言論の自由の否定か
2009年09月10日
売れる「わが闘争」漫画版 苦言も「歴史資料」の声も
独裁者アドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」。この漫画版が日本で発行され、売れている。いまも出版が禁じられているドイツには批判の声もあるが、出版元は「内容を検証してほしい」と話す。これまでも知る権利や民族的配慮をめぐって議論が起きたいわくつきの本だが、再び論争の種になりそうだ。
<中略>本と作者の紹介
海外メディアも注目し、昨年末以来、英BBCや米CNNなどが報道した。フィナンシャル・タイムズ・ドイツ版で2月に記事を書いた東アジア特派員、マーティン・コリングさんは「漫画化はリスクはあるが、新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」と一定の評価をする。
ただ、ネット上などでは「出版は無神経」「ネオナチを喜ばす」「有害図書扱いはかえって魅力を生む」といった賛否の議論も起きている。
「わが闘争」は現在、ドイツで新刊が手に入ることはない。著作権者のバイエルン州が、ナチスの犠牲者への配慮から戦後一貫して出版を認めてこなかったからだ。外国への対応も同様で、00年にチェコで許諾なく出版された際、州政府は厳重に抗議した。
<中略>ベルヌ条約について
バイエルン州財務省は朝日新聞の取材に、「この扇情的著作が再び流布するのは、それが今や象徴的意味すら持たないとしても、ナチズムの犠牲者にとって苦悩を想起させる」と強調。漫画版について「そもそも、この問題ある内容を批判的に表現するのに、漫画という媒体が適切とは考え難い」と苦言を呈した。
ナチズムをめぐる欧州と日本と意識の隔たりを指摘する声もある。バイエルン州駐日代表部の尾畑敏夫代表は、仕事で現地に13年暮らした。「ドイツでは60年たっても論争になる敏感な問題。漫画という媒体の位置付けの違いも含め、議論を尽くして出版したのだろうか……」
一方で出版禁止に疑問を投げる専門家もいる。全体主義を研究するドレスデン工科大学のクレメンス・フォルンハルツ教授は「自由社会に禁書はあるべきではない。今、『わが闘争』に人を引きつける魅力はない。むしろ、社会にとって重要な歴史資料だ」と話す。
角川書店も10年ほど前、ドイツ大使館から「刊行をやめられないか」と求められた。社内で改めて議論した結果、「批判的に検証できる機会を奪うことはかえって不健全」との結論になったという。
asahi/com 2009年9月6日7時30分
http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY200909020105_01.html
ドイツやヨーロッパの何カ国ではナチスやヒトラーの所業を、
肯定的に捕らえることは犯罪として処罰される。
<参考>「ミンスの言論封殺政策・その1・2」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2459136.html
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2459198.html
このエントリにも述べたが、ドイツのこのような政策はかえって逆ファシズムにならないか?
ヒトラー・ナチス党はドイツ人が民主選挙で選んだドイツ国のリーダーであった。
しかし結果欧州大戦やユダヤ人大虐殺など世界を不幸に叩き込んだ。
ドイツは敗戦後戦争責任をヒトラーとナチス党にすべて背負わせて、
一般ドイツ国民は、他国の国民と同じ犠牲者であり、被害者だと、
厚顔無恥もはなはだしい詭弁を弄してきた。
ドイツ政府がこのような法的措置までとって、
ヒトラーやナチス党の肯定的言論を禁じるのは、おそらく建前としては
被害者感情に配慮し、二度とあの惨劇を繰り返さないため、
とどこかの国でも似たようなスローガンだが、
もうひとつ私が想像するには、ドイツはもうヒトラーやナチスのことを、どんな形であれ
世間に蒸し返して欲しくない敗戦国心理
があるのではないか。
>ドイツバイエルン州政府はヒトラー著「わが闘争」が、
「2000年にチェコで許諾なく出版された際、州政府は厳重に抗議した。」
というが、まあドイツ側の事情をくめばわからないでもない。
しかしそのお国事情を他国にまで広げるのは如何なものだろうか?
ここまで来れば内政干渉ではないのか。
>『東アジア特派員、マーティン・コリングさんは「漫画化はリスクはあるが、
新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」
と一定の評価をする。』
私は歴史はさまざまな角度から検証する必要があると思うし、
それは見方を変えると肯定的にも否定的にも捉えることができる。
だからここに述べられているように批判的に検証するから意義があるとも思わない。
>『著作権に関する国際的な取り決めであるベルヌ条約の
刊行後10年間翻訳されていなければ自由に翻訳できる(70年以前の著作物の
み)」という主要国では、日本にだけ特例的に認められた規定を根拠に出版したという。』
この条約で問題ないが、これがあろうがなかろうが、
他国の、しかも半世紀以上も昔の亡くなった一個人の出版物を、
いちいちその国の政府に何で許可など貰う必要があるのか?
>バイエルン州政府財務省の「・・・ナチズムの犠牲者にとって苦悩を想起させる」、
という理屈が通るならば、原爆に関する出版など持ってのほかである。
日本政府はアメリカ政府に対し「原爆が戦争終結を早め、犠牲者を減らした。」などという、
原爆礼賛論的な出版物を発行するのは断じて止めてもらいたいと要求すべきである。
否、原爆だけでなく東京無差別大空襲や沖縄戦・・・あらゆる戦争はすべて、
当時を知る人びとにとって「苦悩を想起させる」ものであるからだ。
>「ドイツでは60年たっても論争になる敏感な問題。漫画という媒体の位置付けの違
いも含め、議論を尽くして出版したのだろうか……」
下らない。
バイエルン州駐日代表部の尾畑敏夫代表の言葉であるが、
このマンガ本をドイツで出版するというなら大いに論議は必要だろう。
ドイツの国内問題を日本で出版する本について、なぜ議論する必要性があるのか?
中狂やアメリカではありもしない「南京大虐殺」のヨタ本が堂々と出版されている。
さらにヒトラーやナチスの「犯罪」が肯定的に発言することが罪悪なら、
共産主義は今もって市民権を得ている事実になぜ注目しないのか?
これはクルトワ・ヴェルト著「共産主義黒書」の帯にも書かれたことだが、
共産主義は恐らく人類史上始って以来の、大量大虐殺と破壊を導いた
ヒトラーなど児戯にさえ見える最悪の悪魔思想だといえる。
マルクスの「資本論」などは早速発禁処分するべきではないのか?
やはり歴史の評価に関しては決して国家権力が正否を決めるべきではない。
そういえば1995年に村山売国内閣の時だったか、
国会で戦争責任の謝罪決議などという馬鹿丸出しをやっていた。
歴史を立法府で裁くなどという愚をやったのだ。
これが後の悪魔の踏み絵「村山談話」に繋がるのである。
ちなみに村山内閣時の自民党・山崎エロ拓が提出した決議案である。
あの売国奴はここでも国を貶める馬鹿をやっている。落選するのが遅すぎたくらいだ。
それはともかく・・・
これから民主党連立売国政権が進める政策に恒久平和調査局設置法案がある。
これが発展すると日本もドイツと同様に真面目な歴史研究も、
中狂や南北朝鮮国家の意向で研究すら出来なくなる危険性が大である。
ドイツの愚を犯してはならないと思う。
独裁者アドルフ・ヒトラーの著書「わが闘争」。この漫画版が日本で発行され、売れている。いまも出版が禁じられているドイツには批判の声もあるが、出版元は「内容を検証してほしい」と話す。これまでも知る権利や民族的配慮をめぐって議論が起きたいわくつきの本だが、再び論争の種になりそうだ。
<中略>本と作者の紹介
海外メディアも注目し、昨年末以来、英BBCや米CNNなどが報道した。フィナンシャル・タイムズ・ドイツ版で2月に記事を書いた東アジア特派員、マーティン・コリングさんは「漫画化はリスクはあるが、新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」と一定の評価をする。
ただ、ネット上などでは「出版は無神経」「ネオナチを喜ばす」「有害図書扱いはかえって魅力を生む」といった賛否の議論も起きている。
「わが闘争」は現在、ドイツで新刊が手に入ることはない。著作権者のバイエルン州が、ナチスの犠牲者への配慮から戦後一貫して出版を認めてこなかったからだ。外国への対応も同様で、00年にチェコで許諾なく出版された際、州政府は厳重に抗議した。
<中略>ベルヌ条約について
バイエルン州財務省は朝日新聞の取材に、「この扇情的著作が再び流布するのは、それが今や象徴的意味すら持たないとしても、ナチズムの犠牲者にとって苦悩を想起させる」と強調。漫画版について「そもそも、この問題ある内容を批判的に表現するのに、漫画という媒体が適切とは考え難い」と苦言を呈した。
ナチズムをめぐる欧州と日本と意識の隔たりを指摘する声もある。バイエルン州駐日代表部の尾畑敏夫代表は、仕事で現地に13年暮らした。「ドイツでは60年たっても論争になる敏感な問題。漫画という媒体の位置付けの違いも含め、議論を尽くして出版したのだろうか……」
一方で出版禁止に疑問を投げる専門家もいる。全体主義を研究するドレスデン工科大学のクレメンス・フォルンハルツ教授は「自由社会に禁書はあるべきではない。今、『わが闘争』に人を引きつける魅力はない。むしろ、社会にとって重要な歴史資料だ」と話す。
角川書店も10年ほど前、ドイツ大使館から「刊行をやめられないか」と求められた。社内で改めて議論した結果、「批判的に検証できる機会を奪うことはかえって不健全」との結論になったという。
asahi/com 2009年9月6日7時30分
http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY200909020105_01.html
ドイツやヨーロッパの何カ国ではナチスやヒトラーの所業を、
肯定的に捕らえることは犯罪として処罰される。
<参考>「ミンスの言論封殺政策・その1・2」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2459136.html
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2459198.html
このエントリにも述べたが、ドイツのこのような政策はかえって逆ファシズムにならないか?
ヒトラー・ナチス党はドイツ人が民主選挙で選んだドイツ国のリーダーであった。
しかし結果欧州大戦やユダヤ人大虐殺など世界を不幸に叩き込んだ。
ドイツは敗戦後戦争責任をヒトラーとナチス党にすべて背負わせて、
一般ドイツ国民は、他国の国民と同じ犠牲者であり、被害者だと、
厚顔無恥もはなはだしい詭弁を弄してきた。
ドイツ政府がこのような法的措置までとって、
ヒトラーやナチス党の肯定的言論を禁じるのは、おそらく建前としては
被害者感情に配慮し、二度とあの惨劇を繰り返さないため、
とどこかの国でも似たようなスローガンだが、
もうひとつ私が想像するには、ドイツはもうヒトラーやナチスのことを、どんな形であれ
世間に蒸し返して欲しくない敗戦国心理
があるのではないか。
>ドイツバイエルン州政府はヒトラー著「わが闘争」が、
「2000年にチェコで許諾なく出版された際、州政府は厳重に抗議した。」
というが、まあドイツ側の事情をくめばわからないでもない。
しかしそのお国事情を他国にまで広げるのは如何なものだろうか?
ここまで来れば内政干渉ではないのか。
>『東アジア特派員、マーティン・コリングさんは「漫画化はリスクはあるが、
新しい発想。多くの人が手に取り、批判的に検証することは意義がある」
と一定の評価をする。』
私は歴史はさまざまな角度から検証する必要があると思うし、
それは見方を変えると肯定的にも否定的にも捉えることができる。
だからここに述べられているように批判的に検証するから意義があるとも思わない。
>『著作権に関する国際的な取り決めであるベルヌ条約の
刊行後10年間翻訳されていなければ自由に翻訳できる(70年以前の著作物の
み)」という主要国では、日本にだけ特例的に認められた規定を根拠に出版したという。』
この条約で問題ないが、これがあろうがなかろうが、
他国の、しかも半世紀以上も昔の亡くなった一個人の出版物を、
いちいちその国の政府に何で許可など貰う必要があるのか?
>バイエルン州政府財務省の「・・・ナチズムの犠牲者にとって苦悩を想起させる」、
という理屈が通るならば、原爆に関する出版など持ってのほかである。
日本政府はアメリカ政府に対し「原爆が戦争終結を早め、犠牲者を減らした。」などという、
原爆礼賛論的な出版物を発行するのは断じて止めてもらいたいと要求すべきである。
否、原爆だけでなく東京無差別大空襲や沖縄戦・・・あらゆる戦争はすべて、
当時を知る人びとにとって「苦悩を想起させる」ものであるからだ。
>「ドイツでは60年たっても論争になる敏感な問題。漫画という媒体の位置付けの違
いも含め、議論を尽くして出版したのだろうか……」
下らない。
バイエルン州駐日代表部の尾畑敏夫代表の言葉であるが、
このマンガ本をドイツで出版するというなら大いに論議は必要だろう。
ドイツの国内問題を日本で出版する本について、なぜ議論する必要性があるのか?
中狂やアメリカではありもしない「南京大虐殺」のヨタ本が堂々と出版されている。
さらにヒトラーやナチスの「犯罪」が肯定的に発言することが罪悪なら、
共産主義は今もって市民権を得ている事実になぜ注目しないのか?
これはクルトワ・ヴェルト著「共産主義黒書」の帯にも書かれたことだが、
共産主義は恐らく人類史上始って以来の、大量大虐殺と破壊を導いた
ヒトラーなど児戯にさえ見える最悪の悪魔思想だといえる。
マルクスの「資本論」などは早速発禁処分するべきではないのか?
やはり歴史の評価に関しては決して国家権力が正否を決めるべきではない。
そういえば1995年に村山売国内閣の時だったか、
国会で戦争責任の謝罪決議などという馬鹿丸出しをやっていた。
歴史を立法府で裁くなどという愚をやったのだ。
これが後の悪魔の踏み絵「村山談話」に繋がるのである。
ちなみに村山内閣時の自民党・山崎エロ拓が提出した決議案である。
あの売国奴はここでも国を貶める馬鹿をやっている。落選するのが遅すぎたくらいだ。
それはともかく・・・
これから民主党連立売国政権が進める政策に恒久平和調査局設置法案がある。
これが発展すると日本もドイツと同様に真面目な歴史研究も、
中狂や南北朝鮮国家の意向で研究すら出来なくなる危険性が大である。
ドイツの愚を犯してはならないと思う。
Posted by トラネコ at 00:00│Comments(0)
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