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琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

2015年01月10日

米軍、1943年に普天間飛行場検討 沖縄戦の1年半前
【ワシントン=島袋良太本紙特派員】沖縄戦が始まる1年半前の1943年10月の段階で、米軍が沖縄本島を占領した上で、現在の嘉手納基地、普天間飛行場、那覇空港と同じか極めて近い場所に滑走路建設を検討していたことが、米機密文書で分かった。

一方、44年7月の別の機密文書によると、滑走路建設を計画していた中南部が人口密集地であることを把握していた。基地被害に関して「基地建設後に住民が周辺に住み着いた」との米国関係者らの主張にも一石を投じそうだ。さらに戦争中の民間地奪取を禁じたハーグ陸戦条約を無視して滑走路建設が検討された可能性を示す文書もある。
<中略>
本島中南部が人口密集地だと言及していたのは、当時最高機密扱いだった文書「琉球諸島の制圧計画」(44年7月18日付)。沖縄島の状況説明で「人口の大部分は島の南半分の市や町、農村に集中している」と分析している。

一方、別の米機密文書「琉球諸島の制圧」(43年11月18日付)は、米海軍地理事務所の分析として、望ましい建設候補地を(1)豊見城市嘉数(2)同市伊良波(3)宜野湾市志真志-の土地を座標で示して列挙。いずれも現在の那覇空港と普天間飛行場から数キロの地点となっている。同文書はこの3地点は「サトウキビ畑」とも記しており、ハーグ陸戦条約を無視して滑走路建設が検討された可能性が高い。「那覇には大きな航空基地もある」と、日本軍の小禄飛行場(現那覇空港)の位置も示した。
<後略>

<用語>沖縄戦と基地建設
沖縄戦については、今回の滑走路建設計画を示した文書作成から約1年後の1944年10月3日に、米統合参謀本部が沖縄侵攻を正式に決定した。45年1月6日にはそれを具体化した「アイスバーグ作戦」がまとまった。実際の普天間飛行場は、45年4月の米軍上陸後に建設された。当初は43年10月の計画より短い7900フィート(約2400メートル)の滑走路で、53年に9千フィート(約2700メートル)に拡張された。嘉手納基地は日本軍の中飛行場、那覇空港は日本軍の小禄飛行場をそれぞれ米軍が拡張した。
琉球新報 2015年1月4日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-236795-storytopic-3.html




この記事は巧妙な言葉のトリックがあるのがお分かりだろうか。
普天間基地移設問題に必ず取りざたされていることの一つが、
「住宅・人口密集地に基地がある」というお馴染みのフレーズだ。

これが大嘘なのは周知の通りだ。
元々普天間周辺は田畑が主であって人口密集地ではなかった。
戦後基地が建設されて以降、住宅も増えて人口密集地になったのだ。

この記事は米軍の機密文書「琉球諸島の制圧」の記述から、
「沖縄中南部は人口密集地」だったという記述を引用して、あたかも、
普天間基地周辺も人口密集地だったかの誤解を読者に誘導する記事である。


普天間基地周辺は戦前から住宅密集地だったかどうか、
当時の航空写真を見てみたら・・・


琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

           1945年の終戦当時の普天間基地にあたる地域
          沖縄戦の最中に基地建設が始まっていることがわかる。
          元々普天間は田畑が多い土地で住宅地ではなかった。



琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

              1970年当時の普天間基地周辺
          基地周辺には住宅が増えているが、まだ田畑も多くしめている。
          黒塗りされているのは冷戦時代は基地が軍事機密だったから。


琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

               2005年の普天間基地周辺
           現在はしっかりと住宅密集地になっていることがわかる。


これのいったいどこが・・・

基地被害に関して「基地建設後に住民が周辺に住み着いた」
 との米国関係者らの主張にも一石を投じそうだ。

                                  ・・・なのだ?

琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?





ただし、読者の方からのご指摘を受けたので追記しておくが・・・

米軍偵察機の航空写真では、確かに戦前の普天間基地地域は住宅密集地であった。

しかしこれは戦後の基地建設と住宅密集地との関係の整合性は問えない。
何故ならば、普天間は沖縄戦で嘉数の激戦地になり灰塵と化したからである。
だから反対派が言うように密集地に基地ができた、というのは詭弁であることがわかる。

戦後の米軍の接収、一時的には野嵩集落に難民収容所になりで最大時3千人もいた。
そこに普天間基地建設が始まったのが1958年だから戦後13年後である。

また確かにここは農耕地ではなかったのだが、基地建設が始まる前に、
普天間の土地は米軍の食料用に地元の人間が農耕地に利用していた
その後基地周辺にその経済効果を求めて徐々に人口も増えてきたのである。

つまり、普天間基地は住宅密集地を排除してできたのではなく、
激戦の後の廃墟地を米軍が接収して基地建設をしたという方が正確だ。
またこの経緯にかんしては以下のようなレポートもあるので追記しておく。
  ↓
普天間住民 土地代を受け取りながら、堂々と耕作
〈沖縄県民も知らない「普天間基地」〉 恵隆之介

アメーバニュース 週刊新潮 2016年1月20日
https://news.ameba.jp/entry/20160120-125


琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?


http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-cb17.html


本島中南部が人口密集地だ
沖縄島の状況説明で「人口の大部分は島の南半分の市や町、
 農村に集中している」と分析している。

確かに・・・
沖縄中南部は歴史的にも中山、南山が覇権を競った土地であり、
かつての首里王府があり、廃藩置県後は沖縄県庁が設置されて、
今も昔も人口は多かった地域であるのは事実だ。

しかし米軍機密文書「琉球諸島の制圧」には・・・

普天間基地周辺が人口密集地だった、
・・・とはどこにも書いていないですね?


さらに現在の中南部のような人口密集地のような印象は間違っている。

1950年度の国勢調査でも沖縄県は離島も含めて70万人弱である。
戦没者と復員者の数を計算に入れても現在140万人の半分程度である。
さらに近年は地方の過疎化、都市部の密集地化が進んでおり、
戦前の人口密集地とはかなり印象が異なることも念頭にいれるべきだ。

つまり・・・

人口密集地というと現在の中南部を連想しやすい
ことも、この記事の県民の基地反対の世論誘導を狙ったものであろう。
こういう悪質な印象操作が売国マスゴミの常套手段だ。
これは世論調査やアンケート調査にも同じ傾向がある。


琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?



どこでもそうだが、基地に限らず大きな公共施設ができれば、
経済効果を求めて人が集まり、町ができるのは普通のことだ。
これは経済学のド素人の私でも理解できる。

このことは過疎地に工場とかアミューズメント施設、大学などができれば
雇用や消費を拡大させることからも、同じことが言えるだろう。
そういえば、大学といえば・・・

2004年にヘリコプターが墜落した沖縄国際大学などは、
普天間基地できたずっと後の1972年に基地の隣に創設されたが、
普天間の飛行機騒音やら何やらで基地周辺対策費が適用され、
電気代や防音サッシなどが殆どタダ、国民の税金で払われている。

だから沖縄国際大学が基地の被害云々・・・という資格はないのだ。
そもそも学問研究と学習の場なのに、騒音付の「世界一危険な土地」に、
なぜわざわざ大学を建設したのだろうか? 

軍用地主の年々あがる借地料と同じで、
基地対策費目当てと思われても仕方あるまい、
こんな場所に大学を建てた創始者の見識を疑う。


琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

            2004年のヘリ墜落事故で損害補填のために
          1億4000万もの被害弁済金を沖国大は受け取った。
          この写真はその金額に相当する被害だというが、
          基地の傍ならこういう事故も想定されていたはずだが・・・



沖縄国際大学に限らず、普天間基地に落ちる金や優遇措置で、
これが生活の糧だったり、基地のお陰で生活できる住民は少なくない。
彼らの基地反対は疑ってかかる必要があるのだ。

そして・・・

反基地運動をするマスゴミの報道も、
常に疑いの目で読まなければならない。


朝日・毎日新聞に限らず、北は北海道新聞から中央の東京新聞、神奈川新聞、
中部の信濃毎日、中京新聞、関西の京都新聞に神戸新聞、広島の中国新聞に、
九州沖縄の西日本新聞や沖縄タイムス・琉球新報までみ~んなこんな調子だwww

 マスゴミは必ずしも事実を報道しない!



琉球新報の印象操作・戦前も普天間基地周辺は住宅密集地?

         新聞報道には印象操作や世論誘導があると知っておこう。





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Posted by トラネコ at 14:00│Comments(22)沖縄
この記事へのコメント
 >滑走路建設を検討していたことが

 流石発狂新聞、計画のみに終わった物事を妄想願望で実際あった事に脳内変換したようですね(冷笑)。
Posted by KOBA at 2015年01月10日 14:17
KOBA様
でもねえ、この程度の誘導記事でもだまされる人は騙されるんですよね・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2015年01月10日 14:31
反基地運動の実態は、報道機関も含めて、あたかも被害が出ているように装っている、つまり嘘を付いているということですね。 実際には、基地周辺では、みんなが補助金(税金)にたかっており、補償金目当てで出て行かない(逆に、意図的に基地周辺に集まってきた)ということでしょう。

ただし、日本の政治風土における行政に対するタカリ体質は根が深いものがあり、沖縄の問題は氷山の一角に過ぎません。 例えば、日本経済の55%(GDP500兆円のうちの280兆円)が官製経済であるという指摘もあります。

多額の予算や補助金には利権がつきものであり、それで旨い汁を吸っている官僚・政治家が多く存在し、かつて、280兆円の国の特別会計を正そうとした政治家が殺されたと疑われる事件も発生しています。
Posted by Black Joker at 2015年01月10日 19:29
これは昨年のエントリ「政府は沖縄にカネをバラ撒いてはいけない!」とも関わってくると思います。
沖縄に住んでいる人たち・機関・団体らは「基地反対、米軍は沖縄から出ていけ」と訴えていますが、その一方で基地周辺対策費などでその恩恵を受けています。
前にも書かせていただいたこととも関わりますが、生活保護で国に食わせてもらっていながら、減額されると「生存権の侵害だ」と訴える輩と似ていますね。
他人様の世話になっていながら、それに感謝することもなく謙虚な姿勢になることもなく、むしろゴネてくる。そういう生活保護受給者と沖縄の現状は重なると思います。
まさにこれも「劣化ジャパン」の一面を見るような気がします。

またマスコミもこのような沖縄の実態を報じることなく、沖縄がアメリカに蹂躙されている「可哀想な被害者」のように報じる。
さらに昨日、自宅の居間に点いていたテレビを強制的に見せられたところ、NHKの論説委員が「自衛隊が際限なく拡大し、海外派兵がなし崩しに進んでいる、安倍内閣は国民の意向を無視して憲法解釈を変更し集団的自衛権行使に必要な法改正を強行しようとしている」としかめ面でもっともらしく「論評」していました。
これらの報道により「日本には平和憲法があるのに、軍拡に進んでいる、“立憲主義”がないがしろにされている」とダマくらかされる国民のなんと多いことか。昨日のエントリ「劣化ジャパン第三弾、儲かる話に飛びつくバカ」にも繋がると思います。
Posted by 成田あいる at 2015年01月10日 21:54
Black Joker様
まったく仰るとおりです。
沖縄の基地反対はほぼ利権がらみなのは何度も述べてきたとおりです。
また政府の公共事業はODAも含めてかなり無駄な税金を使っています。私はODAにも若干関ってきましたので、この杜撰さを実感しています。ご提示のGDPの過半数が官製経済というのも、ある意味日本が「世界で最も成功した社会主義国家」という皮肉にもにた事実なのかも知れません。ただ公共事業に関しては、その時々の景気の浮沈に応じて実施することは経済刺激や雇用促進に役立ちそうですが、これに依存させる経済体質はいけませんね。



成田あいる様
同意です。
沖縄の基地経済は完全に生活保護県みたいな自立心を欠くものです。
ご指摘のように沖縄政界やマスゴミが基地の過重負担や弊害をあえてデッチ上げて、補助員寄こせ運動をやってきたことと同時に、政府はそれに応じてきたことが利権体質を作り出してきたのです。

県予算の8割前後を国税に依存する体質は、基地でゴネれば金が貰える、歴史問題でゴネれば金がおちがいこうてきn妥協が得られる、対シナ朝鮮外交と同じです。これも自民党歴代政権のバラマキ体質と、臭いものに蓋式政治がもたらした結果なのだと私は思っています。

すべて劣化ジャパンにも繋がるのはご指摘の通りです。
Posted by トラネコトラネコ at 2015年01月11日 01:33
トラネコさま
皆さんのおっしゃることに心から同意します。
今回の知事選、普天間飛行場がなくなれば利権が失われるかもしれない普天間移住の住民とサヨクプロパガンダに汚染された名護市が連携して、沖縄2紙の強烈なキャンペーンで世論誘導した結果でしょう。
今の基地依存経済と、沖縄復興予算での沖縄を考えると、仮に米軍基地を0にして、沖縄復興予算を廃止したとしたら沖縄の左翼政治屋はどのように沖縄経済を支えていくつもりでしょう。 50%を超える生活保護世帯の県が誕生することとなります。 権利や報道の自由の裏には必ず義務と責任があることを沖縄人mのみならず政治屋はもっと自覚するべきです。
トラネコさんの劣化ジャパンの記事を彼らはきっと他人事と考えているのでしょうね。 悲しい怒りを覚えます。
Posted by kashihara at 2015年01月27日 15:17
kashihara様
だから政府対沖縄ばら撒き経済体質をやめるべきです。政府の沖縄政策は南朝鮮とまったく同じごね得体質を作った罪深いものです。復帰後10兆円を投入しても経済的自立はできないのですから、余計な金をばら撒かないことです。
Posted by トラネコトラネコ at 2015年01月28日 00:05
1945年の航空写真だが、田畑すら無いじゃないか。
本当は住宅密集地だったのに、米軍の火炎放射等で
村ごと消滅し、焼け野原になった写真なんじゃないの、これ。

特に、写真の左上や左下には、明らかに集落跡がある。
それなりの住宅密集地らしいな。
Posted by おいおい at 2015年06月28日 18:34
横田基地でも同じ議論して下さい
Posted by おいおい at 2015年09月11日 10:00
住宅密集地でなければ、土地を搾取してもよいのでしょうか?そこに少ないながらも集落はあるのに。
基地の近くに大学や住居を建てた方々を非難していますが、狭い沖縄でどこに住居に適した平坦な土地を求めろというのでしょうか?
米軍基地を本土で引き取ってもらえないでしょうか。住居の少ない土地を国が買収して国有地にして。そうすれば、普天間と同じような経過をたどり、普天間の苦悩がよくわかるようになると思います。
でもそれは当然反対しますよね。自分たちさえ安全なら沖縄を犠牲にしても無関心な国民がほとんどですから。それを無関心の暴力といいます。
県外への基地移設を主張するようになった背景には、跡地利用による経済発展の目途と自信がつき、基地に頼らない将来がみえるようになったことがあげられます。
Posted by 卑怯日本国民 at 2015年09月16日 11:34
卑怯日本国民様
>住宅密集地でなければ、土地を搾取してもよいのでしょうか?
では伺います。
なぜアメリが軍が沖縄だけでなく日本各地にいるのですか?
その土地にも住宅はあったはずです。ましてや広大な領土がなぜ失われたのでしょうか? 日本は戦争に負けたのですよ。話はそこから認識しないといけません。

>米軍基地を本土で引き取ってもらえないでしょうか。
本土にも米軍基地は点在していますが?
またあなたは地政学をご存じですか? そこになぜ沖縄に基地が集中しているかも理解できるでしょう。もっともそれだけも知性があればですが。またヘイワな琉球に薩摩の侵略ができたのは何故だと思います? 安全保障の原点はなんだと思います?

>自分たちさえ安全なら沖縄を犠牲にしても無関心な国民がほとんどですから。
 それを無関心の暴力といいます。
ほう、ではまた伺います。
あなたは冷戦時代に北海道釧路や、根室の漁民がソ連の沿岸警備隊に拿捕されたり、漁網を切られたりした被害をご自分のことにように心配し、関心をもって北方領土の問題を考えたことがありましたか? 同じことは島根県の漁民にも言えますが、いかがですか? 他人事ではなく関心をお持ちでしたか? さらに北朝鮮に拉致された日本人同朋に対し、あなたはどのような関心と行動がありましたか? あなたには「無関心の暴力」と、他人を批判できる立派な資格がおありなんですか?
Posted by トラネコトラネコ at 2015年09月16日 12:46
トラネコ様
『卑怯日本国民』は口が過ぎました。『下級民族』へ訂正して私見を述べさせて頂きます。

>なぜアメリが軍が沖縄だけでなく日本各地にいるのですか?
>本土にも米軍基地は点在していますが?
戦争に負けたのは沖縄ではなく、(沖縄含む)日本が負けたのです。日本全国での基地負担を要望しているのです。しかし安保賛成が大多数をしめる本土に基地負担が少なく、逆に安保反対が多い沖縄に負担が偏重しているというのが不満の根本です(日本の面積の0.6%の沖縄に米軍専用施設の74%)。他県への基地負担依頼をこれまで公言しなかったのは、『自県の負担を他県におしつけるようなことはしたくない』という沖縄県民の優しさからです。しかし、他県を思いやっても、他県は沖縄を軽視するのだということにようやく気づき始めました(今頃気づくとはまったく愚かです)。
本土にも米軍基地はあり、かつては沖縄よりも本土の方が多かったのですが、それが反対運動により沖縄へ移設された歴史はご存じと思います(岐阜キャンプ・北富士演習場→キャンプ・シュワブなど)。なぜ沖縄への移設が可能であったか?その理由はいくつかあります。ひとつは占領されてアメリカの統治下にあったということです。もうひとつは、もともと琉球王国であり日本でないという歴史的経緯からの民族差別的理由です。さらに本土での反対運動は困る、首都から離れた場所でならもし暴動がおこっても都市機能に影響はない、との政治的判断もあります。
抑止力としての日本の国防に関する地理的問題はないと考えます。普天間基地は空軍、陸軍、海軍いずれでもなく海兵隊(第36海兵航空軍)です(NavyでなくMarineです)。有事の際真っ先に乗り込む部隊です。その数千人の移動手段である、米揚陸艦4隻を有する第31海兵遠征隊は佐世保にあります。移送手段を書いた兵力は無駄だと米軍内部でもたびたび議論があり、米政府から日本政府に対してグアムへの兵力の引き上げも打診されたようですが、抑止力を理由に拒否したのは日本政府です。さらに、海兵隊が日本防衛兵力ではないことはカールーチ元国防次官が1982年に米議会で証言しています。朝鮮半島や中東などへの出動を想定したものです。海兵隊は日本の防衛のための抑止力にはならないと考えています。武器をもたない琉球が薩摩に侵略されたのは、交流のあった中国王朝との安全保障条約が締結されていなかったからだとお考えのようですが(違っていればすみません)、日米安保があれば米国が本気で日本を守ると考えているのでしょうか。米国が日本のために、日本とほぼ同額の米国債を持ち、最大の貿易相手国である中国と争うと考えているのでしょうか。いざとなれば、国益が優先されると思います。実際、2010年9月、尖閣諸島で中国船が海上保安庁の巡視船に衝突させたときも、米軍は傍観していました。クリントン政権時代の1996年よりこれまでずっと、『尖閣は日米安保第5条の適用範囲』と明言しているにもかかわらず、です。漁船でなく中国海軍であっても同じ結果だと思います。
Posted by 下級民族 at 2015年09月17日 18:33
下級民族様
私のブログには批判も反論も真面目なものなら大いに歓迎します。
自分が常に正しいなどとは思っておりませんし、他の読者様からも誤りの指摘や、ご批判も頂いています。それと「エタ・ヒニンのごとき下級民族」という表現はお止めになった方がよいかと・・・

>戦争に負けたのは沖縄ではなく、(沖縄含む)日本が負けたのです。
その通りです。
だからアメリカがどこの土地を使おうが文句は言えないのです。北海道には広大な空き地がありますから、そちらに基地を移してもいいはずです。九州熊本の阿蘇界隈でもいいですしね。日本全国で基地負担すべきなのもそうですが、基地を置くのはアメリカですからアメリカが戦略的都合上、嫌だといえばそれまでです。

>なぜ沖縄への移設が可能であったか?その理由はいくつかあります・・・
>抑止力としての日本の国防に関する地理的問題はないと考えます
これは違うと思います。
本土で基地反対したから米軍がはいそうですか、と移動したりはしません。ではなぜ沖縄から出て行かないのでしょうか?それが地政学の問題です。沖縄の位置はシナの太平洋進出には障害になる列島線に位置しています。だからシナは沖縄が欲しくて仕方がないのです。もちろん東シナ海の海底油田、ガス田もありますが、第一には地政学的位置の問題が大きいのです。

かつてはベトナム戦争もあり、東南アジアの緊張が高かったこともあるでしょう。また昨今のシナの南シナ海への侵略なども、沖縄だけに大きな基地負担が強いられる要因なのだと思います。だから本土政府はその分、特措法を設けて振興資金や税制の優遇措置、農漁業関係の優遇を図ってきたのです。

しかし私も海兵隊基地で4年仕事を持ってましたから、いろいろ移設問題は聞いていますが、嘉手納以南の海兵隊基地はすべて返還予定であり、最終的には陸(トリイST)、海(Wビーチ)、空(カデナ)だけが残ります。それに3.11の津波の恐ろしさを知った米軍も辺野古移設は止めたいのです。ですから辺野古なんか基地作る必要などないのです。先日翁長知事が工事許可を取り消すことを明言しましたが、それでいいのです。政府これを口実に工事ストップし、振興資金も止めればいいのです。

基地の跡地利用ですが、あげて頂いた数字に関しては検証する術はありませんし、私は経済には暗い人間ですので具体的な意見は申し上げられませんが、それほど経済効果を生んでいるなら、なぜ沖縄の失業率は依然高いままんでしょうか。また県予算も四分の三までが国税です。自立経済にはほど遠いんのが現状ですね。かつて私は八重山の僻地の学校6校で10年教員やっていましたが、小中併設校のPC教室など諸設備の充実しているのには驚きました。これも離島振興策の一環なんだろうなとおもいました。しかしいずれ普天間も含め海兵隊基地は全面撤退しますから、今後の経済発展は見込めるということでしょうね。

世間に沖縄独立論などというバカ丸出しの幻想論が、売国新聞にも煽られていますが、それを望むならまず経済的自立が先決です。少なくとも国の補助金が半分以下になってからでも独立論は遅すぎませんよね。もっと建設的な方向で沖縄の知識人がモノを考えてほしいと思います。

ご意見有難うございました。
Posted by トラネコトラネコ at 2015年09月17日 19:20
 “沖縄の経済は米軍基地に依存していると思われがちですが、実際はそうではありません。沖縄が日本に返還された1972年の依存度は15.5%でしたが、2011年度には4.9%と大幅に低下しています。

  依存しているどころか、返還が実現したところで経済が伸びているのです。例えば、那覇市では米軍の住宅地区が全面返還され、新しく那覇新都心地区として街 づくりが行われました。その結果、返還前に168人だった従業員数が、2009年時点では17,285人と約103倍に増加しました。市町村民所得(推 計)も850億円と、返還前の基地関連収入45億円を大きく上回っています。(沖縄県HPより)

 実は沖縄経済を邪魔しているのが米軍基地なのです。”

沖縄に基地を押し付けときたい奴らが「沖縄県民は基地経済に頼らないと生活できないんだ!」という世論を作って沖縄への過度な基地負担を正当化しようとしてるけど、実際はむしろ軍用地が返還された方が沖縄の経済は発展するというのが現状
Posted by somosomo at 2016年08月08日 12:20
 >実際はむしろ軍用地が返還された方が沖縄の経済は発展するというのが現状

 ではなぜ沖縄県当局が返還を拒否してる土地があるのでしょうか?難関3000億円の国からの補助金も役に立ってる気配はないし、とっくにばれてるパヨクの屁理屈を再利用しても意味は無いですよ(爆笑)。
Posted by KOBA at 2016年08月08日 13:04
  難関→年間(苦笑)

 「基地の押し付け」を念仏のように唱える連中は、尖閣沖に群がる300隻の中国の(偽装)漁船具群を観ても何とも思わないんだろうね。
 ましてや石垣島住民の不安なんて思ってもみないだろうし。
Posted by KOBA at 2016年08月08日 13:08
somosomo様
部分的な基地返還で生じる経済効果と全体像で見た経済とは大きくかい離しています。あなたの言うように基地返還の経済発展が事実なら、なぜ今もって沖縄県の予算の7割以上は国民の税金で補てんされているのでしょうか? なぜいまだに経済的自立が見込めず、翁長知事は振興予算をおねだりしているのでしょうか? 事実は経済的自立よりも振興予算や補助金に頼る方が楽なのです。教員で軍用地主の知人は、反対運動すればするほど地代が上がるといってました。辺野古の反対運動員も内地の人が8割以上といわれています。私の実感では、基地反対運動とはすべて金、利権の獲得運動にすぎませんね。

http://ryotaroneko.ti-da.net/e7099845.html
Posted by トラネコトラネコ at 2016年08月08日 14:44
トラネコさん
普天間の航空写真を貼るなら滑走路建設前の写真も貼り付けないとだめでしょ
宜野湾市に行けば沖縄戦直前の米軍偵察機による航空写真も展示していますから

http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-cb17.html


あと、「日本本土にも米軍基地はいっぱいある」との事ですが
それは旧日本軍が建設した基地であり、戦後自衛隊が設立したあと自衛隊と米軍の「共同使用」としたのが大部分です
横田飛行場は航空自衛隊との共同使用ですし、岩国は海上自衛隊と

逆に沖縄の米軍専用施設を自衛隊が使用するケースは少ないですね
2000年米中枢同時テロ以後は自衛隊も海兵隊(相当の)部隊作るとして
沖縄の基地で訓練する話はあがってますが

あと地主うんぬんの話ですが
「反対運動すれば地代があがる」と言った人は本人は契約更新時に署名反対行動を一度でも行った人でしょうか?
そうでないなら消極的容認もしくは反対運動をする人を貶める基地容認派ではないですか?

基地容認派を利権と言わず「反対派も所詮は金目当て」と言うのは貴方の嫌う「印象操作」そのものではないでしょうか
Posted by 名護のへそ曲がり at 2017年12月18日 14:00
名護のへそ曲がり様
情報をありがとうございました。
貼って頂いたURLで戦前の宜野湾村の航空写真を見ましたら、確かに住宅地になっていたことがわかりました。この写真に関しては後日エントリに追加で貼って訂正をさせていただきます。普天間基地界隈は沖縄戦で焼け野原になったあと、米軍の基地用地接収が始まったということですね。いずれにしても現在の住宅密集地化は基地が出来てあとのことですね。

普天間基地は終戦直後日本陸軍航空隊が軍用滑走路建設の計画をしていたと言います。また沖縄戦後は米軍が野嵩集落にキャンプを作り収容の収容所を建設したそうです一時期は3000人の収容者を越えたそうです。その後基地建設は1952年からですが、米軍は土地収用にあたり土地代金を支払っていたそうです。また基地建設の始まる7年間は地主は地代を貰いながら畑も耕し野菜を販売していたろ言う事です。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年12月18日 23:14
名護のへそ曲がり様
>「反対運動すれば地代があがる」と言った人は本人は
 契約更新時に署名反対行動を一度でも行った人でしょうか?
すみません、これに関しては確認していません。
でも行ってはいないと想像します。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年12月24日 15:16
「米軍偵察機の航空写真では、確かに戦前の普天間基地地域は住宅密集地であった。」
これは米軍偵察機写真だけではなく、大正9年の日本軍の地図にも、集落が確認されています。
http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH012030

まあ、沖縄戦で島内避難と防衛召集で、住民はもぬけの殻だったでしょうけど。
Posted by 通りすがり at 2019年01月11日 23:21
通りすがり様
情報ありがとうございました。
Posted by トラネコトラネコ at 2019年01月12日 08:01
 
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