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いい加減止めろよ、謝罪なんてwバターン死の行進の真実

2009年08月15日

政府は、第2次大戦中の1942年4月、日本軍がフィリピン・ルソン島で行った「バターン死の行進」で生き残った元米兵捕虜らを、来年度日本に招待する方針を固めた。政府が元米兵の捕虜を公式に招待するのは初めて。元捕虜の間には、今もなお反日感情が残る人々もおり、日本政府としてはこうした活動を通じ、日本に対する理解を深めてもらいたい考えだ。

「バターン死の行進」をめぐっては、米国内に元捕虜で作る「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」があったが、高齢化に伴い、今年5月、テキサス州サンアントニオで解散式が開かれた。
この会合に、藤崎一郎駐米大使が日本政府を代表して出席した。「バターン半島・コレヒドール島などで、悲惨な経験をした元戦争捕虜を含む多くの方々に、多大な損害と苦痛を与えたことに、心からのおわびの気持ちを表明します」と謝罪した。日本政府が元米兵捕虜に直接謝罪したのはこれが初めてのことだ。

計画は、大使の謝罪を受けて動き始めた。来年度中に実施される見通しだ。対象となるのは、「死の行進」の生存者を中心に、元捕虜やその子孫ら数百人となる見込み。記念行事への参加や日本の青少年との交流、一般家庭へのホームステイなどが想定されている。

政府は2004年度までの10年間、日本が戦争被害をもたらした国との関係を改善するため「平和友好交流計画」を実施した。外務省によると、オーストラリアや英国、オランダの元捕虜については日本招待を行ったが、激しく戦った米国からの招待は実現していなかった。

一方、日本の戦争被害者らの間からは、政府の計画に疑問の声もあがっている。米国は原爆投下や無差別空襲などの犠牲者に謝罪していないためだ。日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳事務局長は、「米軍捕虜を招くなら、政府は米国に原爆や空襲の犠牲者への謝罪を求めるべきだ」と話している。

 ◆バターン死の行進=第2次大戦中の1942年4月、フィリピン・ルソン島バターン半島を攻略した日本軍が、米軍やフィリピン軍の捕虜約7万人を炎天下で約100キロ・メートル歩かせ、多くの死者を出したとされる事件。死者は「約2万人」ともいわれる。
日本の代表的な「戦争犯罪」の一つとされる。現地の陸軍第14軍司令官だった本間雅晴中将がマニラ軍事法廷で有罪となり、銃殺刑に処された。

読売新聞 2009年8月13日14時35分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090813-OYT1T00596.htm



相変わらず日本政府はバカ丸出しの世界の田舎者である。
いつまで馬鹿の一つ覚え「謝罪」を繰り返せば気が済むんだろう。
こういう謝罪馬鹿は一種の病気か、道楽ではないかと最近考えるようになった。
国際化教育という、いまだ訳わからない教育を進めていても、
肝心の政府の脳みそが、まったく国際化していない下らなさに辟易する。


まずバターン死の行進についてはウィキペディアを参照されたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E9%80%B2

私はかなり以前にこの「バターン死の行進」なるものの映像フィルムを見て疑問を持っていた。
この問題の最大の原因は日本軍が国際法に則り、真面目に米軍捕虜を、
捕虜として扱ったこと
にある。

これが米軍だったらすでにいくつもの米軍側の資料や「リンドバーグ日記」にあるように、
米海兵隊は、日本軍捕虜をほぼ全員虐殺していたのだ。
この違いが日本人にはまだ理解されていない。
いや日本政府の馬鹿どもが理解しようとしていないのだ。

ただし公平を期すために書いておくが、バターン陥落に喜ぶ司令部から、
捕虜全員の射殺命令が出されたことも事実である。
これを実行した部隊もあれば、しなかった部隊もあった。

死の行進の部隊はこの命令自体を知らなかったという。
だからこのことは特別日本軍の戦争犯罪として問題視されるものでもない。
戦争犯罪なら米軍側も裁かれなければならいはずだからだ。


「死の行進」という前にどういう状況かを知らなければならない。
戦闘直後に車両も故障続出だし、食料も十分ない。
両軍兵士とも疲労困憊しきっている。

しかもマラリアやデング熱などの熱帯性伝染病が蔓延し、
日本軍兵士ですら食料も医薬品もなく、病人を多数出す状況である。

実際に死亡した捕虜(アメリカ兵の死者数は2,300人)の
死因の多くは、
マラリアや赤痢などの伝染病
だったという。
もちろん日本兵にも感染者は多数いたという。
死者数の2万人は脱走したフィリピン兵の数も含まれている。


しかも死の行進というが、映像を見る限り随伴監視する日本兵は、
糞重い三八式小銃を担ぎ、背嚢も背負って、捕虜と一緒に歩いている。
おそらくこの時の日本兵の装備重量は30~50キロくらいではないだろうか。

これに対して米軍捕虜は武装解除されているため手ぶら♪である。
実際にどちらが「死の行進」に近かったのか、これだけでも、
「死の行進」がつくられた戦争プロパガンダ
であることは明白だ。


装備の十分に整った米軍と違い、当時の日本軍には戦闘車両は極めて少なかった。
だから本来車両にて搬送するはずの予定が、捕虜約8万人というあまりにも多い、
つまり糞弱い米軍捕虜のお陰で、とても車両搬送できなかったのが実情である。

ちなみに捕虜8万人の内訳は米兵1万2千人、フィリピン兵6万4千人だった。
日本軍の監視が甘く、土地事情に通じているフィリピン兵はかなり脱走したらしい。
この脱走フィリピン兵も2万人の戦死者に加えられている。

しかし仮に米軍であったとしても8万人もの人員を運ぶことが可能だっただろうか?
トラック一台に仮にぎっしり詰め込んで50人としても、8万人の捕虜を運ぶのには、
延べ台数にしても1600台ものトラックが必要になる。

当時そこにあったのは故障だらけの200台だけだった。
この200台が故障していなくても8万人を搬送は厳しかっただろう。
日本軍は次の戦闘「コレヒドール作戦」が控えていたからだ。

次期作戦の為に、ガソリンと車両の温存は至上命題だったからだ。
またこのコレヒドール島攻略のためにも、捕虜を早く後方へ送らねばならなかったのだ。


「バターン死の行進」とは・・・
別に戦争犯罪でもなければ捕虜虐待でもない。
どの時代のどんな戦争にも起こりうる
ごく普通のよくある戦争での出来事である。

ただ数が多かったというだけのことである。


米軍はこの行軍を組織的に計画された「死の行進」であり、
ナチスの捕虜虐待に匹敵する残忍な行為であると世界に向けて宣伝したのだ。
そしてこの行軍を計画した河根少将と、その捕虜の護送にあたった下級将兵も、
BC級戦犯として処刑された。


結局は勝った側は、
どんな悪逆非道なことをやっても許されるのだ。
だから、日本の反省すべき点は、
なぜ戦争に負けたかということのみである。




こんなことはちょっと戦史を調べれば誰でもわかることなのに、
政府の馬鹿役人や無能政治家、売国政治屋などは、
謝罪と聞けば随喜の涙を流して喜ぶ変態揃いである。

救いは最後にある。
日本原水爆被害者団体協議会の田中煕巳事務局長は、「米軍捕虜を招くなら、政府は米国に原爆や空襲の犠牲者への謝罪を求めるべきだ」と話している。
まったく同感である。


民主党が政権をとれば、
これら変態政治屋やマゾ官僚がどっと増えるだろうな・・・
民主党政権絶対反対!!!





「すべての日本人に捧ぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=yPcL0QgE1Yk&feature=PlayList&p=8D8EDA545107C442&playnext=1&playnext_from=PL&index=57
↑の「大地讃頌」はとても良い曲です。

NHKの受信料解約祭り実施中♪
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3326/nhk2.html

民主党政権は日本の終焉!
「民主党の正体」
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html



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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(8)歴史
この記事へのコメント
おまはんは饒舌になっちゃうんよ。



無条件降伏した國やから
開き直れいうても

えげつなくなるで。
Posted by 鬼畜 at 2009年08月15日 00:07
鬼畜様
意味不明です。
Posted by トラネコ at 2009年08月15日 07:17
こんにちは。

自分は、道楽と言うより、「オナニー」なのかな…と思います。
当時の相手の悲惨さ(事実であれ虚構であれ)を聞き、想像し、自らの行為(謝罪)で自らを慰める…。ある意味究極のオナニーなのではないでしょうか?
こちらが謝罪したら、相手も謝罪するっていうのであればSEXになるので関係も深まるのでしょうが…

「死の行進」が例え事実だったとしても、犠牲者は武装解除されていたとはいえ「戦闘員」だった訳で…よっぽど米国の原爆の犠牲者の大部分が「非戦闘員」だった分、ナチと変わらないと思います。
Posted by 坊主 at 2009年08月15日 08:11
連投すみません。

コメントを書き終わってふと思ったのですが、オナニーを要求するのもある意味「性癖」ですよねw
相手のオナニーを見て優越感・征服感に浸る…
斜め上の国々が正にそうですよねw
Posted by 坊主 at 2009年08月15日 08:32
坊主様
コメント有り難うございます。
「自虐オナニー説」ですか、面白い視点ですね。
むしろ私は「自虐変態マゾ説」を主張したいと思います。日本は変態国家ですね。でもあの半島民族はまさに仰る通り、なんでもパクリに、歴史創作までやってのける「究極の自慰民族」でしょうな。
Posted by トラネコトラネコ at 2009年08月15日 09:45
どうもです。

バターン死の行進って・・・・まだこんなことやってるのか。

第一連合国側の捕虜虐待の方が凄まじかったのに(確か所さんの笑ってコラえてなる番組でもオランダ兵を虐待した元兵士とかやっていた・・・娯楽番組でもさりげなくプロパガンダを入れてくるから気をつけなければ・・)。

あと我が国だけを悪い、とばかり言う人は一般社会でも似た人がいます。
それは・・・「死んだ被害者の人権より今ある加害者の人権が重要」とのたまう人でしょう。

最後に分かることはこのような人達は「殺される側の~・か弱き~」と言っておきながら勝者ばかりを持ち上げ敗者はそっちのけ、勝ち組&勝ち馬に乗ることしか考えない偽善者、ということでしょう。
Posted by 無所属廃人 at 2009年08月15日 14:40
こんにちは

バターン死の行進のことを書いた本をたまたま読んでいました。

疲れきった日本兵一人に同じく疲れきった米兵とフイリッピン兵200人の割合で行進したようです。

おまけに米兵とフイリッピン兵が仲がいいわけでなく、日本軍が凶暴というプロパガンダのせいで米陣地に逃げ込んだフイリッピン人がいてと、言うわけで原爆のように虐殺したわけではありません。

凄い混乱状態であったようです。


フイリッピンは米の植民地ですが、独立を約束はされていて立場は微妙であったようですが。
西欧はアジアを植民地にして散々悪いことをしておいて、戦勝国なので偉そうですが、言えた義理はないと思います。

そういうことがすっぽり抜けて、あやまる日本はヘンタイ自虐としか言いようがありません。
Posted by 人形焼 at 2009年08月15日 15:40
無所属廃人様
コメント有り難うございます。
いやホント、つくづく「負けたら賊軍」なんだなあって思いました。
ただ連合軍側のプロパにいつまでも乗っているアホ日本人もどうしようもないですがね・・・

昔から日本では「判官贔屓」の言葉があって、これはある意味「強きを挫き、弱きを助け」という弱者保護にたった弱いものイジメを嫌う気風でもあるのでしょう。
しかし日本の人権屋は弱者は被害者ではなく、犯罪者ときていますから、何をかいわんやですな。



人形焼様
コメント有り難うございます。
以前シナ犬NHKの「映像の世紀」で、ロシア戦線でのドイツ軍の捕虜が極寒の雪原を延々と歩いているシーンを見て、これこそ「死の行進」じゃないかと思いました。ロシアも捕虜虐待に関してはナチス、アメリカ、そしてシナ並みにエゲツナイ土人国家ですからね、でも勝った側だから不問なんですね。
Posted by トラネコ at 2009年08月16日 06:15
 
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