誠意の自主活動部隊

トラネコ

2011年04月26日 12:00

数年ぶりにTVのワイドショーを見た。
お昼に放送しているTBS系の「ひるおび」という番組を見て感動した。
あのフジTVと並ぶ反日スタンスでチョーセン贔屓のTBSが、
東北被災地で活動する自衛隊の活動を賞賛していたのだ。

前回のエントリで、自衛隊なども政府の指示よりも自主的判断で行動している、
と述べたが、番組によれば、まさに現地救援部隊は各部隊ごとに現場で何が必要か、
被災者は何をもとめているのか、独自に判断して行動しているという。

おそらく戦場でも各部隊や兵士は作戦命令を受けつつも、
現場、現場の判断は状況を見て臨機応変に行うものだから、
災害復旧、救助活動も基本的に戦場と同じなのだと思う。

また、これは現場指揮官が各部隊にそういう指示をだしているのではないか。
それを受けた各部隊の隊員一人ひとりも、真剣に誠心誠意創意工夫しながら、
自分達に出来ることは何か、被災者が望んでいることは何か、
を考えて活動していることがよくわかる良いレポートだった。

番組ではいくつかのエピソードを紹介していた。

例えば・・・
<その1>
卒業式を目前に控えていた小学校が津波に襲われ、倒壊はしなかったものの、
体育館はガレキの山となった。 それを聞いた自衛隊員たちが撤去作業をして、
数日遅れだったが、無事その小学校で卒業式ができたこと。
そればかりか自衛隊の音楽隊を呼んで卒業式で演奏を開いた。

<その2>
また輸送艦大隈の艦内に設けられた仮説浴場に入浴しにきていた女子高校生が、
婦人自衛艦に自分も自衛官になりたい旨を告げた。自衛官が彼女の年齢を尋ねたら、
「今日で18歳になりました。」とその日が誕生日だったことを知ると、
フルート演奏のできる自衛官を呼んで、即興今の誕生日祝いをおこなった。

<その3>
救助活動のついでに拾ったアルバムや写真を丁寧に集め、
それを一箇所に集めて展示し、被災者の所有者が探しやすい工夫をした。

<その4>
ある被災地域で活動していた沖縄の自衛隊員30名に交代命令がでた。
すると被災者が集まってカレーやスパゲティを自衛官に振舞って、
感謝と慰労の送別会を開いた。

これらはすべて現場の隊員の自主判断であり、上官や司令部の命令ではない。


         いい話じゃないか!!!

思わず胸が熱くなった、本当に良い話である。
恐らくこのような自衛隊の誠心誠意の活動にまつわる話は、
他の被災地にも沢山あるだろうことは、想像に難くない。

TBSのこの番組の今日の放送に関してはGood Job!である。
今後もこのような放送をしてもらいたいものである。

またどこの局かわからなかったが、救援活動する米軍部隊の一部が、
被災地の小学校にきて英語の学習をおこない、軍用車両に児童を乗せたりして、
児童から喜ばれていたというニュースもあった。



まず反基地、反自衛隊で凝り固まった沖縄では、絶対に放送されない内容だろうな。
台風など風水害の多い沖縄でも、自衛隊の災害復旧活動は少なくないし、
在沖米軍も県民の福祉や地域社会に貢献する諸活動を行っている。

しかしこのような自衛隊や米軍の良い話は地元マスゴミは殆ど報道しない。
したとしてもベタ記事か軽い扱いである。反対に自衛隊や米兵の事故・犯罪は、
針小棒大の大々的報道で世論喚起し、極悪非道で危険な存在と煽りまくる。

沖縄メディアによれば、自衛隊や米軍にまつわる良い話は、
基地の固定化、戦争賛美、「軍国主義」に繋がるのだろうwww
まさに是々非々という思考回路が欠落した反戦カルトのステレオタイプである。


さて・・・


昭和32年2月、吉田茂元首相が第一回防衛大学校卒業式で述べた訓辞がある。
 
「君達は、自衛隊存職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか、
国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。

言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。どうか耐えてもらいたい。」


私は学生時代に少しばかり空手をかじっていたが、
そのとき流派の会長の言った言葉を思い出した。
 「空手は基本的に防御を第一目的とした武道である。
 けっして攻撃を目的とするものではない。
 現実生活で空手を必用としない人生のほうが良いに決まっている。」

武道で身につけた技をむやみに他人へ行使することは、
単なる「暴力でしかないが、暴漢や痴漢に襲われたときに、
それを防ぎ身を守る「実力行使」は正当防衛という。
これによって仮に相手の命を損なっても罪に問われない。

また護身術として空手や合気道、ボクシングを学ぶことを、
誰も「暴力の訓練」だとは批難しないだろう。
警察官がピストルを所持して街中を歩くことを咎める人もいないだろう。

自衛隊という武力をもった実力組織も国家防衛が目的である。
それは災害も含めた「外敵」から国家・国民を守る組織である。

平和を愛する諸国民の公正と信義に期待して、われらの安全と生存を保持♪」する、
世界でも稀有なありがた~~~~~~~~~~い日本国憲法があっても、
常識が通じない中華思想・事大主義国家や核武装国家が寄り集まった極東アジアにおいて、非武装の国は平和ケンポーカルトのいうような「われらの安全と生存は保持」できないのだ。


吉田茂元首相の言を借りるまでもなく、日本国の戦後の歩みも、
まさに自衛隊の実戦力をいまだ必要としない模範的平和国家である。
もっともそれは日米安保による米軍の核戦力の傘の元にいるお陰であり、
決して反戦カルトの言うようなヘイワケンポーのお陰では決してない。
そのお陰で自衛隊はいまだ「日陰者」扱いである。

世間の風潮が自衛隊をいつまでも日陰者にしておく不文律があるように思う。
少なくともマスゴミや日教組などは、親の仇の如く忌み嫌っている。
石垣島でイージス艦乗組員を、罵詈雑言で迎えた老醜老害どもと同じである。

しかし自然災害の多い日本では、自衛隊の実践部隊としての実力は、
災害救助や復旧活動で素晴らしく機能している。今回の震災に限らず、
実際に自衛隊の活動に接した住民はみんな感謝していると思う。

私は自衛隊がいつまでも「日陰者」であってはいけないと思う。
命を張って、体を張って国民と国家のために働く人びと、
即ち「軍人」が尊敬される国でなければならないと思う。

ありもしない大東亜戦争の帝国軍の戦争犯罪をデッチ上げ、
極悪非道の軍隊のようにいうマスゴミや政治勢力が戦後日本だが、
明治以降近代日本の国軍兵士の規律は世界一であり、
この伝統は今の自衛隊にも受け継がれている。

そして自衛隊という訳のわからない、世界でも通用しない呼称は廃止すべきだ。
自衛隊ではなく日本国陸・海・空国防軍である。
自衛隊にこの呼称が正式化されたときに初めて、
日本は国際社会の普通の国になっていることだろう。

とある国家の自衛隊:陸海空
http://www.youtube.com/watch?v=XwUPAH5rybU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KyiiYo-bA70&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Z67A1CO_YHw


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