先日OTVの夕方のニュースで、大阪から動物愛護運動の活動家の女性が、
ペットを捨てないことを嘆願する署名をもって沖縄県庁を訪れてたと報じた。
それによると、05年度の人口10万人当たりの
殺処分数は、
全国(72匹)の約6・2倍の477匹で沖縄県が全国一多かった。
05年度の10万人当たりの
犬の捕獲数は371匹で
全国ワースト1、
引き取りも7番目に多い。猫の引き取りも6番目の多さだ。
犬に限ってみると、飼い主への返還が少ないことも殺処分の多さにつながっている。
06年度に収容された犬が飼い主の元に戻った返還率はわずか10・3%で、
9割近くが飼い主から見捨てられているのが現状だ。
これは意外な話だった。
「
命どぅ宝(命こそ宝物、大切なもの)」
というウチナンチューのイメージとは大きくかけ離れるからだ。
謳い文句だけで、生命の尊さなど真剣に考えていないのではないか?
そう批判されても仕方ない現実である。
いくら犬や猫とはいえ、こんなに命を粗末にできる感性は問題だろう。
これは非情に恥ずべきワースト1である。
ぜひとも汚名を返上したい。
そういえばヤンバル(本当北部の森林地帯)で
ヤンバルクイナなどの絶滅危惧種の保護に
携わっている獣医の
長嶺 隆医師は、
ヤンバルに捨てられた犬、猫などの
ペットが生きるために野生化し、
その食料にヤンバルクイナを初めとした自然生物を捕らえる現状を語っていた。
自然保護活動をしている人から見れば、ペットを平気で捨てる人は犯罪者であるという。
いや、実際に
ペット遺棄は犯罪ではなかったか?
それほどヤンバルでは深刻な問題になっている。
かつて私が住んでいた
石垣島の北部でも、町からペットを捨てに来る人が少なくなかった。
近所にキャンプ場などがあり、観光客の食べ残しなどを漁って生きていたのだろう。
そんな野犬や野猫を目にすることが多かった。
酷い話だが、海岸の木に紐でつながれたまま衰弱していた犬がいて、
かわいそうに思った近所の人に助けられた。
木につないで放置するということは、餓死させる意図をもった虐待である。
ペットとして家族同然に暮らした犬に、こんな仕打ちができる人間性を私は理解できない。
私も
ネコを飼っていた。
このネコも子供の頃に竹富島で捨てられていたのを拾われ、
縁あって私の元にやって来たのだ。
決して造作の可愛いネコではなかった。
目が釣りあがり、表情が獰猛で、しょっちゅう目ヤニを出していた。
それでも飼っていると可愛いものである。
後に沖縄本島に移住するときに、このネコを連れていくか置いていくか悩んだが、
ペットの
ネコとは言え、結果的に「
家族」を捨てることはできなかった。
本島で住んだアパート、マンションもペット禁止だったが、内緒で飼った。
いけないことだとわかっていたが、もし石垣島に置いてきたなら、
私はずっと後悔していたことだろう。
犬であれ猫であれ、金魚であれ、カブトムシであれ、どんな生き物でも、
長く飼っていれば必ず情というものが湧いてくるものだと思う。
ましてや犬猫になると感情表現もあり、人間との意志疎通もできるし、
なついていれば到底捨てることが出来ないのが
人情ではないのか?
近年
ファッション・アイテムの一つとしてペットを飼う人が増えているのではないだろうか?
命有る生き物としての動物ではなく、
おしゃれ道具としてのペットである。
犬猫以外にも最近では
ワニガメとかアライグマなどの変り種を飼い、
これがステータス自慢になっているという。
しかし飼うことに飽きれば平気で捨てる。
捨てられたペットも生きねばならず、
日本の生態系に入り
在来種を駆逐する。
日本の自然生態系の破壊である。
何かの事情でどうしても飼うことが出来なくなったら、
変わりに世話してくれる人や施設を探すとか、
それくらいの努力はすべきではないのか。
最近の地球温暖化も人間の責任があるのか、ないのかわからないが、
すくなくともペットを平気で捨てられる人は、
自然の生態系破壊の一味であることは間違いなさそうである。
どんなペットも飼うなら最後まで面倒みろ!
できないなら最初から飼うな!