なぜ日本人の民度はシナ人より高いのか?

トラネコ

2017年01月01日 22:00

日本はどうやって国民の民度を上げたのか?
=「国民の民度とは何か、中国人は意味を理解していない」
「わが国はいまだに抗日中」―中国ネット

2016年12月29日、中国のポータルサイト・今日頭条が、日本はどうやって国民の民度を向上させたかについて分析する記事を掲載した。 記事は、日本人のマナーの良さは、日本に行ったことのある人ならみんなが感じることだと指摘。日本全体の民度が高い理由は教育にあると論じた。

その上で、日本の教育の特色について分析。日本における教育とは、未知の物を探索するよう子供を導き、知識を得る能力と知識の大切さを育てるもので、自分の仕事に対する誇りを持たせる教育が行われていると紹介。素養のある大人となるよう、あいさつや食事の前の手洗いなど、人として基本的な事柄をきちんと教育していると、日本の教育方法を高く評価した。

これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。

「結局は制度。制度の問題だよ」
「日本は各方面で中国より優れている。お金があれば移民したい」

「教育を金もうけの道具とする民族の悲哀」
「教師の民度がなってないのに生徒をきちんと教えられるわけがない」

「国民の民度とは何か、たぶん中国人は意味を理解していない」
「日本人の最大の特色は、できるだけ人に迷惑をかけないようにすること」

「至る所に敵をつくり、復讐(ふくしゅう)や恨みを教える教育に未来はない」
「世界各国が急速に発展する中で、わが国はいまだに抗日中」

「中国には主義、思想、理論はあるが、素養がない」
「中国の民度教育は詐欺的だからな。社会に出ると全然違うことに気が付く」(翻訳・編集/山中)
レコードチャイナでは在宅翻訳者、コラム
Record china配信日時:2016年12月30日(金)
http://www.recordchina.co.jp/a157565.html




          シナではごく普通のありふれた公園のようす



             粋なネーちゃん●●●●・・・♪



          
    【中国人大暴れ!!】 "新千歳"で『大雪欠航我慢できず』ゲートに乱入!


何事につけても日本を侮蔑的に見る朝鮮人に比べ、
シナ人は比較的冷静に日本を見ていることがわかる。
さすが朝鮮の宗主国だけのことはある(笑)

近年シナ人観光客が大勢日本にきているが、爆買いだけではなく、
意外に日本をよく観察していることがわかるが、先日の千歳新空港の騒乱を見る限り、
日本を見たからシナ人の民度が上がるなどとは、絶対に思わないけどね(笑)

戦国時代に来日したザビエルフロイスなどポルトガル人宣教師や、
江戸末期から明治時代に来日した西欧人の記録を見ると、
あの当時にあっても日本人の公徳性の高さは特筆されていた事がわかる。

  むしろ現在の日本人よりも昔の日本人の方が、
  民度も公徳性も高かったのではないだろうか?




       F・ザビエルの書簡から当時の日本の一般庶民の
       公徳心や民族性の評価が非常に高かったことが伺える。

       http://brain.exblog.jp/2945623/



       イザベラ・バードは英国地理学会の会員で旅行家である。
       彼女の「朝鮮紀行」は有名だが日本紀行も書いている。
       特に日本の治安の良さと人々の勤勉さが述べられている。

       http://www7.plala.or.jp/juraian/ibird.htm



日本はどうやって国民の民度を上げたのか?
自然に上がったのである(笑)
日本の風土が日本人を作ったように、
日本人の民度もそこから生まれたのだ。



日本人の公徳心や相互扶助、民度の高さは、日本列島という、
大陸では普通の大規模な民族移動や他民族の侵略が起こりにくい、
また台風、地震、旱魃、洪水、津波など自然災害が非常に多い、
平和だが閉鎖的で自然災害の多い島国という風土から生まれたといえるだろう。

その風土において日本は農村型共同体国家が生まれた。
それは多くの住民が一生の間、生まれた土地から移動しない事を意味する。
だから住民の第一の生活信条は他者との平和共存することに置かれる。

村落型コミュニティでは相互扶助や信頼関係形成が生活規範になる。

そこでは家建てるのも稲刈りも村全体で行うが、村の掟を破れば村八分になる。
村落の成員であることは生活保障であり、そこから外れることは「死」を意味するから、
決して村と村民には迷惑をかけない社会秩序を守る順法精神が形成される。




         国土の7割以上を森林に覆われた緑豊かな国。
         杜の国には八百万の神々が住んでいらっしゃる。




              豊葦原瑞穂国 日本


また人の移動がほとんどない社会では消費生活よりも自給自足で、
一地域ですべての生産と消費が完結するような循環型社会も出来上がる。
ここに八百万の神々と共にモノを大切にするという精神が生まれる。

さらに・・・

江戸時代には参勤交代などで交通や物流や人の移動が盛んになったのだが、
それによって消費経済が発展した結果、生産地と消費地の有機的結合、
農村と都市の結合が発展してリサイクル社会が完成したのだ。

これは単純に経済的合理的というだけではなく、ゴミを出さない事は、
社会環境を整備し清潔を基本にする精神につながってくる。
だから日本の都市はゴミが少なく快適なのである。





また二千年以上の歴史を継承する皇室の存在も大きい。

天皇とは簡単に言えば神道=「かんながらの道」の神主の長である。
神道とは地縁・血縁でできた地域共同体を守る八百万の神々を祭り、
神主は八百万の神々に日々国民の安寧と発展を祈る神事を司る。

日本の元首であらせられる天皇は決して権力者ではない。
大陸国家の皇帝や王のような人民を支配し弾圧や搾取をした存在ではない。
古来より日本国民の敬愛を受け続けてきた精神的(文化的)存在である。

皇祖・天照大御神は高天原に田を持ち、男神は稲作を行い女神は機織りをする。
それに倣い天皇陛下は田植えをなさり、皇后陛下は蚕を飼われている。
これは神々も「労働」を行うという労働を尊ぶ儀式である。

ここに日本人の勤勉さ、面倒を厭わない勤労精神があるのである。
だから民度もさることながら、切磋琢磨して技術も産業も発展するのである。
これは労働を神の罰と考える一神教観(旧約聖書)とは大きく異なる精神性だ。



     形式的とはいえ、野良仕事をするエンペラーは世界にいないだろう・・・



         蚕に桑の葉与える「御給桑」行事の皇后陛下



      伊勢神宮の天照大御神の衣を織り始める「神御衣奉織始祭」



特に日本とシナ(西欧も含めた大陸)における商売人の精神に顕著である。
石田梅岩という江戸期の市井の学者が提唱した「心学」に商人の心得がある。
一口に言って商売は利益追求だけではなく社会貢献と相互扶助が重要と説く。

また権力者が商品の流通を一部商人に独占させないように注意を払った。
特に戦国武将・織田信長の経済政策は天才的で、株仲間の解散や関所の廃止
楽市・楽座の制度など自由競争を阻む障害を取り去った。

ここに商行為の公平・平等・自由競争という意識が生まれる。
もちろん、いつの時代にも権力者と結んで特権や利益を得る者はいた。
日本も多くはないが、例外ではないことは付け加えておこう。





シナ人や西欧人は、販売権や自治権は権力者から金で買い取ることが基本であり、
そこには個人の能力がモノを言うが、他者との関係や社会への貢献意識は皆無である。
そうなれば商売も騙してでも売れればそれでいい、という利己的意識が形成される。

また一神教の生まれた砂漠や荒れ野という農業に適さない貧しい風土では、
泥棒や詐欺や強盗などが悪いという概念がなく、見方によっては英雄視されていた。
ちなみに古代ギリシャの商業と泥棒の守護神はヘルメスであったという。

日本人の商行為は社会的信用を第一に長期的商売を行うことに主眼があるが、
シナ人のそれは一時的に金儲けできればそれでいい、騙し続ける方法があればいい、
だから今でも世界のブランドコピーはシナ朝鮮で生産されているのだ。

シナ朝鮮人には高品質なオリジナル商品を努力や工夫して作るより、
売れている他人のコピーを作る方が楽であり、ブランドを立ち上げるより、
パクリ商品を生産販売したほうが手っ取り早く儲けられると考えるのだ。

これがシナ人や朝鮮人の「賢い金儲け」なのである。


          偽物・コピー・パクリ商品の世界工場シナ



ではどこでシナ人と西欧人の民度に開きが出てきたのか?

おそらく西欧のキリスト教的伝統文化の継承が文明的価値観を定着させたのだろう。
17世紀の三十年戦争という宗教戦争以降、小国分立から国家統合にかけて、
西欧人の宗教に基づく伝統主義、ナショナリズムが共同体意識に発展したのではないか。

ここにルターの宗教改革勤労の尊さを見出した事も大きいだろう。
これが8世紀後半からイギリスに起こった産業革命により資本主義を発展させ、
社会システムから法律を整備し、商業規範を確立させる文明改革があった事だと考察する。

このプロテスタンティズムによる宗教概念の新解釈によって西欧社会は、
勤労精神を尊ぶ思想が産業を発展させる原動力になり、合わせて
勤労・誠実・公平・公正・・・・など文明的価値観を育んできたのではないだろうか。



           「ワシが西欧人に勤労精神を教えた。」



シナ朝鮮人には大陸的風土の中にも、こういった精神的革命がなかった。
恐らくシナ朝鮮人が「近代」というものに触れたのは20世紀後半以降ではないか?
ちなみにシナも朝鮮も国民意識からは、封建制すら経験していない古代国家である。

シナ人の民度の低さは一口にいえば、利己主義、拝金主義、人間不信しか
シナ人の生活信条や人生の価値観にない民族性である事からきている。
これはシナの歴代王朝の政治や多民族葛藤の民族的風土によるものである。

現在のシナ共産党が独裁支配する中華人民共和国も基本的には、
人民からの搾取、人権抑圧、一部の権力者の資本と文化、賄賂と詐欺・・・
過去の他民族による歴代王朝となんら変わりのない非人道的国家である。

そういう歴史と社会風土しかない国で人権思想や相互扶助や公徳心など、
近代文明の基本精神を醸成する民度が生まれるはずがないのである。
民度は良きも悪きも一朝一夕に形成されるものではないのだ。


 民度も技術も文化も国民性も・・・
 すべては一日にして成らず!


   私は日本に生まれて、
   本当に良かったと思う。




          民度の高さなんて身に着ける秘訣もないし、
          焦ったからってすぐに身につくものではないし(笑)








関連記事