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従軍慰安婦というウソ その1

2008年09月18日

これを書いているのは9月7日である。
昼の琉球放送のニュースを見ていたら、宮古島慰霊碑建立委員会なる組織が、
韓国から戦時中強制連行され満州で「従軍」慰安婦として6年間働かされていたという、
元慰安婦パクという85歳の女性の講演会を開いたという。

まずこの「従軍」慰安婦なる言葉だが、
この言葉は1973年に元毎日新聞記者で作家の千田夏光が書いた小説から生まれた。
従軍と言うのは軍属として軍の組織に組み込まれた制度の一部を指す。
従軍記者、従軍看護婦、従軍カメラマン、従軍画家、従軍牧師・・・・・・・
戦闘要員ではないが、軍隊の組織、行動を共にする民間人である


帝国陸軍には「従軍慰安婦」という制度は無かった。
つまり・・・

従軍慰安婦など存在しなかったのだ。

しかし従軍慰安婦はいなかったが、慰安婦は存在した

これは民間の業者が経営する兵隊専用に設立した慰安所があった。
慰安所とは性 処理施設である。
今風にいうと軍隊用のソープ ランドである。

これは民間業者が軍隊の許可を得て、軍人相手の商売をするということである。
わかりやすくいうと、市や県などの役所内にあるコンビニや理髪店などと同様の施設である。
これらの施設の店舗は公的施設内に設置され、その管理権は役所側が持っている。
管理・監督権があると言うことは、役所は庁舎内の民間店舗に関与している。
衛生管理や防災管理などは役所の権限で命令できる。

しかし店の従業員やアルバイトの募集、その賃金や待遇は業者が決める権利を持つ。
つまり軍の慰安所というのは、
軍の許可を得て軍人相手に商売する、民間の売春業者が経営する「お店」である。
だからは慰安所の慰安婦の性 病予防や保健衛生面などに関与している。
そうしないと兵士に余計な病気が蔓延すると戦闘に影響するからだ。

ちなみに昭和33年に売春防止法ができるまで、売春は合法的職業であった。


軍の慰安所とはそのような性格のものである。
決して国や軍が経営しているものではない。
したがって「従軍」という枕詞は着くはずがないのだ。
ただし軍御用達であるから、保健衛生面、風紀面などには関与はしている。
これは軍隊の性格上当たり前のことである。


軍隊に何故慰安所が必要か。
それは兵士の大部分が若い男性であり、戦争と言う極度の緊張状態と、
禁欲状態に置かれることで起こりうるであろう、
民間人への性暴力、強姦などを防ぐ目的で設立されたのである。

これは帝国陸軍だけでなく、世界中の軍隊も同じである。
終戦後のアメリカ進駐軍は、日本の駐屯地のある市町村の首長に、
アメリカ軍兵士専用の慰安所設立を司令官命令で出している。

ベトナム戦争に参加した韓国軍は慰安所を設けなかった。
その分、韓国兵のベトナム人女性への強姦と殺戮は目に余るものがあり、
韓国人の血を引くベトナム人の子供が5000人以上生まれたといわれる。

ちなみにベトナム戦での韓国軍兵士のベトナム民間人への虐殺、暴行、強姦は
質、量ともに異常なもので、アメリカ軍兵士もあきれるほど酷かったという。
現在ベトナムには「韓国軍に虐殺された民間人慰霊碑」や、
その虐殺の様子を描いたモザイク画が公的に設立されている。


米軍統治下の沖縄では普通に、米兵相手の売春宿があった。
現在の沖縄でもコザの人の話では米兵専用のデリ・ヘルがあったり、
米兵相手の飲食店では売春行為が堂々と行われている所もあると聞く。

私自身も仕事で北部のキャンプ・ハンセンに行ったときに、
明らかにその手の女性が、昼間から「営業」している姿を目撃したことがある。
ただし日本人女性ではない(フィリピン系?)ように見えた。

それでも警察は知っていても取り締まらない
地元の女性に性暴力の被害が及ばないために黙認しているとからしい・・・

明日へ続く・・・



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Posted by トラネコ at 08:00│Comments(0)慰安婦問題
 
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