新潮45「そんなにおかしいか杉田水脈論文」の内容が凄まじい
「性的嗜好について語るのは迷惑」「LGBTはふざけた概念」
<前略 >
小川氏「性には、生物学的にXXの雌かXYの雄しかない」
小川氏は「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」というタイトルで、「性的嗜好(編集部注:本文ママ)についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である」、「極端な希少種を除けば、性には、生物学的にXXの雌かXYの雄しかない」などと主張した。論の後半では、「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう」と、自身の造語であるSMAG(サドとマゾとお尻フェチと痴漢)を例に出し、
「ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から
言わせれば充分ふざけた概念だからである(中略)彼ら(編集部注:痴漢症候群)の
触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというか。
それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、
精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」
とも書き綴っている。なお、本文中ではLGBTなどの性的マイノリティを性的「嗜好」と書いているが、これが意図的なのか誤植なのかはわからない。
「酷すぎて何を言っていいのか途方に暮れるレベル」掲載内容に疑問相次ぐ
ネットでは、今回の特別企画について新潮社の意図を汲みかねる人も多い。「出版社としてのスタンスに疑問を感じる」「新潮45チラッと読んだけど、さすがに酷すぎて何を言っていいのかも途方に暮れるレベル」など、否定的な感想は少なくない。
特に小川氏の文章について、一般社団法人fairの代表理事で、自身もゲイの松岡宗嗣さんはツイッターで「酷すぎる」と苦言を呈していた。他にも「小川榮太郎さんの文章、このあとめちゃくちゃ炎上すると思います」など、不快感を示す読者が散見された。
杉田氏の寄稿を巡っては、17日に放送されたTBSの報道番組で、出演した安倍首相が自身の境遇を引き合いに「私も妻も辛い」と発言。党として処分を下さなかったのは「まだ若い」ためで、同じ自民党員として注意しながら仕事をしていってほしいと述べた。
キャリコネニュース 2018年09月18日
http://blogos.com/article/325875/?axis=
http://lite.blogos.com/article/325875/?axis=&p=2
<関連記事>
同志社大・岡野八代教授「自分はレズビアンだ。今回だけは言わないといけない。
杉田発言に黙ってはいられなかった」
Yahooニュース 2018-09-22
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180922-00097820/
↑
読んでみたが杉田発言への論点がズレているように感じた。
かなり曲解と誤解が岡野センセーにはあると、私は思った・・・
>
「ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から
言わせれば充分ふざけた概念だからである(中略)彼ら(編集部注:痴漢症候群)の
触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというか。
それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、
精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」
まったくその通りじゃないか、
この主張の何が問題なのか?
小川榮太郎氏が述べていることに全面的に賛成する。
小川榮太郎氏の主張は雑誌がないので読めないがほぼ同じと推察する。
私が以前エントリしたLGBTへの疑問とまったく同じ事を述べておられる。
↓
LGBTだけではない性的マイノリティ
https://ryotaroneko.ti-da.net/e10680565.html
↑
LGBT問題はこれに詳述してあるのでここでは述べないが、
問題の焦点になるだろう婚姻に関することは重要なので再度繰り返しておく。
同性愛者の婚姻には憲法改正が必要であり現行では認められない。
なぜなら
憲法24条では婚姻は男女の合意のもとに成立するとある。
つまりこれは
生殖=子孫繁栄を目的とする社会制度だと解釈できるのである。
ここに杉田水脈氏の
「生産性」という言葉の意味が大きな意味を持つのである。
表現の良し悪しは別にしても
同性愛者のカップルには初めから、
子供を作るという「生産性」はないのである。これは子供ができない夫婦、
結婚そのものに子作りを予定しない夫婦とは全く別次元の問題である。
だから現行の憲法解釈では同性愛者の場合は婚姻が成立しないのである。
つまり
性的嗜好と生殖を「婚姻」の解釈に混同してはいけないのである。
同性愛者の結婚は憲法を変えない限り不可能である。
しかし、
LGBの人々は彼らの恋愛を婚姻関係まで認めて、
法的権利を確立せよといっているのである。例えば遺産相続権である。
この点だけの法的整備や配慮はあってもいいかと思うが、別の問題が生まれる。
これは後述する。
小川榮太郎氏
私も小川氏も同じ疑問というのが、
T・トランスジェンダー(性同一性障害)に関しては、
障碍者だから他の心身障碍者同様、社会的なフォローがあっても問題ないが、
LGBに関してはあくまで性的嗜好だから、
これを認めると別の差別が生じるということだ。
初めに述べた異性婚と同じような権利、例えば遺産相続権、遺体引き取り権、
これらの権利を同性愛者のカップルに認めるならば、
近親恋愛は認めるのか?
同性愛が異常ではないなら、近親恋愛も異常ではないはずだ。
小児性愛者が小学生と真剣に愛し合い結婚したい場合、
なぜ年齢制限という「差別」があるのかといえばどう答えるのか?
彼らからみれば結婚年齢に法的規制がある事を差別と感じるだろう。
もしこれが屁理屈とか、おかしいというならホモ・レズ・バイセクシュアルと、
小児性愛と下着フェチと二次元恋愛・・・の何が違うか説明してもらいたい。
恋愛対象が異なるだけの話ですべてが性的少数者である。
これは間違いか?
性的少数者というのは彼らだけではない
さらに疑問はわいてくる・・・
ホモ・レズという性的嗜好だけの理由で婚姻を認めろというなら、
昨今問題になっている小児性愛者への配慮として児童ポルノは
認めるべきではないのか? 彼らにとっては深刻な問題だろう。
逆に小児性愛者は保育士や小学校教諭になれないのか?
カトリック神父には小児性愛者が異常に多い印象をうけるのだが、
彼らは神父になれないのか? これは差別にならないのか?
公衆トイレが男女用しかないとか(最近は多目的トイレもあるが)、
公衆浴場や温泉もLGBT用の浴場を設置義務が生じるのか?
ジムやプールの更衣室も彼ら用の部屋を設置しなければならないのか?
ローマ法王が・・・まさかね・・・
問題を挙げだしたらきりがないが・・・
拙ブログでも提示したが性科学の世界では
100以上もの性的少数派がいるのだ。
小川榮太郎氏が挙げている
SMAG(サドとマゾとお尻フェチと痴漢)にも、
それを嗜好する「社会的」権利を認めないと彼らへの差別になるのだ。
私はこういう辛辣な批判も差別やヘイトに一括りして言論封殺する、
リベラルと称するファシストの言論弾圧運動の方が危険であると思う。
私が挙げたような問題点があるのだから、もっと冷静に議論すべきではないのか?
またLGBも性的嗜好か障害(病気)なのかという議論も必要だろう。
そして
生物学的には小川榮太郎氏が言うように、基本はXX,XYという、
男女、雌雄二種類の「性」しか存在しないという事実を認識すべきだ。
稀にXXYというのも生まれてくるらしいがそれは
例外である。
例外を普遍性をもった価値観として語るのはおかしいだろう。
LGBTは生物学的には
例外の範疇だと私は思う。
少数派の人権尊重はもちろんのことだしまったく異論はない。
しかし世の中少数派が多数派と同じ権利を主張する傾向があるが、
少数派の考えを多数派と同等か、優越することは民主主義ではない。
こういうシンポジュームは大いにやれ!
ここでは小児性愛は精神障害だというのだが・・・
↓
子どもを狙った性犯罪、当事者の歪んだ認知
「これは性教育」「自分が教えてあげる」
弁護士ドットコムニュース
https://www.bengo4.com/c_1009/n_8553/
こんな議論が冷静になされず、批判すれば差別とレッテル貼りし、
LGB(レズ・ゲイ・バイセクシュアル)だけがあたかも性的少数派として、
社会から疎外され差別されているから、社会的認知しろは通らないだろう。
こういう発想こそ、一般社会にある多様な意見を封じ込め、
唯一の思想しか認めないリベラル系の思考方法であると同時に、
彼らこそ、民主主義を否定する凶悪な全体主義者なのである。
何度も繰り返すが・・・
昨今の人種差別撤廃や人権擁護運動は、それはそれで結構なことではあるが、
少数派・弱者と銘打てば、多数派を凌ぐ権利が持てるという錯覚は間違っている。
また
この手の運動家は往々にしてWスタンダード傾向が強く公平性がない。
とにかく彼らの主張にそぐわない意見は徹底的に否定し弾圧するが、
自らが同じ事をしていても一切それには言及しないし、質問されても無視する。
つまり
完全なジコチュー、自分は常に正しく他人は間違いという傲慢さである。
政党でいえば
立憲民主党、共産党、社民党、自由党・・・などの
反日サヨク政党、
団体でいえば
反戦平和団体、人権擁護団体、環境保護団体・・・などである。
とにかく奴らは常に
Wスタンダード、お前がゆーな、ブーメランが本業であるw
>
「酷すぎて何を言っていいのか途方に暮れるレベル」掲載内容に疑問相次ぐ
何がどう「酷すぎる」のか?
この記事だけではわからないが、小川榮太郎氏の意見のどこの部分が、
どういう理由で酷いのか、あるいは間違っているのかが一切不明である。
新潮45にはそれがきちんと書いてあるのだろうが現時点ではわからない。
こういう少数派とか弱者といわれる人々への批判は、議論ではなく、
往々にして
ヘイトスピーチとか差別というレッテル貼りで一括りで攻撃され、
冷静な議論が成立しないことが多いという印象を私は持っている。
そして
感情論だけが先行して、それに呼応する思考停止の情弱が、
「それはかわいそ~」とか騒ぎ、
反論を封じ込めて発言者を黙らせるのだ。
これは
在日問題、アイヌ問題、沖縄基地問題・・・みな同じである。
少数派、弱者という「資格」を持てば何を主張しても許される、
いかなる批判も受け付けないという一種の特権的存在に祭り上げられる。
そしてさらに少数派・弱者の印籠を掲げ権利を拡大していくのだ。
これは・・・
少数派による多数派への差別・言論弾圧である!
・・・という事を多くの国民は認識すべきだ。
私はLGBT問題に関して・・・
杉田水脈氏の「生産性」発言は除いて賛成だし、
小川榮太郎氏の同様な発言に関しても全面的に賛成する。
これら批判意見に対し感情論で批判封じするのではなく、
冷静で建設的な議論が世間に広がることを期待する!