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美術ゼネコン・狩野派

2008年06月14日

日本美術史で狩野派という存在は巨大な存在感をもっている。
江戸の天才絵師たちの殆どが、狩野派で絵画の基礎の修行をしているし、
桃山~江戸時代の美術興隆と普及の一大エネルギーでもあった。
美術ゼネコン・狩野派


狩野派は室町時代中期(15世紀)の狩野正信・元信親子が始祖である。

狩野派はその時々の権力者、各地実力者、大寺院、豪商と結びつき、
宮中、城郭、寺院、町衆邸宅などの装飾絵画を請け負ってきた。

血族集団を中心とした家督制で、
約400年間も時の中央画壇に君臨した巨大絵画制作集団である。

これは今で言う建築関係の大手ゼネコンみたいなもので、
4世紀に渡って中央に君臨した絵画職能集団は世界的にも例がない。

西洋でいえばピーター・パウル・ルーベンスあたりの宮廷画家集団が、
狩野派に該当するかもしれないが、狩野派ほど長期の存在ではない。

美術ゼネコン・狩野派


狩野派では同じ構図、形式、色彩の絵をどこの誰が注文しても、
同一の質で制作されなければならない要求から、
入門者には徹底的に手本を模写することのみを専念させた。
つまり誰が描いても同じタッチ、同じ形式のものが描けなければならなかった。

これを粉本(手本)主義という。

狩野派はビジネス集団、いまでいう大企業だから絵師の個性は必要ない。
「会社」の方針に従って忠実に仕事をする絵師のみが良い絵師なのだ。

江戸時代に町人文化が花開くが、この中で狩野派に入門したが、
この粉本主義に反発して破門されたり、自ら去った絵師も大勢いた。
しかしそんな絵師から優秀な浮世絵師や、別の流派へと発展もしていった。
北斎や広重、伊藤若冲や円山応挙などみんな狩野派美術教育の出身者である。

この批判のある粉本主義はそうは言ってみても、
当時のひとつの絵画の技術水準であったことも事実だ。

だから絵師に入門するときは大抵は狩野派の絵師に入門し、
そこで何年間か絵の修行をするのである。
いわばいまの芸大や美大みたいな役割もあったのだ。

美術ゼネコン・狩野派



狩野派は日本美術界に君臨して、日本の絵画の普及、啓蒙にも意義があった。
狩野派が絵画企業と教育機関としての役割を、各時代ごとに果たした意義は大きい。



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Posted by トラネコ at 08:01│Comments(0)美術
 
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