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写実の巨匠・円山応挙

2008年06月03日

前回江戸の異端の画家に長澤芦雪をかいたが、
ふと考えて師匠の円山応挙がいたからこそ、
芦雪の才能が開花したわけで、やはり円山応挙については
江戸美術を語る上では無視できない存在である。

円山派の始祖にして、現代京都日本画壇の源流とも言うべき巨匠である。
応挙は1733年京都丹後の国(現在の亀岡市)に農家の次男として生まれた。
十代後半に京都の石田幽汀の弟子になる。二十代で西洋画法(遠近法など)を学ぶ。
三十三歳で応挙を名乗り、豪商三井家と三井寺円満院がパトロンにつく。

応挙の制作理念は写生を基本とした写実表現で、この理念がのちの京都画壇の
制作理念に受け継がれる。しかし写実といっても現代の写真的な作風と言う意味ではなく、
対象物の形態を通してその実態的本質に迫るリアリズムという意味である。

例によって私の独断で勝手に好きな作品を上げる。

写実の巨匠・円山応挙
まず大瀑布図という掛け軸である。 
これだけ見るとただの滝の掛け軸だが、その鑑賞法が普通ではない。
この作品は円満院の住職にプレゼントしたものである。円満院には滝が作庭の中で無かったので住職はそれを残念に思っていた。そこで応挙はこの絵を描いたのだが、この絵は実際に円満院の庭にある松の枝にかけられて、あたかも庭の風景に滝があるかのような演出をした。さらに絵の下三分の一の部分は地面にたらして置くようにした。こうすることで滝つぼの水が見る者に向かってくるような雰囲気を演出できる。

この手法は平面の絵画を現実の空間に配置してその環境と作品の一体化をねらったインスタレーションである。江戸時代に既に現代美術の発想が見られる。恐るべし円山応挙である。

写実の巨匠・円山応挙

龍門鯉魚図という掛け軸である。これは鯉の滝昇りを描いたものだが、流れ落ちる水が実に斬新な表現である。一見すると鯉はおろか、流れ落ちる水なのかも判別しにくい。画面の上から下に直線的に伸びる水を表す線と、その隙間に垣間見える鯉の部分図意外は紙の白地を残して描かれている。上の大瀑布図の写実表現とは異なり、一種の象徴的な意匠表現で同じ滝をとらえている。写実を基本としながらも物の本質に迫る表現である。


写実の巨匠・円山応挙

さてこれはなにを描いたものかお分かりだろうか。実はこの作品は氷図という屏風である。冬の凍りついた池の様子を描いたものだ。ここに描かれたのは直線的に走る氷のヒビのみである。一切の余計な要素を排除して、凍てつく冬の寒さを張りつめた氷のヒビを通して表現したのだ。これも写実を通してものの本質に迫る応挙の特徴である。

写実の巨匠・円山応挙

写実の巨匠・円山応挙

最後にするが、これは保津川図という八曲一双の屏風である。応挙63歳の絶筆として名高い作品である。応挙は作品を描くためには膨大なスケッチをしている。しかもただ物体の形を観察するに留まらず、気韻生動、すなわちモノや自然のもつ生命感を体で感じ取ってそれを作品に封じ込めることに神経を注いでいる。

未確認の伝説だが、この作品を描くために応挙は保津川へ赴いて三日三晩川のそばに座禅のように座り込み、川の流れや周りの風景はもちろんのこと、川を取り巻くすべての雰囲気を全身に十分に浸透させて、画室に戻り制作に打ち込んだという。

私はこの作品を東京大江戸博物館で実際に見たが、川の水が本当に流れているかのような錯覚を覚えた。まるでオプティカル・アートのブリジット・ライリーの作品をみるような錯視感を感じた。まさに写実表現の極みである。

江戸時代には多くの天才や巨匠が続々現れたが、やはり応挙は特筆すべき天才・巨匠の一人であろう。



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Posted by トラネコ at 20:32│Comments(0)美術
この記事へのトラックバック

すっ。すっ。
と、引かれた何本かの線。
しかしこれは、抽象画ではございません。写生でございます。
 
これぞ、
応挙「氷図屏風」。
 
池の氷に入った ヒビ
 
でございます。
円山応挙「氷図屏風」。未曽有の天才の仕業。全世界はこの絵に驚け !!【hinden (まほまほファミリー)】at 2008年08月23日 23:50
 
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