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砂漠の掟「眼には眼を」

2008年10月31日

先日の医療過誤や訴訟のエントリを書いていて思い出した映画の紹介である。

砂漠の掟「眼には眼を」眼には眼を」1957年 フランスイタリア合作 監督 アンドレ・カイヤット          
主演はドイツの世界的大スター・クルト・ユルゲンス である。
と言っても若い人にはこの俳優はほとんど知らないだろう。
私はいまでもドイツの世界的な俳優といえば、このクルト・ユルゲンスとハーディー・クルーガーしか知らない。
70年代に作られた国際合作映画とか戦争映画には必ず登場していた二人である。
特に戦争映画ではドイツ軍人ははまり役であった。

さてこの映画だが私は中学生の頃に一度だけテレビの放映で見た限りだが、
鮮明に今でも覚えているほど印象深い映画だった。

物語は・・・・

ヴァルテル(クルト・ユルゲンス)は、シリアで開業するフランス人医師。
非番の夜、アラブ人の男ボルタクが尋ねてきて、
妻が具合が悪いので診察をお願いしたいと言う。
しかし外科医の彼は自分の専門分野ではないし、
手術明けでくたくたに疲れているので、
街の病院へ行けという。
しかしボルタクはそんな時間がないので、とにかくきてくれと懇願する。
結局ヴァルテルはボルタクの要求を断ることにした。

ところがこれが悲劇の始まりだった。
ボルタクの妻は病院の宿直が誤診し手遅れになって死んでしまう。
ボルタクは妻が死んだのはヴァルテルが来てくれないからだと思い込み、
逆恨みを始め、医師に付きまとい嫌がらせを始める。

映画の後半は広大な砂漠の中に、
医師とアラブ人の二人だけという極限的な設定になる。
復讐心をもったアラブ人ボルタクと二人っきりで砂漠を横断して、
ダマスカスに辿り着かねばならないという恐ろしさ。
何度も死の恐怖に曝される極度の緊張状態がヴァルテルを襲う。

ついににヴァルテルはボルタクに殺してくれと叫ぶ。
ボルタクはここで勝ち誇ったように言う。
 「先生、俺は先生にそのセリフを言わせたかったんだ。俺も女房が死んだとき、
 生きていくのが嫌になるほど絶望した。一度アンタにその気持を味あわせたかった。
 これで俺の目的は果たせたよ。もう嫌がらせはしない、心配するな。」

砂漠の掟「眼には眼を」そしてボルタクはダマスカスへの道を教えた。
しかし散々な目にあわされたヴァルテルはそれでも疑心暗鬼は残っていた。
ボルタクが仮眠をとっている時に、ナイフで彼の手を切りつけて言った。「貴様はウソをついている。ダマスカスへの道はこっちではないだろう。実際にお前が私をダマスカスまで案内しろ、さもなくばその傷がもとで死ぬだろう。」

ボルタクは泣き叫びヴァルテルをダマスカスに案内するが、傷が悪化しはじめ、
体力も尽きて座り込む。そしてヴァルテルに言った。
 「俺はもう歩けない。そうさ、ウソをついてたよ、ダマスカスへの道は反対側なんだ。
 さあこっちの道をまっすぐに行くがいい。ダマスカスに続いているよ。」

ヴァルテルは言われたとおりの道を歩き出した。
ここでカメラはロングショットになり、俯瞰角度からヴァルテルを映し出す。
彼の行く方向には延々と砂漠がどこまでも続いていた。
そこにボルタクの声が響く。

 「先生、まっすぐ迷わずその道を行くんですぜ、ハハハハハハ・・・・・・・」


この映画はとても怖いのだ。怖いといってもオカルトとかホラーではなく、
人間の憎しみとおそらくイスラム教ではないかと思うが、
砂漠の民の独特な宗教観が表れた作品だと思う。

「眼には眼を」とは有名なメソポタミアのハムラビ法典の一説である。
これは眼に被害を受けたからと言って、加害者を殺したりしてはいけない。
眼をやられたら、相手の眼だけを同じように攻撃しても良い。
この考え方は現代にも通じるが、現代は同等の報復を許していない。
個人的にはこの法典とおなじ罪刑法定主義になってほしいと思っているが・・・・


ボルタクは初めから本気でヴァルテルを殺す気はなく、
自分が味わった絶望感をヴァルテルに味あわせたかった。
彼に「もう死にたい、殺してくれ」と言わせればそれで満足、
後は許すつもりだった。
そしてボルタクは本当のダマスカスへの道も教えた

だがそれがわからず疑心暗鬼で一杯のヴァルテルは彼をナイフで切りつけ、
助かりたかったら戻る方角を教えろと脅した。
ケガの悪化で自分も助からないと悟ったボルタクは、
相手も救う価値はないと判断し、ヴァルテルに街とは逆の方向を教えた。

まさに「眼には眼を」を地でいく砂漠の民である。
やったら同じだけの仕返しをする。
ラストシーンの延々と続く「褐色の地獄」がなんとも絶望感を誘い、
何十年もたった今でもはっきり覚えている。
この映画で感じたことは、人間不信と疑心暗鬼の恐怖であった。
さらに異文化への無理解、無知が破滅への一本道となる恐ろしさである。


かつて松本清張がキネマ旬報社の「私の一本の映画」でこれを選んでいる。
松本清張はこの映画の医師を弁護士に置き換えて「霧の旗」を書いたと、
阿刀田高や川本三郎が指摘している。

この作品はDVD化されていないし、おそらくレンタルビデオ店でも置いていないだろう。
俳優を代えてリメイクも期待できると思う。



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Posted by トラネコ at 05:00│Comments(4)映画
この記事へのコメント
「眼には眼を」、

そしてクルトユーゲンス。

私も中学時代?確か国映館で見ました。 先に父が見てきて面白いと聞いて、後で見に行った記憶があります。

延々と続く砂漠の丘を越えたら、期待した街ではなく、絶望的砂漠が続く・・・そして道案内の男との葛藤ということと、「眼には眼を」というタイトルがアララブ人の非情な復讐だった・・・という程度の記憶で、トラネコさんのような筋書きまでは覚えていません。 

あの映画は主人公の男二人と砂漠のシーン以外に記憶はなく、アラブ人の妻が病気云々は全く記憶から消えていました。

トラネコさんの正確な記憶力には脱帽です。

お陰で半世紀も前に見た映画の砂漠の恐怖が鮮やかに脳裏に浮かんできました。  クルトユールゲンスはいい俳優だったですが、顔は正確に思い出せません。 金髪で眉毛が薄く、カーター元米大統領の顔が今脳裏で重なっています。 まだお元気でしょうか。
Posted by 狼魔人 at 2008年11月02日 12:02
書き間違いです。

どうでもいいことですが。

×カーター元米大統領⇒ ○ フォード元大統領
Posted by 狼魔人 at 2008年11月02日 12:05
狼魔人様
コメント有難うございました。

この映画のストーリーですが、私もここまで具体的には覚えていません。
映画を紹介する為にネットで調べたものです。
ただ中学生のころTVの映画劇場でたった1回見ただけなのですが、
強烈な印象があり、おおよそのストーリーの流れは覚えていました。
人間の怖さ、というか民族性の怖さを知りました。
Posted by トラネコ at 2008年11月02日 12:55
ほんじつ弊ブログに引用しました。
http://onomar.jugem.jp/
Posted by オノマ@カナダ at 2016年12月18日 14:59
 
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