指紋もDNAもすべて一人ひとり異なるのだ。
しかし能力は同じって!? 馬鹿じゃない?
日教組のアホは人間の能力は皆平等とか、同じとか、能力差はないとか、
よくもまあ、ウソ八百つきまくったものだ。
人間は生まれた段階から
既に能力の方向性は決まっているし、
おそらく能力の優劣も
決まっていると思う。
こんな当たり前のこと、組合の教師だって認めてることだが、
いざ文科省や労働運動になると組合員全員嘘つきになる。
ただしどういう方向の能力があり、優劣があるのかはわからない。
それが教育を通じて発見されるのであろう。
一番手っ取り早いのは、学校の科目で一番好きな科目は何かを発見できれば、
自分の適性を見出す方向性の発見は早まるだろう。
あるいは世間の職業で興味関心を強く惹かれるものが発見できればそれでもよい。
社会人になって不幸なことは自分の適性がいつになってもわからないこと、
そして不適正な職業を続けなければならないことの二点だろう。
これでは生まれてきた意味や生きている意味がわからない。
ただ飯を食い、子孫を作って終わりの人生である。
もっともそれで満足ならそれも一つの人生の選択肢である。
わたしの従兄弟には結構そういうのが多いが・・・・
私は今自分の選んだ道に後悔はないし、幸せであると思っている。
また日本人に生まれたことを誇りに思う。
そして愛する祖国・日本が正常な愛国心を持てる国になれば、
もっと幸せだろう。
愚民製造装置TV
2008年10月26日
バナナ・ダイエットでスーパーや八百屋の店頭からバナナが消えてるらしい。
需要が供給を上回って、輸入が追いつかないらしい。
それに代わって今度はキウイ・ダイエットやら、とろろこんぶダイエットだという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081011-00000000-jct-soci
ヤフーニュース・バナナの次の「ダイエット」 「キウイ」?「とろろ昆布」?
ある肥満の人がこれを実践して成功した本がベストセラーになり、
週刊誌やTVで取り上げられたことがきっかけでブームになったらしい。
TVのワイドショーやニュースでの扱いが、
さらにブームに拍車をかけているのではないだろうか。
私はそう見ている。
日本人はやはり馬鹿になっていることは事実であると再認識した。
これはTVという洗脳装置の功績が大きいのは間違いない。
TVが普及し始めた昭和30年代に政治評論家の大宅壮一が言った、
一億総白痴論の予言は的中していた。
TVとは一方的に受像機より流れてくる映像と音声を、
視聴者が受け取るだけの受動的態度のみで何も考えなくていいのである。
これはカルト教団がしばしば採用するビデオ学習に似ている。
ひたすら教義を表現を変えて繰り返し信者に見させるのである。
次第に洗脳が進んでいくという流れである。
民放のコマーシャルが良い例である。
私にとっては暴力的とも言える大音量の、
急速度のフラッシュバック型コマ送りのCMは、
ちょうど耳元で大声で同じ事を繰り返し怒鳴り散らされているのと同じ現象である。
視聴者は次第にマインド・コントロールにはまり、その商品を心にインプットされ、
スーパーやコンビニでその商品を意識的にも無意識的にも買うのである。
昔はサントリーやレナウンなどは芸術的なCMをつくり、
わずか数十秒のCMにも文学性やドラマを見せてくれた。
現在はそんな格調高いCMは存在しない・・・・・だろう多分。
私はTVを殆ど観ないので知らないが・・・。
同様に下らないバラエティのてんこ盛りをだらだら見てると、
自然に思考力が低下し、バーチャルな世界と現実の境が消失していく。
しかし見る側が能動的、意識的に見る場合は批判力や分析力も働く。
基本的にはTVのつけっぱなし状態でいると馬鹿になるだろう。
だらだらTVを観ているときには、思考力よりも感受性のほうが大きく働く。
だからある意味現代人の、仮想現実の中での感性は優れているかもしれない。
しかし感じ取ることはできても、それを分析したり、思考を深める方向へは向かない。
また受身の感受性は能動的感受性とちがい、想像力も働かない。
映像と音声で拘束されればなおさらだ。
だからワイドショーなどで話題になると、思考力・想像力が低下もしくは欠如しているから、
無批判にそれを取り入れたがる傾向が出てくる。
以前フジテレビの「あるある大辞典」で納豆ダイエットが紹介されたら、
放送翌日には店頭から納豆が消えてしまったことがあった。
今回のバナナ騒動もまったく同じ現象である。
無批判に取り入れるといえば、
グルメ番組というのももう20年ちかく続いているが、
あれも肥満増産に拍車をかけていないだろうか。
石塚某という巨漢デブタレントなどが、ガツガツ料理をほお張るシーンは吐き気を催す。
食欲を誘う映像の繰り返しは人間のニ大本能の一つを刺激する。
食欲への刺激は性欲と同じく、人間の弱みに付け込むのと同じで、
強い意志を持たない人は簡単にその本能の欲望の餌食になりうる。
TVでは性的表現が放送倫理規定で規制されているが、
食欲に関する表現は規制がない。
TVも見る側が良く考えて主体性をもってみるのであればよいと思う。
しかしただ見るだけ、或いはなんとなくTVのスィッチ・オンでないと寂しいとか、
それだけで何時間もつけっぱなしという家庭はないだろうか。
かく言う私も昔はそんな感じだったから、
偉そうなことはいえないのだが・・・・
まあなんでもそうだが、道具に使われず、使う人間になろう!
あるいはモノに支配されず、支配する側に立とう!
需要が供給を上回って、輸入が追いつかないらしい。
それに代わって今度はキウイ・ダイエットやら、とろろこんぶダイエットだという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081011-00000000-jct-soci
ヤフーニュース・バナナの次の「ダイエット」 「キウイ」?「とろろ昆布」?
ある肥満の人がこれを実践して成功した本がベストセラーになり、
週刊誌やTVで取り上げられたことがきっかけでブームになったらしい。
TVのワイドショーやニュースでの扱いが、
さらにブームに拍車をかけているのではないだろうか。
私はそう見ている。
日本人はやはり馬鹿になっていることは事実であると再認識した。
これはTVという洗脳装置の功績が大きいのは間違いない。
TVが普及し始めた昭和30年代に政治評論家の大宅壮一が言った、
一億総白痴論の予言は的中していた。
TVとは一方的に受像機より流れてくる映像と音声を、
視聴者が受け取るだけの受動的態度のみで何も考えなくていいのである。
これはカルト教団がしばしば採用するビデオ学習に似ている。
ひたすら教義を表現を変えて繰り返し信者に見させるのである。
次第に洗脳が進んでいくという流れである。
民放のコマーシャルが良い例である。
私にとっては暴力的とも言える大音量の、
急速度のフラッシュバック型コマ送りのCMは、
ちょうど耳元で大声で同じ事を繰り返し怒鳴り散らされているのと同じ現象である。
視聴者は次第にマインド・コントロールにはまり、その商品を心にインプットされ、
スーパーやコンビニでその商品を意識的にも無意識的にも買うのである。
昔はサントリーやレナウンなどは芸術的なCMをつくり、
わずか数十秒のCMにも文学性やドラマを見せてくれた。
現在はそんな格調高いCMは存在しない・・・・・だろう多分。
私はTVを殆ど観ないので知らないが・・・。
同様に下らないバラエティのてんこ盛りをだらだら見てると、
自然に思考力が低下し、バーチャルな世界と現実の境が消失していく。
しかし見る側が能動的、意識的に見る場合は批判力や分析力も働く。
基本的にはTVのつけっぱなし状態でいると馬鹿になるだろう。
だらだらTVを観ているときには、思考力よりも感受性のほうが大きく働く。
だからある意味現代人の、仮想現実の中での感性は優れているかもしれない。
しかし感じ取ることはできても、それを分析したり、思考を深める方向へは向かない。
また受身の感受性は能動的感受性とちがい、想像力も働かない。
映像と音声で拘束されればなおさらだ。
だからワイドショーなどで話題になると、思考力・想像力が低下もしくは欠如しているから、
無批判にそれを取り入れたがる傾向が出てくる。
以前フジテレビの「あるある大辞典」で納豆ダイエットが紹介されたら、
放送翌日には店頭から納豆が消えてしまったことがあった。
今回のバナナ騒動もまったく同じ現象である。
無批判に取り入れるといえば、
グルメ番組というのももう20年ちかく続いているが、
あれも肥満増産に拍車をかけていないだろうか。
石塚某という巨漢デブタレントなどが、ガツガツ料理をほお張るシーンは吐き気を催す。
食欲を誘う映像の繰り返しは人間のニ大本能の一つを刺激する。
食欲への刺激は性欲と同じく、人間の弱みに付け込むのと同じで、
強い意志を持たない人は簡単にその本能の欲望の餌食になりうる。
TVでは性的表現が放送倫理規定で規制されているが、
食欲に関する表現は規制がない。
TVも見る側が良く考えて主体性をもってみるのであればよいと思う。
しかしただ見るだけ、或いはなんとなくTVのスィッチ・オンでないと寂しいとか、
それだけで何時間もつけっぱなしという家庭はないだろうか。
かく言う私も昔はそんな感じだったから、
偉そうなことはいえないのだが・・・・
まあなんでもそうだが、道具に使われず、使う人間になろう!
あるいはモノに支配されず、支配する側に立とう!
社会常識 その2
2008年09月16日
以前減ったと思っていたら、最近また増えてきたのだがスパム・メールだ。
一応スパム対策はしているが、削除が面倒くさい。
政府もスパム・メール禁止法案作りをしているらしいが、
はやく実現して欲しいと切に思う。
一番多いのがよく言われる出会い系である。
最近は偽ブランド商品系が新しいところだ。
もうひとつうっかりその気になりそうになってしまったのが、
無料レポートと称するノウハウものだ。
読み始めると能書きが長く、それなりに筋の通った内容が続く。
しかしなかなか本題に入らずそれでも読んでいくと、
人の欲望を満足させる「美味しい話」が続いて最終的には、
さまざまなテクニックを書いた本なりレポートを買うところに導かれる。
例えば・・・
一日5万円以上の収入を簡単に得る方法、
起業して3ヶ月以内に月300万円以上儲かる方法、
ホームページを開設するだけで儲かる方法、
パチンコ必勝法、
一ヶ月で英語が話せる夢の方法、
1週間で5キロダイエット方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この手の詐欺を情報商材詐欺というらしい。
値段的には1~5万円程度くらいなので、甚大な被害というほどではないが、
しかし引っかかりやすい人は何度でも引っかかるという。
この系統の詐欺はほぼパターン化しているので、
いくつかの似たようなものを見ていくとすぐに詐欺だとわかる。
誰でも詐欺だとわかるくらい単純であるが、引っかかる人は引っかかるのだ。
ネットにある無料レポートの手口は大体次のようなものである。
1.簡単に楽をして夢のような得、儲け、結果を得られる。
2.それを納得させる筋道の通った理論誘導をする。
3.それを実践して満足、喜ぶ人の体験談(すべて創作)を実例としてあげる。
4.その方法を知りたければ、〇万円(さほど高くない)で買え。
5.場合によっては、あと残りわずかだからお急ぎを!とせかす。
ほぼこのパターンである。
このパターンできたらほぼ100パーセント詐欺である。
スパムメールの出会い系にも「付き合ってくれたら100万円振込みます。」
という逆援助交際タイプが結構ある。
こんな美味しい話をスパムメールで送りつけるはずがない。
しかしスケベのバカはひっかかるのだ。
おそらくスパムは一度の送信で数百万通以上らしいから、
仮に1万人に一人のバカでも引っかかれば儲かる仕組なのだ。
また昔実際に送られてきて大笑いしたのが、
「海外の宝くじで1000万円当選しているが、
まだ受け取っていないので連絡しました。」と言うわざとらしさ満開のタイプ。
宝くじ詐欺と言うらしい。
買ったことも無いのになんで当選なのかと、普通思うがバカは思わないらしい。
それに海外宝くじは国内から買えないはずじゃなかったか。
先日ニュースで情報商材詐欺の特集をやっていたが、
欲ボケしているか常識がない人間は救いようが無いと思った。
前にオレオレ詐欺から振り込め詐欺、投資詐欺などについて書いたが、
騙される人間は基本的に欲望が肥大した人間が多い。
私の友人がうまいことを言っていた。
自分の家の庭を掘ったら黄金の小判がザクザク出てきたので、
そのことを隣近所や道行く見知らぬ人にも教えて、
「さあ、あなたもウチの庭の小判を掘りに来て下さい!」って言うか?
美味しい話が見知らぬ他人から突然送られてくるはずが無いのだ。
誰でも儲かる美味い話しは他言無用ではないのか?
常識、良識を養おう!
一応スパム対策はしているが、削除が面倒くさい。
政府もスパム・メール禁止法案作りをしているらしいが、
はやく実現して欲しいと切に思う。
一番多いのがよく言われる出会い系である。
最近は偽ブランド商品系が新しいところだ。
もうひとつうっかりその気になりそうになってしまったのが、
無料レポートと称するノウハウものだ。
読み始めると能書きが長く、それなりに筋の通った内容が続く。
しかしなかなか本題に入らずそれでも読んでいくと、
人の欲望を満足させる「美味しい話」が続いて最終的には、
さまざまなテクニックを書いた本なりレポートを買うところに導かれる。
例えば・・・
一日5万円以上の収入を簡単に得る方法、
起業して3ヶ月以内に月300万円以上儲かる方法、
ホームページを開設するだけで儲かる方法、
パチンコ必勝法、
一ヶ月で英語が話せる夢の方法、
1週間で5キロダイエット方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この手の詐欺を情報商材詐欺というらしい。
値段的には1~5万円程度くらいなので、甚大な被害というほどではないが、
しかし引っかかりやすい人は何度でも引っかかるという。
この系統の詐欺はほぼパターン化しているので、
いくつかの似たようなものを見ていくとすぐに詐欺だとわかる。
誰でも詐欺だとわかるくらい単純であるが、引っかかる人は引っかかるのだ。
ネットにある無料レポートの手口は大体次のようなものである。
1.簡単に楽をして夢のような得、儲け、結果を得られる。
2.それを納得させる筋道の通った理論誘導をする。
3.それを実践して満足、喜ぶ人の体験談(すべて創作)を実例としてあげる。
4.その方法を知りたければ、〇万円(さほど高くない)で買え。
5.場合によっては、あと残りわずかだからお急ぎを!とせかす。
ほぼこのパターンである。
このパターンできたらほぼ100パーセント詐欺である。
スパムメールの出会い系にも「付き合ってくれたら100万円振込みます。」
という逆援助交際タイプが結構ある。
こんな美味しい話をスパムメールで送りつけるはずがない。
しかしスケベのバカはひっかかるのだ。
おそらくスパムは一度の送信で数百万通以上らしいから、
仮に1万人に一人のバカでも引っかかれば儲かる仕組なのだ。
また昔実際に送られてきて大笑いしたのが、
「海外の宝くじで1000万円当選しているが、
まだ受け取っていないので連絡しました。」と言うわざとらしさ満開のタイプ。
宝くじ詐欺と言うらしい。
買ったことも無いのになんで当選なのかと、普通思うがバカは思わないらしい。
それに海外宝くじは国内から買えないはずじゃなかったか。
先日ニュースで情報商材詐欺の特集をやっていたが、
欲ボケしているか常識がない人間は救いようが無いと思った。
前にオレオレ詐欺から振り込め詐欺、投資詐欺などについて書いたが、
騙される人間は基本的に欲望が肥大した人間が多い。
私の友人がうまいことを言っていた。
自分の家の庭を掘ったら黄金の小判がザクザク出てきたので、
そのことを隣近所や道行く見知らぬ人にも教えて、
「さあ、あなたもウチの庭の小判を掘りに来て下さい!」って言うか?
美味しい話が見知らぬ他人から突然送られてくるはずが無いのだ。
誰でも儲かる美味い話しは他言無用ではないのか?
常識、良識を養おう!
好みの色は?
2008年09月14日
色彩心理学とか、好きな色で占うとか、人それぞれ色彩の好みがあり、
それによって性格や心理状態などもわかるという。
私は一応美術が専門であり、学校教育にも携わっているので、
色彩については一般の人よりは知識もあると思う。
しかし自分の好きな色を尋ねられると、返答に窮してしまうのだ。
というのも、自分が身につける色、すなわち服装の色と、
絵に用いる色にも好みがあって、それとの兼ね合いで考えると、
好きな色はかなり多いのだ。
例えば服装で好んで身につける色は、アース・カラーと呼ばれるもの。
アース・カラーとは文字通り、大地、地球の大自然のいろである。
とりわけ私の好きな色は、オフ・ホワイト、ベージュ、ダーク・ブラウン、オリーブ、
など自然の土や枯れ葉などの色である。
他にはダーク・ブルー、黒、グレーなど地味な色が比較的好みである。
草木染めの色はとても好きな色である。
別に年取ったからこんな色が好きになったわけではなく、
十代のころからこの系統の色が好きなのである。
ところが、自分の描く絵になると、テーマにもよるが、赤、黄、オレンジなどの
派手で明るい原色系の進出色もよく使うし、青系でもターコイズ・ブルーやエメラルド・グリーンなどの彩度や明度の高いものはよく使う。原色の派手さにもうっとりすることもある。
だからこれらの派手な色彩も結構好きなのである。
昨日のジャカランダの花の薄紫色やラベンダーも服では持っていないが、
もし自分の部屋の壁の色を自由に塗れるならこの色を塗ってみたい。
ほかにウグイス色や抹茶の緑も結構好きである。
淡いパステル調の明るい色も好きである。
結局自分の好きな色を一つ決めろと言われても決められない。
服装のように身につける色が本当に好みの色であるというなら、
さきほどのアース・カラーの系統である。
渋い緑とベージュと茶系が好きだろうな・・・
さて、こういう色の好きな人物の性格はいかに?
それによって性格や心理状態などもわかるという。
私は一応美術が専門であり、学校教育にも携わっているので、
色彩については一般の人よりは知識もあると思う。
しかし自分の好きな色を尋ねられると、返答に窮してしまうのだ。
というのも、自分が身につける色、すなわち服装の色と、
絵に用いる色にも好みがあって、それとの兼ね合いで考えると、
好きな色はかなり多いのだ。
例えば服装で好んで身につける色は、アース・カラーと呼ばれるもの。
アース・カラーとは文字通り、大地、地球の大自然のいろである。
とりわけ私の好きな色は、オフ・ホワイト、ベージュ、ダーク・ブラウン、オリーブ、
など自然の土や枯れ葉などの色である。
他にはダーク・ブルー、黒、グレーなど地味な色が比較的好みである。
草木染めの色はとても好きな色である。
別に年取ったからこんな色が好きになったわけではなく、
十代のころからこの系統の色が好きなのである。
ところが、自分の描く絵になると、テーマにもよるが、赤、黄、オレンジなどの
派手で明るい原色系の進出色もよく使うし、青系でもターコイズ・ブルーやエメラルド・グリーンなどの彩度や明度の高いものはよく使う。原色の派手さにもうっとりすることもある。
だからこれらの派手な色彩も結構好きなのである。
昨日のジャカランダの花の薄紫色やラベンダーも服では持っていないが、
もし自分の部屋の壁の色を自由に塗れるならこの色を塗ってみたい。
ほかにウグイス色や抹茶の緑も結構好きである。
淡いパステル調の明るい色も好きである。
結局自分の好きな色を一つ決めろと言われても決められない。
服装のように身につける色が本当に好みの色であるというなら、
さきほどのアース・カラーの系統である。
渋い緑とベージュと茶系が好きだろうな・・・
さて、こういう色の好きな人物の性格はいかに?
ジャカランダの花
2008年09月13日
ジャカランダという木をご存知だろうか?私はコスタ・リカで初めてこの木に出会った。スペイン語ではハガランダと発音する。
首都サン・ホセにあるコスタ・リカ大学のキャンパス内にある並木道の木がジャカランダなのだ。
この木は街路樹によく植樹されるらしい。
写真のものはネットのサイトから拝借したもので、南アフリカ共和国の街路樹に植えられているジャカランダだ。
コスタ・リカの日本人の間では開花期の木が、遠くから見ると桜に似ているので、
チコ桜と呼んでいた。チコとはコスタリカ人の愛称である。
日本でも桜の花が街路樹に植えられ、花見シーズンには人でにぎわう。桜の淡いピンク色も可憐でいかにも春の到来を告げるにふさわしい。しかしジャカランダの薄紫色の花のプロムナードも違った意味で味わいがある。私は一言でファンタジックという言葉が浮かんだ。ジャカランダの並木道にさあーっと風が吹くと、薄紫色の花吹雪が渦を巻いて吹き抜ける。並木道を覆っていた無愛想な灰色のコンクリートは薄紫の花びらが埋め尽くし、あたり一面がすべて薄紫一色となる。実に幻想的である。私はこの花吹雪の中で一瞬現実と夢幻のはざまを彷徨った。
ジャカランダは南米原産で薄紫の可愛い花を一杯つける。
開花期は南米では10月ごろ即ち春先であるが、日本では梅雨時期である。
日本では一般になじみは薄くあまり知られていない。沖縄県では名護高校の校庭にあるらしいと聞いたことがある。
ハワイでは日系人が日本の桜を偲んで「ハワイ桜」や「紫の桜」とも呼んでいるそうだ。
ジャカランダは世界三大花木(カエンボク、ホウオウボク、ジャカランダ)の一つである。

ジャカランダの花は薄紫色なので、桜の花の淡い派手さはないが、ピンク色にわずかな青色が混入することで薄紫は派手さを押さえつつ、高貴さをかもし出しているように感じた。
また私個人の感覚かもしれないが、薄紫は現実と幻想のはざまの色だと思っている。赤が進出色で暖色、青が後退色で寒色。その両者が混じり紫になるが、紫だと明度が低く、暗い印象だがそれへ白が入ると実に優しくノーブルな色になるのだ。
日本にもどこかジャカランダの並木道はないだろうか・・・
また見てみたい。
水と森
2008年09月10日
私は沖縄本島に来る前は石垣島に暮らしていた。
石垣島の川平湾に面する吉原集落にいた。
現在は市の水道が通っているが、昔は山の湧き水をいったん貯水槽に溜めて、
簡単な消毒をしてから、集落の各家に供給していた。
水道料金は一軒単位でなく、使用水量に関わらず一人300円/月だったと思う。
この水のじつにうまいこと♪
それはそうだろう、山の湧き水だからズバリ、ミネラル・ウォーターである。
沖縄諸島の島々はサンゴ礁の島で、琉球石灰岩の隆起したものである。だからこの島の湧き水は、カルシウムを初めとしてミネラル分が豊富である。
ただし、大雨の降った日は泥混じりの水で茶色がかっているし、蛇口から小エビが出てきたこともあった。そういう日は自作のペットボトル浄水器で濾して飲んだ。
現在沖縄本島に暮らしているが、水は水屋さんで買っている。当初水道水を飲んでいたが、どうも味が薬品臭いので買うことにした。それでも沖縄の水道水は本土の都会に比べればまだ美味い方ではないか。
以前京都の友人宅で水道水を口にして、思わず吐き出した。薬品臭というより、ドブ臭いような味だったように記憶している。
石垣島の美味い自然水を飲んでいると特にそう感じたのかも知れない。
いまや水は買って飲む時代なんだなあ、と思った。
昔は水道水が普通に飲料水だった時代もあったのだが、
消毒剤にトリハロメタンとかが、発がん性があるというので
ミネラルウォーターをスーパーなどで購入するようになったと思う。
また家庭用浄水器なども広く普及しているようだ。
「水と安全はタダ」という神話が日本にあったのを思い出す。
今の日本は水も安全もお金を出して買うものになっているんだな・・・
それでも日本の水道水は世界的には上等な方だろう。
中南米などコスタ・リカは例外的に飲めるが、まず水道水は飲めない。
これは硬水だから飲むと下痢するのだ。
地域によっては消毒不十分で、細菌類が水に混じっている場合もあるらしい。
東南アジアやアフリカ諸国も似たような事情みたいだ。
中国も20年くらい前に行ったことがあるが、水道水は飲まなかったと思う。

こうして考えると、水の豊かな国は幸せだと思う。
それは豊かな森が豊富な水を育むのだ。
森を大切にしてきた縄文時代からの日本人の習慣が水も豊かな国にしたのだ。
古代から続く神社は必ず森の中に建てられた。
それはカミは森のあるところに下りてくるからだ。
森は杜と書き、社(ヤシロ)は神社になった。
だから日本人はスサノオノミコトの時代から植林してきたのだ。
ちなみに和歌山県は紀の国というが、もとは木の国だったのだ。
沖縄でも昔は必ず家の庭のどこかにクバの木を植えた。
クバの木を伝ってカミ様が降りて来て家を守って下さるのだ。
森や木の無いところは神々がいらっしゃらない所なのだ。
だから沖縄の聖地である御嶽(ウタキ)もたいていは森の中にあった。

森は豊かな水を生み出し、川を豊かにする。そしてその川が注ぐ海も豊かにする。
森の豊かな地域の海には豊富な魚がすんでいる。
今は漁師や漁協が山に植林をする時代になった。
地中海と瀬戸内海は面積は何十倍か何百倍か知らないが、
その魚の生息量は瀬戸内海が地中海の10倍以上もあるらしい。
我々は豊かで美味しい水を供給してくれる、
森を尊ぶ思想を伝えてくれた先祖に感謝すべきである。
その思想こそが神道であることを再認識したい。
石垣島の川平湾に面する吉原集落にいた。
現在は市の水道が通っているが、昔は山の湧き水をいったん貯水槽に溜めて、
簡単な消毒をしてから、集落の各家に供給していた。
水道料金は一軒単位でなく、使用水量に関わらず一人300円/月だったと思う。
この水のじつにうまいこと♪
それはそうだろう、山の湧き水だからズバリ、ミネラル・ウォーターである。沖縄諸島の島々はサンゴ礁の島で、琉球石灰岩の隆起したものである。だからこの島の湧き水は、カルシウムを初めとしてミネラル分が豊富である。
ただし、大雨の降った日は泥混じりの水で茶色がかっているし、蛇口から小エビが出てきたこともあった。そういう日は自作のペットボトル浄水器で濾して飲んだ。
現在沖縄本島に暮らしているが、水は水屋さんで買っている。当初水道水を飲んでいたが、どうも味が薬品臭いので買うことにした。それでも沖縄の水道水は本土の都会に比べればまだ美味い方ではないか。
以前京都の友人宅で水道水を口にして、思わず吐き出した。薬品臭というより、ドブ臭いような味だったように記憶している。
石垣島の美味い自然水を飲んでいると特にそう感じたのかも知れない。
いまや水は買って飲む時代なんだなあ、と思った。
昔は水道水が普通に飲料水だった時代もあったのだが、
消毒剤にトリハロメタンとかが、発がん性があるというので
ミネラルウォーターをスーパーなどで購入するようになったと思う。
また家庭用浄水器なども広く普及しているようだ。
「水と安全はタダ」という神話が日本にあったのを思い出す。
今の日本は水も安全もお金を出して買うものになっているんだな・・・
それでも日本の水道水は世界的には上等な方だろう。
中南米などコスタ・リカは例外的に飲めるが、まず水道水は飲めない。
これは硬水だから飲むと下痢するのだ。
地域によっては消毒不十分で、細菌類が水に混じっている場合もあるらしい。
東南アジアやアフリカ諸国も似たような事情みたいだ。
中国も20年くらい前に行ったことがあるが、水道水は飲まなかったと思う。

こうして考えると、水の豊かな国は幸せだと思う。
それは豊かな森が豊富な水を育むのだ。
森を大切にしてきた縄文時代からの日本人の習慣が水も豊かな国にしたのだ。
古代から続く神社は必ず森の中に建てられた。
それはカミは森のあるところに下りてくるからだ。
森は杜と書き、社(ヤシロ)は神社になった。
だから日本人はスサノオノミコトの時代から植林してきたのだ。
ちなみに和歌山県は紀の国というが、もとは木の国だったのだ。
沖縄でも昔は必ず家の庭のどこかにクバの木を植えた。
クバの木を伝ってカミ様が降りて来て家を守って下さるのだ。
森や木の無いところは神々がいらっしゃらない所なのだ。
だから沖縄の聖地である御嶽(ウタキ)もたいていは森の中にあった。

森は豊かな水を生み出し、川を豊かにする。そしてその川が注ぐ海も豊かにする。
森の豊かな地域の海には豊富な魚がすんでいる。
今は漁師や漁協が山に植林をする時代になった。
地中海と瀬戸内海は面積は何十倍か何百倍か知らないが、
その魚の生息量は瀬戸内海が地中海の10倍以上もあるらしい。
我々は豊かで美味しい水を供給してくれる、
森を尊ぶ思想を伝えてくれた先祖に感謝すべきである。
その思想こそが神道であることを再認識したい。
葬式と死生観
2008年09月06日
最近葬儀社と葬式を出した人との間にトラブルが続出しているらしい。
トラブルの原因はその料金で、見積もり時と式終了時に請求された金額が大きく異なっているという。簡単にいうと契約と違うじゃないか、といことだ。
日本の葬式料金は世界一高額という。
ちなみにアメリカは50~60万円、韓国は40万円、ドイツは30万円、
イギリスでは15万円、そして日本では200~300万円が平均金額ということらしい。
確かに数字をみると日本の葬儀代金は突出して高いのがわかる。
仏教系の葬式には戒名というものをつける。
宗派にもよるのだろうが、戒名代というのがベラボウに高いらしい。
戒名一字いくら、というのもあれば字の格式や、名前そのものの格式でも
値段が大きく異なり、何百万円もするのもあるらしい。
クソ坊主丸儲けだなあと思う。
ちなみにキリスト教や神道の葬式はいくらくらいかかるのだろうか?
教会や神社にはいくら払うのだろうか?
人が死ぬと葬式を行い、亡き骸は墓に葬るのは世界共通であろう。
死者に対する残された者の別れの儀式であり、ケジメのセレモニーである。
私が疑問に思うのは、葬式は誰のために行うのかということだ。
私は基本的に葬式は生きて残った者が死者に対して、
死者への思いを込めて、死者への尊厳を形で表すものだと思う。
即ち生き残った者への精神的安泰のためにあると思う。
また死に行く者の死生観にもよると思う。
また個々人や民族の宗教観や死生観にも大きく影響するだろう。
私は死後の世界があるかどうかわからない。
人が死んで魂が残るかどうかも知らない。
それがあるかないかより、信じるか信じないかであろう。
個人的には死後の世界があるような気がする。
いずれにせよ、年寄りから順番に死ぬとは限らないので、
葬儀形式については、家族内でよく話し合っておくことが大切だろう。
そうであれば葬式の形式など別にこだわらなくても良いではないかと思う。
何千、何百万円もの大金をつぎ込む葬式がよいと思うなら、
生前より貯金しておけばよいのだ。葬式預金とかがあったような気がする。
そこまでしなくても世間体を満足させる程度の葬式でよいと思うなら、
一般的な200万円くらいのほどほどのものをやればよいだろう。
ちなみに私の母は3年前に他界したが、生前から遺言(口頭と文書)で、
葬式不要、先祖の墓には絶対に埋葬してくれるな、散骨希望ということを言ってたので、
そのようにした。
亡くなった時は一応葬式と言うほどのものではないが、
親しい親族のみで葬儀場での通夜をして、翌日火葬場まで見送った。
その後49日の日に母の希望した二つの場所に散骨した。
最近増えつつある自然葬というものである。
私はそれでよかったと思っている。
私は自分の死後の処理に際しては、既に親族がいないので、
琉球大学医学部の「でいご会」という献体協会に献体登録をしている。
ここでは医学部の学生が、解剖実験などに使用する死体の提供を登録するのである。
身内のいない人には遺体使用後は病院の敷地内に供養塚があり、
そこに葬ってくれるという。
私も墓に入りたくないので、散骨を希望しようと思う。
トラブルの原因はその料金で、見積もり時と式終了時に請求された金額が大きく異なっているという。簡単にいうと契約と違うじゃないか、といことだ。
日本の葬式料金は世界一高額という。
ちなみにアメリカは50~60万円、韓国は40万円、ドイツは30万円、
イギリスでは15万円、そして日本では200~300万円が平均金額ということらしい。
確かに数字をみると日本の葬儀代金は突出して高いのがわかる。
仏教系の葬式には戒名というものをつける。
宗派にもよるのだろうが、戒名代というのがベラボウに高いらしい。
戒名一字いくら、というのもあれば字の格式や、名前そのものの格式でも
値段が大きく異なり、何百万円もするのもあるらしい。
クソ坊主丸儲けだなあと思う。
ちなみにキリスト教や神道の葬式はいくらくらいかかるのだろうか?
教会や神社にはいくら払うのだろうか?
人が死ぬと葬式を行い、亡き骸は墓に葬るのは世界共通であろう。
死者に対する残された者の別れの儀式であり、ケジメのセレモニーである。
私が疑問に思うのは、葬式は誰のために行うのかということだ。
私は基本的に葬式は生きて残った者が死者に対して、
死者への思いを込めて、死者への尊厳を形で表すものだと思う。
即ち生き残った者への精神的安泰のためにあると思う。
また死に行く者の死生観にもよると思う。
また個々人や民族の宗教観や死生観にも大きく影響するだろう。
私は死後の世界があるかどうかわからない。
人が死んで魂が残るかどうかも知らない。
それがあるかないかより、信じるか信じないかであろう。
個人的には死後の世界があるような気がする。
いずれにせよ、年寄りから順番に死ぬとは限らないので、
葬儀形式については、家族内でよく話し合っておくことが大切だろう。
そうであれば葬式の形式など別にこだわらなくても良いではないかと思う。
何千、何百万円もの大金をつぎ込む葬式がよいと思うなら、
生前より貯金しておけばよいのだ。葬式預金とかがあったような気がする。
そこまでしなくても世間体を満足させる程度の葬式でよいと思うなら、
一般的な200万円くらいのほどほどのものをやればよいだろう。
ちなみに私の母は3年前に他界したが、生前から遺言(口頭と文書)で、
葬式不要、先祖の墓には絶対に埋葬してくれるな、散骨希望ということを言ってたので、
そのようにした。
亡くなった時は一応葬式と言うほどのものではないが、
親しい親族のみで葬儀場での通夜をして、翌日火葬場まで見送った。
その後49日の日に母の希望した二つの場所に散骨した。
最近増えつつある自然葬というものである。
私はそれでよかったと思っている。
私は自分の死後の処理に際しては、既に親族がいないので、
琉球大学医学部の「でいご会」という献体協会に献体登録をしている。
ここでは医学部の学生が、解剖実験などに使用する死体の提供を登録するのである。
身内のいない人には遺体使用後は病院の敷地内に供養塚があり、
そこに葬ってくれるという。
私も墓に入りたくないので、散骨を希望しようと思う。
流行派とこだわり派
2008年09月04日
「いつも流行の先端を行くファッションを身にまとい・・・」
というような紹介の仕方がある。
もちろん褒めているのだが、私がもしこういわれたら不快である。
というのは、流行を追いかけている人間はただのミーハーで、
個性も独創性も無く企業のカモでしかない、憐れな人間だと私は思うからだ。
ファッション業界は一年先の流行を企業戦略としてシーズン単位で考えている。
そのような企画をファッション系雑誌に特集させると、
企業御用達の没個性のカモネギ族がワーッと飛びついてくれるのだ。
彼らがそのファッションで渋谷、原宿あるいは銀座、有楽町あたりをうろついてくれれば、
黙っていても日本中に広がってくれる。だからアパレル業界側はいかに軽薄な、
しかしファッションにウルサイと自称する人間に喰い付かせるかが課題なのだ。
私は自分の好みがはっきりしているので、まず流行は追わない。
たまたま好みと流行が一致していれば迎合することはある。
ファッションに限らず、嗜好品でも車でも選ぶときに殆ど迷わない。
だから買い物は楽なのだが、流行から大きく外れていると、
その商品を探すのにとても苦労するのだ。
流行していないものは売っていないからだ。
私は年代的にもフォーマルはアイビー系である。
高校時代がメンズクラブと石津謙介のVANで育ったので以後ず~とそれである。
最近世間は昔帰りしてスーツ、ジャケットはアイビー系が主流であるが、
しかし15年くらい前はアイビーなど見向きもされなかった。
それ以前はヨーロピアン系、おそらくロンドン系あたりが主流のデザインで、ジャケットは襟が太く、ウエストが絞られ、ボタンは二つが主流だった。ヨーロピアンファッションは基本的に身長が高く、脚長でスタイルの良い人しか着こなせない。もっともそういう人は何を着てもカッコいいのだが・・・
アイビーファッションは私のような胴長短足系のいわゆる日本人の原種系でもそこそこ着て様になる。
パンツはノータック、ストレートの縦ポケットとが好きなのだが、
これも当時はすべてワンタックまたはツータックのゆったり系で、
どこの店に行って自分の好みのものが売られていないのだ。
カジュアル系のパンツはいまでもノータックのチノパンである。
ネクタイはず~っとニットタイなので、今はまずお目にかかれない。
昨年アメカジ系の古着屋でやっと見つけた。

いまジーンズはローライズと呼ばれる股上の浅いものが流行だ。
とくに女性のジーンズがそうだが、中には尻が丸見えみたいなのもあって、
あれは下手すると公然猥褻罪ではないか、と思わせるものまである。
しかしそこまで極端ではないが、ローライズ系ジーンズは、
私が若い頃にも地域限定で生産されていたのである。
もう30年以上前の話だ。
京都のHALFというジーンズメーカーだが、今もあるのだろうか・・・
ここはロンドンポップ系の当時のファッションをオリジナル・リメイクしたような製品が
結構人気を呼び、値段はやや高めだが、京都を中心とした関西の若者に流行した。
おそらくローライズの元祖だと思う。
このジーンズの流行は私にとっては懐かしい青春のファッションである。
余談だが、私はいまでもここHALFのコーデュロイジャケットを持っていて、
冬にはたまに着ることがある。色違いで同じものがほしいが、売っていない。
似たものはあるが、こだわりが捨てられない。
さて店に入って腹が立つのは店員の兄ちゃんの言い方で、
「お客さん、そんなのいま流行りませんよ、今はこれですよ。」
とか言ってまるで時代遅れの化石人間をみるような言い方をすることだ。
大きなお世話である。流行っていようがいまいが、
私の欲しいものを売っていないお前の店の品揃えが悪いんだw
・・・ま、世の中流行するものが売れるし、店は売れる商品を置くのが常識だ。
私が間違ってるのだな。わかるけどね。
というような紹介の仕方がある。
もちろん褒めているのだが、私がもしこういわれたら不快である。
というのは、流行を追いかけている人間はただのミーハーで、
個性も独創性も無く企業のカモでしかない、憐れな人間だと私は思うからだ。
ファッション業界は一年先の流行を企業戦略としてシーズン単位で考えている。
そのような企画をファッション系雑誌に特集させると、
企業御用達の没個性のカモネギ族がワーッと飛びついてくれるのだ。
彼らがそのファッションで渋谷、原宿あるいは銀座、有楽町あたりをうろついてくれれば、
黙っていても日本中に広がってくれる。だからアパレル業界側はいかに軽薄な、
しかしファッションにウルサイと自称する人間に喰い付かせるかが課題なのだ。
私は自分の好みがはっきりしているので、まず流行は追わない。
たまたま好みと流行が一致していれば迎合することはある。
ファッションに限らず、嗜好品でも車でも選ぶときに殆ど迷わない。
だから買い物は楽なのだが、流行から大きく外れていると、
その商品を探すのにとても苦労するのだ。
流行していないものは売っていないからだ。
私は年代的にもフォーマルはアイビー系である。高校時代がメンズクラブと石津謙介のVANで育ったので以後ず~とそれである。
最近世間は昔帰りしてスーツ、ジャケットはアイビー系が主流であるが、
しかし15年くらい前はアイビーなど見向きもされなかった。
それ以前はヨーロピアン系、おそらくロンドン系あたりが主流のデザインで、ジャケットは襟が太く、ウエストが絞られ、ボタンは二つが主流だった。ヨーロピアンファッションは基本的に身長が高く、脚長でスタイルの良い人しか着こなせない。もっともそういう人は何を着てもカッコいいのだが・・・
アイビーファッションは私のような胴長短足系のいわゆる日本人の原種系でもそこそこ着て様になる。
パンツはノータック、ストレートの縦ポケットとが好きなのだが、
これも当時はすべてワンタックまたはツータックのゆったり系で、
どこの店に行って自分の好みのものが売られていないのだ。
カジュアル系のパンツはいまでもノータックのチノパンである。
ネクタイはず~っとニットタイなので、今はまずお目にかかれない。
昨年アメカジ系の古着屋でやっと見つけた。

いまジーンズはローライズと呼ばれる股上の浅いものが流行だ。
とくに女性のジーンズがそうだが、中には尻が丸見えみたいなのもあって、
あれは下手すると公然猥褻罪ではないか、と思わせるものまである。
しかしそこまで極端ではないが、ローライズ系ジーンズは、
私が若い頃にも地域限定で生産されていたのである。
もう30年以上前の話だ。
京都のHALFというジーンズメーカーだが、今もあるのだろうか・・・
ここはロンドンポップ系の当時のファッションをオリジナル・リメイクしたような製品が
結構人気を呼び、値段はやや高めだが、京都を中心とした関西の若者に流行した。
おそらくローライズの元祖だと思う。
このジーンズの流行は私にとっては懐かしい青春のファッションである。
余談だが、私はいまでもここHALFのコーデュロイジャケットを持っていて、
冬にはたまに着ることがある。色違いで同じものがほしいが、売っていない。
似たものはあるが、こだわりが捨てられない。
さて店に入って腹が立つのは店員の兄ちゃんの言い方で、
「お客さん、そんなのいま流行りませんよ、今はこれですよ。」
とか言ってまるで時代遅れの化石人間をみるような言い方をすることだ。
大きなお世話である。流行っていようがいまいが、
私の欲しいものを売っていないお前の店の品揃えが悪いんだw
・・・ま、世の中流行するものが売れるし、店は売れる商品を置くのが常識だ。
私が間違ってるのだな。わかるけどね。

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