琉球王朝と海賊 その3・琉球王朝は朝鮮人の作ったものではない
2008年12月01日
吉成直樹・福寛美共著の「琉球王国と倭寇」(森話社刊)
という本に面白い説があった。
この本は沖縄の万葉集といわれる「おもろ草紙」に謳われる琉歌を分析し、
その時代背景や文化について考察している。
それによると、琉球王朝の成立は倭寇によるというものだ。
ただしそれは朝鮮系の倭寇であり、
琉球王家は朝鮮系ではないかということだ。
その物的証拠として、琉球王朝・尚家の家紋と八幡神を奉ずる倭寇の旗紋が共に三つ巴紋である、佐敷、浦添、玉城、今帰仁各地から大量の高麗瓦が出土している・・・・など。
朝鮮半島からの文化的影響が琉球王朝には広く見られるということから、
そのような「仮説」が述べられている。
まず私はこの「仮説」について全面的に賛成しない。
吉成氏のいう倭寇が琉球王朝を築いた可能性は否定しないが、
琉球王朝に朝鮮系の人々が主体的に、
或いは中心的に関与したとは考えられない。
琉球王が平家の末裔かどうかはわからないし、確証もないが、
私は吉成氏のいう朝鮮系倭寇であるという方がもっとありえないと思う。
たとえば高麗瓦が各地から出土したとしても当時は朝鮮とも交易をしており、
コストパフォーマンスから日本製より朝鮮製のほうが安ければそっちを買うだろう。
現在の中国製品の世界的流通と同じである。
あるいは高麗瓦のほうが琉球では使い勝手がよかったということもあるだろう。
長崎県・大瀬戸町産の滑石製石鍋が沖縄各地で出土するのは、
むしろ松浦水軍との関係を窺わせる。
松浦水軍が沖縄に来ていたという証拠である。
松浦水軍にも朝鮮人はいたと思うが、マイナーな存在か、
主導的な役割の地位ではなかったと思う。
また琉球王朝の三つ巴家紋が倭寇の八幡神のものと一致し、
八幡信仰の源流が朝鮮からの系統だという。
八幡=ヤハタの語源は,カミの寄りつく依代(ヨリシロ)としての
「多く(八は多数の意味)の旗(ハタ;布きれ)」の意味であり、
このハタに神が降りてきてパタパタとたなびく様子から
託宣を告げた古代朝鮮のシャーマンの儀式からきているとする説が有力である。
韓国には,多くの旗を立ててご神体とする習わしがあったとする説が
『魏志東夷伝馬韓条』に述べられている。(「八幡信仰の源流」より引用)
しかしこれの証拠とされる馬韓というのは古代朝鮮半島の三韓の一つで、
後の百済国である。時代が古過ぎないか。
しかも馬韓は辰韓、弁韓とも言語が異なっており、
倭語すなわち日本語だったと推測されている。
宋書倭国伝には百済は倭人が住み倭人の言葉を話していたとあり、
百済が朝鮮民族の国ではなく、倭人(日本)の国であることを窺わせる記述がある。
吉成氏はこの時代の朝鮮国家は朝鮮民族の国家ではなかった
という点が見落としているのだ。朝鮮民族との繋がりで見るなら馬韓よりも、辰韓(後の新羅)のほうが有利ではないか。しかしそこからの関連性は指摘されていない。
八幡信仰は清和源氏の氏神としての性格があり、
武の神として信仰されそれが広く日本全土へ広がった。
取り立てて倭寇が八幡信仰を持っていたから朝鮮系とはいえないし、
そもそも三つ巴紋は、二つ巴紋とともに中国起源のものであり、朝鮮のものではない。
現在の大韓民国の対極旗も三つ巴紋もともに起源は古代中国である。
桓武平氏流れを汲む秩父氏族の家紋が三つ巴紋でもあるし、
これも広くいろいろな家系の紋章となっている。
また八幡神も三つ巴であるがその傍系である京都貴船神社の場合は、
祭神が水を司る神ということから、 水の紋として「三つ巴」を使用している。
むしろ吉成氏が主張される琉球王=太陽神の子(テダコ)は第二尚氏以降のこじつけで、
琉球王は「水を司る神の子」とする説にはこの紋章はピッタリのよう
な気がするが・・・
カムィ焼きという11~14世紀に鹿児島県の徳之島から生産され、
九州南部から南西諸島に広く分布する焼き物がある。
この焼き物はその窯の形状や陶器表面の紋様などが、
朝鮮半島の高麗陶器と類似性を持つことが指摘されている。
吉成氏はこのカムィ焼きも朝鮮系倭寇によって琉球諸島に持ち込まれた技術だという。
はたしてそうだろうか?
カムィ焼きは11世紀に徳之島から始まっていることを考えると、
朝鮮系倭寇というのは無理があるのではないか。
朝鮮から伝わったものだとしても11世紀には、まだ倭寇という言葉はない。
また仮に朝鮮系海賊が日本に持ち込んだとしても、
琉球諸島に同じ窯や陶器があったとしても、
それがなぜ琉球王朝成立と朝鮮人の関与に関係あるのか?
むしろその程度の関与が王朝成立に関与しているというなら、
まずは日本人と日本文化があり、次には中国(宋、元、明)の関与の方が、
はるかに重要な関与であるといえるだろう。
他にも三機能性の問題があるが、古事記、日本書紀などの神々が、
すでに三神をベースにした考え方があり、このこともここでは詳しく述べないが、
古代の朝鮮民族などの影響など関係ない。
琉球王朝の成立には倭寇の関与はあったとする可能性は強く感じるし、
また琉球に来た倭寇にも朝鮮系がいたと思われるが、
朝鮮文化や朝鮮人がそれに主導的に関わったなどとは到底思えない。
なぜなら言語文化の影響が殆ど見当たらないからだ。
琉球言語は朝鮮語とはまったく共通性はないからだ。
琉球言語の基層は純然たる日本語である。
さらに朝鮮系倭寇以前に平仮名も琉球に入っており使用されている。
いくつかの単語に類似性があっても、同様のことは大陸言語にも言えるだろう。
琉球言語の単語にはむしろ中国語(恐らく福建語)に関するもの方が多いだろう。
だからと言って琉球王朝は中国人が作った国とは言わないのと同じだ。
また東南アジア由来のものやスペイン、ポルトガル由来のものもある。
言語にせよ、信仰にせよ、多少の影響があったからと言って、
その一部分的類似性をもって全体を規定するというやり方は、
朝鮮人学者の「ウリナラ起源説」と同じである。
琉球王朝が朝鮮人の作ったものだというのは昨年春に
独島領土権原研究論文で成均館大学の博士学位を受けた
鮮于栄俊首都圏大気環境庁長が、
「日本の古文献の調査と3回にわたる沖繩の現地踏査を通じ、
沖繩の旧称である「琉球国」が「古代の鬱陵島住民の移住によって起こされた国」
という事実を裏付ける証拠を見付けた」
という事実無根のトンデモ説と大差ないのではないか。
交易があった以上、琉球にも朝鮮に関する何らかの影響などがなかったとは言えないが、
それが朝鮮人が琉球王朝を作ったというのはあまりにも短絡思考である。
そもそも朝鮮人が主体になって作ったくにならば、
琉球言語は朝鮮語がメインになっているはずではないか。
しかも13世紀には平仮名が入ってきており、
15世紀以降には琉球八社に見られるような熊野信仰が入って王国の保護を受けている。
ただし安里宮は八幡宮系である。
むしろ日本の影響のほうが格段に大きく、朝鮮の影響など殆ど考えられないではないか。
基本的に言語と宗教という基礎的文化要素が、
その民族や文化の原点を考える上で重要である。
朝鮮人のいう「歴史事実」の殆どすべては妄想以外の何物でもないのは、
それこそ万人承知の「事実」である。
という本に面白い説があった。
この本は沖縄の万葉集といわれる「おもろ草紙」に謳われる琉歌を分析し、
その時代背景や文化について考察している。
それによると、琉球王朝の成立は倭寇によるというものだ。
ただしそれは朝鮮系の倭寇であり、
琉球王家は朝鮮系ではないかということだ。
その物的証拠として、琉球王朝・尚家の家紋と八幡神を奉ずる倭寇の旗紋が共に三つ巴紋である、佐敷、浦添、玉城、今帰仁各地から大量の高麗瓦が出土している・・・・など。
朝鮮半島からの文化的影響が琉球王朝には広く見られるということから、
そのような「仮説」が述べられている。
まず私はこの「仮説」について全面的に賛成しない。
吉成氏のいう倭寇が琉球王朝を築いた可能性は否定しないが、
琉球王朝に朝鮮系の人々が主体的に、
或いは中心的に関与したとは考えられない。
琉球王が平家の末裔かどうかはわからないし、確証もないが、
私は吉成氏のいう朝鮮系倭寇であるという方がもっとありえないと思う。
たとえば高麗瓦が各地から出土したとしても当時は朝鮮とも交易をしており、
コストパフォーマンスから日本製より朝鮮製のほうが安ければそっちを買うだろう。
現在の中国製品の世界的流通と同じである。
あるいは高麗瓦のほうが琉球では使い勝手がよかったということもあるだろう。
長崎県・大瀬戸町産の滑石製石鍋が沖縄各地で出土するのは、
むしろ松浦水軍との関係を窺わせる。
松浦水軍が沖縄に来ていたという証拠である。
松浦水軍にも朝鮮人はいたと思うが、マイナーな存在か、
主導的な役割の地位ではなかったと思う。
また琉球王朝の三つ巴家紋が倭寇の八幡神のものと一致し、
八幡信仰の源流が朝鮮からの系統だという。
八幡=ヤハタの語源は,カミの寄りつく依代(ヨリシロ)としての
「多く(八は多数の意味)の旗(ハタ;布きれ)」の意味であり、
このハタに神が降りてきてパタパタとたなびく様子から
託宣を告げた古代朝鮮のシャーマンの儀式からきているとする説が有力である。
韓国には,多くの旗を立ててご神体とする習わしがあったとする説が
『魏志東夷伝馬韓条』に述べられている。(「八幡信仰の源流」より引用)
しかしこれの証拠とされる馬韓というのは古代朝鮮半島の三韓の一つで、
後の百済国である。時代が古過ぎないか。
しかも馬韓は辰韓、弁韓とも言語が異なっており、
倭語すなわち日本語だったと推測されている。
宋書倭国伝には百済は倭人が住み倭人の言葉を話していたとあり、
百済が朝鮮民族の国ではなく、倭人(日本)の国であることを窺わせる記述がある。
吉成氏はこの時代の朝鮮国家は朝鮮民族の国家ではなかった
という点が見落としているのだ。朝鮮民族との繋がりで見るなら馬韓よりも、辰韓(後の新羅)のほうが有利ではないか。しかしそこからの関連性は指摘されていない。
八幡信仰は清和源氏の氏神としての性格があり、
武の神として信仰されそれが広く日本全土へ広がった。
取り立てて倭寇が八幡信仰を持っていたから朝鮮系とはいえないし、
そもそも三つ巴紋は、二つ巴紋とともに中国起源のものであり、朝鮮のものではない。
現在の大韓民国の対極旗も三つ巴紋もともに起源は古代中国である。
桓武平氏流れを汲む秩父氏族の家紋が三つ巴紋でもあるし、
これも広くいろいろな家系の紋章となっている。
また八幡神も三つ巴であるがその傍系である京都貴船神社の場合は、
祭神が水を司る神ということから、 水の紋として「三つ巴」を使用している。
むしろ吉成氏が主張される琉球王=太陽神の子(テダコ)は第二尚氏以降のこじつけで、
琉球王は「水を司る神の子」とする説にはこの紋章はピッタリのよう
な気がするが・・・
カムィ焼きという11~14世紀に鹿児島県の徳之島から生産され、
九州南部から南西諸島に広く分布する焼き物がある。
この焼き物はその窯の形状や陶器表面の紋様などが、
朝鮮半島の高麗陶器と類似性を持つことが指摘されている。
吉成氏はこのカムィ焼きも朝鮮系倭寇によって琉球諸島に持ち込まれた技術だという。
はたしてそうだろうか?
カムィ焼きは11世紀に徳之島から始まっていることを考えると、
朝鮮系倭寇というのは無理があるのではないか。
朝鮮から伝わったものだとしても11世紀には、まだ倭寇という言葉はない。
また仮に朝鮮系海賊が日本に持ち込んだとしても、
琉球諸島に同じ窯や陶器があったとしても、
それがなぜ琉球王朝成立と朝鮮人の関与に関係あるのか?
むしろその程度の関与が王朝成立に関与しているというなら、
まずは日本人と日本文化があり、次には中国(宋、元、明)の関与の方が、
はるかに重要な関与であるといえるだろう。
他にも三機能性の問題があるが、古事記、日本書紀などの神々が、
すでに三神をベースにした考え方があり、このこともここでは詳しく述べないが、
古代の朝鮮民族などの影響など関係ない。
琉球王朝の成立には倭寇の関与はあったとする可能性は強く感じるし、
また琉球に来た倭寇にも朝鮮系がいたと思われるが、
朝鮮文化や朝鮮人がそれに主導的に関わったなどとは到底思えない。
なぜなら言語文化の影響が殆ど見当たらないからだ。
琉球言語は朝鮮語とはまったく共通性はないからだ。
琉球言語の基層は純然たる日本語である。
さらに朝鮮系倭寇以前に平仮名も琉球に入っており使用されている。
いくつかの単語に類似性があっても、同様のことは大陸言語にも言えるだろう。
琉球言語の単語にはむしろ中国語(恐らく福建語)に関するもの方が多いだろう。
だからと言って琉球王朝は中国人が作った国とは言わないのと同じだ。
また東南アジア由来のものやスペイン、ポルトガル由来のものもある。
言語にせよ、信仰にせよ、多少の影響があったからと言って、
その一部分的類似性をもって全体を規定するというやり方は、
朝鮮人学者の「ウリナラ起源説」と同じである。
琉球王朝が朝鮮人の作ったものだというのは昨年春に
独島領土権原研究論文で成均館大学の博士学位を受けた
鮮于栄俊首都圏大気環境庁長が、
「日本の古文献の調査と3回にわたる沖繩の現地踏査を通じ、
沖繩の旧称である「琉球国」が「古代の鬱陵島住民の移住によって起こされた国」
という事実を裏付ける証拠を見付けた」
という事実無根のトンデモ説と大差ないのではないか。
交易があった以上、琉球にも朝鮮に関する何らかの影響などがなかったとは言えないが、
それが朝鮮人が琉球王朝を作ったというのはあまりにも短絡思考である。
そもそも朝鮮人が主体になって作ったくにならば、
琉球言語は朝鮮語がメインになっているはずではないか。
しかも13世紀には平仮名が入ってきており、
15世紀以降には琉球八社に見られるような熊野信仰が入って王国の保護を受けている。
ただし安里宮は八幡宮系である。
むしろ日本の影響のほうが格段に大きく、朝鮮の影響など殆ど考えられないではないか。
基本的に言語と宗教という基礎的文化要素が、
その民族や文化の原点を考える上で重要である。
朝鮮人のいう「歴史事実」の殆どすべては妄想以外の何物でもないのは、
それこそ万人承知の「事実」である。
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