「復讐」は基本的人権か?

トラネコ

2009年06月07日 00:00

IZAブログのニューヨークから見えるアジア
http://tillich.iza.ne.jp/blog/entry/1064062/に、
以下の記事とともに死刑制度に関する考察が述べられていた。
管理人の「ぱうるさん」は幅広い教養と深い洞察で毎回興味深いエントリをされている。
今回私もこれを読んで前々から感じていたことを述べてみたい。
まずは記事から・・・

千葉県香取市で昨年11月、面識のない千葉銀行員、沢田智章さん=当時(24)=を軽トラックではねて殺害したとして、殺人などの罪に問われた土木作業員の少年(19)は1日の千葉地裁(彦坂孝孔裁判長)での公判で「少年だから死刑にはならない」などと述べた。

被害者参加制度に基づき出廷した沢田さんの父(55)から「人を殺して死刑になる(と分かっていた)なら事件を起こさなかったか」と質問され、答えた。また、母(52)が「あなたがひき殺した男性の家族です」と発言すると、少年は「どうもすみません」と返答。
沢田さんの兄と妹2人は「法の限界を超えてでも、納得いくような罰を下してほしい」と意見陳述した。
少年は机をけるなど興奮したため、一時休廷した。少年はこれまでの公判で「何もかも嫌になった。父親を困らせるために人を殺して刑務所に入ろうと思った」などと供述している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090601/trl0906011906015-n1.htm
2009/06/01(月) 19:19:00



死刑制度が世界的にというか、先進国では廃止されつつあるのは承知の上だが、
私は個人的には世界の趨勢からおくれた「死刑存置論者」である。
犯罪抑止論が正しいのかどうか、或いは効果があるのかないのかこの点はわからないが、
犯罪抑止効果があろうがなかろうが、私はあまりこの点には関心がない。
もっとも関心があるのは復讐権なるものが、人権として認められるかどうか
ということである。

私個人の死刑存置理由は、応報すなわち復讐は基本的人権である
と考えるからである。

江戸時代までは復讐「仇討ち」は社会的権利として存在していたと思う。
人を殺しても代官役所に届け出てこれが「敵討ち」と認められれば罪に問われなかった。
赤穂浪士の話などは復讐劇として美化され現代にもドラマ化、映画化もされている。

しかしながら近代法学が導入され始めた明治に入って、
1873(明治6)年2月に「仇討ち禁止令が発令された(太政官布告第37号)。
以後国家が「死刑」という法的「仇討ち」を採用した。
これによって復讐権は個人から国家が代行する仕組が出来上がった。

私はこの制度に賛成である。

もし復讐権が個人間で認定されれば、ヤクザの抗争ではないが、
復讐の連鎖が想定され、場合によっては関係ない人間も被害をこうむり、
復讐の拡大が予想されるからである。
また個人的に復讐したくても私のような弱者には、
怖くて出来ない場合にも、国家が代行してくれれば助かる。
もちろん死刑によって被害者感情が解消するわけではない。

復讐という個人の基本的人権だが、上記の理由により、
国家が死刑という形で復讐代行することに賛成である。


さてこの「復讐」という考え方が近代法学や倫理学の上で、
どのように解釈されているのだろうか。
絶対的応報刑」という考え方がドイツ観念論の
インマヌエル・カントによって提唱されている。
これによると刑罰は犯した犯罪に相当する刑罰によって、
犯罪を相殺するべき
であるという考え方である。

いわゆるハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯をに近いだろうか。
これは受けた被害以上の復讐を禁止する為のものである。

例えば目に被害を受け失明させられてた場合、その加害者の腕を切り取ったり、
殺してはいけないが、被害結果生じた「失明」被害を加害者に与えることは可能である。
つまり「被害相当以上の過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて、
報復合戦の拡大を防ぐ
」という、
前もって犯罪に対応する刑罰の限界を定めること(罪刑法定主義)が、
この条文の本来の趣旨である。

だから殺人を犯したものは死刑によって報いるべきであるという考え方が成立する。
もちろんその動機や方法、意図なども総合的に判断はされるのだが。
基本的に私もこの考えに賛成である。
他人の人権や物的・人的被害を与えた加害者は、同じように自分も人権を奪われ、
牢獄で何年も暮らし、損害賠償を払わなければならない。
人の命を奪ったのなら、当然加害者の命も奪われるべきであると思う。


殺人は通常の社会においては絶対悪である。
一応断っておくが、殺人といっても、例えば老老介護の疲れから、
年老いた妻、夫或いは親などを殺して心中未遂などではなく、
私利私欲を満たす目的で行なった殺人である。

この殺人犯罪に対する相当刑が現在の日本の刑法には死刑という形で存在している。
その絶対悪を犯した犯罪者を復讐したい気持を持つのは被害者の遺族である。
またその被害者や遺族の感情を共有した第三者であろう。

さてこの感情、「復讐したい」感情は倫理道徳的に、
或いは法学的に正しいのだろうか?間違っているのだろうか?
実はこのあたりが私自身まだ結論を得ていないのだ。
つまり復讐したい感情は人間の権利として正当なものなのか?

感情を持つことは自由だが、それを実行してはいけないのは、
近代社会の法的原則である。
ならば復讐代行を他人に頼むことも犯罪であるから、
国家が責任を持って代行する制度は間違っているのか?
国家が国民の生命与奪権まで与える事に疑問を呈する向きもあるが、
中国や北朝鮮のような独裁国家は別にして、
民主国家が国民の議論を通じた法律の上に立って、
国民個人の復讐代行をおこなうことまで否定できるものか?



例えば死刑廃止制度のあるEU諸国では、
被害者およびその遺族の復讐という感情は、
刑罰に反映されることが間違っている
という考え方なのだろう。

EU諸国は基本的にキリスト教文化圏であるが、
キリスト教を信奉する「文明国」では死刑は残酷で野蛮であるということか。

もっともキリスト教文明圏では中世の魔女狩りや異端審問、
十字軍の聖戦、ユダヤ人弾圧、中南米やアフリカ、アジアでの植民地での大虐殺など、人類史上類例を見ない悪逆非道の限りを尽くしてきたのも、
キリスト教文明圏の人びと
である。

そういえば20世紀最大の人類大虐殺の思想となった共産主義思想も、
ユダヤ人の血をひくキリスト教徒マルクスによって大英図書館で考案され、
東方正教会(キリスト教)の流れを引くロシアで実施された。

これだけ歴史的に膨大な数の人間を殺してきたので、
せめてこれからは「死刑」は廃止しようという考えなのか?

死刑廃止国家では、」殺人を行なった犯人の残虐性はどう考えられるのだろうか?
私は「汝の敵を愛する」ほど宗教的に寛大高潔な人間ではないが、
犯罪者一般については更生する権利はあると考えるし、
懲役刑の期間はきちんと更生し、社会復帰して社会生活を送りながらも、
自身の犯した罪と一生向き合い、反省の日々を送るべきだと考えている。

しかしそれも犯罪の内容如何である。
凶悪殺人などは更生権そのものを持つ資格もないと考える。
またこのような殺人犯は社会的にエリミネートすべきと私は考える。

私は幸いにして身内に犯罪被害者がいない。
しかし光市の母子強姦殺人事件の被害者の夫の気持は、
彼に置き換えてみるとやはり同じ気持になるだろう。
愛する者の命を私利私欲を満足させるために、
残虐な方法で奪われた遺族の感情は、
怒り・悲しみから加害者への憎悪そして復讐へと移行していくのは、
至極当然な経緯ではないだろうか。

被害者の遺族がいかにして立ち直っていくかのケアが、
この事件から本格的に始ったといえるだろう。
むしろ本来このような観点から被害者や遺族を支えていくシステムが、
これまでなかったことのほうが問題だろう。

犯人の人権しか興味のないサディスト・死刑反対論者は、
犯人を死刑にしたって被害者は生き返らない。
とフザケたことをしゃあしゃあと抜かす。

当たり前だ。生き返らないからこそ、
加害者がのうのうと生きていることが許せないのだ。
まして更生して社会復帰して幸せな家庭を築いていたら、
もし傷のいえない私ならやりきれないだろう。
逆に加害者が更生しようがしまいが、
実行するかどうかは別として殺意は確実に抱くだろう。

この感情は私個人の特有のものなのか、世間一般に共通するものなのかが、
或いは共通しないまでも世間の過半数が抱く感情なのか、
いまのところ私にはよくわからない。

しかしこういう議論もある。

 「私はあなたやあなたの家族を殺さない。しかしもし殺したとしても、
  あなたは私や私の家族を殺さないと約束しなさい。


現時点で、私はヨーロッパの死刑廃止論の背景事情は知らないし、
死刑が倫理道徳的に、また近代法学的に正しいかどうかもわからないが、
今の日本ではやはり必用だと考える。
こんな犯人は早く本人の望む刑を判決してやればよいと思うが・・・
               ↓
http://www.asahi.com/national/update/0603/TKY200906030398.html



あまりまとまりのない文で大変失礼しました。

ちなみ日本では世界で最初に死刑廃止が、
天皇の勅令によって実現した経緯がある。
嵯峨天皇が弘仁9年(818年)に死刑を停止する宣旨(弘仁格)を公布して、
実際に死刑執行が停止されたという。
ただし朝廷への反逆者は例外的に斬首されていた。


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