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人間としての権利はどこまで?

2009年11月19日

◆24時間介護、市は争う構え

重度の心身障害をもつ男性が、1日24時間の介護サービスを札幌市に求めていた訴訟の1回目の裁判が開かれ、札幌市側は訴えを退けることなどを求めました。
札幌市東区に住む鬼塚朗さんは、自らの裁判に出席するため札幌地裁を訪れました。2年前から一人暮らしをしている鬼塚さん。重度の身体障害と知的障害のある鬼塚さんは、1日24時間の介護が必要です。しかし、現在、市の重度訪問介護は1日11時間。足りない時間は、ボランティアに頼む不安定な生活が続いています。

(鬼塚朗さん)「不安がないと言えばうそになる。毎日が不安だらけです」

そこで鬼塚さんは札幌市に対して、24時間の介護認定を求め裁判を起こしました。これに対して札幌市は、「24時間の介護がなければ、生命の安全に関わる事態がすぐにでも発生しかねない状況にあるとはいえない」と訴えを退けることを求めました。裁判の後、札幌市役所を訪れた鬼塚さん。

(鬼塚さん)「訴えても却下ばかりで、生きることができません」
自分は障害者である前に、一人の人間。鬼塚さんは、そう訴えます。

札幌テレビ(2009年11月16日(月)「どさんこワイド179」)
http://www.stv.ne.jp/news/item/20091116191504/index.html




最近の社会は弱者の権利がモノをいう時代になった。
近代社会では弱者と位置づけられる社会の人々を手厚く保護し、
一般人と同等な暮らしを保障すべきだという。

なるほどこれが福祉国家なのか・・・

しかしながら、
社会的弱者というのは、具体的には身体障害者、低所得者、老人、子供・・・
とか言うのだが、実際弱者の定義は難しいと思う。
社会的に強いか弱いかなど、相対的な価値観でしかない。
相対的にみれば私なども社会的弱者に含まれるはずだ。
保護してくれよ~~~~~~~ん♪

失礼しました。

近年社会的弱者の権利が声高に叫ばれだしてからは、
マスコミも子供・老人・女性そして障害者の批判的記事は書かない
ああ、それと部落、朝鮮族などもマスゴミのタブーから絶対批判しない。
もし書くと人権団体とかいうこわ~い圧力団体が、わーっと押しかけてきて、
おまいらは弱者差別するのかwwwと抗議されるのである。

これに目をつけてた、いくつかのキチガイ民族・賤民団体などは、
古い時代のことを改善された今日になってもそれを持ち出して、
その差別とか弱者という言葉を武器にして、行政に脅しをかけ続け、
一般人より社会的に優遇され、いまでは弱者どころか圧力団体という強者と化し、
それでも飽き足らず恫喝をもって行政に要求しつづけている。

また先日いくつかのブログに取り上げられていたが、
生活保護世帯の一ヶ月の携帯電話代が2.5万円にもなるのに、
「私達が何が必要かを考えてもらいたい。」、受給者の側になって考えろw
などと権利意識丸出しの馬鹿主婦がいて、批難されていた。

生活保護も真面目に働くものよりも優遇されるなら、
みんな生保もらった方がいいわなw
かつて英国病はこんな感じでダメになっていたんじゃなかったか?

またこういう「弱者」団体を支援する人権団体とかいう連中の中には、
そこから美味しい「利権」にありつきたいだけに群がってくる者もいる。
こういう連中は即刻権利剥奪し、消滅させてやりたいと個人的には思う。

いずれにせよ、真面目に働く者が馬鹿を見る社会にはなっているなw
そしてこれはますます加速することは間違いない。



さてここから今回の記事について考えて見たい。
この記事からだけではこの鬼塚さんの背景なり、詳しい状況がわからないが、
この鬼塚朗さんって重度心身障害者なのに、二年前からなんで一人暮らしをしているのだろう?重度の身体的、知的障害を持っているというのは、自分で食事や排便、入浴なども出来ないのではなかったか?

そういう状況でなぜ鬼塚朗さんの家族は、彼の一人暮らしを認めたのか?
二年前に家族と絶縁されたのだろうか?また、なぜ施設に入所しなかったのか?
施設の空きがなかったのか、断られたのだろうか?


しかし、もし彼の意思で一人暮らしを始めたのならば話は変わってくる。

もし彼自身の意思で家族と離れ一人暮らしを始めたのなら、
NGOなどの介護ボランティアなどの支援もないとすれば、
あくまで自己責任である。
市当局に介護要求はしてもよいが、
断られたからといって訴訟を起す問題ではない。

私は身体障害者を社会的に支援することには大賛成であるし、
そういう社会であるべきだとも思う。障害は別に生まれつきのものとは限らない。
我々健常者であってもいつ何どき、事故や病気で障害者になるやもしれないのである。

しかしである。
障害者に優しい社会と言っても、障害者が特権階級になる社会ではない
上に述べたように社会的弱者を武器に特権化する賤しい連中もいるのだ。

障害者は健常者より心身能力が劣っていることは事実である。
だから健常者がサポートする介護システムが社会的に拡充されつつあるのだ。
しかしそれも社会の整備体制のレベルに応じるべき権利であって、
何でもかんでも障害者の希望通りにいくなどと考えるのは間違いである。
一人暮らしができない状況でそれを選択するほうが間違いだろう。


世の中健常者であっても、自分の思い通りにいかないことの方が多いのではないか。
それをいちいち行政の責任に転化し、訴訟を起すなどまともな神経の持ち主ではないと、
私は個人的には思う。



鬼塚朗さまへ

鬼塚朗さん、あなたはこれまで恐らく相当甘やかされてきましたね?
あなたのような主張はマスゴミや人権団体は大喜びでしょうが、
かえって大多数の国民は障害者に、あるいは福祉行政に対し偏見を植え付けられますよ。

「訴えても却下ばかりで、生きることができません」
だったら介護施設に入るか、家族の元にもどったらいかがですか?
少なくとも一人暮らしをする状況にはありませんよ。
それでも一人暮らしにこだわる理由はなんでしょうか?

自分は障害者である前に、一人の人間
これを言い出して権利要求するなら、あなたよりももっと行政のサポートが
必要な人のほうが多いですよ。私だって「一人の人間」として、
行政にやって欲しいことは山ほどあります。
今の日本ではすべての障害者に対して、
あなたのような要求が通るような社会になっていないんですよ。
もうすこし世の中のことを勉強なさってくださいませ。
 
                            トラネコ拝


先日知的障害者への運転免許支援についてのエントリで、
削除要求のコメントがあった。私は自分が納得すれば記事の削除はやぶさかではない。
しかし要求する以上はその意見なり、整合性を示す文面を表すべきではないだろうか?
この記事にも批判は大いに甘受するが、削除要求ならきちんと理由を示していただきたい。



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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(9)社会
この記事へのコメント
>そういう状況でなぜ鬼塚朗さんの家族は、彼の一人暮らしを認めたのか?

たぶん、周囲にいる人が「全ての人に人権があり、好きな事をする権利がある。」と教えたのでしょう。支援する人しだいで変わると思います。サヨクの人がかかわる事も多いみたいですし。

トタネコ さまのようにハッキリ言う人が必要です。自分も言わなければと思います。

でも実際目の前にすると、普通の暮らしをしたい。結婚したい 恋をしたい と欲望がドロドロ出る話でどうしたらいいかわからなくなる状態に陥ります。
Posted by 人形焼 at 2009年11月19日 11:38
人形焼様
「私も人間だ」とか「私も普通の暮らしがしたい」とか、そういわれると反論できませんよね。でも事実は障害を持っている現実に目を向けるべきです。
というか、ハンディがあることを自覚した上での実現可能な社会への要望を出すならわかります。
仰るように周りが焚きつけるようなことも十分考えられますね。人権屋とかサヨクは無責任極まりないですから。

でもやはり私は書きましたように、健常者であっても、自分の思うとおりに生きるのは難しいです。ここから考えるべきではないでしょうか。
Posted by トラネコトラネコ at 2009年11月19日 11:47
こんにちは~♪

人形焼さまへ

たしかに、難しいですよね。
自分自身も軽い障害に難治性に難病も持ってるし、学生時代の友人には重度の肢体障害を持っている方も居ますので、余計わかります。
でも、
言うべきところは、はっきり言ってあげてもいいと、思います。

人生思い通りに生きていくのは難しい。
こうして生きているだけでも幸せ者だと、自分で自分に鼓舞しています。
Posted by ねここねこ at 2009年11月19日 16:56
>生活保護世帯の一ヶ月の携帯電話代が2.5万円にもなるのに、
「私達が何が必要かを考えてもらいたい。」、受給者の側になって考えろw
などと権利意識丸出しの馬鹿主婦がいて、批難されていた<<<

この辺、わたしも非難爆発!!!
生活費が足りないなら、携帯解約しろってんだww

うちは夫婦合わせての毎月の携帯使用料金 携帯代五千五百円。
身の丈にあわせた生活してます。。。。。(貧乏)
Posted by ねここねこ at 2009年11月19日 17:07
ねここねこ さま

ありがとう御座います。
ねここねこ さまやトラネコ さまのおっしゃる事はわかります。
ハッキリいわれる方が必要です同意します。

私も障害者の方とかかわった事があり、人に言えないような話も聞きました。
社会福祉の関係者には社会全体をみれず独善的になる傾向がありました。社会福祉にはムダがあり整理が必要と思います。
障害者の方のほうは社会経験が狭い少ない事で我がままになる傾向がありました。
日本が豊かで予算があればとも思います。

どうしょうもない事は世の中にあることはわかっているので、ため息のようなご返事になってしまいました。(苦笑)
 
Posted by 人形焼 at 2009年11月19日 23:16
今さらですが、フラフラとたどり着きました。私は障害者の相談にのってますが、障害者の希望を叶えられるよう支援しなければと研修会で教えられました。障害者の中にはワガママばかりいう人が多いです。ワガママに対し難しいと言えば、自分は障害者なんだから助けてもらうのが当たり前と言い出す人がいます。
こんな仕事してますが、障害者は守られ過ぎてると思うし、守られて当たり前と思っている人が多いです。
長文失礼しました。
Posted by にゃろめ at 2013年09月07日 00:55
にゃろめ様
古い記事にコメントいただきありがとうございます。
仰っていることは理解しますし、同意です。

権利と義務というのは古くて新しい問題ですね。私はブログに書いたことは今回読み返してみても、なんら訂正することはありません。人権は誰しも平等に持っているのは事実です。しかし個々人の特性はすべて異なり、これを同一化することが平等だとは思いません。身障者は生まれつきの方もいれば、後天的になった方もいます。しかし個々人の才能や適性も生まれつきも後天的努力も様々であり、これを同一にすることは出来ませんね。『分相応』ということばがありますが、障害を過剰な権利を勘違いする馬鹿には、ハッキリ言うべきことは言わないといけません。・・・が、今の歪な社会と狂ったマスゴミの前には言えないでしょうね・・・。
Posted by トラネコトラネコ at 2013年09月07日 12:47
こんにちは。
あの裁判がどうなったのか思い出して
ネット調べてたら、たどり着きました。

社会経験できない、もしくは狭い社会経験しか体験できない環境で多くの時間を過ごして、ワガママになってるのだと思いました。
会見で『一人暮らしが夢でした』って言ってましたもの。
何らかの事情で家族が介護放棄をし、また施設側から入所困難な姿勢を示された場合なら【生きる権利】の主張はわかりますが、

夢だからじゃ生きる権利の主張は通りません。

その主張が通るなら、僕だって国に色々してもらいたい気持ちですよ。

仮に
この主張が認められたら
同じような人が絶対増えますよね。
その時はこちらが下敷きになって…
極端に言えば
生活保護と障害者を王とする奴隷制度ですよ。
Posted by ゆうすけ at 2013年12月14日 10:59
ゆうすけ様
こんにちわ。
近年、人権意識の高揚に伴って、義務や現実を無視した権利要求が増えてきたのも事実です。義務と権利は表裏のものでありますが、障碍者のように社会的義務を果たせなくとも一定の保護が必要な人もいます。しかし保護と権利も程度の枠の中のものであり、おっしゃるように個人の夢を叶えるシステムは存在しません。弱者利権、障碍者利権、差別利権・・・こういう人権も利権に繋がる現実があることも、私たちは直視しなければいけませんね。
Posted by トラネコトラネコ at 2013年12月14日 12:50
 
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