そして現在
ドミニカ共和国に暮らしているのだが、
こちらはコスタ・リカと逆で
黒人及び黒人系混血が9割近い国である。
前回も述べたが、私はここで暮らすに当たって、
別に黒人系が多いことに何の違和感も抵抗感もない。
毎日握手やキスやハグをする日常だが、別にどうということはない。
既に一年を経過して現地人の友人も出来て交友関係もある。
肌の色が黒いということが、人種偏見には一切リンクしない。
しかし私は実際に住んでみて、人種偏見とは別にこの国が好きにはなれない。
黒人系の多い国には住みたくないという気持ちになってきたのだ。
何度も書いてきたことを繰り返す。
コスタ・リカとの対比でいうと、この国は
外見はコスタ・リカよりモダンだが、
メンタリティというか、
民度は実に前近代的で遅れた社会である。
町にはゴミが目に付き、人々は平気で通りに唾を吐き、ゴミを捨てる。
電気は一日の半分か、それ以下しか来ない
停電が日常の国である。
水の供給もしばしば止まり、
断水も珍しくなく上下水道はよく詰まる。
コスタ・リカではほとんどありえない状況である。
町のいたるところにスピーカーから
大音量のラテン・ポップスが流れ、
スーパーの宣伝カーも
大音量の音楽と宣伝を流して町を走る。
選挙カーなど2トントラックに弩でかいスピーカーを4~6個も載せて、
心臓が揺れるくらいの
大音量を垂れ流して街を回る。
夜中であれ早朝であれ、自分が聞きたければ隣近所の迷惑などかまわず、
もっとも迷惑とは思っていないのだろうが、一般家庭からも
大音量の音楽を流す。
街中にはマフラーをはずした暴走族みたいな整備不良のバイクが、
けたたましい
大音量のエンジン音を撒き散らしながら走り回っている。
車はやたら
クラクションをブーブー鳴らし、夜間ライトは常に
遠目である。
こういう
大音量や騒音を好む気質はアフリカ系であろう。
正直、私は
殺意すら覚える過剰な大音量ストレスに苛まれている。
最近
頭痛が恒常化してきたのはこのせいである。
アメリカ映画のワンシーンでも黒人が大音量のラップを聞いている所に、
白人がやってきてラジカセの音量を下げて文句を言うシーンが、
しばしばあったのを思い出す。
さらに・・・
公共の施設でも
トイレがない或いは
使えないところは珍しくない。
私の勤務する隣町の文化施設は
三階建ての立派な建物である。
しかし外観の立派さとは反対にここには
水も電気もこないのである。
トイレはあっても使えないので、物置になっている。
これが県立の施設である。
もっと驚いたことがあった。
北部観光地にある省庁の支局に勤務する同僚の話を聞いて、驚いた。
そこの事務所には
トイレが最初からないのだそうだ。
いったいどこで用足しするのかと聞くと、近所のレストランで借りるのだそうだ。
これが国立の施設である。
排便は人間の生理現象である。
建造物を建設する際には、必ず
トイレを設備設計に入れるのは常識であろう。
だからこの国のいたるところには、小便臭い臭い場所が珍しくないのだ。
首都のど真ん中のある空き地に脱糞跡を見つけたこともあった。
また
水の利便性の悪いことから、
手を洗わない習慣が根付いているような気がする。
こういう環境で
握手とか、
外食することにはいささか抵抗がある。
個人的にはバッグにマイ・石鹸を持って歩き、水の使える場所があれば、
必ず石鹸で手洗いをする習慣をつけている。
こういう社会感覚だと、必然的に不潔にならざるを得ないのである。
私はこれまでグゥアテマラ、コスタ・リカに暮らした経験と、
メキシコに5ヶ月間の旅周り、その他南米4カ国を旅して回ったのだが、
ドミニカ共和国ほど暮らし難いと感じた国は初めてである。
他のラテン諸国と何が違うかというと、
黒人系の国だということである。
ドミニカ共和国以外に行ったことはないが、ハイチ、キューバ、プエルトリコ、
ジャマイカなど黒人系の多いカリブ諸国は、たぶん似ているのではないだろうか。
さてここで感じたことなのだが、あくまで主観で感じたことを述べる。
黒人系の優秀な学者や医者や政治家その他、
様々な職種の優秀な専門家がいるのことは知っている。
しかしこれらの優秀な黒人のほとんどは、白人国家で育ち教育を受けていないだろうか。
或いは白人国家で長年留学や研究をして、長期生活が白人国家ではないだろうか。
しかし
黒人系が主たる国民で先進国は一つもないのではないだろうか。
いや
中進国ですらほとんどないのではないだろうか。
(あったら御免なさいw)
なぜ黒人系の国家が発展しないのだろうか?
私は考えた。
やはり
アフリカの原住民のDNAが発展を望まないのだろう。
だから個人個人のなかには優秀な才能や素質を持った者が、
どの人種にかかわらず平等に存在するのだが、その
素質を開花させる社会環境が、
アフリカ系の風土には存在しない、というか必要としないのである。
いまでもアフリカでは原始的で、裸同然の暮らしをしている部族が存在する。
時代がいくら発展しても彼らは恐らく数百年前となんら変わらない暮らしだろう。
その
メンタリティも数千年前から変わっていないのではないだろうか。
ドミニカ人も同じだろう。
携帯電話を持ち、パソコンを使い、エアコンのある暮らしをしていても、
彼らのメンタリティは数百年前から換わっていないのだ。
これは
日本人の政治意識が江戸時代からあまり進歩していないのと同じである。
すなわち発展するというよりも、
変化することを嫌うメンタリティが、
何千年にも渡る民族の歴史の中で、
DNAに組み込まれているのであろう。
<参考>
「風土と民族的気質・3」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2490417.html
衛生観念、公衆道徳、向上・発展への渇望などの意識の不足や欠如、
こういうことが、
黒人社会全体が遅れた前近代的で不潔な世界である、
という印象へと繋がってくるのではないだろうか?
これは差別ではないが、必然的に前近代からの黒人差別にリンクして、
すべての黒人系に対する一種の
ステレオ・タイプの差別観になっているように思う。
おなじことが
シナ人にもいえるだろう。
外見は日本人と同じだが、メンタリティはアフリカ系の原住民とさほど変わらない。
いやあの権謀術数渦巻く内乱4000年の地域だから、もっと悪質で狡猾かも知れない。
しかしシナは
外国からの設備投資や、先進国の技術パクリで、
一応東海岸部を中心に急発展してきた。
また
チョーセン人も同じく李氏朝鮮時代の写真を見てもわかるように、
日韓併合前までは、あの半島国家も
文明とは無縁の民賊だったのだ。
日韓併合と戦後の
日韓基本条約の援助協力金によって初めて、
自力で何もできない、この野蛮人の国に文明が根付いたのだ。
もっとも現在でも
台所にトイレのあるという前近代性はやはりDNAなのだろうなあ・・・
しかしこの両国の民族もたかだか数十年くらいの発展の歴史よりも、
野蛮な非文明人の歴史のほうが遥かに長いわけだから、
そう簡単に民族のDNAは文明人へと変化はしない。
ハッキリ言って
シナ・チョーセン人は蛮族のままである。
これに気がつくことが今の日本人にとって急務の課題なのだ!
ってここに落ち着くのだった、いつものように・・・ハ
ア~(ため息)