モノとココロの相関関係

トラネコ

2009年10月09日 00:00

ドミニカ共和国の人びとに限らず、ラティーノはみんな優しく親切で人懐こい。
おそらく発展途上国の人びとすべてこんな感じなのか、と思う。

反対に先進国ではむしろ人間関係が希薄になっていないだろうか。
アメリカではロスアンジェレスとサンフランシスコ、サンディエゴくらいしか知らないが、
ラテンアメリカと比べれば人情は乏しく感じる
私はヨーロッパへ行った経験はないが、行ったことのある人の話では、
パリやロンドンでは、やはり東京などと似て人間の情は薄いようである。

しかし今あげたのは皆首都で大都会である。
先進国においても、都会と田舎もまた同じことが言えるみたいだ。
フランスの田舎町で陶芸家として暮らした友人は、そこの人情の厚さに感動していた。
おおよそ田舎の人々のほうが都会人より親切で優しいといえるだろう。

一般的に都会は人口が密集しており、人間関係がかえってわずらわしく感じられ、
ほとんど自然もなく人工物に囲まれ、大都会の人の波に流されてしまい、
ややもすると大衆の中に、自己の存在を埋没させてしまいがちになる。
個としての自己の存在を確認するために、人間関係を希薄にする傾向があるだろう。


しかしもう一つ気になることがある。
それは人情の有無が人口密集地と過疎地という関係もさることながら、
あふれる「物(モノ)」の多さに関係はないだろうか?
先進国は物質的には途上国に比べはるかに豊かである。
物が増えると心が貧しくなるってことはないだろうか?
物の多さに反比例して心は貧しくなっていくということだ。


亡くなった親に聞いたが、今よりも貧しかった昭和20~30年代の日本には、
貧しくても人情や人びとの助け合いの精神が、豊かになった現在よりもあったという。
貧しいからこそ、みんなで分け合ったり互いに助け合ったりする心、
沖縄風にいえばユイマール精神が日本全国に残っていたみたいだ。
これはこの時代にあっても都会とか田舎に限らず、今よりも人情が豊かであったのだ。


私は昭和30~40年代に子供時代を送ったが、思い返すと確かに親の話と符号する。
また昨今のように、万引きして開き直る親や子、老人・子供を目標にした暴行・殺人、
ましてや、親子や肉親間での殺人事件なども聞いたことも無かった。

高度経済成長を成し遂げ、世界トップクラスの経済大国になった日本だが、
決して生活にゆとりが出来たわけではなかった。
あのバブル時代ですら、物はあふれカネはザックザック入ってきても、
過労死などという言葉もあのころから流行ったのではなかったか。
この頃から既に人間は「使い捨ての道具」にされてこなかったか。

物があふれ、使い捨てが賛美され、デフレスパイラスになった80年代後半~90年代から、
いよいよ社会の風潮は加速度的に狂い始めたのだはないだろうか。
心の豊かさはかえってこの頃から喪失し、むしろ貧しくなってきたと思う。
もちろん日狂組の道徳教育否定のキチガイ教育も、
その風潮に拍車をかける促進剤になっていたことも見逃せない。



ドミニカ共和国は途上国のなかでもさほど極端に貧しいわけではないが、
物はあっても物価が高く、大半の庶民は貧しい。
この国はカネ持ちしかその物質文明の恩恵にあずかれない社会である。

私はこれまでこの国の不満を多く書いてきた。
仕事の非効率性、計画性のなさ、騒音の大きさ、飯の単調さ・・・・
それでも豊かでない庶民の心の温かさにはとても癒されるものがある。
仕事でイライラしても、彼らの優しさに触れると、つい「ま、いいか」となってしまう。
馴れ合いとは言うまいが、人情の機微に触れるとやはり嬉しいものである。

日本人もかつてはこのような人情をもつ民族だったと思う。
経済効率優先が人情の喪失へ邁進したことも結果として事実だったと思う。


先日亀井金融・郵政改革担当大臣が5日の講演で、
「人間を単なる自分たちが利益を得るための道具としてしか考えないような風潮」の中で、
「人間関係がばらばらにされて、家族まで崩壊していった」との持論を展開し、
日本で家族間の殺人が増えているのは経団連に責任がある」と発言した。

まあこの人らしい、一面的視点の感情論の展開のしかたで、
風が吹けば桶屋が儲かる」式の思考である。
しかし亀井大臣が分析する背景は、かつて彼がいた自民党の経済政策ではなかったか。
経団連の中狂進出の親中姿勢から、篭絡された自民党議員の実に多いことか。
彼らが亀井大臣のいう「人を利益を得る道具」にしたのではなかったか。

いまは自民党政権が築いた物質至上主義文明の上に、
民主党売国政権は日本の伝統や文化を破壊し、
中狂、朝鮮に日本を売り渡す政策を実行中である。


異常な円高に株価下落でも、7~8割りも政権支持する国民。
首相が国連で出来もしない国際公約をしてもなんともない国民。
日本を破滅に導く法案が目白押しでも、気がつかない国民。
結果自分で自分の首を絞めていても気がつかない国民。
まあ国民が好きで選んだ結果である。


これが民主主義である。

やはり日本人に民主主義は早すぎたのだ・・・・・・

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