バカサヨク枝野幸男の安っぽい平和主義歴史観と決別しよう!

トラネコ

2021年08月16日 00:00

【終戦の日】立民・枝野代表が談話「自公政権は平和主義を脅かす動きを強めている」
立憲民主党の枝野幸男代表(57)は15日、76回目の終戦の日を迎えて代表談話を発表した。以下、全文。

本日、76回目の終戦の日を迎えました。先の戦争で犠牲となられた内外全ての方々に思いを致し、国民の皆さまとともに改めて衷心より哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私たちは、この反省を痛切に胸に刻み、二度と戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、改めて誓います。

終戦から76年という長い月日が流れ、戦争の体験を語ることのできる方々が年々少なくなってきています。しかし、戦争の悲劇が忘れ去られるようなことがあってはなりません。私たちには、戦争の記憶を語り継ぎ、平和の尊さを次世代に伝えていく義務があります。

私たちが戦後、不戦の誓いのもと、憲法にのっとり歩んできた平和と繁栄の道は誇れるものであり、これを堅持していかなければなりません。しかし、自公政権は不当な憲法解釈変更による歯止めなき集団的自衛権の容認や、防衛費の際限なき膨張など、立憲主義、平和主義を脅かすような動きを強めており、このような流れは断ち切らなければなりません。

立憲民主党は、綱領において、立憲主義を守り、平和主義を堅持し、国際協調と専守防衛を貫くとの立場を明確にしています。こうした原点を忘れることなく、今年も訪れた終戦の日に、改めて国際社会の平和と繁栄に貢献していく決意を新たにします。
t東スポ 2021年8月15日
https://news.livedoor.com/article/detail/20700274/



                政権取る気のない無責任野党党首


先の大戦では、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、
 とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
 私たちは、この反省を痛切に胸に刻み、二度と戦争の惨禍を
 繰り返すことのないよう、改めて誓います。

完全な東京裁判史観、中韓史観だ!
枝野幸男は本当に大東亜戦争を
このように考えているのだろうか?


年々次々と新たな歴史的事実や研究成果が発表される中、
未だにまともな歴史観や歴史認識がなく旧態依然として、
戦勝国が押し付けた戦争犯罪者史観を信奉しているバカ。

戦争というものは経済的・物的損得をまず考えてするものである。
現在でも国家の損得は人道的観点より経済的損得を第一に考える。
無論人命・人権意識は高まってはいるが、今も戦争はあくまで経済が優先する。

当時のまだ貧しい日本が、アメリカに喧嘩を売るの誰が考えても愚行である。
事実、対米開戦については国内でも相当論議され、慎重論や反対論も続出したし、
戦争回避のために対米交渉が続けられてきたのである。

昭和天皇も戦争反対論者だったことは周知の事実である。

だが昭和16年11月にルーズベルト大統領の官僚の一人でソ連のスパイだった、
財務次官補ハリー・ホワイトが原案起草したハル・ノートを日本に突きつけられて、
やむなく日本政府は開戦を決意せざるを得なかったのである。

戦後日本統治したマッカーサー元帥自身も米上院軍事外交小委員会において、
大東亜戦争は日本の自衛自存のための戦争だったと証言した、
日本を裁いた占領軍最高司令官がそう言っているのだ!

 どこが侵略戦争なのだ!


     
     マッカーサーの告白 ~アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて
     ~1951年5月3日 ダグラス・マッカーサー~



こういう戦争に至る経緯を知れば、窮鼠猫を噛む事態があったとは考えるのが普通である。
しかし枝野やバカサヨクやシナチョンどもにはそういう思考力がないのだ。
何故ならこいつらには日本人としての思考回路がないからである。

まず枝野のこの発言には事実誤認がある。

「国民の存亡の危機に陥れ」たのはアメリカの対日経済制裁であり、
これが日本を日米開戦に向かわせる第一の原因になったのである。さらには、
朝日新聞などの煽り報道が結果的に日本国民を存亡の危機に導いたのである。

「侵略と植民地支配」はいつどこの国に対しておこなったのか?
台湾・朝鮮は植民地(colony)ではなく併合(annexation)である。
植民地は完全なる搾取対象の奴隷化政策である。

日本は台湾や朝鮮半島から何らの人的・資源的な搾取もしていない。
逆に日本国民の税金を投入して近代国家の体裁を建設してきたのである。
しかも現地人とともに汗を流し一緒になって文明社会を建設したのである。



 ならば旧日本軍はどの国を侵略し植民地化したのか?





当時の東南アジア「諸国」とはタイ王国一国しかない。
すべて欧米の植民地であり、日本は英米蘭領に侵攻したのである。
タイも仏領インドシナも国家間協定で進駐したのであり決して侵略ではない。

逆にインドネシアやベトナムなど戦後の欧米宗主国からの独立支援のため、
日本軍は進駐している頃から、植民地の現地人に教育や指導を熱心に行い、
戦後も多くの残留日本人がアジア諸国の独立の為に命を懸けて戦った
のである。

現在も南北朝鮮国家は「史上最悪の植民地支配」などとウソ抜かしているが、
ならば日本の併合以前には未開の非文明の土人社会だった国(地域)が
なぜ戦後になって突然近代化を成功させたのか?

また同じ「植民地」だったにも関わらず、南北朝鮮は反日・侮日・嫌日国家なのに、
台湾では統治時代の新渡戸稲造や八田與一の銅像が建てられており、
日本ではしばしば起きる自然災害への義援金も世界最高額が集まっている。


さらに・・・

 同じ併合国朝鮮半島よりも冷遇されていた
 にも関わらず何故、台湾は親日国なのか?


枝野やバカ左翼はこれに答えて見よ!



             今でも献花が絶えない台湾農業に
             貢献した農業技師八田與一の銅像



こんなことネットをググれば中学生でもわかることである。
しかし枝野や志位など一流大学卒のバカには理解できないのである。
何故ならこいつらは教条的な硬直化し思考停止したカルト脳だからである。

これが反日学者や政治屋や活動家などの歴史観である。
もし枝野幸男が真剣にこう考え信じているのなら、
やはりこんな党首がいる政党に投票はできない。

もっとも・・・

 政権取る気などサラサラないのが、
 立憲民主党や日本共産党だが(笑)







一応賢明なる読者諸氏には釈迦に説法だが、
初めてトラネコ日記を読まれる方もいるので・・・

歴史というものは、新たな「事実」の発見によって変わっていくものである。

歴史は「一つの事実」をどう解釈するか、立場や状況によって大きく変わる。
歴史的事象を分析・研究するには科学的手法を用いるが解釈は別だ。
そう言う意味で自然科学などの真理を探究する学問とは性格が異なる。

自然科学系では1+1=2が事実であり、これを科学的真理という。
これはいつ時代のどこの誰がやっても同じ答えが出てくるから真理なのだ。
ローマ時代の人は3だったり、江戸時代の人は-5だったししない。

 1と1とを足せば答えは常に2である。

ところが・・・

 歴史の解釈は、一つの事実でも時代により、
 立場や人や民族により答えは異なってくる。


1+1が2ではなく時には0,4、-10・・・こういうものは科学とは言わない。
歴史を「社会科学」などという呼び方は不適切だと個人的には考える。
歴史(history)は物語(story)だから大学では文学部に所属しているのだ。

低能サヨクの日本共産党や日教組などは・・・

「歴史は科学的真理の法則によって発展する」などと
バカと無知まる出しの屁理屈をのべているが、
こんなものは大嘘でありデタラメである(笑)

私の定義する歴史とは・・・

歴史はその時々の風土的、民族的要因、社会的状況、
人間個々人の心理的行動などに偶然的要素が加わって、
複雑に入り組んで起きる現象の集合体の個別的解釈である。


もちろんこれに反論は当然あるかと思うが、私はこう考えている。
ということは現在定説とされる解釈も未来にはどうなるかわからない。
歴史を見る目というのは常に柔軟性と多角的視野が必要である。


 まあこんなこと教条主義的カルト脳をもつ、
 枝野幸男ら立憲民主党や日共に言っても、
 わからないし、議論もできないだろうけどなw










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