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歴史の見方(改訂版)

2008年11月27日

過日ある酒席で50代後半の男性と同席した。
仮にA氏と呼ぶ。
A氏とのいろんな話の中でこんな話が出た。

沖縄と日本政府」との関係は「チベットと中国政府」の関係に酷似しているというのだ。
つまりチベットは中国に侵略された。
沖縄もかつて江戸時代初期の薩摩藩、明治時代には琉球処分によって、
日本政府の「侵略」を受けた。
チベットへは中国政府がインフラ整備し鉄道を通し豊かにしたが、
言語を奪い、歴史文化やチベット文化を破壊した。
沖縄も日本政府がインフラ整備し経済投資して本土並みに豊かにしたが、
本土との通信、交通が活発化するほどウチナー文化が失われていった。
だから「日本における沖縄」は「中国におけるチベット」だというのだ。

その場は酒宴でもあるし、ほかにも人がいるので場の雰囲気を壊してはいけないので、
あえて私は反論せずに黙って聞いていた。
しかし内心では、なんと短絡的で浅薄な発想なのだろうと私は思った。
A氏は教養もあり、温厚誠実で、ある意味立派な紳士である。
しかしこのような人物でも、ある種の屈折した歴史観を持っているのに驚いた。

本当に沖縄とチベットの状況は酷似しているのだろうか?

まず事実関係だけを客観的に見ると、チベットも沖縄も元独立国家であった。
それを強国の「侵略」によって国家消滅させられ、国家併呑されたのは事実である。

しかしその事実の歴史的背景や国際情勢を付加して分析すると、
決して沖縄とチベットが同列に論じられることは成立しない。
そのことを見ていく。





「沖縄侵略」の薩摩藩は17世紀、明治新政府の時代は19世紀で、
この時代は西洋列強の植民地主義、帝国主義の時代である。
世界中が弱肉強食の論理で動いていた時代である。
地政学的な位置にあって軍事力の脆弱な国家、地域は強国に呑まれる時代であった。
沖縄(琉球王国)は薩摩侵略の1609年以降薩摩の「傀儡国家」として存続し、
1879年の廃藩置県で王国が消滅し、沖縄県として日本に組み込まれた。
しかしこれはあくまで日本への併合であり植民地政策ではなかった。
このことは後の台湾や朝鮮半島政策とも同様である。

植民地とは宗主国の一方的搾取と奴隷的待遇におかれるということである。
併合とは併合主体国と同じ政策や恩恵を国家に保障されるということである。


チベットは第二次大戦後の民族自決の時代に、
列強の植民地が次々独立していったころに中国共産党の軍事介入で侵略された。
そしてそのときおびただしい寺院や文化財が破壊され、大量虐殺が起こった。
そして現在に至るも中国共産党によるチベット人絶滅政策は続いている。

チベットでは漢民族の政策的移住が国家によって推進され、
チベット人は仕事を奪われ、行政には殆ど漢人が独占し、
主要な産業、企業もチベット人は就職できない。
無論チベット人は中央官庁など絶対に就職できない。
漢人支配による徹底的な民族差別を国家政策で強行している。
しかも子孫を作らせない為、若い婦女子は共産党によって、
強制的に上海などの経済発展した東沿岸部に連行され、
そこで就職させられ、現地の漢族男性と結婚させられている。
これも民族浄化の国家政策である。

中国政府が青蔵鉄道を敷いたのは、チベットの発展に貢献する目的ではない。
チベットの豊富なレアメタルや地下資源を運び出すためと、
対インド戦略の要所として、チベットの氾濫を速やかに鎮圧できるように、
人民解放軍派遣を迅速に行う目的である。



一方沖縄はどうであったか。

明治維新のころ沖縄は既に薩摩藩の支配下の琉球王国であった。
これは薩摩の経済的支配であり、植民地支配であるといえる。
しかし明治政府の場合だが、日本への帰属を拒否した琉球支配者層を警察権力で
強制的に押さえ込んで「併合」したことは事実であるが、決してチベットのような
民族大虐殺や文化財の徹底した破壊行為などはなかった。

しかも何度も書くがこの時代は帝国主義の時代である。
軍備の脆弱な小国、しかも地政学的重要性のある地域では、
確実に大国に呑み込まれることが常識の時代であった。
琉球王国は弱小国家であった故に薩摩に侵略されたのだ。

この点はチベットも同じである。
仏教を信じてひたすら仏に祈っておれば、国家は安泰であり、
軍事は殺生に通じてよくないことだといった無関心さが、
中国軍にあっという間に蹂躙されてしまったのだ。
日本の「憲法真理教」信者と同じである。

「もし沖縄が中国に帰属していたら?」言う程度の想像力は働かせたいものである。
これについては「幻の沖縄独立論」でエントリしたとおりである。



明治時代の富国強兵政策のなかで、方言抹殺
という「文化破壊」をされたとA氏は言う。

しかし当時徴兵制のあった時代、
軍隊での命令伝達系統を円滑化する目標もあり、
東北でも九州でも日本全国方言を使っていた地域は、
国語教育で日本語の標準化が進められたのであって、
沖縄だけが特別方言抹殺というわけではなかった。

ただ沖縄の場合は方言というより琉球言語といえるほど、
日本本土よりも言葉自体が歴史的推移の変化に追随していなかったため、
また音韻変化が著しいために、言語の標準化が本土より強制的であった面はある。

しかし先にも述べたように、この時代は帝国主義の時代であり、
日本が列強の植民地にならない為の急務の国家課題であり、
そのためにはどこかに軋轢や不幸が生じるのは、止むを得ない措置であった。

また現在でもウチナー口(沖縄方言)が衰退しているのは事実だが、
これは沖縄だけでなく、方言衰退は全国的な現象である。
それは交通、通信、流通などの発展に伴なって起きてくる普遍的現象である。

逆に全国各地の地域の郷土芸能なども、
年々後継者不足で保存会が苦慮している中において、
むしろ沖縄は市民レベルで普遍的に継承され愛されでいる点では、
全国的にも地域文化の保存度は高いほうだと思う。
むしろこれは誇れる文化であると思う。
しかも国立郷土劇場は沖縄文化の保存、育成に国が建てたものである。
決してチベットのような文化破壊を国政が行っているわけではない。


また私の悪い癖である話の脱線である。

朝鮮半島政策でも日本は朝鮮民族の文化保存に尽力した。
現在の韓国は「日帝の七奪」と言って、日本は朝鮮文化を破壊したという。
しかし朝鮮総督府ハングルの普及に努めている。
現在ハングル文字が朝鮮半島に普及したのは日本のお陰である。
そもそもハングル文字は第十五代朝鮮王によって使用禁止された文字である。
朝鮮教育令では朝鮮語は必修とされ、初の朝鮮語辞典も作られた。
朝鮮語辞典など朝鮮の歴史上初めてのものである。

1897年日本の小倉昇平氏がソウル語を標準語として、
漢字・ハングル混じりの文章を体系化した。つまり日本語の平仮名的使用である。
朝鮮語、ハングル学史」で漢文教育主体で90%以上が文字の読めない朝鮮人達を
教育するために使いだした。
1913年に本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によりハングル教育が始まり、
朝鮮半島に教育が出来る様に成った。

現在韓国、北朝鮮に言語教育が普及し国民が読み書き出るようになったのは、
日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものだ。

これは何度強調してもし過ぎることはない。

創始改名20パーセント近くの人が行っていないし、
日本帝国陸軍の将軍や国会議員朝鮮名で堂々と名乗った朝鮮人もいる。
現在の在日が日本人名で犯罪を犯し、本名を隠しているのと大違いである。
日本語の強制は朝鮮半島が日本に併合されたのだから、
日本語教育は当然であり、それ奨励されるべきである。
にもかかわらず、日本政府がいかに朝鮮人ですら出来なかった、
朝鮮文化の保存と普及をしたかが良くわかる。

現いかに嘘八百の歴史を教えているかがわかるだろう。
真面目に救いようのない馬鹿民族である。


話を戻す。

政府の沖縄への投資についてである。
私の私淑する沖縄の保守論客である恵隆之介氏によれば、
廃藩置県以降の明治政府の沖縄政策は、莫大な国費の投資があったそうだ。
沖縄の本土復帰以降2000年まで10兆4千億円もの巨費を政府は沖縄に投じている。
また戦後の米軍統治下でも、米兵の悲惨な事件や被害は声高に叫ばれるが、
米軍が沖縄に建設した各県立病院、看護学校、琉球大学、県立博物館、幹線道路などは、教育でも報道でも殆どの県民に知らされない。
マスゴミと教職員組合は「アメリカ帝国主義」からの恩恵は極力隠しておきたいのだ。

<参考>「わが沖縄県民よ 忘恩の民になるのか」恵隆之介
http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/jp/jno5.html



チベットでは中国の侵略以降人口が激減し、120万人が虐殺され、
現在600万人のチベット人に対し、750万人の漢人がチベット内にいる。
チベットのように中国政府(=共産党)の国策で弾圧と搾取と民族浄化
現在も進行中であり、しかも北京五輪前にそのことが世界中から非難された事も記憶に新しい。

沖縄県の人口は沖縄戦で10万人の死者を出して昭和20年で51万人だったが、
昭和49年には100万人突破し、現在では132万人に伸びている。
まさに半世紀で二倍以上の人口増加である。


こうしてみてきただけでも、チベットと沖縄が決して同列に論じられないことは
誰の目にも明らかである。
表面的な現象面だけ見て沖縄とチベットを同列に扱う感覚には、
まったく世界情勢、時代背景、国家体制、植民地政策
などの観点がすっぽり抜け落ちているのである。


前にも書いたが歴史を見る目は多角的視点が必要である。
表面的な現象面だけの視点では大変な誤解を招く。
私は自虐史観も嫌いだが、卑屈な被害者史観も嫌いである。
根拠のまったくないウリナラ史観(何でもかんでもわが国最高)も嫌いである。
これらに共通するものはいかに自国民は無能で脆弱であったかというパラドックスであり、民族の虚弱メンタリティーの表れである。

歴史的事実もどの様な観点で見るかによっても、
その解釈は様々であるといえる。
我々は出来るだけ幅広い視野で歴史の事実を見ていきたいものである。



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Posted by トラネコ at 06:00│Comments(2)沖縄
この記事へのコメント
トラネコ先生、おはようございます。
寒くなってきましたね。

 我が夫は40代ですが、方言を聞けはしても
ほとんど話せません。
小さいときから兄弟5名とも、標準語で育てられて
来たそうです。(イントネーションは違いますが)
 両親は、良かれと思って徹底したそうで
今になっても間違ったとは思っていないと言います。

 方言を日本政府に制限されたという方々に
会う事もありますが、疑問を感じます。

 被害者意識が強い人が多いと感じます。
が、ナイチャーの私は反論できない雰囲気
大です。
Posted by 三時の母 at 2008年11月28日 05:38
三時の母様
コメント有難うございます。

ホントに急に寒くなってきましたね。昨日私は不覚にも風邪を引いてしまい、今日は仕事を休んで一日中寝ていました。お陰様で今は治りました。

さて琉球大学の歴史学者である高良倉吉教授はこのように述べています。

「沖縄県人は被害者意識ばかり強すぎる。戦争被害は沖縄だけでなく、広島・長崎の原爆、東京・名古屋・大阪・福岡の無差別絨毯爆撃、さらには北方領土やサハリンでも地上戦はあった。これらの視点が沖縄県民にはまったく認識の中にない。これではいくら悲惨な地上戦が沖縄にあったといっても、他の都道府県民からの賛同は得られないであろう。」

まったく同感です。
ウチナーの中にも高良教授のように開明的な、広い視野のある方が少なくありません。しかしマスゴミはこのような声にあえて無視します。
困ったものですね。
Posted by トラネコ at 2008年11月28日 19:42
 
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