権利と義務
2009年09月05日
学ぶ権利、格差に「NO」 高校生も政治に訴え
授業料の滞納、退学……。「格差社会」に不況が追い打ちをかけるなか、高校生たちが立ち上がり、声を上げ始めている。授業料値上げに反対する生徒集会。教育費の無償化を訴えるパレード。選挙権はないけれど、取り組みを通じて「政治」への思いも強めている。
「授業料値上げ、はんたーい!」。昼休みの中庭に生徒が集まり、校長室に向かって拳を突き上げた。全校生徒の3割近く、約600人。6月下旬、名古屋市の私立名古屋高校でのことだ。
<中略>
私立名古屋高校での授業料値上げ決定への生徒の抗議の様子。
総選挙で教育費負担の問題が注目されていることはうれしい。ただ、私立の生徒のことも十分に考えてほしいと思う。「私立はぜいたくと言う人もいるけど、『子どもには学校を選ぶ権利はないの?』って聞きたい。みんなが学びたいところで学べるようにしてほしい」女子生徒が今回の取り組みに参加したのは、義務教育から先に進んでも教育費が無料の国があると知ったからだ。そんな制度ができて、学びたい気持ちが大事にされる社会になればすてきだと思う。
<中略>
定時制でのアンケートの様子。
「お金がなくても学校に行きたい」
集会の1週間前、女子生徒らは東京・渋谷の繁華街をパレードし、そう声を張りあげた。参加者は50人ほど。でも、自分たちの後ろにはたくさんの高校生がいると感じた。
「選挙権は持ってないけれど、わたしたちにも政治は関心を向けて欲しい」。
女子生徒は、そう思っている。
asahi.com 2009年9月1日
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200909010098.html
以前にも日共のしんぶん赤旗に同様の記事がのった。
今回は遠い親戚紙人民朝日である。まあ似たようなヨタ記事である。
<参考>「高額な授業料???」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2413427.html
すでに高校進学率が中卒者の9割以上という現実に対して、
民主党以下全野党は「高校全入」を政治目標に掲げている。
しかしこの記事に見られるように、「金がなくても高校に行きたい」
「高校を選ぶ自由はないのか?」、というが、
本当に「学ぶ」ために高校に行きたいのだろうか?
なぜ高校に行くのか?
何を学びに高校へ行くのか?
本当に学びたいのか?
この点についてここには書かれていないが、
「学ぶ権利」云々と言う前に、考えてみるべきことがあるのではないか。
権利を主張する前に義務も考えるという習慣が必用である。
◎経済的困難な場合
向学心旺盛で中学時代もそこそこ優秀な成績を収めていて、
なおかつ経済的理由で進学を断念せざるを得ない場合、
授業料免除や奨学金制度が活用できる。
となると、それらの活用もできない成績で、なおかつ、
公立高校が山ほど出来ているのに私立しか選べないのは、
ほかに本人に何か問題がありはしないか。
またこちらドミニカ共和国では、鉛筆一本も買えない「貧しい」生徒が、
衣服や装飾品さらに化粧品には、惜しみなくカネをかけるのだ。
同じように月々3千円弱の授業料が高いと嘆いている定時制の生徒は、
携帯料金や衣類・遊興費・交友費にかける金はどのくらいの割合なのだろうか?
経済的理由といってもさまざまな状況があると思うが・・・
◎ 高校を選ぶ自由について
勿論選ぶ自由はある。しかし自分の「行きたい」高校が、
かならずしも「行ける」高校だとは限らないではないか。
受け皿には限りがあるのだ。
自分の成績や能力や適性を考えて高校を選ぶのはよい。
しかし自分の行きたい高校へは誰もが必ずいけるわけではないだろう。
それができるなら、名門進学校とか有名高校には、
わんさか入学希望者が集まるだろうし、実際集まっている。
しかし受け皿(入学定員)には限りがあるわけだから、
選抜試験、即ち入試が行われふるいにかけられるのだ。
大学も同様だ。
希望実現の為にはそれ相応の努力が必用であるし、
反対に努力が必ず当面の希望をかなえるとも限らない。
また希望があっても我慢しなければならないこともある。
世の中なんでもかんでも、自分の希望通りにことが進むなどと、
考えることが馬鹿である。
こういうことは近所の大人や教師がきちんと教えるべきである。
私は過去数校の県立・私立の高校で教えてきた経験があるが、
高校によっては、あるいは高校の一定のクラス編成においては、
全く学習意欲もなく、ただ遊びに学校にきているだけの生徒も少なくない。
これは公立・私立は関係ない。むしろ偏差値、学習成績のレベルには関係する。
本当に学習したいから高校進学したのではなく、
世間体と高卒資格取得だけが目的で通学しているのである。
無論こんな生徒ばかりが進学したいと嘆いているのではないだろうが・・・・・
沖縄県の県立高校は成績が悪かろうとも出席さえしていれば、
進級も卒業も出来るという、馬鹿と怠け者には実に有り難い制度を、
かしこい♪お役人のいる教育庁のお達しで実現している。
つまり学習という学生の義務を果たさなくても、進級・卒業という、
権利は差し上げますよ!と教育行政のトップがお墨付きを与えているのだ。
こんな教育感覚の教育庁だもん、学力テスト全国最下位なのはショーが無いですな。
沖縄では日教組も教育行政も似たようなものである。
それを生徒も知っていて、授業中はおしゃべり、携帯メールで時間を過ごすが、
決して休まない。成績が赤点でも形式だけの追試や補習を受ければOK!だからだ。
私はこういう生徒のクラスを担当したことがあった。
もう頭がパーンwである。
私は高校全入には反対であると前にも書いた。
しかしある条件ならそれもいいかなとも思った。
それは昔からよく言われてきたことだが、
欧米などで実施されているような方式である。
つまり来るものは拒まないが、一定の学習成績をきちんと収めない生徒、
また生活態度や校則遵守などがきちんと守られない生徒などには、
進級、卒業はさせないという奴である。
こういう制度なら学習意欲の欠如した生徒はドンドン落とせるから、
真剣に学習したい生徒のためだけに税金を使ってもいいと思う。
学生の本分である「学習という義務」を果たす者のみが恩恵を受けれるのだ。
これなら「義務教育から先に進んでも教育費が無料の国」でもかまわないと思う。
やはり物事なんでも「義務と責任」を表裏一体として、考えるべきだと思う。
民主党の高校全入案はここまで考えているだろうか・・・
授業料の滞納、退学……。「格差社会」に不況が追い打ちをかけるなか、高校生たちが立ち上がり、声を上げ始めている。授業料値上げに反対する生徒集会。教育費の無償化を訴えるパレード。選挙権はないけれど、取り組みを通じて「政治」への思いも強めている。
「授業料値上げ、はんたーい!」。昼休みの中庭に生徒が集まり、校長室に向かって拳を突き上げた。全校生徒の3割近く、約600人。6月下旬、名古屋市の私立名古屋高校でのことだ。
<中略>
私立名古屋高校での授業料値上げ決定への生徒の抗議の様子。
総選挙で教育費負担の問題が注目されていることはうれしい。ただ、私立の生徒のことも十分に考えてほしいと思う。「私立はぜいたくと言う人もいるけど、『子どもには学校を選ぶ権利はないの?』って聞きたい。みんなが学びたいところで学べるようにしてほしい」女子生徒が今回の取り組みに参加したのは、義務教育から先に進んでも教育費が無料の国があると知ったからだ。そんな制度ができて、学びたい気持ちが大事にされる社会になればすてきだと思う。
<中略>
定時制でのアンケートの様子。
「お金がなくても学校に行きたい」
集会の1週間前、女子生徒らは東京・渋谷の繁華街をパレードし、そう声を張りあげた。参加者は50人ほど。でも、自分たちの後ろにはたくさんの高校生がいると感じた。
「選挙権は持ってないけれど、わたしたちにも政治は関心を向けて欲しい」。
女子生徒は、そう思っている。
asahi.com 2009年9月1日
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200909010098.html
以前にも日共のしんぶん赤旗に同様の記事がのった。
今回は遠い親戚紙人民朝日である。まあ似たようなヨタ記事である。
<参考>「高額な授業料???」
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2413427.html
すでに高校進学率が中卒者の9割以上という現実に対して、
民主党以下全野党は「高校全入」を政治目標に掲げている。
しかしこの記事に見られるように、「金がなくても高校に行きたい」
「高校を選ぶ自由はないのか?」、というが、
本当に「学ぶ」ために高校に行きたいのだろうか?
なぜ高校に行くのか?
何を学びに高校へ行くのか?
本当に学びたいのか?
この点についてここには書かれていないが、
「学ぶ権利」云々と言う前に、考えてみるべきことがあるのではないか。
権利を主張する前に義務も考えるという習慣が必用である。
◎経済的困難な場合
向学心旺盛で中学時代もそこそこ優秀な成績を収めていて、
なおかつ経済的理由で進学を断念せざるを得ない場合、
授業料免除や奨学金制度が活用できる。
となると、それらの活用もできない成績で、なおかつ、
公立高校が山ほど出来ているのに私立しか選べないのは、
ほかに本人に何か問題がありはしないか。
またこちらドミニカ共和国では、鉛筆一本も買えない「貧しい」生徒が、
衣服や装飾品さらに化粧品には、惜しみなくカネをかけるのだ。
同じように月々3千円弱の授業料が高いと嘆いている定時制の生徒は、
携帯料金や衣類・遊興費・交友費にかける金はどのくらいの割合なのだろうか?
経済的理由といってもさまざまな状況があると思うが・・・
◎ 高校を選ぶ自由について
勿論選ぶ自由はある。しかし自分の「行きたい」高校が、
かならずしも「行ける」高校だとは限らないではないか。
受け皿には限りがあるのだ。
自分の成績や能力や適性を考えて高校を選ぶのはよい。
しかし自分の行きたい高校へは誰もが必ずいけるわけではないだろう。
それができるなら、名門進学校とか有名高校には、
わんさか入学希望者が集まるだろうし、実際集まっている。
しかし受け皿(入学定員)には限りがあるわけだから、
選抜試験、即ち入試が行われふるいにかけられるのだ。
大学も同様だ。
希望実現の為にはそれ相応の努力が必用であるし、
反対に努力が必ず当面の希望をかなえるとも限らない。
また希望があっても我慢しなければならないこともある。
世の中なんでもかんでも、自分の希望通りにことが進むなどと、
考えることが馬鹿である。
こういうことは近所の大人や教師がきちんと教えるべきである。
私は過去数校の県立・私立の高校で教えてきた経験があるが、
高校によっては、あるいは高校の一定のクラス編成においては、
全く学習意欲もなく、ただ遊びに学校にきているだけの生徒も少なくない。
これは公立・私立は関係ない。むしろ偏差値、学習成績のレベルには関係する。
本当に学習したいから高校進学したのではなく、
世間体と高卒資格取得だけが目的で通学しているのである。
無論こんな生徒ばかりが進学したいと嘆いているのではないだろうが・・・・・
沖縄県の県立高校は成績が悪かろうとも出席さえしていれば、
進級も卒業も出来るという、馬鹿と怠け者には実に有り難い制度を、
かしこい♪お役人のいる教育庁のお達しで実現している。
つまり学習という学生の義務を果たさなくても、進級・卒業という、
権利は差し上げますよ!と教育行政のトップがお墨付きを与えているのだ。
こんな教育感覚の教育庁だもん、学力テスト全国最下位なのはショーが無いですな。
沖縄では日教組も教育行政も似たようなものである。
それを生徒も知っていて、授業中はおしゃべり、携帯メールで時間を過ごすが、
決して休まない。成績が赤点でも形式だけの追試や補習を受ければOK!だからだ。
私はこういう生徒のクラスを担当したことがあった。
もう頭がパーンwである。
私は高校全入には反対であると前にも書いた。
しかしある条件ならそれもいいかなとも思った。
それは昔からよく言われてきたことだが、
欧米などで実施されているような方式である。
つまり来るものは拒まないが、一定の学習成績をきちんと収めない生徒、
また生活態度や校則遵守などがきちんと守られない生徒などには、
進級、卒業はさせないという奴である。
こういう制度なら学習意欲の欠如した生徒はドンドン落とせるから、
真剣に学習したい生徒のためだけに税金を使ってもいいと思う。
学生の本分である「学習という義務」を果たす者のみが恩恵を受けれるのだ。
これなら「義務教育から先に進んでも教育費が無料の国」でもかまわないと思う。
やはり物事なんでも「義務と責任」を表裏一体として、考えるべきだと思う。
民主党の高校全入案はここまで考えているだろうか・・・
Posted by トラネコ at 00:00│Comments(5)
│社会
この記事へのコメント
いつもお世話になります。
学ぶことは大切です。学校における集団生活というのも将来社会に出るための練習として、重要だと思います。 ただ、「教えてください」というのと、「いいから教えろよ」というのでは違うと思います。 書かれてますようにこの頃、権利は主張するけど義務を屁とも思わない、そういう人が多いと思います。 給食費は払わないが、携帯は子供も持つ。そういうニュースを見るとアノ人達がやってるのは“運動”だろと思います。下の方に書かれてます「成績・品行」が良くないと卒業できない、それがいいんじゃないかと思います。
そういえば「なぜドミニカに?」と思ってましたが、JICAとして行っておられるんですね。ドミニカのため、ひいては日本のためにありがとうございます。 お身体に気をつけてがんばってください。 それでは
学ぶことは大切です。学校における集団生活というのも将来社会に出るための練習として、重要だと思います。 ただ、「教えてください」というのと、「いいから教えろよ」というのでは違うと思います。 書かれてますようにこの頃、権利は主張するけど義務を屁とも思わない、そういう人が多いと思います。 給食費は払わないが、携帯は子供も持つ。そういうニュースを見るとアノ人達がやってるのは“運動”だろと思います。下の方に書かれてます「成績・品行」が良くないと卒業できない、それがいいんじゃないかと思います。
そういえば「なぜドミニカに?」と思ってましたが、JICAとして行っておられるんですね。ドミニカのため、ひいては日本のためにありがとうございます。 お身体に気をつけてがんばってください。 それでは
Posted by zero at 2009年09月06日 18:00
こんにちは
学校側の値上げが客観的に妥当かと言うのはありますが。
高校を卒業して保育士になるのが夢、でも高校が卒業できるか。と言う生徒さんの記事が中にありましたが、高校卒業できなくてもいろんな道筋が用意されていて保育士になれるようですね。
一生懸命頑張ればなれるのではないか。
勉強が嫌いでも、努力すれば何とかなるのです。
うーん、多くの道が用意されているわけです。日本はいい国だな。と思いました。
トラネコ さまの意見には同意です。
学校側の値上げが客観的に妥当かと言うのはありますが。
高校を卒業して保育士になるのが夢、でも高校が卒業できるか。と言う生徒さんの記事が中にありましたが、高校卒業できなくてもいろんな道筋が用意されていて保育士になれるようですね。
一生懸命頑張ればなれるのではないか。
勉強が嫌いでも、努力すれば何とかなるのです。
うーん、多くの道が用意されているわけです。日本はいい国だな。と思いました。
トラネコ さまの意見には同意です。
Posted by 人形焼 at 2009年09月06日 18:48
zero様
以前ネパールの山村の学校で、片道2時間も山道をあるいて学校に通っている子供の映像を見ました。将来の夢は?と聞かれると、教師、医者、看護師、技術者・・・という答え。共通するのは社会のために貢献できる仕事だそうです。
我々日本人は余りにも恵まれすぎていますね。世界には勉強したくて仕様が無い子供達もいるんです。物質的に豊かになれば、精神的に貧しくなるという反比例現象を誰か言ってましたが、全く同感ですね。
人形焼様
戦後教育の弊害に悪平等主義というのがあります。
それをつくった一つの原因は、小中高そして大学という教育の単線化ルートではないかと邪推しています。だから皆が進学するから自分もしないとカッコ悪いとなるのです。
人の人生はさまざまなように、学べるスタイルのさまざまでいいじゃないですか。もっと戦前のような選択枝の多い複線型になってもいいと思います。
以前ネパールの山村の学校で、片道2時間も山道をあるいて学校に通っている子供の映像を見ました。将来の夢は?と聞かれると、教師、医者、看護師、技術者・・・という答え。共通するのは社会のために貢献できる仕事だそうです。
我々日本人は余りにも恵まれすぎていますね。世界には勉強したくて仕様が無い子供達もいるんです。物質的に豊かになれば、精神的に貧しくなるという反比例現象を誰か言ってましたが、全く同感ですね。
人形焼様
戦後教育の弊害に悪平等主義というのがあります。
それをつくった一つの原因は、小中高そして大学という教育の単線化ルートではないかと邪推しています。だから皆が進学するから自分もしないとカッコ悪いとなるのです。
人の人生はさまざまなように、学べるスタイルのさまざまでいいじゃないですか。もっと戦前のような選択枝の多い複線型になってもいいと思います。
Posted by トラネコ at 2009年09月07日 07:26
こんにちは。
これを主張するのが義務教育期間中の中学生、小学生というなら判りますが、高校生ではねぇ。
大検もありますし。学校でなければ学べないというわけもありませんし。
(確かに夜学に通うような生徒だと働いていない時間帯に図書館とかが開いてないのが問題かもしれませんが)
これを主張するのが義務教育期間中の中学生、小学生というなら判りますが、高校生ではねぇ。
大検もありますし。学校でなければ学べないというわけもありませんし。
(確かに夜学に通うような生徒だと働いていない時間帯に図書館とかが開いてないのが問題かもしれませんが)
Posted by えまのん at 2009年09月10日 11:54
えまのん様
コメント有り難うございます。
現在は高校の進級・卒業は実に簡単です。おそらく全国的にも、沖縄と同じような安易な教育方針ではないかと思います。
また図書館は定時制でも開いているところもありますよ。
コメント有り難うございます。
現在は高校の進級・卒業は実に簡単です。おそらく全国的にも、沖縄と同じような安易な教育方針ではないかと思います。
また図書館は定時制でも開いているところもありますよ。
Posted by トラネコ
at 2009年09月10日 13:04
