政治家の「資格試験」考
これは前々から思っていることなのだが、
また同じことを言ってる人も少なくないことなのだが、
政治家になるのも
最低限の資格審査というものが、必要ではないだろうか。
世の中あらゆる職業には、
資格や試験というものがある。
それが万能でないにせよ、一定の知識や技能を社会的に認められるのだ。
しかるに
政治家には選挙という関門しかない。
選挙は確かに民主主義においては「
民意の反映」として、
政治に反映されるべきものだろうが、悲しいかな
民主主義とは、
政治民度の高い国民でないと有効に機能しない制度であり、
どこの国でも採用できるような制度ではなく、実は高度な政治システムなのだ。
だから
愚民国家は馬鹿政治家しか輩出しないのは、わが国を見るまでもなく、
EU諸国でさえ
移民推進政策の結果、国家破綻寸前の国があることから、
必ずしも先進各国の国民の政治民度が高いとは言いがたいのだ。
そこで日本の政治家になるためには選挙だけでなく、
政治家資格試験及び審査を導入することを提案したい。
政治家資格試験は民主主義の欠陥的盲点である所の、
衆愚政治の危険性を回避する一つの手段である。
無論これは万能ではないが、少なくとも鳩山みたいな馬鹿が出てくる頻度は、
多少なりとも小さくできるのではないかと思う。
実際
鳩山由紀夫は政治家生活30年以上のベテランだが、
国内外の政治から経済、安全保障、教育に福祉・・・何も知らない
弩素人である。
むかし旧社会党の
土井たか子という女性党首が
マドンナ旋風というのを巻き起こし、
全くの政治の「せ」の字も知らない、頭の悪いオバサンたちがばんばん当選した。
もちろん選んだ国民が馬鹿なのだが、おだてられて立候補する方もする方である。
そういえば自民党の
小泉郵政解散選挙でも、今回の
民主党売国政権誕生も、
どちらに投票したのもほぼ同じ浮動票層だという分析が出ている。
両選挙とも与党に圧勝させているのだから、国民の多くがいかに何も考えてないかがわかる。
これが現在の
日本解体への序章となってしまったのだが、
これがもしかすると、
取り返しのつかない選挙になったかも知れないのだ。
こういうことへの歯止めとして、一定の教養と常識を身につけた人に政治を任す意味でも、
政治家資格試験・審査は必要かと思う。
資格試験は
一般教養と自分の専門分野、例えば経済・外交・教育・福祉・交通・・・
この中から一つ選択する。
試験結果はすべて国民に公表し、
政府広報はもちろん新聞・TVなどでも発表する。
特に
歴史分野は他の科目の二倍の分量を試験に課し、
近現代史とその他を1:1にする。
この分野は最低合格ラインを設けまあ6割以下は不合格とする。
さらに
論文もいれて
自虐史観的思想の人間はここでふるいにかけて落とす。
これで
反日親中韓の
共産・社民・公明と民主の8割は政治家になれない。
おっと自民の3割もこれにはいるかな?
少なくとも資格試験を課すことで、単純に人気取り、票取りのために、
知名度だけで立候補する
芸能人、タレント、スポーツ選手、などは出てこないだろう。
もちろんこういう人の中にも、優れた政治的能力のある人はいることを否定しないが、
政治家になりたいのならそれなりにしっかり勉強してからなっていただきたい。
それに親の七光りだけで政治見識も何もない
アホ二世、
(どこかの居眠り大臣の息子にいたような・・・)地元への利権誘導だけの
お飾り二世(自民系のかなりの議員?)も淘汰される。
もちろん二世議員でも政治家としての能力ある人はいるから、
政治家になりたい二世は資格試験を受ければよいだけの話である。
また試験結果を公表することにより、支持者が自分の推す候補者が、
どの程度の見識の持ち主なのかがわかり、
支持をするかどうかの目安になる。
大雑把だがこんな政治家資格試験導入で少しは、
日本にマシな政治家が生まれはしないだろうか?
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