ジェンダー、フェミニズムは学問ではない、国を滅ぼす悪魔思想だ!

トラネコ

2017年06月04日 08:00

【悲報】ジェンダー学は全くの“デタラメ”だった! デマ論文で発覚、
思想界を震撼させた「ソーカル事件」の再来か?

いま、「ジェンダー学」が危機に瀕している。「男らしさ」や「女らしさ」といった男女間の社会的性差を批判的に検証する“正当な学問”として世界中で研究されているが、なんとその実、「無意味な概念のお遊び」に耽っていたことが明らかになったのだ!

■デタラメ論文で発覚したジェンダー学の欺瞞
英紙「Daily Mail」(5月24日)によると、米ポートランド州立大学の哲学者ピーター・ボグホシアン教授とジェームズ・リンゼイ教授は、全く無意味な論文(タイトル「社会構築物としてのコンセプチュアル・ペニス」)をでっちあげ、「高品質な査読審査を提供する」と謳う、英社会科学ジャーナル「Cogent Social Sciences」に投稿。その結果なんと、同論文は査読審査を通過し、掲載されてしまったというのだ! 

気になる内容の方は非常に難解で、一昔前に流行したフランス現代思想ばりのナンセンスなジャーゴンが書き散りばめられている。たとえば、「gender-performartive(ジェンダー行為遂行的)」、「high fluid social construct(高流動社会的構築物)」、「exclusionary to disenfranchised communities(公民権被剥奪諸共同体への排除)」、「isomorphic to performative toxic masculinity(行為遂行的有害男性性と同型的な)」など。

何を言っているのか全く分からない難解な専門用語のオンパレードだが、著者本人も分かっていないようなのでご心配なく。さらに、次の一文などは抱腹絶倒ものの傑作だ。

「詳細なポスト構築主義的言説批判と、気候変動の実例を通して、この論文は、ペニスが男性の生物学的な器官として理解されることが最善だとする、人口に膾炙した有害な社会的修辞的比喩にチャレンジするものである」

どうやら、気候変動が「ペニスの社会的に間違った理解」を変える可能性があると言っているようだが、さっぱり意味が分からない! 気候変動とペニス理解が一体どのように関係するというのだろうか!?

このように、ボグホシアン教授らは、意図的に馬鹿げた論文を作成したが、その目的は、ジェンダー学の学術的なレベルの低さを指摘することにあったそうだ。ジェンダー論では、男女の性差を社会的な構築物として理解することが最善だと考えられていることから、「ペニスを生物学的な器官ではなく、世界の悪徳の原因だと主張してみてはどうか」とジョークを思いついたことがきっかけだったという。

教授らの目論みは想像以上に成功し、同論文を掲載した「Cogent Social Scientist」の“高品質な”レビュワーは、この文章を「傑出している」とべた褒めした上、「多元的かつ非線形的なプロセスを通して、ハイパー男性性の問題を取り扱っている」と、意味不明なコメントで賞賛。しかし、問題発覚後には掌をきれいに返し、火消しに躍起になっている様子だ。
公式見解は、問題調査後に発表されるというが、果たして……。
<後略>
TOCANA 2017.05.26
http://tocana.jp/2017/05/post_13325_entry.html
http://tocana.jp/2017/05/post_13325_entry_2.html






ボグホシアン教授らは、意図的に馬鹿げた論文を作成したが、その目的は、
 ジェンダー学の学術的なレベルの低さを指摘することにあったそうだ。
 ジェンダー論では、男女の性差を社会的な構築物として理解することが
 最善だと考えられていることから、「ペニスを生物学的な器官ではなく、
 世界の悪徳の原因だと主張してみてはどうか」とジョークを
 思いついたことがきっかけだったという。

これは面白い学術界への挑戦である!

私は学生時代のレポート作成の時にこの手法を学んだ。

どうしても書く内容が思いつかない講義のレポート提出において、
テーマに沿った適当な仮説を作り、やたら専門用語や小難しい単語、
あたかもそう思わせる事例などを多用して文章を膨らませるのである。





例えばこんな文を作ってみたのだが・・・

 「人間の生命活動を維持する機能の一環として脊椎動物等及び植物などの
 有機生命体由来の蛋白質や脂質・炭水化物などを口腔経由で取り込む作業は、
 一般的に腸の蠕動運動による消化活動終了数時間後の腹部空間の収縮により、
 身体の滋養を補完せんが為のある種の補充欲求が起きるのである。」


何の事はない「腹が減る」ということを回りくどく述べているのである。
ごく単純なことでも、小難しく専門用語を多用して回りくどく表現すれば、
いかにも高尚かつ学問的な格調の高さを感じる(錯覚する)のである。

この記事のボグホシアン教授らもフェミニズム論というものが、
学問に値しない屁理屈の塊だということ
を実証しようとしたのだ。
私もまったく同意である。



        こんなフェミニズム集会には参加したい・・・(失礼)


さて・・・

私は前々からジェンダーやフェミニズム論を真っ向から否定してきた。
一切これらの主張は認めない立場である。既に数十年前の医学界で、
特に脳科学の著しい研究成果からもジェンダー論は完全否定されている。

男女に脳の構造には余り性差はないが、その機能には大きな差異があるという。
例えば血流量は女性の方が多く、言語機能は左右両脳で機能するので、
一般に言語能力は男性より女性の方が優れているという。

肉体的な力は男性が、言語機能は女性がそれぞれ優れているが、
性差は男女の優劣ではなく、それぞれの特徴と捉えるべきである。
ここを読み違えると優劣論や差別につながるのである。





ここに言う性差とは二つある。
一つは一般的にいわれる生物学的な肉体的性差(sex)
もう一つは個人が感じる性と社会的な性((gender)の事である。

そもそも生物の存在において、一定の進化を経た生物は雌雄の別が存在する。
「神」がいるかどうかは知らないが、雌雄の性差(sex)が厳然と存在する以上、
雌雄の役割や性差に伴う社会的分業が自然にできていくのは当然だと考える。

もし男女の役割を必要としないなら神様は男女をわざわざ作らなかっただろう。
進化論的に考えても無性生殖から有性生殖に進化していった事実をみれば、
高等生物は男女雌雄の性差を必要する分化的進化をしたのだと思う。





 身体的にも精神的にも性差が同じように、
 存在するのは否定できない事実である。


それに対しジェンダーフリー、フェミニズムを主張するBBA連中は、
男女の性差(gendaer)は文化的にに形成され習得された社会的特徴であり、
本来男女は肉体的な差異(sex)以外に、性差(gendaer)は存在しないという。

フェミニストたちは男女の社会的な平等を主張し、家父長制と男女差別に反対し、
性差以前にすべての個人は、自己の才能と利益を自由に追及する権利があり、
それゆえ、性差による社会的区分を撤廃すべきであると主張する。




        日本フェミニズム界の大御所・上野千鶴子大センセー♪


私は社会的な「性」も生物学的な「性」から発展してきたと考える。
だから基本は生物学的「性」がすべての社会的「性」の根源である以上、
基本を否定したジェンダーの考えは誤りだと考える。

実際に肉体的な力の強さは、男性が女性に優っていることは誰も否定できない。
だから原始時代は男が狩りをして獲物を捕らえ、女は家で家事や育児をした。
ここに男女の家庭での役割の分化が進み、性差の分業と言う社会的役割ができた。

もちろんLGBTなどの例外はあるが例外はあくまで例外で少数派である。
一応これが「性差」の基本前提である。前提を間違うと結果もすべて誤りになる。
マルキシズムも人間論の定義を誤った「アキレスと亀の競争」である。



     

しかし・・・

生物学的な性差が、時代と共にそれぞれの文化や社会の必然性において、
独自に発達しながら社会的・文化的な「性差=gender」を形成
してきた事は正しい。
この点がフェミニストが意地になって否定している「性差」なのである。

確かにある種の社会によっては、現代においても男尊女卑が存在し、
女性であるというだけで不当な社会的差別が制度化されている。
イスラム教文化圏がその顕著で典型的な例である。

しかしフェミニストの言うジェンダーフリー(性の解放)について言えば、
何もジェンダー学などというガクモンをカザス様な大げさなものではなく、
基本的人権における個人の尊重という視点で解決できる。



        女性への暴力反対を訴えるチュニジアの女性たち。
        イスラム教の男尊女卑は常軌を逸した印象がある。
        文化の違いは仕方ないが野蛮の印象はぬぐえない。

     https://ameblo.jp/azianokaze/theme-10007529307.html


ちなみに・・・

宗教文化にジェンダーを見れば一神教こそ男女差別、男尊女卑である。
旧約聖書の創世記には神は最初に男を作り、そのあばら骨から女を作ったとある。
すなわち一神教では女性は男性の一部=「付属物」として誕生したのである。

しかも・・・

イブは禁断の木の実を食べ、アダムにも食わせ神の怒りを買い
エデンの楽園を追放される。人類の苦難の原因を作った悪女である。
一神教圏では、男の付属物である女が人類の苦しみの元凶なのだ。

だから女性蔑視が一神教圏に根強いのであり、その反動として、
キリスト教文明圏からフェミニズムが生まれ発展してきたのだろう。
やはり宗教的文化背景は無視できないな・・・。





一方日本では・・・

古事記に見るように、男女ニ神の交合により日本列島が誕生したとあるように、
神々からして男女に分かれており、その相互協力によって国生みをした。
つまり日本では男女平等の思想が神話の時代からあったのである。

国連の低能の巣窟・人権委員会は、日本の皇室継承問題に口出す暇あるなら、
いまだ異常な女性差別や野蛮な刑罰やってるイスラム国家に文句言ってみろ!
攻撃しても文句言わない日本にだけ言うなら、事大主義朝鮮人と同じだ!
 
<関連記事>
安倍首相が国連委の皇室典範改正勧告案に強い不快感 
「全く適当でない」「手続きにも疑問感じる」

産経新聞 2016.3.14
http://www.sankei.com/politics/news/160314/plt1603140009-n1.html



           古事記ではイザナギ&イザナミによる、
           男女神の交合により日本列島が生まれた


        


性差以前にすべての個人は、自己の才能と利益を自由に追及する権利があり、
 それゆえ、性差による社会的区分を撤廃すべきであると主張する。

これは性差を否定する事とは別の概念であり、
個人の尊重という人権思想の主張である!


したがってジェンダーの基本的考えとは関係がない
男女は性差の区別以前に個人として尊重されなければならない事は当然である。
それが基本的人権である。基本的人権は性差の区別はしていないはずである。

フェミニストにとって男女の区別は男女差別とイコールになっているのだ。
そしてそれは昔の家父長的家族制度が強固な時代の延長線上に見ている事だ。
確かに戦前の日本などは、男尊女卑的な傾向は強かったと私も思う。

しかしながら、戦後の世界的な人権思想の啓蒙運動により、
現在においては、かつてのような男尊女卑的な社会風潮はかなり薄まっており、
男女機会均等法の導入や、女性の管理職なども増えつつあるのが現状だ。





      的外れな政治論を語らせれば天下無敵の田嶋陽子大センセー♪



一般にフェミニストに限らず、人権を主張するジンケンハと言われる、
一種の狂信的思想をもった連中の特徴は・・・

一部の日陰者扱いになったり、差別的な位置に置かれている、
社会的少数派や弱者や例外的存在を多数派同様社会的に認めさせ、
一社会人としての個人的権利を確立させたいという主張
に関しては、
まったく同意であり異論はない。

しかし・・・

ある種の声のデカい人権派においては、少数派や例外者の意見を普遍化し、
社会の多数派よりも優位な位置におき、多数派を否定し、さらに排除して、
少数派の意見を社会の上位にさせようという意図が見え見えなのである。


つまり・・・

少数派が多数派を支配する偏った独裁制を目指すことが、
口喧しい人権派やフェミニストの主張の真意なのである!
これは少数派ファシストによる民主主義の否定である!
その先にあるのが日本滅亡への野望である!




      喋ればしゃべるほどバカが露呈する二大馬鹿センセー♪


現在安倍政権の進める「女性の輝ける社会」こそ国を亡ぼす欺瞞政策だ。
少子化の促進で外国人労働者を移住させ、女性を強制労働させる意図である。
これはフェミニストの女性解放思想に安易に迎合する国家破壊論である。

待機児童ゼロ政策の一環で今後5年間で32万人の保育園児の受け皿を作り、
2022年度末で女性の就業率80%を想定して、というバカな政策を打ち出した。

つまり未婚者と少子化の進む中、32万人の子供を保育園に入れるのは、
全女性が家庭にいてはいけないというフェミニストの策略そのものである。
「女性が輝く」ためには専業主婦はダメで就労しなければならないというのだ。
  ↓
待機児童解消目指す、5年で32万人分の保育受け皿整備へ
TBSニュース 2017.6.2
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3066831.html

これによって・・・

日本人のDNAを絶やし日本人の滅亡は一気に加速する!





安倍首相のやろうとしている事は、旧ソ連でレーニンが行って後に失敗した、
「子供は親でなく社会で育てる」という社会主義的発想そのものなのである。
結果、少年非行が激化し社会混乱に陥り、皮肉にもスターリンによって中止されたものだ。

これは家族の解体に他ならない。
家族という社会の構成単位を消滅させることで国家解体につなげ、
社会主義革命を容易にしたい共産主義者の発想そのものなのである。

子供は親が育てるのは生物の進化における生物学的真理である。
子供は、仮に血縁がなくても、両親と一緒に暮らし育てられることが基本だ。
そして父親と母親はそれぞれの役割をもって子供を育てるのである。


歴然と存在する性差とは「差別」ではなく「差異」である。

性差・人種・民族に限らず個々人にもすべて「差異」が存在するのであり、
差異=違いを認めるという人権主義に置き換えればなんら問題は生じない。


フェミニストは男女の差異を認めない全体主義者である!
ジェンダー学よりも基本的人権で男女差別は解決できる!









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