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「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

2016年07月01日

英語の「クレイジー」使用はOKで日本語の「気違い」はダメという欧米崇拝
5月25日の朝日新聞は、自民党の小島健一・神奈川県議がある集会で発言した言葉を問題視する記事を載せている。 小島県議は米軍基地反対運動をする人たちについて「基地の外にいる人、基地外の人」と発言したというのだ。

自慢ではないが、この言葉は1993年に「宝島30」誌の連載で私が最初に使った(『賢者の誘惑』所収)。 1990年、丹羽兵助代議士が自衛隊基地を視察中に刺され、病院の輸血ミスのため死亡した。 これを、基地内で基地外に刺され血ちがいで死んだ、と書いたのである。

この連載名は「佯狂(ようきょう)賢人経綸(けいりん)問答」である。
佯狂とは「狂を佯る(狂人のふりをする)」という意味で、古来賢者が狂人のふりをして社会批判をしたことに因む。 イソップも曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)もその一種だし、『論語』や『荘子』には狂接輿(きょうしょうよ、狂人の接輿)が出てくる。 私もこれら先賢のまねごとをしてみたわけだ。

私が先賢のまねをしているのだから、小島県議が私に似た発言をしたからといって苦情は言えないだろうな。 著作権として法的に保護されているわけでもないし。

それにしても「気違い」という言葉が本当に使えなくなっている。一方で「クレイジー」や「マッド」は何のおかまいもなしである。 日本語はいけないが英語ならよいという恥ずべき欧米崇拝思想の表われであり、有色人種蔑視と根は同じものがある。

この2月、嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)が刊行され、いくつもの書評で取り上げられた。 嵐山が編集者時代に身近に接したきだみのるの不思議な魅力が余すところなく描かれた好著で、増刷が続いている。 きだの著作は私も愛読しており、嵐山の本によってきだがもっと読まれるようになることを願っている。

というのも、私が新聞などで愛読書としてきだみのるを紹介する機会があっても、その原稿が必ず没(ボツ)になるからだ。

きだの代表著作なら『気違い部落周游紀行』だから、これを取り上げないわけにはいかない。 これをはずすとして、それなら『気違い部落紳士録』はいいのかといえばそれも駄目で、 『気違い部落の青春』も駄目、『東京気違い部落』も駄目、『気違い部落から日本を見れば』も駄目。 しょうがないので『にっぽん部落』や『ニッポン気違い列島』を挙げてもやっぱり駄目。

断っておくが、この「気違い」は精神疾患のことではないし、この「部落」は被差別部落のことではない。 『気違い部落周游紀行』は岩波書店の「世界」に連載されたものだし、毎日出版文化賞も受賞している。 『にっぽん部落』は岩波新書だし、「きだみのる自選集」(全四巻)は読売新聞社の刊行である。 きだ原作を脚色した『気違い部落』が渋谷実監督で松竹から映画化もされている。

それなのに、現在きだみのるを論じることもできない。日本は気違……おっとっと、この原稿も没になるかな。

くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。
 著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
Newsポストセブン 2016.06.20
http://www.news-postseven.com/archives/20160620_422535.html


<関連エントリ>
差別語について
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2405118.html

再び差別語について
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2944439.html

三度、差別語について:トラネコ日記
http://ryotaroneko.ti-da.net/e5869524.html

障害物競走の何が悪い? 言葉狩りするなファシストwww
http://ryotaroneko.ti-da.net/e7623050.html


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁




近年、言葉に差別のレッテル貼りを誇らしげに行うバカが増えている。
マスゴミがそれに追従し政府も「差別」と聞けば脊髄反応で放置し、
ひたすら差別語なるものが言論界に繁殖しているのである。

特に放送業界の自主規制から言葉狩りが進行しているように思う。
これが独り歩きし差別語などという意味不明な造語がデカい顔しているのだ。
だから差別語などという言葉自体は元から存在しない作り上げられた虚構だ。

私はこの手の「差別」を声高に批判するアホを徹底的に軽蔑する。
このコラムの呉智英氏の話は実に的確で真実を突いている。
私も氏の意見に全面的に賛成である。


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

                評論家・呉智英氏


それにしても「気違い」という言葉が本当に使えなくなっている。
 一方で「クレイジー」や「マッド」は何のおかまいもなしである。
 日本語はいけないが英語ならよいという恥ずべき欧米崇拝思想の表われであり、
 有色人種蔑視と根は同じものがある。

激しく同意!
そもそも「キチガイ」という言葉がどうして差別語なのか?
或は放送禁止用語とか著作物禁止用語にあたるのだろうか?
これらの用語って法的に指定されたものではなく自主規制でしかない。

「気違い」という言葉の意味は・・・

精神異常者、知的障害者、極端な非常識言動の人物への蔑称のことである。
精神障害や知的障害者に対して「キチガイ」は侮蔑の意味合いがあるのはわかる。
しかし非常識な言動を行って恥じない者に「キチガイ」はピッタリの表現ではないか。

またある趣味のマニアに対しても使われる。
釣りキチガイとかサッカーキチガイなどは問題ないのか?
もっともここには侮蔑の意味合いはないからいいのかも知れない。

非常識な言動を行う者を軽蔑することも「差別」というのもわからない。
では「キチガイ」と呼ばずに「バカ者」とか、「クズ野郎」ならいいのか?
それとも「非常識行動者」と漢語調の表現なら良いのか?


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

             そりゃあ禁止だろうwww


差別語の表現に共通するものは『和語』表現が多いように思う。
キチガイもそうだが、めくら・おし・つんぼ・びっこ・かたわなども皆、和語であり、
これらは差別語だからという理由から、視覚障碍者など漢語で置き換えられているのだ。

漢語は和語よりも固いイメージがあり、学術・行政用語などに使われるからか、
漢語への置き換えをすれば差別的な印象が薄まると考えているのだろうか?
もしそうなら実に軽薄かつ思慮浅薄な発想というべきだと私は思う。

そのせいか、「差別語」をつかった学術用語もその言い換えの洗礼を受けている。
メクラウナギ→ヌタウナギ、セムシウナギ→ヤバネウナギ、オシザメ→チヒロザメ・・・
流石にメクラウナギを「目の不自由なウナギ」と言変えなかったな(笑)


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

      メクラウオ改めブラインドケーブ・カラシンの襲名でございます!
      ブラインドと英語で言い換えれば差別語でなくなる不思議(笑)
      

  「めくら」から「視覚障碍者」と言い換えれば、
  差別的要素は払拭されるというのだろうか?



以前書いたことだが・・・

障害者の「害」がマイナスイメージだというので「碍」に置き換えられた。
障碍者、例えば視覚障害者の場合、視力が不完全なことは、
現実にその人物にとって「害」そのものではないのか?

ならば視覚障でいいじゃないか。

何か言葉の言い換えで意味合いを正当化する傾向があるように感じるのだが、
差別語ではないが、言葉の言い換えで旧来のイメージを変えるものもある。
例えば・・・

浮気=不倫、売春=援助交際、痴呆症(ボケ)=認知症、籟病=ハンセン氏病・・・

言葉を言い換えても意味内容は同じであるから、これこそ無意味と思うのだが・・・


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

          浮気ではありません、不倫です! フ・リ・ン~♪


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

                それは・・・

「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

                お、おいっ・・・



それにしても「気違い」という言葉が本当に使えなくなっている。
 一方で「クレイジー」や「マッド」は何のおかまいもなしである。
 日本語はいけないが英語ならよいという恥ずべき欧米崇拝思想の表われであり、
 有色人種蔑視と根は同じものがある。

まったく同意!
上に貼った「メクラウオ」の言い換え例もまったく同じである。
近年何でも英語や欧米諸国語に言い換える傾向があるが、
これってオシャレだからなんだろうか? ハッキリ言って呉氏の言うところの、
欧米崇拝思想、欧米コンプレックス以外の何物でもないと私は思う。

この英語(外来語)への言い換えは非常に多い。
差別語ではなくとも一般に結構あるんだな、
例えば・・・

合意=コンセンサス、概念=コンセプト、全体計画=スキーム、統治=ガバナンス、
注文=オーダー、始まり=スタート、開演(店・場所)=オープン、改装=リニューアル
庭いじり=ガーデニング、強姦=レイプ、左翼=リベラル、精神的=スピリチュアル、
尊敬する=リスペクト、精神異常者=サイコパス、減量=ダイエット、挑戦=チャレンジ、
買い物=ショッピング、文句=クレーム、保存記録=アーカイブ、革新=イノベーション、
所有者=オーナー、顧客=クライアント、客人=ゲスト、運転手=ドライバー・・・



「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁

      キチガイ猫ではなく「クレージーキャッツ」というならOKか?


これらは、ほぼ標準的な日本語になっておりキリないな・・・
しかしこれは外来語をそのまま取り入れる日本語の習慣の一環かもしれない。
それができるのもカタカナという表音文字体系があるからこそでもある。

考えてみれば漢語だってシナ風表現だから和語に拘る必要はないかもしれない。
ただやはり気になるのは呉氏のいう欧米コンプレックスの疑念は消えない。
何でも欧米語を使えばカッコいいと感じる植民地根性が見え隠れする。

<参考エントリ>
外来語の氾濫について考える
http://ryotaroneko.ti-da.net/e8217861.html


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁



差別語とは本来は存在しなかったものが、時代や社会の変化に応じて、
差別的意味合いを含むようになってきた言葉と解釈できるだろうか、
つまり言葉よりも、それを使う人間の意識の問題に過ぎないのである。

上述しためくら、おし、つんぼ、びっこ、・・・これらすべて差別語になっている。
「めくら」を盲人、視覚障碍者、目の不自由な人・・・などと言い換えたところで、
これを使う人に侮蔑的な意識があれば、いくつ言い換えても差別語になる。

そういうニュアンスで言葉狩りしていけば、差別語など無数に拡大していき、
真面目な議論や政治や学問、さらには普通の日常会話だってできなくなる。
これは差別反対ではなく、言論弾圧に繋がる危険性さえ感じる。

今問題になっているヘイトスピーチも同じである。
正当な批判さえもヘイト扱いなら議論や批判そのものを封じることになる。
明らかな罵詈雑言は別にしても筋の通った批判はヘイト扱いすべきではない。

それにしても、差別語認定というか、言葉にレッテル貼ってる連中こそ、
我々一般国民よりも差別意識の異常に高い輩ではないだろうかとさえ思う。
わざわざ言葉狩りやってる連中って暇なんだろうな・・・


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁


「差別語」・越えることのできない言葉狩りのバカの壁










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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(10)社会
この記事へのコメント
こういう行為が逆効果で差別を助長させていると思います。私の母も障害者ですが害で問題ないですよ。事実なんですから。それを言葉だけ変えても人の心は変わりません。
こういう事は米国もだいぶ酷いみたいですね。黒板は黒人差別だとかいってチョーク板らしいですし、なんか、日本も米国に似てきてしまったのでしょうか。悪い所は吸収しなくても良いのにと思います。
外来語というか横文字でしょうか、あれを使ってカッコイイと思っている人ってなんなんでしょうねえ、たまに意味間違ってる人もいますし、余計に会話がしにくくなっている人もいますね。

ヌタウナギってメクラウナギという名前だったんですか。でもあれは生態を見るとメクラというよりヌタの方があってる気もします。だから理由が間違っているんですね。生態を研究するとメクラというよりヌタに近いので、ヌタウナギにしますにすればよかったのに、ヌタウナギはあるTV番組でよくでるんですが、警戒行動でムチンを含んだヌメヌメのジェル状の透明物質を出すんですよ。あれがもう・・・苦手な人は気持ち悪いでしょうね。
Posted by おしょう at 2016年07月01日 06:45
 「ブラインドタッチ」が何時の間にか「タッチタイピング(指でキーボード叩かないと使えないのは当然なのに)」に代わってるなど、英語への言い換えにも言葉狩りの魔手が伸びてる気がします。
 人権ヤクザの自己満足に言語文化が弄ばれる等あってはいけませんな!
Posted by KOBA at 2016年07月01日 13:00
おしょう様
同意です。
黒板って実際には緑板ですよね。
昔は本当に黒かったんですが、緑色が目に優しいとのことで緑板になったとか。でも名前はそのまま残ったみたいです。でもこれがアメリカでは差別語ってwwwじゃあ白いチョークは白墨とかいいますが、これは白人差別なんでしょうかね???まあ日本だけか白墨って・・・

ヌタウナギって魚じゃないんですってね。確かに気持ち悪いですわ。
南朝鮮ではこれの専門料理店があるくらい人気みたいです。まあ見た目はキモイですが、タコ・イカ・クラゲ・ナマコだって西欧人からすればキモイみたいですしね、食文化にはケチつけられませんね。



KOBA様
へえ、ブラインドタッチっていわないんですか・・・
しかしタッチタイピングはいくら何でもおかし過ぎですね。じゃあサッカー=フットボールも何か違和感かんじるな・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2016年07月01日 19:17
「気違い」を「クレージー」に言い直したり、「障害者」を「障がい者」と表記して当事者が救われるなら、精神病院もリハビリセンターも要りません。「偽善」だの「欺瞞」だのは、左翼の得意技ですね。
Posted by NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 at 2016年07月01日 22:50
トラネコ様
白墨もそうですよね。これも黒板が黒人差別なら白墨も白人差別ですよね。
おそらく、英語のブラックボードのブラックが気に入らないのでしょうけど、チョークはホワイトが入っていないので白人差別にならないんでしょうね。
本当に言葉狩りですよ。それなら、ホワイトボードは白人差別にならないんでしょうか、最近は学校でも置いてあるところがあるんですけど。私も大学のTAでホワイトボード使っていましたし。
ホワイトボードまでいつかマジック板なんて呼ばれるようになったら嫌です。

日本の秋田や新潟でもヌタウナギは食されているようですよ。どちらかというと、アナゴやそれこそウナギに近いようですけど・・・さすがにちょっと見た目が・・・。た、ただ、学術的には「生きた化石」とも言われているようで、その研究価値はあるみたいです。
Posted by おしょう at 2016年07月02日 08:43
NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥様
同意です。
精神病院とか精神科という言い方も変わるかも知れませんね。
しかしいくら言葉を言い換えようと、しょせんは人の意識の問題ですもんね。これが理解できないのがバカ左翼ですわwww



おしょう様
同意です。
まあ色についてさえも差別だの、蔑視だの言いだしたら病気ですね。
上のレスにも言いましたが、所詮は人の意識の問題ですからね・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2016年07月02日 20:46
固有種の元々の名前まで変えますか。
そんなこと気にしてる方がよっぽど差別的に感じますけどね。

メクラウオという魚が居るんですね。
「海底(うなそこ)に 眼のなき魚の棲むといふ 眼のなき魚の恋しかりけり」
という若山牧水の歌を思い出しました。
私が個人的に大好きなアニメ「蟲師」にも眇(すがめ)の魚というサブタイトルの話があります。
「すがめ」は差別用語じゃないんですかね。

ちびくろサンボ論争とか、カルピスのロゴ論争とか、いずれも、そんなこと思いもよらなかったような所から引っ張り出してきた感でいっぱいだったなぁと。
Posted by きいろ香 at 2016年07月03日 15:53
きいろ香様
同意です。
この差別語狩りやってる連中って、まあ想像はつきますが、どんな人格なんでしょうね。おそらくこいつらの頭の中は差別でいっぱいなんでしょう。普通の言葉だったものがこいつらによって差別語のレッテルを貼られてかわいそうですね。
Posted by トラネコトラネコ at 2016年07月04日 19:51
英語で使われるクレージーは、日本語のキチガイとほぼ同義である。例えば、

I'm crazy about donut.

と言えば、”ドーナツに夢中”である。

さて、欧米ではcrazyは、決して禁止されない。何故かと言えば、crazyには、障害者を侮蔑する意味はない。日本語のキチガイも、別に、障害者を侮蔑した言葉ではない。

ところが、日本では障害者を表す古くからの言葉が、障害者支援団体の指摘によって、簡単に侮蔑語として定義されてしまう。

本来であれば、”国語審議会”なるものが開会され、討議に至る筈であるが、テレビ局や出版社が、正統な討議も経ずに”自主規制”というのが、事の真相である。

即ち、識者でも何でもないマスコミが、勝手に定義したのが、日本流差別語の起源である。

そういうマスコミの暴挙に関して、国の国語審議会が何も言わない、というのが誠に日本的であって、マイナスの方向へ向かう姿勢を、誰も批判しない。こういう、”傍観者”的な無行動が、太平洋戦争を生んだとも言えるのだが、その事に誰も言及しない。

そういう点で、この頁は貴重である。

さて、興味深いのは、戦前も同様な事が行われていたという事だ。”敵性言語”として英語を禁止した事である。

2回目の敗戦と言われる福島原発事故では、”死の灰”が禁止された。(自主規制)チェルノブイリ事故では、散々、”死の灰”と言い続けていたのに、自国の事故となると、”セシウム”と言葉を変える。

実は、3回目の敗戦がある。それは、日本の武器輸出緩和である。1960年代は、武器の製造会社を”死の商人”と呼称したが、日本のマスコミは、”安倍様”の決定に、”死の商人”の呼称も封印したのだろう。どうやら、日本は、戦前と同じく、言葉狩りが戦争への第1歩となりそうである。

翻って、”障害者関係”の言葉狩りへ戻ろう。

言葉狩りによって、障害者の立場が尊重されたり、待遇がよくなったり、つまり、障害者への利益はあったのだろうか?

答えは、皆無である。何故だろうか?

言葉狩りをする事によって、障害者の存在が消されただけである。本来、居る筈の障害者そのものが消された結果になってしまったのである。

その原因は何か? 障害者本人の意見が何も取り入れられていないからである。言葉狩りは、健常者であるマスコミが勝手に設定したものに過ぎない。

障害者の希望も聞かずに、”障害者とはこういうものだ”という傲慢が言葉狩りに至ったのである。

障害者のホンネ? それを具現化した番組がやっと登場した。受信料払わなくていいから、NHKのバリバラ(NHK教育)を是非、見て欲しい。目からウロコとは、この番組の事である。
Posted by PAL at 2016年12月21日 14:18
PAL様
世の中にはうるさい少数派というのがいますが、この言葉狩りする連中もまさにそういうマイノリティなんでしょう。だから面倒な事の嫌いな役所や放送局などは無難に従うのでしょうね。しかしネットではそのような規制はありませんから、キチンと理由が明示できれば使えばいいと思います。
Posted by トラネコトラネコ at 2016年12月21日 18:10
 
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