› トラネコ日記 › 2008年06月13日光学迷彩
2008年06月13日
以前米軍のACUとマルチカムの迷彩について書いた。
今回は近未来型迷彩服の光学迷彩を取り上げた。
光学迷彩は映画「プレデター」で宇宙人が周りの景色に溶け込み、
透明人間に近くなるような迷彩だ。
これは従来の色彩のパターンで姿の視認性を低める方法ではなく、
超小型カメラを服の背後に取り付け、前面の小型受像機に背景を映し出すものだ。
これによって兵士は背景の中に完全に溶け込み見えなくなる。
ちょうどカメレオンやタコが周りの色に応じて体色を変化させるのと同じだ。
光学迷彩はほぼ完璧に近いステルス効果が期待できる。
http://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1525.html
この動画をご覧頂きたい。まるでプレデターそのものである。
迷彩効果に関しては究極のものといえるだろう。
ただし実戦配備となると、製作コストや実用面での不都合が予想される。
全身にびっしり装備されたカメラの重量による運動機能の抑制とか、
精密機械のカメラの耐久性が激しい戦場での運動に耐えられるか、
という問題もあると思う。
光学迷彩は実用化されても、偵察や敵地侵入などの特殊任務に限定されるだろう。
現在迷彩服の補助的役割で抜群のステルス効果があるのが、スナイパー(狙撃兵)の着用するギリー・スーツと呼ばれるものだ。
ギリー・スーツはもともとは18世紀のイギリスの猟師が、自分の領主の猟場に来る密猟者を捕らえるために、待ち伏せ用に自作したものがルーツだ。基本的には現在でもスナイパーが戦場に応じて自作している。
衣服型のネット状の網目に、不定形ボロ布や糸状、縄状のものを取り付ける。
第二次大戦中にヘルメットにネット状のカバーを取り付けて、そこに木の枝や草などをつけてカモフラージュしたやり方と基本的に同じである。
活動する環境によって色や素材は適宜変えなければならないのは言うまでも無い。
映画「山猫は眠らない(原題スナイパー)」でスナイパーのトム・べレンジャーが着用していた。最近の映画では「ザ・シューター」の冒頭の戦闘場面でスナイパーが着用しているシーンがある。
http://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1525.html
実際に着用した例だが、愛知万博のマスコット・キャラクターのモリゾウみたいである。
しかしこのステルス効果は抜群で、プロの熟練スナイパーが着用すると、わずか数メートルの距離に敵が近づいてもまったく気づかれないらしい。
おそらくサバナや森の中だと動かないかぎり、発見されることはまずないだろう。
ギリー・スーツはかさ張るし動き辛いので、あまり動かないスナイパーや隠密での監視活動に向いている。(ミリタリーブログより写真引用)
今回は近未来型迷彩服の光学迷彩を取り上げた。
光学迷彩は映画「プレデター」で宇宙人が周りの景色に溶け込み、
透明人間に近くなるような迷彩だ。
これは従来の色彩のパターンで姿の視認性を低める方法ではなく、
超小型カメラを服の背後に取り付け、前面の小型受像機に背景を映し出すものだ。
これによって兵士は背景の中に完全に溶け込み見えなくなる。
ちょうどカメレオンやタコが周りの色に応じて体色を変化させるのと同じだ。
光学迷彩はほぼ完璧に近いステルス効果が期待できる。
http://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1525.html
この動画をご覧頂きたい。まるでプレデターそのものである。
迷彩効果に関しては究極のものといえるだろう。
ただし実戦配備となると、製作コストや実用面での不都合が予想される。
全身にびっしり装備されたカメラの重量による運動機能の抑制とか、
精密機械のカメラの耐久性が激しい戦場での運動に耐えられるか、
という問題もあると思う。
光学迷彩は実用化されても、偵察や敵地侵入などの特殊任務に限定されるだろう。
現在迷彩服の補助的役割で抜群のステルス効果があるのが、スナイパー(狙撃兵)の着用するギリー・スーツと呼ばれるものだ。ギリー・スーツはもともとは18世紀のイギリスの猟師が、自分の領主の猟場に来る密猟者を捕らえるために、待ち伏せ用に自作したものがルーツだ。基本的には現在でもスナイパーが戦場に応じて自作している。
衣服型のネット状の網目に、不定形ボロ布や糸状、縄状のものを取り付ける。
第二次大戦中にヘルメットにネット状のカバーを取り付けて、そこに木の枝や草などをつけてカモフラージュしたやり方と基本的に同じである。
活動する環境によって色や素材は適宜変えなければならないのは言うまでも無い。
映画「山猫は眠らない(原題スナイパー)」でスナイパーのトム・べレンジャーが着用していた。最近の映画では「ザ・シューター」の冒頭の戦闘場面でスナイパーが着用しているシーンがある。
http://kirinmen.blog58.fc2.com/blog-entry-1525.html
実際に着用した例だが、愛知万博のマスコット・キャラクターのモリゾウみたいである。しかしこのステルス効果は抜群で、プロの熟練スナイパーが着用すると、わずか数メートルの距離に敵が近づいてもまったく気づかれないらしい。
おそらくサバナや森の中だと動かないかぎり、発見されることはまずないだろう。
ギリー・スーツはかさ張るし動き辛いので、あまり動かないスナイパーや隠密での監視活動に向いている。(ミリタリーブログより写真引用)
肥満考
2008年06月13日
私の住んでいる北谷町にアラハビーチという海浜公園がある。
私は時間の許す限り日没前にこのあたりを散歩している。
ここはかつて米軍基地キャンプ・ハンビーの跡地利用で、
アメリカのサンディエゴの海浜街を参考に都市計画したらしく、
アメリカ人用の高級マンションが建ち並び、
日本離れしたおしゃれな雰囲気である。
アラハビーチにも多くのアメリカ人が、
日本人とともに普通に散歩したり、
海水浴やビーチバレーに興じている。
さて散歩中に気付いたことだが、アメリカ人の肥満が多いのに驚く。
小太りから大太りまでいろいろだが、
大太りのほうはハンパではない太り方である。
西洋人の肥満は日本人より強烈な印象がある。
それは彼らの食生活に決定的な要因ありと確信する。
彼らの食生活は基本的に多脂多糖である。
それに加え食事量の多さもあるだろう。
現在日本でもメタボリック・シンドロームなどという、
舌をかみそうな横文字を出して、
国上げてのダイエット・ブームである。
しかし日本人は本来的な日本の家庭料理をたべていれば、
よほどの量を毎日食べない限り肥満にはならないだろう。
戦後の食生活欧米化が進み、
肉食やケーキ類が普通の食生活になっている。
テレビではもう20年くらいグルメ番組をやっている。
視聴者に食べることを強要しているのではないか、
と錯覚させるくらい馬鹿放送局の横並び放送である。
私は人がものを食べる光景のクローズアップは、
生理的に気持ち悪くて見ない。
断っておくが私は美味い物をたべることを批判していない。
過剰な食欲を煽るグルメ番組と、
人間の食欲の抑制できない醜さを不快だといっているのだ。
とくにデブキャラ・タレントの大食いは吐き気を催す。
あれを楽しそうに観れる人の感性が理解できない。
少なくとも私の美意識には合致しない。
食欲は性欲と並んで、人間の二大欲(本能)の一方である。
この二つの欲望が自己保存と子孫繁栄を支えている。
人間存在に不可欠である。
しかしいくら人間の存在の基盤でも、
それに偏ると不自然になろう。
普通ではないということだ。
あえて偏見承知で極論するが、
グルメ志向の肥満人は、年中セックスしか頭に無い人間と等しい。
食欲か性欲の違いだけで、本能のままに生きている自己抑制不可能な獣である。
食べることへの飽くなき執念は、
結果的に己の健康と容姿の破壊につながる。
デブが大盛りの食事をガツガツ食べるさまは、
まるでブタそのものだ。
聖書の七つの大罪の一つGreed「貪欲」である。
はっきりいって肥満は醜悪である。
10年前の私は小太りの肥満であった。
私は原形が胴長短足で不細工なので、
せめて肥満になることだけは避けようと思っている。
ダイエットは自分の醜いデブ姿を鏡に映してみて、
不愉快さを感じれる人間なら可能である。
要は自分に対する美意識の問題だ。
私は時間の許す限り日没前にこのあたりを散歩している。
ここはかつて米軍基地キャンプ・ハンビーの跡地利用で、
アメリカのサンディエゴの海浜街を参考に都市計画したらしく、
アメリカ人用の高級マンションが建ち並び、
日本離れしたおしゃれな雰囲気である。
アラハビーチにも多くのアメリカ人が、
日本人とともに普通に散歩したり、
海水浴やビーチバレーに興じている。
さて散歩中に気付いたことだが、アメリカ人の肥満が多いのに驚く。
小太りから大太りまでいろいろだが、
大太りのほうはハンパではない太り方である。
西洋人の肥満は日本人より強烈な印象がある。
それは彼らの食生活に決定的な要因ありと確信する。
彼らの食生活は基本的に多脂多糖である。
それに加え食事量の多さもあるだろう。
現在日本でもメタボリック・シンドロームなどという、
舌をかみそうな横文字を出して、
国上げてのダイエット・ブームである。
しかし日本人は本来的な日本の家庭料理をたべていれば、
よほどの量を毎日食べない限り肥満にはならないだろう。
戦後の食生活欧米化が進み、
肉食やケーキ類が普通の食生活になっている。
テレビではもう20年くらいグルメ番組をやっている。
視聴者に食べることを強要しているのではないか、
と錯覚させるくらい馬鹿放送局の横並び放送である。
私は人がものを食べる光景のクローズアップは、
生理的に気持ち悪くて見ない。
断っておくが私は美味い物をたべることを批判していない。
過剰な食欲を煽るグルメ番組と、
人間の食欲の抑制できない醜さを不快だといっているのだ。
とくにデブキャラ・タレントの大食いは吐き気を催す。
あれを楽しそうに観れる人の感性が理解できない。
少なくとも私の美意識には合致しない。
食欲は性欲と並んで、人間の二大欲(本能)の一方である。
この二つの欲望が自己保存と子孫繁栄を支えている。
人間存在に不可欠である。
しかしいくら人間の存在の基盤でも、
それに偏ると不自然になろう。
普通ではないということだ。
あえて偏見承知で極論するが、
グルメ志向の肥満人は、年中セックスしか頭に無い人間と等しい。
食欲か性欲の違いだけで、本能のままに生きている自己抑制不可能な獣である。
食べることへの飽くなき執念は、
結果的に己の健康と容姿の破壊につながる。
デブが大盛りの食事をガツガツ食べるさまは、
まるでブタそのものだ。
聖書の七つの大罪の一つGreed「貪欲」である。
はっきりいって肥満は醜悪である。
10年前の私は小太りの肥満であった。
私は原形が胴長短足で不細工なので、
せめて肥満になることだけは避けようと思っている。
ダイエットは自分の醜いデブ姿を鏡に映してみて、
不愉快さを感じれる人間なら可能である。
要は自分に対する美意識の問題だ。

