忠猫トルド

トラネコ

2013年01月09日 00:00

ネコの墓参り、亡き飼い主に毎日「お供え」 イタリア
【1月6日 AFP=時事】飼い主が亡くなって1年経つ今もほぼ毎日「供え物」を持って墓参りしているイタリアのネコが話題になっている。

このネコがいるのは、フィレンツェ(Florence)に近いイタリア中部の山あいの村、モンタニャーナ(Montagnana)。
「この子は小枝だの葉っぱだの、楊枝だのプラスチックのコップだの、本当に色んなものを持って行くんです」。夫のレンゾ・イオゼッリさんを昨年亡くしたアダさんは、夫が可愛がっていた飼いネコの「トルド」について話す。「わたしと行くときもあるし、自分だけで行っているときもあります。今では街のみんながこの子のことを知っていますよ」

トルドは白とグレーが混じった3歳の雄ネコだ。昨年レンゾさんが亡くなったときには葬儀の列についてきた。それ以来ずっと、レンゾさんの墓に通い続けている。こうした習慣は犬にはよくみられる。「夫のことを本当に好きでしたから。ものすごく。今では私と娘、それから娘の夫だけになってしまいましたが、わたしたちのことも、とても慕ってくれています」

アダさんによれば冬の寒さの中も毎日、墓との行き帰りを続けたせいで、トルドは少し弱ってしまったという。「最近はあまり外に出かけません。気管支炎っぽいようで、今はわたしの横で寝ています」



         道端に1匹でたたずむネコAFP=時事(AFPBB News)
時事/AFPBB News
MSNトピックス 2013年1月6日 11:29
http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=1602312



私も昔猫を飼っていた。
俗に言うキジトラ猫である。
このブログのタイトルもそこに由来する。

犬は猫に比べ感情表現が豊かで人間とのコミュニケーションも円滑である。
人間の言葉もかなり理解できるというし、教えれば芸もできる。
だからか犬のほうが猫よりもペットにしている人が多い。

一般に猫は犬のように、人間の言葉を理解したり、
芸を仕込んだりできないといわれるが、それは間違いである。
元々犬も猫も祖先は同じだから、その進化の過程が違うだけだ。

猫の知能は犬とほぼ同等だというし、教えれば『芸』もできる。
たとえば私の猫は『お座り』、『お手』、『待て』、『散歩行こう』など、
いくつかの言葉も理解できたし、その行為も覚えた。



                     『お手』をする我が家の猫

私の親馬鹿ならぬ、飼い主馬鹿かも知れないが、
あの猫はかなり賢い猫だったと思っている。
猫も訓練しだいでかなりいろんなことも覚えるのだ。

『ブラジル刑務所の「運び屋」ネコ、看守に見つかり御用』
http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1602546

また飼った経験のある人はおわかりだと思うが、
猫も人間の感情を読み取ったり、こちらの状況を推察する能力がある。
この能力も犬より劣るという人もいるだろうが、私はそうは思わない。
その表現方法が、犬より人間に伝わりにくいだけではないかと思う。


私の飼っていた猫は『捨て猫』で、拾った知人が飼わないかと持ってきたものだ。
子猫でやってきたのですぐになついた。私は仕事があるので母が面倒を見た。
そのせいか母を本当の母親だと思っていたようである。

初めは目ヤニが酷く、ノミだらけで顔もあまり可愛いとはいえない猫だった。
毎日ノミ取りブラシで毛づくろいして、月に一度は猫シャンプーしてやった。
元気なだけが取り得の猫だった。

オス猫だが、オス猫にはテリトリーを獲得していく本能があるらしく、
当事農村に住んでいたので、放し飼いしていたら毎日猫同士の喧嘩三昧だった。

小柄ながら非常に勝気で、大型の猫や犬にまで向かっていく猛者であった。
体が小さいので体力差があり、血だらけでボロボロに負けて帰ってきても、
数日休養後にはまた『敵』に立ち向かっていった。

この気性の激しさから大怪我のため、何回も病院に連れて行った。
猫には健康保険が利かないので出費が痛かった。
結局相手の猫は根負けしてテリトリーを譲ってしまうようだった。

こうして縄張りを広げていき、うちの周辺にはほとんど野良猫がいなくなった。
うちの猫の縄張り範囲はかなりの広がりがあったのを覚えている。

しかしこの猫にも不思議なことがあった。

私の母が他界し四十九日を迎える一週間前、42日目に猫はいなくなった。
元々ほとんど家にいない猫だが、日に何度かは餌を食べに戻ってきた。
しかしその日以降戻ってこなかったのだった。

私も不安に思い近所を探しまわったがついに見つからなかった。
車に轢かれたか、別の猫や犬と争って殺されたか、見当はつかなかった。
後に考えたことは、母を後を追って行ったのではないかと言う事だ。





目つきも鋭く、お世辞にも『可愛い』という形容詞は付けられないが、
私にとっては家族の一人であり、いろんなことを学ばせてもらった。
きっと天国で母とのんびり暮らしているのだろう・・・。


このイタリアの猫の記事を読んで、
ふと、こんなことを思い出した。


関連記事