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心洗われる映画・「ブラザーサン シスタームーン」

2008年10月11日

先日近所のてんぷら屋の琉球新報の文化欄で、
ある映画の紹介記事が目に止まった。
私が高校生の頃に見た映画で、いまでも強く印象に残っている映画だ。

ブラザーサン シスタームーン」1972年・イタリア映画
正直言って監督も主演俳優も全く知らなかった。
唯一アレック・ギネスだけは知っていた。
戦場にかける橋」でアカデミー主演男優賞をとった英国の名優だ。
スターウォーズ」でオビワン・ケノービといえばわかるだろう。


物語はアッシジの聖フランチェスコを描いたドラマである。

十字軍の遠征から命からがら帰郷したフランチェスコは、裕福な織物商人の跡継ぎだった。
彼は戦争の空しさや物欲の塊の父にも疑問が湧き、ある日一切の所有物を家の外に投げ捨てた。
父は息子が気が狂ったと思い、司教の前に連れ出し判断してもらおうとした。
フランチェスコは衣服もすべて脱ぎ捨て全裸になり、家も家族も捨て真の魂の探求をするために、
鳥のように自由に生きることを告げ街を出て行った。

フランチェスコは野原に崩れたままの聖ダミアン教会の再建に着手する。
たった一人で来る日も来る日も、石を積み上げ続けた。

ある日フランチェスコの友人ベルナルドが十字軍から帰ってきた。
彼は以前とすっかり変わったフランチェスコに戸惑うが、
フランチェスコのひたむきな求道心に強く惹かれ、一緒に教会の再建を手伝う。
徐々にフランチェスコに共鳴する人々が集まり、教会は再建される。

しかしフランチェスコの人気に危機感を感じた街の司教は、
聖ダミアン教会に火を放ち全焼させてしまう。
フランチェスコは悲しみ嘆く。
そして一大決心をする。

ローマ教皇に会いに行き、真実の信仰を問うてみたい。
フランチェスコはローマに向かうのだった・・・・・・・・


この物語の聖フランチェスコは13世紀のイタリアの実在の人物で、フランシスコ修道会の創始者とされる。
またキリストの再来といわれるほど、信仰中心のストイックな生涯を送ったといわれる。
アメリカ西海岸の大都市サン・フランシスコは彼の名前である。
晩年にはキリストの聖痕が実際に体に現れたという。
この映画は全編美しい映像と音楽が流れる中、フランチェスコや修道女クララ、彼を取り巻く人々の純粋で美しい魂を描いている。フランチェスコ役の新人俳優グラハム・フォークナーが見事に演じきっている。

私はもちろんクリスチャンではないが、
信仰への純粋さ、ひたむきさに心打たれた。
自然と涙が滲んでくるのを止められなかった。

同時に当時高校生だった自分ですら、
なんと自分は汚れているのだろうと恥じ入った。
この思いは成人して何度かこの映画を見ても、
ますます恥で満たされているだけの自分だった。

     「嗚呼、なんて俺は汚れているのだろうか・・・」



                 アッシジの聖フランチェスコ聖堂

この映画の圧巻は最後にローマ教皇に謁見し、キリスト教の腐敗と
フランチェスコの信仰への考えを堂々と教皇の前で述べる。
そして周りの枢機卿や司祭の批難の嵐の中、
教皇はフランチェスコにこういうのだった。

   「・・・聖職についた頃、私もそなたと同じ気持ちだった・・・だが、
   時とともに熱意も薄れ教会政治の業務に忙殺される身となった。
   私たちは富や権力の厚い殻を被っている・・・
   そなたたちの貧しさの前に私は恥じる・・・
   
   フランチェスコ・・・キリストの御名において皆に真理を説きなさい、
   そして限りなく信徒が増え栄えることを私は祈る・・・」

そして教皇はボロをまとい裸足のフランチェスコの足元に跪き、足にキスをしたのだった。

12,3世紀のキリス教会ですら現在の宗教界となんら変わりは無い。
所詮人間が集まり、権力構造ができる組織とはこういうものなのだ。
これは古今東西どこも同じことである。

人間はいかに清貧に生き、世俗の欲望から離れることが難しいかがわかる。
現在の宗教団体の教祖や信仰に生きる人々は是非この映画を見てほしい。
もちろん一般社会の世俗の中に生きる私達も、
たまにはこんな映画で心の洗濯をしてみてはいかがだろう。  

Posted by トラネコ at 06:00Comments(0)TrackBack(0)映画