てぃーだブログ › トラネコ日記 › 沖縄 › 戦没者への慰霊は大切だが・・・

戦没者への慰霊は大切だが・・・

2009年06月24日

慰霊の日に冷たい言葉 胸を刺す
2009年06月23日

ガジュマルの木の前で詩集を広げるトーマ・ヒロコさん=19日、那覇市
沖縄で会社勤めの傍ら詩作を続ける20代の女性が、詩集を発行した。戦争や基地被害への思いを静かにつづる。その中の一編、「6・23×4」には、6月23日の「沖縄慰霊の日」をめぐる東京と沖縄の温度差が歌われている。

 《テレビの前のしらけた空気/言葉の槍(やり)が胸を刺す》

05年6月23日。沖縄県浦添市のトーマ・ヒロコさん(26)は県内の大学を卒業して上京し、初めての慰霊の日を職場で迎えた。
昼休み、沖縄の戦没者慰霊式を伝えるニュースで、地元の小学生が「平和の詩」を朗読する場面が流れた。周囲の同僚から声が上がった。「小学生が言っても説得力がない」「言わされている感じ」

衝撃だった。沖縄戦の惨劇を語り継ぐ特別な日と教わって育った。子どものころから学校は休日。でも、それは「遊んではいけない日」。沖縄戦で亡くなった祖父ら4人の親族の霊を家族で慰めるのが当たり前だった。「本土の人にとっては、そういう日じゃないのか」

 《島の友達と聴く島の歌い手のコンサート/オレンジや黄色や鮮やかな青い色をした歌ばかり》

翌06年は仕事後、沖縄出身歌手のコンサートに行った。特別な日の雰囲気の中で過ごしたかったが、感じたのは、盛り上がる観客と自分との距離だった。

 《みんなはもうすぐ温泉町へ着く頃だろう/私はアパートで一人手を合わせる

07年は会社の研修旅行と重なった。みんなに誘われたが、「この日に宴会はできない」とわけを話し、断った。

沖縄国際大(宜野湾市)では文芸部に入り、詩やエッセーの創作に親しんだ。大学4年の04年8月、大学敷地内に米軍ヘリが墜落する事故が起きた。現場は米軍が統制し、県警の現場検証も阻まれた。異様な光景を目の当たりにし、沖縄の異常さを感じた。

卒業後、一度は暮らしてみたかった東京へ。アパートで一人暮らしを始めた。方言のニュアンスが伝わらないいらだち。米軍機の飛ばない空を見上げて感じた沖縄との違い。ざらついた思いをため込んだ。詩誌の新人賞候補にも挙がったが、一生暮らす街ではないと、07年7月に帰郷。昨年、4年ぶりに沖縄で慰霊の日を迎えた。

 《祖母が生き延びてくれたからこそ/自分がいるということ/噛みしめながら顔を洗う》

東京と沖縄での4度の慰霊の日を47行の詩に表現したのは昨年秋。ことし3月に出した詩集「ひとりカレンダー」で一番最後に置いた。
戦争や基地のことを特に声高に訴えたいわけではない。「本土の人には『沖縄にはこんなこと考えている人間がいるんだよ』、沖縄の人には『私はこう思うけどあなたは?』。詩を通して話しかけたい」

asahi.com 2009年06月23日
http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000110906230001



戦没者への慰霊の心は大切である。


「慰霊の日」の沖縄二大サヨク新聞は「やっぱりなあ・・・」という記事だが、
すでに「縁側さんの逆風って気持がいい」のブログに詳細をゆずる。
http://osamu5138.iza.ne.jp/blog/entry/1100115/

私は「朝日コム」の沖縄の女性の話で、ちょっと思うことがあったので書く。
この當間さんと言う方は恐らく真面目で純真な文学少女であろうと思う。
沖縄のサヨクでも悪質な平和団体や新聞社と異なり、
真面目で純粋に平和運動をやっている人も実際いることを、私はよく知っている。


これらの人に共通するのは真面目で純粋なのだが、
視野狭窄であり、故に教条的な側面が結構あるのだ。
小林よしのり氏が「純粋まっすぐ君」と称していた奴だ。



かつてのオウム真理教の信者にもこの手の純粋まっすぐ君がいたと思う。
先生の言うことは真面目にちゃんと聞いて、成績もそこそこ出来て、クラス委員なども歴任、
戦争は何が何でも反対、だから軍備なんてもってのほかで、当然自衛隊は反対。
もちろん日米安保も米軍基地も絶対反対である。

しかし拡大する中国の軍事にはまったく興味も関心もない。
中国の核兵器なんてあったの?チベットで何か問題でもあるの?
北朝鮮はみんながいじめるから核武装してるんだよwww
それよりも悪いのはみんなアメリカ、アメリカのせいで、
イラクやアフガンの人びとが苦しんでいるんだ。
沖縄に米軍基地があるから戦争が起きるんだwww

ま、こんな感じの人がいるんだな。


沖縄の生徒の反戦への誓いとか詩の朗読とかは、
ほぼすべてが教師の指導で言わされているのだ。

私は現場にいたからそう断言できる。
(私のいた学校に関しては、と付け加えておく。)
当たり前だろう、小学生が自主的に「慰霊の日」に向けて、
反戦平和の詩や作文など書くはずがないだろう。

私はかつていた八重山の某中学校で、平和美術展出品のために、
担任教師から「戦争の絵」を描くように生徒が強制されていたのを覚えている。
生徒は嫌がっていたが、強制だから仕方がない。
しかし担任教師は極めて真面目な女性だった。

ところで・・・

當間さんは東京にいたというが、一晩で10万人が生きたまま焼き殺された
昭和20年3月10日の東京大空襲については、
東京でどのような一日を過ごされたのだろうか。

或いは20万人近くが一瞬のうちに灰になった、
人類史上初めての昭和20年8月6日と9日の広島・長崎への原爆投下の日は、
どのような過ごし方だったのか、伺ってみたい。

「慰霊の日」に静かに手を合わせ、戦没者に慰霊を捧げる方だから、
おそらく3月10日も8月6・9日もおうちの中で、
静かに慰霊を捧げていらっしゃることだろう。
卒業式のコンパやビヤガーデンでの宴会など絶対しないだろう。
また「沖縄の人にとってもそういう日じゃなかったのか?
と問われることはおそらくこの方に限ってないのだろう。


沖縄県のおこなっている平和教育こそ、異常である。
平和教育=沖縄戦=反日教育の最たるものである。

沖縄戦以外の反戦平和教育は沖縄にはないのである。
今現在も世界のあちこちで紛争の火種が絶えないが、
沖縄県の教育界はそんな現実などまったく興味はないのである。

また第二次大戦といえば、沖縄戦であり、
東京大空襲や原爆やあるいはサハリンや北方領土の地上戦などは、
沖縄県の戦争とは一切関係ないように見える。

沖縄県の平和教育とは沖縄戦でのありもしない日本軍の蛮行であり、
故に日本憎し、日本嫌悪、沖縄独立・・・は言いすぎか、
まあこんな感じで学校教育で行われている。
だからこの當間さんのような真面目な人もかなり量産されているのだ。

この當間さんもう少し時間が経って、いろいろ勉強されて、
広い視野でいろいろな情報が入れば、また考えは変わっていくことと思う。



「すべての日本人に捧ぐ」
http://www.youtube.com/watch?v=aw_mWZ0LqQQ

NHKの受信料解約はお早めに!
http://www.geocities.co.jp/Bookend/3326/nhk2.html



同じカテゴリー(沖縄)の記事

Posted by トラネコ at 13:13│Comments(3)沖縄
この記事へのコメント
慰霊の日の前後になると、沖縄二紙の発狂ぶりは目に余りますね。

朝日記事に出てくる女性は、仰る通りの普通の真面目人間なんでしょうが、逆にこういう人が朝日などに利用されると影響が大きいですね。

この記事、拙ブログでも紹介したいと思います。
Posted by 狼魔人 at 2009年06月24日 17:51
トラネコさま こんばんは

まったく同感ですー。変わってくれないかなー(T_T)/~~~
Posted by 縁側 at 2009年06月24日 18:41
狼魔人様
コメント有難うございます。
いやホント、真面目はいいのですが、融通の利かない真面目さは、一回洗脳されるとそれが解けるまで時間がかかりすぎですものね。だからこの女性もタイムスや新報の記事丸ごと真実なんでしょうねえ・・・(ため息)


縁側様
コメント有難うございます。
私も十代から二十代前半はサヨクでした。だからこの女性も柔軟性があれば、これからまともな方向に変わる可能性は十分だと思います。・・・思いたいです。
Posted by トラネコ at 2009年06月25日 06:54
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。