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サービス精神も客の民度に合わせるべきだ

2018年03月04日

差別主義者出禁や24時間営業休止等、「お客様は神様」の終焉
今から40年以上前、歌手の故・三波春夫さんによる「お客様は神様です」という言葉が大流行した。観客の心をつかむために司会者との掛け合いのなかで生まれた言葉だったが、商店や飲食店の客は神様のように大切に扱うべき根拠であるかのように誤解されるようになっていった。しかし最近では、客は神ではない、という考え方が広まりつつある。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、「お客様は神様」の終焉について考えた。

 * * *
ここ数年、行き過ぎた日本社会の過剰サービスを「辞める・削減する」「適切な対価をもらう」ことがネット上で支持されるようになっている。ザッと挙げると「佐川急便、アマゾンから撤退」「ヤマト運輸、値上げ決定」「ロイヤルホスト、24時間営業中止&年間3日間の休業日設定」「GODIVA、義理チョコやめましょ運動」「兵庫県のスーパー、恵方巻は昨年実績分しか売らない宣言」などがある。

いずれも深夜で効率の悪い時でも営業せざるを得なかった事業者や、ノルマに疲弊するアルバイト、無駄な出費を強いられる女性派遣社員といった人々の苦労を軽減させた方がいいと考える空気が生んだものだろう。

また、昨年、とあるスーパーの「お客さまの声」には、駐車場で男性同士が手を繋いでいたのを見た客が「見ていて気持ちが悪い」「こうした人々を入店させない対策を取ろうと思わないのか? 取らないのならば二度と来ないしネットにそのことを書く」、といった意見と宣言が掲載された。これに対し、店側は「もう来ないでください」「皆さま大切なお客さまです。お客さまを侮辱する方を、当社はお客さまとしてお迎えすることができません」と返事をし、問題提起をした側を出入り禁止にした。これにはネット上でも多数の称賛の声が出た。

モノが豊かになった1980年代以降、サービス提供者はカネを出す側の「お客様」の言いなりになることこそが良いサービスだと思わされてきた。「お客様は神様です」を提唱した三波春夫が本来意図した「ステージを観に来てくれるお客様」を、「どこであろうとカネを払う側は神様のようにエラい」と曲解し、モンスターカスタマー誕生に至った。

そんな時代を経てワタミや電通での過労からの従業員自殺や、ユニクロのブラック企業裁判などが問題となる。客への滅私奉公と過度な社畜っぷりが糾弾される現状は、日本社会でここ30年以上にわたって続けられてきた「超拝金主義」「カネの奴隷化現象」とでもいえそうな風潮にようやく楔を打ち込む形となった。

これまで無理し過ぎていたのである。「客が店内にいるのに店員が座っているとは何事だ!」などとコンビニ店員に対して文句をつけるような輩もいた。別に1泊8万円の高級ホテルに泊まっているでもなく、たかだか150円のジュースを買うために入店している人間が、時給800円台で働く店員にそこまで高いレベルのサービスを求めるべきではない。

先日、成田空港でLCCが雪で足止めをくらったことに激怒した中国人の175人の集団が大暴れしたが、「約款を読め」で終わりである。「お前達は激安運賃を享受するためにリスクを取ったんだよ」としか思えない

かつてのネットではサービスや態度の悪い店員を晒すことにより、その店を炎上させる例が相次いでいたがここ数年は店員や店の擁護の方が目立つ。サービス提供者と受益者は同格、ただし上客は優遇するしマナーの悪い客はいらない──こんな姿勢がネットでは支持されるようになっている。客の態度の悪さに悩む事業者はご参考あれ。

●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『縁の切り方』など
※週刊ポスト2018年3月2日号
NEWSポストセブン 2/19(月)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180219-00000019-pseven-soci
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180219-00000019-pseven-soci&p=2



サービス精神も客の民度に合わせるべきだ


サービス精神も客の民度に合わせるべきだ




ここ数年、行き過ぎた日本社会の過剰サービスを「辞める・削減する」
 「適切な対価をもらう」ことがネット上で支持されるようになっている。

いいではないか!

やはり何ごともバランス&常識感覚である。
お客様は神様だといえど、あくまでサービス側の比喩であり、
客が非常識な要求を会社や店にしていい訳では決してない。

コンビニの会計を済まして店員に「ありがとう」という客に、
賛否のコメントが殺到しているというが、別にいいではないか。
海外ではこういう風景は特段珍しくはない。
  ↓
コンビニで店員に対し「ありがとうございます」 
お客が会計後にお礼をするのは常識なのか?

J-CASTニュース  2018/2/17 11:00
https://www.j-cast.com/2018/02/17321243.html?p=all

私は言わないが丁寧な店員には軽く会釈することはあるし、
サービスもよく美味しい飲食店には「御馳走様」といって店を出る。
もちろん言う必要はないが、個々人が嬉しいと思うことを口にするのはいいと思う。

また店も客のお礼に対し感謝し仕事に励み、サービス向上に邁進する。
これでいいじゃないか、これが「正」のスパイラルでみんなよくなるのだし、
いちいち義務だの権利だの言わなくてもこれでうまく回ってきたんだな。


サービス精神も客の民度に合わせるべきだ



サービス提供者はカネを出す側の「お客様」の言いなりになることこそが
 良いサービスだと思わされてきた。

とは思わないが・・・

店は客の「言いなり」ではなく「要望」に
できるだけ応える事がサービスだと思う。


ここにあるように何でもかんでも店は客に対して、
「お客様第一主義」だと勘違いしているバカ客がいるが、
これは昨今見られる行き過ぎた権利意識である。

以前大炎上し警察沙汰にもなったモンスター客がおこなった、
店員にいちゃもんをつけ店員を土下座させSNSに投稿したバカ、
こういうバカは一生後悔させる徹底した社会的制裁を科すべきだと思う。

また記事にもあるLGBT客の入店を禁じるような非常識なバカ客の、
理不尽な要求など聞く必要はないし、逆にそんなバカ客を批判し、
入店禁止措置にした店の見識に多くの賛意が来た良識は嬉しい。

客商売は出来るだけ客のニーズを満足させることも業務の一つだが、
非常識で不当な要求をする客のニーズをも満たす必要などない。
所詮バカはどこの世界にもいるからバカは立ち入り禁止にしてよい。

しかしこれとは別な問題であるが、雇用主の問題として・・・

今だ改善されないサービス残業パワハラ
横行するブラック企業社畜という労働者を奴隷扱いする、
腐った企業精神も断罪されるべき違法労働、否これは犯罪だと思う。


サービス精神も客の民度に合わせるべきだ

           バカのDQN客にイチャモンつけられ
           強制的に土下座させられる被害店員




やはり本来の日本人は「お互い様」精神ではないか?
お店が客に奉仕するのは当然としつつ、それに感謝してきたのが日本人だ。
これは西欧もラ米にも似たところがあり、お店に有難うを言う習慣はあるのだ。

もちろん商売では、客は金を払って商品とサービスを買うのであり、
店はそれを売り物にするのだからお礼や感謝は必要ないだろう。
筋論からいえばその通りである。

しかし・・・

これを「義務」だの「権利」だのと
西欧的個人主義で決めつけだすから、
何か義務的な制約を感じて面倒なのだ。


日本のサービス精神は世界一だと先回のエントリで述べたが、
何ごとも程度を越えれば「行き過ぎ」という弊害が生まれるのは常識だ。
私は戦後民主主義でバカ左翼の唱える権利過剰な風潮に問題を感じる。

この西欧事大主義のバカ左翼発想こそが、己の義務には一顧だにせず
何でもかんでも権利、権利で主張する戦後民主主義の典型例だと思う。
日本人は西欧的合理主義は合わないことも多いと思う。

何でもかんでも西欧思想が日本文化より進んでいると考えるのは間違いだ。
もちろん行き過ぎた日本賛美や賞賛も間違いであるのは承知しているが、
逆に日本の文化面が西欧より優れている面も少なくないのだ。


サービス精神も客の民度に合わせるべきだ




戦後の占領期にマッカーサーが日本の伝統をすべて否定する政策を行った。
そして何でも欧米のやり方が日本より文明的だと洗脳してきた、
西欧事大主義者や共産主義者はこれを大いに賛美し吹聴してきた。

これが記事にあるような現代の社会現象の一つの結果だと思う。
日本も欧米もそれぞれ長所短所があり、どちらが優れている訳ではない。
我々は社会や時代の変化に応じ、それぞれの良い面は取り入れればよい。

私はそろそろ日本の伝統的習慣や文化の時代にそぐわない面は別だが、
本来日本人がうまく社会を調和してきた良い面は見直すべきだと思う。
文化も伝統的慣習も我々の先祖の尊い遺産である。

 そうやって我々の先祖は
 世界一古い皇統を持つ日本を
 千数百年間維持させてきたのだ。



サービス精神も客の民度に合わせるべきだ


          店員も客もお互いに気分よく接したいものだ。
          金が絡んだ義務だの権利だのって寂しくない?



サービス精神も客の民度に合わせるべきだ

          感謝の気持ちってみんな幸せにならない?









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Posted by トラネコ at 19:00│Comments(10)社会
この記事へのコメント
この「中川淳一郎」なる「御仁」の、ネットに対する「決めつけ」は相当のものですし、『バカと暇人のもの』と言うタイトルにもその「偏見」が現われています。
記事内の「ネット上でも~」「ネットでは~」と言う書き方も、まるで「J-CASTニュース」そのものです。

それはさて置き、我々はサービスに対して全てを求め過ぎていたのではないかと思います。
コンビニでも牛丼屋でも24時間営業を取り止めたり、宅配便の時間外指定サービスも縮小されたりしています。
こういうことも、現場の人達の負担にもなっていたのではないでしょうか。

中には、「土下座」を「ようつべ」にUPしてしまう、あるいは「土下座」させて喜んでいる「モンスター客」もいます。
こういう事、いや親が巡り巡って「モンペ」に行き着いてしまうのではないでしょうか。
こういう人達は、やはり何と言っても論外です。

主張すべきは主張するけど、譲歩すべきところは譲歩する。
「お互い様精神」、やはりこれに尽きると思います。
Posted by 成田あいる at 2018年03月04日 21:37
トラネコせんせー

私は、店員とお客は感謝でつながってる関係なのかな~ってずっと思ってます。

アフリカに住んでいた時のことですが、村に1つしかない食堂が品切れになって早くから店じまいの準備をしていました。
「お腹がすいたな・・・(ショボン)」と帰ろうとしたら、なんと、店主はかわいそうに思ったのか、店の裏庭でニワトリをつぶすところからやってくれて、おかげで私はようやくゴハンにありつけました。
この時はさすがに定価の倍(!)払ってあげましたよ~。チップというか感謝料込みです。
店主は代金を多く受け取れたことよりも、「お腹すかせてる人を見たくなくて店やってるんだ。アンタが美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」と逆に感謝されました。

何が言いたいかというと、「コレが欲しい」という客がいて、それを提供できますよ、ってことで「店」があるわけなんです。対価はそれに対する報酬です。

もし私が、店主に「裏のニワトリをつぶしてでも飯作れよ!」と脅してムリヤリ調理させていたら、意味は違っていたでしょう。

お互いさま、の精神、winwinの精神が物の売り買いを支えていかなきゃいけないですよね。
そこには相手に過剰に求めることもなければ、店側もできないサービスはやらない、ということに尽きると思います。
Posted by 自称29歳 at 2018年03月04日 22:19
金を払う(客)側が上みたいな感覚を持っている人間が多いですよね。
例えば休日を楽しむことができるのも、レストランでの食事提供や車の燃料補給、観光地での世話係が存在してこそだとと思います。
こっちが金払ってるんだから上の立場で当然と思っている人には、ではお金そのものが欲しい物や作業に化けるのか考えてみてほしいです。
それら全て他人の手があってこそ、望むサービスとなって得られていると思います。
神様というのは、売る方買う方お互いさまではないかと思います。
Posted by ガトー at 2018年03月04日 23:12
 ヤクザと見紛うほどの言い掛かりを付けたり、店員に土下座を要求するようなゴロツキは「モンスター客」ではなくはっきりと「キチガイヤクザ」と呼ぶべきでしょう。
 特に店員に土下座させるなんぞ、解同の「糾弾」に通じるモノがあって尚更です。
Posted by KOBA at 2018年03月05日 01:39
「お客様は神様」・・・いかにも大して芸の無い芸人が言いだしそうな
阿諛追従です。
基本的に商取引は「対等」。
以下独断と偏見で申しますが、モンスターなるモノに育ちの卑しさを感じます。
実際の所得が多いか少ないかに関係なく。
ついでに言えば、「ブラック企業」の経営者にも通底するところありです。
Posted by 猫宮とらお at 2018年03月05日 08:50
だからある意味 こうした問題を解決するためにもAIロボット オートメーション化が進み 無駄のない 簡素化されたシステムでも公平なサービスを期待します。日本の良さはむしろ 海外の人の方がわかっていることが多いので 日本人からすると当たり前ということがいかに優れたものかということがわかるものです。灯台もと暗しで海外に行った時 日本の良さを痛感できるものなのでしょうね。そして日本の良さはやはり島国で単一性の民族だからこそできたことだと思うので 馬鹿左翼達の移民推進には断固反対します。日本の優れた伝統 文化は実は鎖国時代が長くあった中で華開かれました。何でも国境をフラットにするグローバルという言葉そのものに疑問を持ちます。同じハチでもミツバチとスズメバチが共生できませんよ。お互いに住みわけが自然体なのです。私はグローバルではなくインターナショナルを目指すべきと考えます。
Posted by 打倒 中共 at 2018年03月05日 09:29
成田あいる様
同意です。
そうですね、何事もお互い様で日本人はうまくやってきたのです。
しかし昨今の過剰な権利意識がバカ客の増長に拍車をかける事件がありました。もちろんこんなバカは希少でしょうが。



自称29歳様
同意です。
>「お腹すかせてる人を見たくなくて店やってるんだ。
 アンタが美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」
いい店主じゃないですか!
外国でこのような対応されると特段嬉しいものですよね。商売とはいえ、そこは人間、気は心ですから相手の困っている事にも快く対応してくれるのも素敵なサービスですね。アフリカでもお互い様精神があったんだ・・・!



ガトー様
同意です。
お互い様というのは、客商売の店員も休みにはお客になるってことなんですよね。自身の接客態度に対する逆の立場の店員に何を求め、逆に何かを学べればその人は素晴らしいと思います。そして世の中みんな支え合って回っているのですよね。



KOBA様
同意です。
まあどこの世界にも異常者はいますからね、しかしこういう輩はきっちり社会的制裁を科すべきだと思いますけどね・・・



猫宮とらお様
同意です。
「お客様は神様です」は、まあ芸人のセリフですし、あまり目くじら立てる事もないと思います。でも店側はこういう気構えで商売してほしいですが、客はそれが当然というよりも、よいサービスなら感謝しても損はないと思います。お互い様精神ですね!




打倒 中共様
恐らくこれから未来社会にはロボット店員も出てくるでしょう。
しかし現在でもカフェテリア形式というのか、例えば立ち食いソバ屋とかでも、自販機で食券買って、窓口に出して注文品を受け取るシステムは導入されていますから、こういうファーストフード的な店と従来通りのもてなしを入れた店と二極化するんでしょうね。まあどちらを選ぶかは客のニーズでしょう。
Posted by トラネコ at 2018年03月05日 22:59
トラネコせんせー
そうそう、言い忘れてました。
※以下長文注意です

舞台で歌うことを糧としてきた三波春夫の『お客様は神様です』について、私はなんとなくですが、理解できる気がします。
演奏者すべてに言えることですが舞台で歌う(演奏する)ということは、お客との掛け合いみたいなものが演奏会の雰囲気を大きく決めていくものなのです。
楽譜通りに演奏するクラシックでもそれは大いにあって、同じ曲を演奏するのにも、石垣島の高校生の前でやるのと、アラフォーの結婚式の余興でやるのとでは全く違う演奏になるんですよ、なぜか!不思議なことに!

つまり、演奏する者にとっては、お客というものが、自分の演奏が成功するかどうかを握っている『神』そのもの。
ましてや、日々舞台で歌って生活の糧を得ている歌い手にとっては、演奏の成功も、お金も運んできてくれるお客が『神』と考えるのは自然なことじゃないかなと、思います。「お客様は神様です」これは大衆に向けての媚びではなく本心なんじゃないかと、私は確信しているんです。
撮り直しのきく映画やドラマの俳優にはそれはないかもだけど、舞台俳優ならわかるんじゃないかと思います。

んで、それがなぜか、いつのまにか「客が偉い!」みたいな錯覚に陥った客たちが広めてしまって、今のようなことになったんだと思います。
三波春夫の本来の意図(と私は思ってるだけかも?)が世間に広まってほしいな、と思うんですよ・・・。

なんか、私の所感だけツラツラ書いてしまって、すみません。
Posted by 自称29歳 at 2018年03月07日 20:07
自称29歳様
同意です。
とても説得力と筋の通ったご意見だと思います。さすが音楽家ですね。
仰るとおり歌手であれ演奏者であれ、音楽家は一種のショー・マン・シップをもったアーチストですから、舞踏家や俳優と同じ「見せる」芸術を意識していますよね。そういう意味ではお客様あっての演奏、演技、演出なんです。

だから三波春夫の「お客様は神様」という言葉に誇張はあっても、その言葉に真理を述べていると思います。そしてご指摘のようにそのフレーズだけが世間に独り歩きして曲解してしまわれたというのが真相でしょうね。事実は仰る通りだと思います。
Posted by トラネコ at 2018年03月07日 22:59

クレーマーの過剰には辟易するのは同意します。ただ、
マックアーサーがやって来て個人主義を吹聴してくれたからこそ、画家とか歌手は、兵隊さんの絵ばかり描かなくても良くなったのです。
上の音楽家の方も、おそらく洋楽でしょう?クラシックとかの。

保守、西洋否定の意味を考えてみるんですな。
さもなくば、アホに見られる。
Posted by 山中 at 2018年03月31日 12:42
 
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