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琉球王朝と海賊 その1・倭寇について・改訂版

2008年11月29日

船長は久貝さん/アフリカ東部漁船乗っ取り/八重瀬在住 全員の無事確認

アフリカ東部ケニア沖で日本人船長らが乗船した中国天津市の
「天津市遠洋漁業」所属のマグロ漁船天裕8号が
海賊とみられるグループに乗っ取られた事件で、同船の日本人船長は、
八重瀬町の久貝豊和さん(53)=宮古島市伊良部出身=であることが十五日分かった。
(中略)
また、中国当局は乗っ取りがあったケニア沖などソマリア付近の海上で
操業している漁船に対し現場海域から離れるよう呼び掛ける緊急通知を出した。
在北京の日本大使館も情報収集に当たっているが
「事件の性質上、日本人が含まれるかどうかも含め明らかにできない」としている。
(後略)
琉球王朝と海賊 その1・倭寇について・改訂版

                   海賊に乗っ取られた天裕8

沖縄タイムスWeb版11月21日
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-11-16-M_1-001-1_002.html
                                                  以上


ソマリア海域での海賊事件が急増しているらしい。CNNニュースによれば、
ソマリアとイエメンとの間のアデン湾は年間2万隻もの船が通航する要所で、
無政府状態が続くソマリアでは約3000キロの長い沿岸を警備することが出来ず、
海賊行為が野放しになっている。
アデン湾は、世界の石油輸送量の3割以上が通過するエネルギーの大動脈で、
海賊の襲撃急増で保険料も昨年10倍に跳ね上がった

このソマリア海域では各国海軍などが警戒態勢を敷いて、
国籍に関係なく、貨物船や石油タンカーなどを警護する任務についている。
ここでは珍しく政治的対立のある国同士でも協調関係らしい。
日本政府も海上自衛隊も監視出動を検討しているという。

ところで事件を起こす海賊は、元もとソマリアの漁師が無政府状態で失業し、
ほかになす術もなく「海賊業」に転職したものが多いといわれている。
海賊の大半はハラゼレやホビョなどソマリア中部の漁村を拠点にしており、
自動小銃やロケット砲で武装し、複数の高速艇で襲いかかるのが手口だ。
約15年前から出没し始め、この1、2年で急増。
漁業会社がそのまま漁船を使って海賊会社」に衣替えしたケースがほとんどで、
複数の武装集団に全体で300人ほどが属しているという。(11月15日朝日新聞)

海賊の目的地とみられるエイルは、海賊ビジネスが“主要産業”の無法地帯で、
BBCによると、現地では小型パソコンにスーツ姿の海賊用会計士や交渉人が闊歩し、
街には人質用の特別レストランもあるそうだ。(9月29日 産経新聞)
しかもこの地域の住民は海賊産業のお陰で経済的に潤っており、
各国の人質の待遇も極めて良く、海賊によってはVIP待遇の人質もいるという。
<関連記事>
wired news 2000/9/18
http://wiredvision.jp/news/200809/2008091820.html

産経ニュース 9月28日
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/080928/mds0809282043001-n1.htm

琉球王朝と海賊 その1・倭寇について・改訂版

               映画「パイレーツ オブ カリビアン
上の写真はニュース記事と何の関係もないことをお断りしておく。
(誤解する人はいないと思うが念の為)


なんか笑ってしまいそうな嘘のような本当の話である。
さてここからが今回のエントリの本題である。

実はこれらのニュース記事を読んでいて思い出したことがある。
それは琉球王朝時代の中国への進貢船は、
ほとんど海賊の被害にあっていないというのだ


一説によると琉球王朝は東シナ海に暗躍する海賊との間に、
何らかの相互安全保障条約みたいなものを結んでいたのではないか、という説がある。

日本の海賊といえば鎌倉時代から室町時代にかけて、
東シナ海や黄海を暴れまわった倭寇が有名だ。
琉球王国と倭寇の関係を考察する前に、倭寇について概略を述べる。


倭寇は海賊とは言っても元々は密貿易を本業としていた連中だが、
明国政府、幕府の取り締まりや、さらに他の海賊との間の抗争などもあって、
次第に武装集団化して海賊になったものと見られる。
密輸商人が海の強盗に変遷していったということだ


倭寇には前期と後期によってその構成員や活動目的、範囲などが変わってくる。
前期倭寇は13世紀終わりから14世紀に活躍し、日本人が主要メンバーであった。
パイレーツ オブ ジャパニーズである。

前期でも初期段階の倭寇集団は、対馬・壱岐・松浦・五島列島などの
住民たちと元寇の役で経済的窮乏し、没落した武士団が倭寇の興りである。

彼らは元寇に際して、元軍とその支配下にあった高麗軍によって
住民を虐殺された被害者とその遺族であった。
彼らを「三島倭寇」と総称された。

朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、
元寇に対する被害地方の住民子孫による、

高麗王国への報復行為と考えられる。

清の徐継畭の「瀛環志略」や、李氏朝鮮の安鼎福の「東史綱目」には、
倭寇の発生原因は、日本人による元寇への報復であったという記述がある。

琉球王朝と海賊 その1・倭寇について・改訂版高麗王国はこの倭寇によって衰退させられた。
高麗を攻撃した倭寇は既に海賊という規模ではなく、数千人規模の騎兵隊や武装歩兵軍団で構成され、今でいう海兵隊のような軍隊規模の組織であったらしい。

おそらくこれほどまでに朝鮮半島内部まで荒らしまくったのは、元寇での被害が想像を絶するほど、筆舌に尽くしがたいものがあったことを物語っている。

これに対して高麗王国も黙っていたわけではなく、何度も倭寇殲滅作戦を敢行している。対馬は倭寇の根拠地だったこともあり、対対馬倭寇掃討作戦を実施して成果もだしている。しかし結果的には倭寇討伐軍司令官の李成桂が弱体化した高麗をほろぼし、李氏朝鮮を成立させた。 
                                        前期倭寇の出現図
                       
                                

それにしても地方の田舎の住民集団が一国の王国を
滅亡に導くほど、軍事的に強力であったのは驚きである。
もっとも西国豪族の武士団が中核となっていたはずだから、
今風に言えば、海軍軍閥であったのだろう。

逆に高麗王国はそれほど軟弱なヘタレ国家だったのだろうか?
多分ヘタレ国家だったと思われる。
高麗王国滅亡後成立した李氏朝鮮でも、対馬の倭寇退治と称して、
1419年応永の外寇では、朝鮮軍は30倍軍勢で攻め込んでもボロ負け敗退している。
                                

14世紀終わりから15世紀になると朝鮮人が倭寇の中心になる。
彼らも相変わらず、自国なのに李氏朝鮮王国を荒らし始める。
しかも朝鮮人なのに倭寇と名乗っているのだ。

現在も日本の通名で犯罪やってる在日や、
海外で悪いことをやって非難されたり、逮捕されたら、
「アイアム ア ザパニーズ」というバ韓国人旅行者と同じだ。


15~16世紀にはいると、後期倭寇の主要構成員は朝鮮人からシナ人に代わっていく。
明国は朝貢貿易しか認めず海禁令を敷いて海外貿易を自由にさせなかった。
このことが密貿易を盛んにさせる原因となった。

日本人は約3割以下だったが、当時日本は戦国時代だったこともあり、
武士崩れの浪人達が中国人などの密貿易商人の指導をしていた形跡もある。
恐らく倭寇船団によっては日本人主体のものもあったかも知れない。


琉球王朝と海賊 その1・倭寇について・改訂版

                倭寇図巻明軍(左)と倭寇(右)の海戦


シナ人や朝鮮人が主体なのに倭寇という言い方はおかしいが、
初期倭寇が高麗王朝を衰退させるくらいの強力な海賊だったので、
当時の朝鮮や明国の沿岸部では「倭寇」という名前そのものが恐怖の代名詞だった。

それで朝鮮人や中国人はお得意の「虎の威を借るキツネ」の如く、
自ら倭寇を名乗ったのだ。とくに事大主義の朝鮮人はそうだろう。

今でもmade in japanの製品のコピーを作って売ってるのはシナ、バ韓国である。
この時代から特亜は日本のパクリをやっていたことがわかる。

倭寇は豊臣秀吉の倭寇取り締まり令(1588年)の発令でようやく活動を弱めた。
李氏朝鮮もこの時代までずっと倭寇対策が国の重要安保政策だった。

もっともこの時代はシナ人が主体だが、日本の戦国浪人や博多商人や朝鮮人さらには、
スペイン、ポルトガルの商人や船員崩れ
なども加わり、多国籍海賊になっていた。

しかも当時の最新兵器である鉄砲も装備し、
中には大砲も装備した軍艦仕様のものもあったらしい。
最新の武器がカネを生み、カネで武力も強化する。
海賊は今も昔も変わらない。


次回は琉球王国と倭寇の関係について述べる。




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Posted by トラネコ at 05:00│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
大変参考になりました。

読んでね。
Posted by 『太平洋の織田信長』より at 2009年09月13日 04:58
こんばんわ^^はじめまして^^

実は自分の先祖が、海賊だったという説があったので、ネットでウロウロと見ていたら、こちらにたどり着きました^^
Posted by あき at 2010年12月06日 20:21
 
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