◆24時間介護、市は争う構え
重度の心身障害をもつ男性が、1日24時間の介護サービスを札幌市に求めていた訴訟の1回目の裁判が開かれ、札幌市側は訴えを退けることなどを求めました。
札幌市東区に住む鬼塚朗さんは、自らの裁判に出席するため札幌地裁を訪れました。
2年前から一人暮らしをしている鬼塚さん。重度の身体障害と知的障害のある鬼塚さんは、1日24時間の介護が必要です。しかし、現在、市の重度訪問介護は1日11時間。足りない時間は、ボランティアに頼む不安定な生活が続いています。
(鬼塚朗さん)「不安がないと言えばうそになる。毎日が不安だらけです」
そこで鬼塚さんは
札幌市に対して、24時間の介護認定を求め裁判を起こしました。これに対して札幌市は、「24時間の介護がなければ、生命の安全に関わる事態がすぐにでも発生しかねない状況にあるとはいえない」と訴えを退けることを求めました。裁判の後、札幌市役所を訪れた鬼塚さん。
(鬼塚さん)
「訴えても却下ばかりで、生きることができません」
自分は障害者である前に、一人の人間。鬼塚さんは、そう訴えます。
札幌テレビ(2009年11月16日(月)「どさんこワイド179」)
http://www.stv.ne.jp/news/item/20091116191504/index.html
最近の社会は
弱者の権利がモノをいう時代になった。
近代社会では弱者と位置づけられる社会の人々を手厚く保護し、
一般人と同等な暮らしを保障すべきだという。
なるほどこれが福祉国家なのか・・・
しかしながら、
社会的弱者というのは、具体的には身体障害者、低所得者、老人、子供・・・
とか言うのだが、実際弱者の定義は難しいと思う。
社会的に強いか弱いかなど、相対的な価値観でしかない。
相対的にみれば私なども社会的弱者に含まれるはずだ。
保護してくれよ~~~~~~~ん♪
失礼しました。
近年社会的弱者の権利が声高に叫ばれだしてからは、
マスコミも
子供・老人・女性そして障害者の批判的記事は書かない。
ああ、それと
部落、朝鮮族などもマスゴミのタブーだから絶対批判しない。
もし書くと人権団体とかいうこわ~い圧力団体が、わーっと押しかけてきて、
おまいらは弱者差別するのかwwwと抗議されるのである。
これに目をつけてた、いくつかのキチガイ民族・賤民団体などは、
古い時代のことを改善された今日になってもそれを持ち出して、
その
差別とか弱者という言葉を武器にして、行政に脅しをかけ続け、
一般人より社会的に優遇され、いまでは弱者どころか圧力団体という強者と化し、
それでも飽き足らず恫喝をもって行政に要求しつづけている。
また先日いくつかのブログに取り上げられていたが、
生活保護世帯の一ヶ月の携帯電話代が2.5万円にもなるのに、
「私達が何が必要かを考えてもらいたい。」、受給者の側になって考えろw
などと
権利意識丸出しの馬鹿主婦がいて、批難されていた。
生活保護も真面目に働くものよりも優遇されるなら、
みんな生保もらった方がいいわなw
かつて
英国病はこんな感じでダメになっていたんじゃなかったか?
またこういう
「弱者」団体を支援する人権団体とかいう連中の中には、
そこから
美味しい「利権」にありつきたいだけに群がってくる者もいる。
こういう連中は即刻権利剥奪し、消滅させてやりたいと個人的には思う。
いずれにせよ、
真面目に働く者が馬鹿を見る社会にはなっているなw
そしてこれはますます加速することは間違いない。
さてここから今回の記事について考えて見たい。
この記事からだけではこの鬼塚さんの背景なり、詳しい状況がわからないが、
この鬼塚朗さんって
重度心身障害者なのに、二年前からなんで一人暮らしをしているのだろう?
重度の身体的、知的障害を持っているというのは、
自分で食事や排便、入浴なども出来ないのではなかったか?
そういう状況でなぜ鬼塚朗さんの家族は、彼の一人暮らしを認めたのか?
二年前に家族と絶縁されたのだろうか?また、なぜ施設に入所しなかったのか?
施設の空きがなかったのか、断られたのだろうか?
しかし、もし彼の意思で一人暮らしを始めたのならば話は変わってくる。
もし彼自身の意思で家族と離れ一人暮らしを始めたのなら、
NGOなどの介護ボランティアなどの支援もないとすれば、
あくまで自己責任である。
市当局に介護要求はしてもよいが、
断られたからといって訴訟を起す問題ではない。
私は身体障害者を社会的に支援することには大賛成であるし、
そういう社会であるべきだとも思う。障害は別に生まれつきのものとは限らない。
我々健常者であってもいつ何どき、事故や病気で障害者になるやもしれないのである。
しかしである。
障害者に優しい社会と言っても、
障害者が特権階級になる社会ではない。
上に述べたように社会的弱者を武器に特権化する賤しい連中もいるのだ。
障害者は健常者より心身能力が劣っていることは事実である。
だから健常者がサポートする介護システムが社会的に拡充されつつあるのだ。
しかしそれも
社会の整備体制のレベルに応じるべき権利であって、
何でもかんでも障害者の希望通りにいくなどと考えるのは間違いである。
一人暮らしができない状況でそれを選択するほうが間違いだろう。
世の中健常者であっても、自分の思い通りにいかないことの方が多いのではないか。
それをいちいち行政の責任に転化し、訴訟を起すなどまともな神経の持ち主ではないと、
私は個人的には思う。
鬼塚朗さまへ
鬼塚朗さん、あなたはこれまで恐らく相当甘やかされてきましたね?
あなたのような主張はマスゴミや人権団体は大喜びでしょうが、
かえって大多数の国民は障害者に、あるいは福祉行政に対し偏見を植え付けられますよ。
>
「訴えても却下ばかりで、生きることができません」
だったら介護施設に入るか、家族の元にもどったらいかがですか?
少なくとも一人暮らしをする状況にはありませんよ。
それでも一人暮らしにこだわる理由はなんでしょうか?
>
自分は障害者である前に、一人の人間
これを言い出して権利要求するなら、あなたよりももっと行政のサポートが
必要な人のほうが多いですよ。私だって「一人の人間」として、
行政にやって欲しいことは山ほどあります。
今の日本ではすべての障害者に対して、
あなたのような要求が通るような社会になっていないんですよ。
もうすこし世の中のことを勉強なさってくださいませ。
トラネコ拝
先日知的障害者への運転免許支援についてのエントリで、
削除要求のコメントがあった。私は自分が納得すれば記事の削除はやぶさかではない。
しかし要求する以上はその意見なり、整合性を示す文面を表すべきではないだろうか?
この記事にも批判は大いに甘受するが、削除要求ならきちんと理由を示していただきたい。