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勾玉考 その3

2008年06月01日

先に勾玉の形の起源のところで、現在有力視されている節が玦状耳飾が半分に割れたものに穴を穿ち発展したものという説を紹介した。(写真参照)

 










しかし発掘された勾玉には、必ずしも分割された玦状耳飾を祖形とする形とは限らないものも数多く出土している。
この形の違いはおそらく時代と地域の文化的な違いに由来するものであろう。当然といえば、当然のことではあるが、当時はまだ統一国家ではなく、集落ごとに独立した自治組織つまり村みたいなものだった。だから村ごとの習慣や信仰形態の違いも当然あったと考えられる。勾玉の形の違いもそのあたりにあるのではないだろうか。



これは昭和57年群馬県の三ツ寺Ⅰ遺跡から出土した子持ち勾玉と呼ばれるものである。本体は10センチ以上あり勾玉の平均的な大きさが3センチ前後だから、かなり大型の勾玉だといえる。本体の側面にいくつかの小型の相似形が付着しているので、子持ち勾玉と命名されているが、全体の形から受ける印象は魚形起源説を彷彿とさせる。




これは獣形勾玉と呼ばれるもので、くびれ部分が二箇所あり穴のある部分を頭部に見立てると、動物の側面の形に似ている所からそう呼ばれている。見方によってはイノシシの形に似ていなくもない。イノシシの猪突猛進といわれるくらいの前進する力強さがパワーの象徴として、昔の人びとのお守り的な象徴になったのではないだろうか。



他にも祖形が類推しかねるような形の勾玉も少なくない。しかし古代人にはなにか見える形が存在したのだと思う。我々もまたその祖形は何かを想像する楽しみでもあるだろう。



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