「血も涙もない判決」遺族上告ヘ
戦争に参加した「英霊」として、家族を無断で合祀(ごうし)された遺族らの怒りは、再び司法の厚い壁に阻まれた。靖国神社などに合祀取り消しと慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は6日、原告5人の訴えを棄却した。「血も涙もない判決だ」「一審より後退している」。怒りをあらわにする原告、弁護団は、上告審で沖縄戦の実相を問うため、三度立ち上がる決意だ。
判決言い渡しは5分程度で終了。淡々と判決文を読み上げる裁判長に、原告団長の川端光善さ(76)は、視線を向けることはなかった。閉廷後、八汐荘での会見で「母が沖縄戦で亡くなったのは47歳。ただの田舎のおばさんが、なぜ(準軍属として)合祀されるのか。最後まで戦い抜く」と訴えた。
「裁判官はちっともわかっていない。屈辱と怒りしかない」。金城実さん(72)は、判決文と拳を机にたたきつけ、「国は都合の悪い過去を消し去ろうとしている」と声を荒げた。わずか2歳の弟を含め、沖縄戦で犠牲になった家族4人が合祀されている安谷屋昌一さん(71)は「死してなお軍隊に仕立てられ、戦争賛美の道具に利用される。なぜ司法にはその苦しみが伝わらないのか」。
<後略>
沖縄タイムス 2011年9月7日 10時13分
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-07_23106/
こういう訴訟って一種の精神異常者が起こしているんではないか、
といつも感じるが、共感も同情もそんな気はまったく起きない。
所詮は
靖国神社反対のための反対の屁理屈訴訟に過ぎない。
訴状は『沖縄戦で亡くした肉親を靖国神社に無断で合祀(ごうし)され、
追悼の自由を侵害された』だそうだ。
この記事には出ていないが、福岡高裁那覇支部橋本良成裁判長は
『合祀により法的救済を求めることができるような権利、法的利益が
侵害されたとはいえない。』として、訴えを退けた一審判決を支持、控訴を棄却した。
当たり前の判決である。
戦争当時は、
戦争でなくなった人は靖国神社に祭るというのが慣行であった。
またその時代はそれで誰も文句をいう人はおらず、誰も疑わない普通のことで、
戦場に散った兵士の合言葉は
『靖国で会おう!』というものだった。
だからこの訴状にいう
無断で合祀されたは成り立たない。
しかも
『追悼の自由を侵害された』って何よ、これ?
靖国神社の神主が、
遺族の追悼儀礼を邪魔しにでも行ったのか?
靖国神社の神主が、
遺族に靖国神社に参拝に来い!
と強制や脅迫でもしたのか?
遺族は靖国神社に親族の御霊が祭られていたら、
追悼の儀礼や儀式ができないのか?
こういうのを馬鹿も休み休み言え!というのだ。
以前
小泉純一朗政権のときも
首相の靖国神社参拝によって、
信仰の自由を侵害されたとして馬鹿左翼やキリスト教団体、
浄土真宗系の生臭坊主らが損害賠償を求めて訴訟をおこしていた。
これもなぜ信仰の自由が侵害されたのか理解に苦しむ。
結果的には、この訴えは棄却され
原告敗訴になっているが、
首相の靖国参拝は憲法違反だという愚かしい判決がでたのが残念だ。
たとえば
ローマ法王が全人類の恒久平和を祈ったら、
これを
訴えることが論理的に整合性をもつだろうか?
というよりも
常識的にこういう訴訟が成り立つか、考えればよい。
自分はクリスチャンではないし、キリストが大嫌いなイスラム教徒もいるし、
プロテスタントもいるし、シナは共産主義だから宗教をみとめないし、
いったいローマ法王は何の権利をもって全人類のために祈れるのか?
ローマ法王の全人類への祈りによって信教の自由を侵害され、
精神的苦痛を被ったとして国際司法裁判所?に訴えることは可能か?
・・・というと、お前それ屁理屈だろう、馬鹿だなあ、と一笑に付されるだろう。
そう、屁理屈なんです♪
靖国神社関係の訴訟の類は、みな
屁理屈なのだ。
恐らく
靖国神社で精神的苦痛を真剣に感じる者は、
日本人ではないと思う。
日本人の民族性からは、こういう
平等で純粋な慰霊行事に対し、
それがどんな宗教であれ、精神的苦痛を感じるものはないからだ。
ローマ法王も人類の恒久平和を祈って頂けるなら、有難いと感じるはずだ。
こういう
屁理屈で固めた反靖国訴訟や政治家の靖国参拝問題も、
中曽根元首相がシナの顔色伺いして参拝を止めてから、
急に浮上してきた問題である。確か1985年だったと思うから、
この三十年くらいの話である。
靖国神社問題の原点は
国賊中曽根康弘から始まったのである。
それ以前は首相も閣僚も靖国参拝しているが、
シナもチョンも遺族もクリスチャンも誰も文句は言っていないのである。
靖国神社の合祀のシステムは時代によって若干変わるらしいが、
基本的に
国家の戦争において亡くなった国民を英霊として祭り、
春秋の例大祭や夏の御霊祭りなどで慰霊祭を行うのである。
霊璽簿というノートに戦没者の氏名を書き込むだけである。
ただ
一旦合祀した戦没者は何があっても訂正も削除しない、
というのが靖国神社の合祀のシステムらしい。
これは戦没者と思われていた人が実は生きていたという場合も同じだという。
だから戦後生き残りで帰還された
横井庄一・小野田寛雄両氏も、
存命中にもかかわらず霊璽簿には記名されたままであった。
そこでトラネコの提案♪である。
宗教や慰霊の形式は民族・国・宗派で様々あり、ひとつの
文化表現だから、
個人的にその慰霊形式をとやかく言う筋合いにはないが・・・
靖国神社に関しては合祀取り下げたい遺族には、
うるさいから除外してやればいいんじゃないか?
靖国神社が戦没者を国賊として貶めているのならまだしも、
英霊として尊び奉る形式が気に入らず、訴訟まで起こすのだから、
英霊の御霊には申し分けないがそうするほうがよいだろう。
英霊がそれに腹を立てるなら、
遺族に怨念を向けていただこう。
こんな罰当たりな遺族は呪い○してくれ~
朝鮮人も当時は日本人であり、戦没者は同じように祭られているが、
それにも気に入らない遺族がいて、過去に訴訟起こしてたみたいだし、
こいつらも合祀からはずしてやればよい。
朝鮮人など戦時中もろくなことをしなかったみたいだし、
そのほうが日本人の御霊も喜ぶし、私も嬉しい。
何度でも書くが・・・
一国の戦争に殉じた国民に国家的慰霊と尊崇の儀式を行うことは、
世界の常識である。そしてそれは何らかの宗教性を帯びていることも、
世界の共通であり、どこの国でもなんら問題は生じていない。
その慰霊儀式の方法が気に入らないと、
訴訟を起こす馬鹿がいる国は日本だけだろうwww