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公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

2018年09月27日

外国人と共に生きる ムスリムの子どもに向き合う小学校
日本に在留する外国人の数は256万人あまりと 過去最高を記録しています。今週はシリーズ『外国人と共に生きる』と題して、各地の共生に向けた取り組みをお伝えしていきます。

群馬県のある小学校では、イスラム教徒・ムスリムの子どもたちが急増し、受け入れの方法をめぐって模索が続いています。

群馬県伊勢崎市の公立小学校では、全校児童350人のおよそ6パーセントがムスリムの子どもたち。学校の近くのモスクでアラビア語が学べるため、移り住んでくる家族が増えています。

ムスリムの児童には、宗教上のさまざまな制約があります。
例えば、音楽の時間。イスラム教では、人を興奮させる歌や楽器の演奏が禁じられているとして、授業を受けられない児童もいます。そこで、別の教室で自習させることにしました。また、図工の時間も配慮が必要です。偶像崇拝が禁じられているため、自画像の代わりに、自分の手を描かせることに。


大塚弘之校長は「多様な国籍・文化が混ざり合っている学校。少しずつ融合して、互いに過ごしやすい学校であるといい」といいます。 ムスリムの児童にどこまで配慮すべきか。学校は保護者との対話を重ねながら対応を決めてきました。 この日やってきたのは、新たに転校してくる一家です。

「給食は牛乳のみ? モスクには行きますか?」
「金曜日」
「金曜日 行くんですね?」

家族の要望を細かく聞き取りながら、学校の方針を伝えます。

「みんな同じような対応を希望するばかりではないので、できることは歩み寄る。できないことは『できません』と明確にするようになった」と大塚校長。

「交通事故も気を付けて行ってきてください」
「はい!」
「行ってらっしゃい!」

もっとも議論になったのが、毎週金曜日の集団礼拝です。
当初、安全上の問題から、授業中に児童がモスクへ出かけることに学校は反対しました。
しかし 話し合いの結果、集団で登下校させ、時間を細かく把握することを条件に許可しました。 保護者は、自分たちの宗教と日本での教育を両立できることに感謝していると言います。

「日本の文化を習って、日本で社会人になって、日本でも宗教のことを守ってもらって。子どもも喜んでいるし、私もすごく安心している」

戒律を守りながらも、子どもが疎外感を抱かないよう、先生たちも気を配っています。

「誰がどこまでできるかってことですよね・・・」

この日話し合ったのは、運動会について。音楽と同様、ダンスを禁じている家庭があるためです。

「和太鼓を前に置いておいて、ドドンってやるとみんなが出てくるとか・・・」
「音楽じゃなくて、 “開始の合図” ということでやるなら、もしかしたらOKかもしれないから。確認ですね!」

校庭での練習が始まりました。
太鼓で合図をだす子どもに、ナレーションで説明する子ども。
それぞれが役割を果たします。

子どもたちは「楽しかった!」「(難しかった?) 難しくない!」と、楽しそうにいいます。

公教育の場で、ムスリムの文化をどこまで尊重するのか。日々新しい課題に向き合う最前線です。 この小学校では、イスラム教の断食月・ラマダンの時期は、健康上の配慮から、体育を見学させるなどの対応もしているということです。
NHK 9月18日
http://www.nhk.or.jp/shutoken/ohayo/report/20180918.html



公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!




ムスリム移民への配慮は絶対にしてはいけない!
ムスリム移民に日本の文化・習慣に合わさせろ!



公教育の場で、ムスリムの文化をどこまで尊重するのか。
一切尊重すべきではない!
ハッキリ言わせてもらうが、群馬県伊勢崎市の公立小学校の、
EUのムスリム移民の現実を見ない実にバカな取り組みである!
目先の安っぽい「思いやり」が長期的には両国民の悲劇を生み出す!

EUでもムスリムの文化習慣をすべて認めた結果あのような結果になっている
そこで遅ればせながら各国は移民法を改定し、移住先言語の習得、公共の場での
宗教儀式に禁止、公立学校でのブルカの禁止・・・などを法整備したが後の祭りだ。

移民の宗教的習慣に配慮をするなら、今後ヒンドゥー教やジャイナ教、
或は東南アジアの小乗仏教系、コプト教とかキリスト教系のカルト・・・
これらすべての宗教的習慣を受け入れなければ差別になるだろう。

そればかりではない、日本にある特殊な習慣をもつカルト宗教に対しても、
同じように彼らの習慣や流儀を尊重しないと宗教差別になるのである。
それが多文化共生だが、その混乱も覚悟し対策を考えてやっているか?


公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

             パリの街中で礼拝するムスリム
          これで交通・運輸・観光がすべてストップする。
          しかしパリ警察はどうすることもできないのだ。




大塚弘之校長は「多様な国籍・文化が混ざり合っている学校。
 少しずつ融合して、互いに過ごしやすい学校であるといい」といいます。

バカ抜かせ!

ムスリムはどこに行っても融合しないのはEUを見れば明らかだ。
今は少数派だからおとなしくしているだけだ、数が増えれば要求はもっと増える!
EUのムスリムみたいに、いずれ民主主義廃止、皇室廃止まで出てくるだろう。

多様な文化が共存することはよいと思うが、それは移民も日本人も
互いに互いの文化を尊重し譲り合う態度が前提であり不可欠だ。
これも民主主義の基本である「妥協」の精神が必要である。

これは・・・

お互い様精神であると同時に、
外交的には相互主義という概念だ。


実際にこの学校でやってることは・・・

学校側がムスリムの宗教習慣を一方的に受け入れて、
ムスリムは一方的に恩恵を享受しているだけじゃないか!



公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

      その内キリスト教徒からはクリスマスとイースターは休日にしろ、
      コーランには民主主義や天皇などかいていないから廃止しろ!
      必ずそういうムスリムが出てくるしEUにはすでに存在する。

 

これのどこがお互い様で相互主義なのだろうか?
じゃあ日本人の特殊な宗教に所属する生徒が一定数いたとして、
その教団の習慣を認めろといえば、ムスリムと同じように認めてやるのか?

違うだろ!

学校という「公共性」を学ぶ社会の小集団における集団学習とは、
自分の持つ「特殊性」を控えて、或は我慢して、集団に合わせる事も、
これもまた重要な社会性を学ぶ学習ではないだろうか?

だからムスリムも給食に豚肉が出れば食べなきゃいいし、
その日だけ弁当持参でもいいだろう。あくまで公立学校では、
日本の流儀を通せばいいのだ。それが不満なら日本に来なきゃいいだけだ。

他人様の家に厄介になるときは他人様の家のしきたりに、
余所者が合わせるのが流儀であり、少なくともこれが世界の常識である。
本来はムスリムが日本の文化習慣に合わせるべきではないのか?


公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

     そりゃ楽しいだろ、自分たちの要求を受け入れてくれるからな・・・


   「郷に入っては郷に従え」

ムスリムとシナ朝鮮人にはそれがない。

どこへ行っても自分たちの流儀や価値観を変えず、
移民先で迷惑かけ放題かけても、信仰を理由に変えようとしない。
少数派の時はおとなしいが集団になればガラッと変わるのだ。


逆に我が日本人は自国にいながら他国の習慣にへこへこ媚びへつらって、
これが「おもてなし」の精神だとか、日本人らしい「おもいやり」だとか抜かしている。
これがいかに間違った外交結果を産んだのかは対中韓朝外交で分かるはずだ

日本国の外交は5流以下の幼稚園児並みの低さである。


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           大量移民を受け入れて日本は崩壊する・・・


まず基本は相互主義だ。

 移民を出している国が日本人の移住者へ、
 文化的配慮をしてくれているのか?


インドネシアの日本人の通う現地人学校が豚肉の給食出してくれてるのか?
日本人生徒のために仏像(偶像)を置いた礼拝所や神社を作ってくれるのか?
まあこれは作らなくてもいいけどね・・・

それを実施していない国からの移民にそこまで配慮するのは、
思いやりとか配慮ではなく卑屈な奴隷根性そのものである。
日本文化とムスリム文化とは相いれないし共存できないのだ。
ムスリムが暮らしやすい環境は日本人には暮らしにくいのだ。

 なぜ日本人だけがいつも余所者に妥協して、
 余所者に合わせなければならないのだ?


 日本の先生たちは相互主義という言葉を知らないのか?


公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!



ムスリムも少数派の間は従順だが、数を増すにつれてその要求は拡大する。
そのうち学校全体にイスラムの習慣を求めるようになってくるだろう。
そしてそれに従わないと放火や暴力などテロに発展するかもしれない。

途上国からの移民は異文化への順応性は極めて低い。
特に日本は先進国の中でもかなり変わった異文化の国である。
日本は文明・文化のガラパゴス国家だから適応は難しいと思う。

現実にEUのムスリム移民も原理主義者や過激派は少数ではあろうが、
他所様の国に住まわせてもらっているくせに教義に合わないからと言って、
民主主義を否定したり、その国の文化や制度に文句やケチをつける連中が
実際にいる
のだ。しかしこういう連中も良しとして受け入れてきたのがEUだ。

日本では在日朝鮮半島系がこれである。
何世代も日本に暮らしながら日本国籍を取らず(取ってほしくないが)、
日本国民面して日本名を名乗り、日本国民と同じ権利をよこせというのである。

<参考>
イスラームとの共生はなぜ難しいのか
https://www.teikokushoin.co.jp/journals/bookmarker/pdf/200709/bookmarker200709-38-39.pdf

公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

「自分は変わるつもりは無い。お前らが自分に合わせて社会の仕組みを変えろ」
https://snjpn.net/archives/69277

<参考記事>
「地方参政権獲得運動」再構築…中央人権委が第2回会議 
民団新聞 09/29
http://www.mindan.org/news_view.php?number=333

     
公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!


公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

        日本でも不法移民の子孫がこんな要求をしている


ムスリムの児童には、宗教上のさまざまな制約があります。
 例えば、音楽の時間。イスラム教では、人を興奮させる歌や楽器の演奏が
 禁じられているとして、授業を受けられない児童もいます。そこで、
 別の教室で自習させることにしました。また、図工の時間も配慮が必要です。
 偶像崇拝が禁じられているため、自画像の代わりに、自分の手を描かせることに。

バッカばかしい・・・
そんなもの知ったことか!


ま、文化というものはそういうものだろうが、こんなもの許容してはいけない。
「人を興奮させる歌や楽器の演奏」ってなあ、音楽ってのはそういうものだろ。
勿論静かなBGM系もあるにはあるが、音楽聞いて感動することが悪いことか?

しかしイスラム教の教えではそうなのだろう。
音楽を聴いて落ち込んだ気持ちを高揚させることも悪なのだ。
こんな宗教とは日本人が共存できるわけないじゃないか。

さらに・・・

自画像が偶像崇拝?

公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!



ここまでくるとバカも極まれれりだ(笑)
もうね、腹も立たないし笑うしかないわwww
こういう訳わからん理不尽なのが宗教なのである。

私も昔自画像描いたが別に自分を崇拝した覚えはないし、
誰でもそういう発想で自画像など描かないだろ普通・・・
だから宗教文化など受け入れてはならないのである。

イスラム教は基本的に時代の流れに洗われずにきた宗教のようだ。
その教えも実に幼稚で前近代的だし、特に人権思想は皆無に等しい。
だからイスラム教国家はほとんどが近代化に乗り遅れた途上国なのである。

イスラム教徒と日本文化は共存できない!

公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!


公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!





何度も繰り返すが・・・

ムスリム移民も少数派の間は日本の配慮に感謝し、
日本の生活に適応し満足しているかにふるまうが、
移民数が増加すればその要求は間違いなく拡大していく!


それが現在のEUの移民政策に見る大失態である!
行政はおもてなしも思いやりも相手を見てからやれ!
低民度の途上国人はいくらでも付け上がってくるぞ!



公的機関はムスリム移民への宗教的配慮はしてはいけない!

        受入国の国旗を焼き気勢をあげるイスラム移民
        日本も他人事ではなくなるんだぞ・・・


そして・・・

 移民政策も外交も日本人は、
 相互主義を実施すべきである!


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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(9)移民問題
この記事へのコメント
残念ながら、マレビト社会の日本では、日本が外から来たものに合わせるのも、日本人が外に出たときに相手に合わせるのも、当然という感覚があるのかもしれません。
これが、キリスト教文化圏やシナなどでは、正反対であり、ちょうど彼らは凸文化、我々は凹文化として、凸と凹がうまく組み合わさって、日本は歴史的に発展してきたのかもしれません。
しかしそれも限界で、四方を海に囲まれ、いままでは、外人が住みずらい社会で、危険なマレビトを跳ね返し、彼らから都合のいい部分だけを仕入れてきたのに、安部さんの推奨する移民やグローバリズムとやらで、マレビトが乱入し、日本の凹文化が、その弱点をさらけ出そうとしています。
外国人と同居すれば、凹文化というものは滅ぼされるのは必定でしょう。朝鮮人ごときにいいようにされているのですから、イスラムのような狂信者の集団を迎え入れれば、日本の伝統はボコボコにされ、修復不能に陥る可能性さえあります。それがユダヤ人の望みなのかもしれませんが。
とにかくガラパゴスに危険な外来種が、国際金融資本と共産主義者にそそのかされた総理と日本政府の政策によって、どんどん送り込まれているのです。こんな調子では、いずれ、もうどないもなりません、という状況がおとずれてしまうかもしれません。
Posted by 丑寅の金さん at 2018年09月27日 00:51
因みにキリスト教文化圏の大元の欧州は、凸文化を止めた(何かの力によって止めさせられた)のでしょうか。かつての植民政策で異人種を滅ぼして大陸を乗っ取っていった彼らが、自ら危険な外来種を招き入れ、文字通り、哀れな原住民になっているのですから。
多民族国家は、自分達の移民によって自民族国家の外に作るべきもので、自国内に移民を受け入れてできるのは、外来種による植民地なのでしょう。
Posted by 丑寅の金さん at 2018年09月27日 01:06
>イスラムの習慣・文化を尊重

「一夫多妻」戦乱続きで寡婦が多かったから、それへの救済策。

「豚肉は食べない」寄生虫に対する危惧と、人糞を食する不潔感で忌避。
今の日本では生で食べる文化はないし、イスラムの当時よりは、はるかに
清潔。

「偶像崇拝の禁止」どんな宗教でも寛容に受け入れる日本には馴染まない
風習。当時のイスラムでは「宗教が異なればその場で殺し合いになった」
その大きな理由は、不毛の荒地が大半で、限られた水場と耕地の争奪戦
常時あった。
(現今のパレスチナのような風土と、そこに住む住民の気風を見れば
想像がつく。)

そこで共通の価値観を持つ自分らだけの結束を図るため、
「誰にでも判りやすい」決まりことを設ける必要があったということ。
その「誰にでも判りやすい」は同地で、遥か紀元前から有ったユダヤ教の
教義を借用(パクった)もの。

ともかく。「いつ頃に、誰が興したか」がハッキリ判る宗教(仏教・耶蘇教・
イスラム教」は、人間が思い付いて作ったものに過ぎないのです。
Posted by 猫宮とらお at 2018年09月27日 08:46
トラネコさんが以前、仰っしゃつてた様に宗教、信仰とは各々の心の中に宿るもの。 あくまで個人的なもの、誰にとやかく指図を受けるものではないですね。 だからこそ、自分の信じる宗教も他人に押し付けるものでもないですよね。 そこの所が一神教の信仰は日本の八百万の神の日本の信仰、代々人々の心に無意識的にしろ意識的にしろ染み付いてる日本人には受け入れ難いですね。
宗教が原因で殺し合うなんて悲しい。 それこそ今流行りの生きずらさぁ〜ですね。
Posted by うさこ at 2018年09月27日 11:48
丑寅の金さん様
同意です。
仰る通り、日本人は日本語同様、様々な地域の様々な民族の寄り合い所帯から、人種的混交を繰り返し単一化した世界的には特殊な民族ですね。そういう民族形成の歴史がマレビト信仰を生み出し、沖縄でもまったく同じ豊来神の信仰があります。しかし何千年も昔は航海技術もないので大量の移民は来日できなかったこともあり、心身ともに強健なサバイバー或は目的意識を持った優秀な知恵者だけが来て定住したと考えられるでしょう。こういう優秀な種だけで混交してハイブリットな民族が出来たたいいですが、ゴミカスみたいなのが大量に来れば、日本人の質は一気に低下するでしょう。その証拠が日韓併合以降、戦後の日本です。こういう愚行は御免ですな・・・・

EUの凸文化終焉は第二次大戦の疲弊と植民地を失ったことに加え、過去500年間の悪行の反動、まさに因果応報だと個人的には解釈しています。



猫宮とらお様
同意です。
まず一神教は自然の厳しい砂漠の宗教、それに対し仏教や神道など多神教は自然が人に優しい風土の宗教です。こういうまったく異なる風土で育った思想や宗教が共存しあい理解しあえるなどとは全く思えませんね。とにかくEUでみるような社会破壊をも平然と行う宗教民族にはお断わりしたいです。日本はムスリムに暮らしにくい国だという宣伝が欲しいですね。



うさこ様
同意です。
宗教は個人的なものです。
ただし神道の場合は共同体の維持という意味合いも強いかと思います。
だから面倒で何とでも解釈可能な教義がないのしょう。反対に仏教は個人の悟りや救済を目指しますからそういう意味で結構難解な哲学です。だから神仏習合も比較的うまく行ったのかもしれませんね。
Posted by トラネコトラネコ at 2018年09月27日 18:15
トラネコさま

補足ですが、「謙遜」「譲り合い」「話合いでの解決」などとは、
「一定の倫理観道徳観を共有する者」同士間でしか成り立たないと考えます。
これはイスラムだけの責任ではなく、むしろ西欧耶蘇教側にも問題があるの
ですが、
兎も角、彼らは余りにも「力こそが正義、道理は強い者が作るモノ」
なる世界にあまりに長く身を置き過ぎて来た訳です。
東アジアにもあります。
大陸から何度も侵攻され、興廃を繰り返してきた半島がそうです。
これ(道徳観倫理観の頽廃)を上手く誤魔化すために
「儒教(の朱子学の更に歪められたモノ)」なるものを取り入れたと考えます。
Posted by 猫宮とらお at 2018年09月27日 21:24
 「他文化強制」とはよく言ったもので、これはイスラムだけでなくキリスト教など一神教によく見られる傾向ではないでしょうか。
 他者に寛容さを求める者ほど自分達は他者に対して非寛容と言う性癖はパヨクにもよく見られますが、共産主義と言うカルト教に染まったが故の末路ですよね。
Posted by KOBA at 2018年09月28日 04:28
猫宮とらお様
同意です。
そうですね、文明が生まれたその時代背景と風土は非常に大きいですね。
日本はあまりにも平和な環境だった故に人を信じやすいという欠点があります。もちろん国内的にはそれでいいのですが、対外的には「人をみたら泥棒と思え」的な発想は必要かもしれません。しかし外務省はまだそれがわからないのですね・・・



KOBA様
「他文化強制」とは言いえて妙です!
仰る通り一神教のドグマ宗教の特徴ですね。そしてシナ朝鮮と売国サヨクの特徴ですが、そう考えると日本人って世界でも孤独な人種なんですね・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2018年09月28日 13:05
(`・ω・´)b
Posted by   at 2018年11月26日 00:05
 
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