情けは人のためならず、王将出町店主・井上定博さんに感謝!

トラネコ

2017年06月17日 00:00

店主「心意気や」めし代のない学生「皿洗い30分」でタダ
…餃子の王将出町店の35年

「めし代のない人 お腹いっぱい ただで食べさせてあげます。但し食後30分間お皿洗いをしていただきます。18歳以上の学生さんに限定」こんな張り紙を玄関先に掲げて、多くの若者に親しまれてきた店が、京都市上京区の学生街にある。「餃子の王将」出町店だ。店主の井上定博さん(67)は「皿洗いした学生の中には、弁護士になった人もおんねんで」と目を細める。

井上さんは23歳のころ「餃子の王将」で働きだし、いくつかの直営店の店長をつとめた後、フランチャイズの「出町店」をオープンさせた。直営店の店長時代と合わせて35年間、「皿洗い30分」で定食をタダにしてきた。店の全盛期には1日8人が皿洗いを申し出ていたが、最近では多くて1日3人ほどだという。

店の近くには、京都大学や同志社大学があり、客のほとんども学生だ。「ほんまは、『皿洗いさせて』と言うた根性に免じて、(皿を洗わなくても)タダでいいと思うとる。衣食住で『食』が一番大事や。金がなくても腹は減る。学生は勉強してえらい人になったらええ」(井上さん)

●「オレもめし代のない時代があったんや」
「若いころ、オレも散々苦労した。めし代のない時代があったんや」。井上さんは20歳で結婚し、すぐに子どもができた。必死になって働いたが、その日の食事に困ることがあった。あるとき、年配の知人から「晩めしを一緒に食べへんか?」と誘われたことがあるという。井上さんはこのことが今でも忘れられない。

「名前も顔も覚えとるわ。自分の子どものように、ようかわいがってくれた。水炊きとか焼肉を食べさせてもろた。もうこの世におらんから、直接、恩返しできへん。せやけど、幸いにも、こういう商売しとるわけやから、今の若い子らに食べさせることになるわな」

この店の特別なところは、「皿洗い」だけではない。余った唐揚げをその場にいる客全員にタダで提供することもあるのだ。井上さんは「サービスちゃうで。心意気や、心意気」と笑う。そんな店は新聞やテレビで取り上げられたり、漫画『取締役 島耕作』(弘兼憲史)のあるエピソードのモデルにもなった。

井上さんは、皿洗いをしたことがない学生たちからも親しまれている。「卒業してからも一升瓶ぶらさげてやって来るやつもおれば、医者になったやつは『おっさん、金に困ったらタダでみたる』と言うてくれる」という。だが、「そんなに感謝はいらん」と話す。

「世の中、自分の子どもさえよかったらいい、他人の子どもはどうでもいいという人が多い。せやけど、他人の子どもも大事にするんや。そうすると、自分の子どもに『徳』が返ってくると信じてる。そうやって、世の中がよくなっていったらええやん」
弁護士ドットコムニュース 2017年06月11日
https://www.bengo4.com/c_5/n_6205/


            王将出町店の店主の井上定博さん
           あえて顔を写させないのもカッコいいな!



井上定博さん、なかなか素晴らしい「心意気」の店主である。
やはりこんないい話は日本ならではかな・・・と思いきや、
いつだったかタイの泣けるCMで似たような話を見た。
              必見!             
          ↓

     
         【日本語字幕】世界中が泣いたタイのCM
       - Touching  Thai Commercial of Truemove H

         




いやもうね、これ今見ても涙腺崩壊だわ・・・
こういう感覚がタイにもあるんだと思うと嬉しくなるな。
重要な事は陰徳を積むことだと改めて感じた。

さらに人間じゃないが、トルコのこれも心温まるいい話・・・

     
        Pregnant cat goes to health clinic for help
      臨月の雌猫が何故か病院の入り口で必死に鳴いていた。
     どうも出産がうまくいかないみたいで人間に助けを求めたようだ。
     察した病院は動物病院に搬送し、帝王切開で無事4匹が生まれた。






「世の中、自分の子どもさえよかったらいい、
 他人の子どもはどうでもいいという人が多い。せやけど、
 他人の子どもも大事にするんや。そうすると、
 自分の子どもに『徳』が返ってくると信じてる。
 そうやって、世の中がよくなっていったらええやん」

大将、アンタの言う通りやっ!

こういう考え方って昔は結構あったと思う。
私も大学は親に頼らず自活していたのでいろんなアルバイトをし、
いろんな人々のお世話になりそのお陰様で大学も卒業できた。

そんなバイトの一つに鉄製部品などの防錆塗装の仕事に通っていた事がある。
当時私はエアブラシというスプレーガンで絵をかいていたので勉強がてら通った。
そこの店主がこの王将の井上氏と似たようなことを言っていたのを思い出した。

彼は高校を出てから東京の専門学校に行ってた時いろんなバイトをしていたが、
やはりお金がなくて生活が苦しかった事もあって、いろんな人に助けて貰ったそうだ。
そして私もその社長にいろいろお世話になった。

社長いわく・・・

 「一人前に独立してから恩返しをしたかったが、
 しかし当時の人々に会う機会はもうない、だから、
 独立した今、バイトに来る学生に同じ事をするのだ。」


                      ・・・と社長は言ってたのだった。



           やはり立身出世した偉人は言う事が違う。



井上さんのいうように、他人の子供にも困っていれば助けてあげ、
しかし皿洗いという形式だけの代償をもって労働の尊さも教える
その恩恵を受けた学生がまた将来同じことをしていけばいい。

そうやって世の中は巡り巡って皆が幸せになるのだ。

日本人は縄文時代から皆そうやって助け合って暮らしてきたと思う。
他人を傷つけたり、物を盗んだりすることには自制的な習慣ができた。
そこから自然と公衆道徳という意識が芽生えてきた。

豊かな自然の恵みと明瞭な四季、しかし地震や台風など、
自然災害が多い風土は相互扶助が大事だと悟った。


田植えも鎮守の森の管理も村祭りも・・・みんなで話し合い協力していった。
農作業協力の、沖縄のユイマール、本土の結(ゆい)は同じものである。
これが村落共同体であり、町にも隅々まで自治組織ができた。

 我らの先人はその風土の中で互いに助け合う事が
 最も合理的で平和に暮らせる知恵だと悟っていた。




      昔の農村では田植えも収穫も村人総出で各家ごと行った。
      これが「結」である。沖縄のユイマール(結回る)の事である。



恐らくこれが日本の民主主義の初期的な形態ではないかと思う。

だから明治の五榜の掲示の内容が提示されたのは自然なことだった。
別に敗戦後マッカーサー大元帥サマに教えて貰わなくても、
日本人はアメリカよりも昔から民主主義を実践してきていたのだ。

しかし逆に近代化とグローバル化はこれを破壊してきた。

戦後民主主義における個人の尊重一定限度を越して拡大し、
エゴイズムの助長と蔓延であり、共同体の破壊を促進してきた。
同時にそれは「結」の精神や奉仕や義務の精神をも破壊してきた。


何ごとも程度、限度があることを西欧事大主義者のバカサヨはわからない。

  戦後民主主義など糞くらえだ!



       民主主義が何かもわからず、民主主義を守れと言いながら、
       民主主義を破壊する何の学習もしてこなかったバカ老害



・・・と、またまた話が大幅にズレまくった(笑)

日本人には「おかげさま」精神というものがある。
~精神というほど大げさではないが、人間一人で生きているのではない、
いろんな人々や自然界からの恩恵を受けてい生かされている、という事だ。

そう、生きているのではない、「生かされている」のである。
だから生かして頂いている何事にも感謝を忘れない気持ち、
これを大事にする心が「おかげさま」なのである。

  「お陰」とは、目に見えない神仏の恩恵の事である。





  これも八百万の神々の国・日本である。
  人間が自然界を支配する一神教と異なり、
  人間も自然の神々と一緒に暮らしているのだ。


しかし・・・

ラテン圏にもGrácias a Dios、直訳は「神様に感謝」という言葉があり、
まあ言ってみれば、これがカトリック風「おかげ様で」になるのだと思う。
宗教は違ってもどこでも似たような感覚をもつものである。






ところで・・・

井上さんの好意もそれを理解できる感性のない者には通用しない。
恩は着るもので着せるものではないし、返すものだ。しかし、
恩を仇で返すことが通常感覚の民族や社会では成り立たない話だ

こういう人間に恩恵を与えることはむしろ逆効果である。
本人の為にもならなず、益々本人を堕落させることになる。
恩恵とは与えるにふさわしい者だけに与えるべきである。

イエスも言っておられたっけ・・・

 「聖なるものを犬に与えるべからず。豚の前に真珠を投げてはならない。
 それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くだろうから。」


                      ・・・マタイ伝7章6節 







改めて日本に生まれたことを親と先祖に感謝する・・・

 情けは人の為ならず、おかげ様です!










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