猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)
2008年07月02日
以前に江戸の浮世絵師。歌川国芳が無類の猫好きだったと書いたが、
昭和の画家で最後はパリで名誉フランス人として一生を終えた画家、
藤田嗣治ことレオナルド・フジタを取り上げる。
おそらく明治以降、藤田ほど西洋で活躍し成功した画家はいないだろう。
藤田嗣治は1886年東京の町医者の4人兄弟の末子に生まれる。
東京美術学校(現東京芸大)西洋画科に籍をおくも、
当時の黒田清輝の印象派的技巧主義に反発する。
文展など公募展に応募するも次々落選をする。
のちに憧れのパリに渡りモンパルナスに住み、
モディリアーニ、スーチン、キスリング、パスキン、ピカソ・・・
エコール・ド・パリの画家達と交友する。
藤田の絵の技法的特徴は「乳白色の肌」と呼ばれる独特の白の使い方だった。
そして日本画に用いる細い線描である。
この技法については藤田自身死ぬまで一切語らなかったが、
近年研究が進みその技法の秘密が解き明かされた。
ちなみにこの技法は藤田が独自に開発したものだろうが、
私はギュスターブ・モローの下描きからヒントを得たものではないかと推測している。
これらについては別のところで詳しく書きたいと思う。
さて前書きが長くなったが、藤田も大の猫好きで彼の周りには常に猫がいた。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](//img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB%E3%81%A8%E7%8C%AB%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F%E5%86%99%E7%9C%9F.gif)
自画像を描くときもたいてい猫が一緒に描かれている。
また猫についてのデッサンやスケッチも数多く残している。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](//img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E7%8C%AB%E3%81%AE%E3%81%84%E3%82%8B%E8%87%AA%E7%94%BB%E5%83%8F%EF%BC%88%E6%9C%A8%E7%82%AD%EF%BC%89.jpg)
とにかくいつも猫と一緒に生活していたことは間違いない。
貧しい暮らしでも猫と一緒だった。
このあたりは歌川国芳とよく似ている。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](//img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%A3%B8%E5%A9%A6.jpg)
藤田の絵のモチーフは裸婦が多いが、猫がそこによく登場している。
藤田はパリの社交界では結構人気者であったようだが、
日本では評判がよくなかった。
というのも当時は日本人が西洋で成功を納めることを、嫉妬する風潮があった。
しかも藤田は当時の日本男子のあるまじき髪形や風体をしており、
それがまた日本人の目には胡散臭く映ったみたいだ。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](//img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E7%8C%AB%E7%BE%A4%E5%83%8F.gif)
パリにいてそんな異邦人・藤田のよき友は猫であったのかも知れない。
第二次大戦が勃発して藤田は日本に帰国を余儀なくされる。
日本で彼を待っていたものは、従軍画家として戦争画を描く仕事であった。
戦意高揚のために戦地に赴き、兵隊の戦っている勇姿を描くのだ。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](//img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E5%B3%B6%E7%8E%89%E7%A0%95.jpg)
しかし藤田の描いた戦争がは決して勇敢な兵士ではなく、
戦いに疲れ傷つき、絶望的な表情の兵士だった。
戦争に対する無言の抵抗だったのかもしれない。
戦争が終わると、藤田は軍に協力したというレッテルを貼られ、
あろうことか、従軍画家全員の罪を負わされたのだ!
おそらくこれも藤田が当時パリでもてはやされていたことを
妬んだ日本画壇の嫌がらせであろう。
失望と決別の気持ちから、藤田は日本を経って再びパリにもどった。
そして死ぬまで二度と日本へは戻らなかった。
藤田は人に媚びず、わが道を行く藤田自身の投影を猫に見たのかも知れない。
昭和の画家で最後はパリで名誉フランス人として一生を終えた画家、
藤田嗣治ことレオナルド・フジタを取り上げる。
おそらく明治以降、藤田ほど西洋で活躍し成功した画家はいないだろう。
藤田嗣治は1886年東京の町医者の4人兄弟の末子に生まれる。
東京美術学校(現東京芸大)西洋画科に籍をおくも、
当時の黒田清輝の印象派的技巧主義に反発する。
文展など公募展に応募するも次々落選をする。
のちに憧れのパリに渡りモンパルナスに住み、
モディリアーニ、スーチン、キスリング、パスキン、ピカソ・・・
エコール・ド・パリの画家達と交友する。
藤田の絵の技法的特徴は「乳白色の肌」と呼ばれる独特の白の使い方だった。
そして日本画に用いる細い線描である。
この技法については藤田自身死ぬまで一切語らなかったが、
近年研究が進みその技法の秘密が解き明かされた。
ちなみにこの技法は藤田が独自に開発したものだろうが、
私はギュスターブ・モローの下描きからヒントを得たものではないかと推測している。
これらについては別のところで詳しく書きたいと思う。
さて前書きが長くなったが、藤田も大の猫好きで彼の周りには常に猫がいた。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](http://img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB%E3%81%A8%E7%8C%AB%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F%E5%86%99%E7%9C%9F.gif)
自画像を描くときもたいてい猫が一緒に描かれている。
また猫についてのデッサンやスケッチも数多く残している。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](http://img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E7%8C%AB%E3%81%AE%E3%81%84%E3%82%8B%E8%87%AA%E7%94%BB%E5%83%8F%EF%BC%88%E6%9C%A8%E7%82%AD%EF%BC%89.jpg)
とにかくいつも猫と一緒に生活していたことは間違いない。
貧しい暮らしでも猫と一緒だった。
このあたりは歌川国芳とよく似ている。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](http://img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%A3%B8%E5%A9%A6.jpg)
藤田の絵のモチーフは裸婦が多いが、猫がそこによく登場している。
藤田はパリの社交界では結構人気者であったようだが、
日本では評判がよくなかった。
というのも当時は日本人が西洋で成功を納めることを、嫉妬する風潮があった。
しかも藤田は当時の日本男子のあるまじき髪形や風体をしており、
それがまた日本人の目には胡散臭く映ったみたいだ。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](http://img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E7%8C%AB%E7%BE%A4%E5%83%8F.gif)
パリにいてそんな異邦人・藤田のよき友は猫であったのかも知れない。
第二次大戦が勃発して藤田は日本に帰国を余儀なくされる。
日本で彼を待っていたものは、従軍画家として戦争画を描く仕事であった。
戦意高揚のために戦地に赴き、兵隊の戦っている勇姿を描くのだ。
![猫画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)](http://img03.ti-da.net/usr/ryotaroneko/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E5%B3%B6%E7%8E%89%E7%A0%95.jpg)
しかし藤田の描いた戦争がは決して勇敢な兵士ではなく、
戦いに疲れ傷つき、絶望的な表情の兵士だった。
戦争に対する無言の抵抗だったのかもしれない。
戦争が終わると、藤田は軍に協力したというレッテルを貼られ、
あろうことか、従軍画家全員の罪を負わされたのだ!
おそらくこれも藤田が当時パリでもてはやされていたことを
妬んだ日本画壇の嫌がらせであろう。
失望と決別の気持ちから、藤田は日本を経って再びパリにもどった。
そして死ぬまで二度と日本へは戻らなかった。
藤田は人に媚びず、わが道を行く藤田自身の投影を猫に見たのかも知れない。
Posted by トラネコ at 23:17│Comments(0)
│美術