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国旗・国歌考

2009年02月28日

ここでは毎朝7時から朝の集いという、まあ朝礼みたいなものがある。
そこで毎朝派遣国の国旗と国歌の紹介が行われる。
これは国旗に敬意を表することを教えることが、
戦後の教育界で現在も行われていないこと

それが世界の常識では間違っていることを徹底するために、
これから派遣されるボランティアにあらためて習慣づけることが、
その目的ではないかと邪推している。

昔の話だが、アフリカのどこかの国に派遣されていたボランティアが、
その国の国旗掲揚、国歌斉唱のときに起立せず、だらしない服装だったことから、
現地の人々の顰蹙を買い、職場におられなくなり、
任務続行できなくなったということを聞いたことがある。

まあ今はだいぶ変わったとは思うが、
日本の国旗・国歌教育はこの程度である。
今でも公立学校では卒業式や入学式で、
国歌斉唱の時に起立しない馬鹿教師がいると聞く。
少なくとも税金で飯を食ってる教育公務員が、
このような態度を思想信条の自由などとほざくなら、
さっさと懲戒免職すべきであると私は考える。


2月11日の建国記念日日の丸が紹介されたが、
「君が代」を歌えない若い人々も少なからずいたみたいだ。
また年長者は、やはり批判的に見る向きもなきしもあらずだった。

しかし驚いたことがあった。
若い人たちの中で「君が代」が歌えないので、
みんなで歌おうという集まりが有志のなかで行われたようで、
語学教室にいたらどこからともなく、
「君が代」の国家斉唱が聞こえてくるではないか!

今の若い人たちにはあまり抵抗感はないのかも知れない。
そういえば入所式の時の国歌斉唱でも昔よりも、
みんなきちんと声を出して歌っていたのを思い出す。
日教組が反日教育を半世紀おこなってもきても、
革命は起きなかったのがうなずける。



そのことはさておいて、すべて途上国ではあるが、
約四十カ国の国旗と国歌の紹介を毎日見ていて、
気がついたことがあったので、書いてみたい。

どこの国の国旗や国歌も、憲法と同じくそれぞれの国の象徴を表しているといえよう。


まず国旗のデザインは三色旗が多く、しかも配色がの原色がよく用いられていた。
そして赤色の意味は革命や独立戦争で流された尊い血の色を表しているのが多かった。

イスラム国家緑がイスラム教のシンボルカラーとして国旗に使用されていた。
キリスト教国家では十字文様がよく使われていた。
また星印★や太陽(または月)印●もよく用いられている。

国歌はほぼすべて勇壮な行進曲風である。
勇ましく活気にあふれ、軍隊の行進にはもってこいの曲想ではある。
また交響曲風の国歌もあったが、いずれにしても毎日聞いていると、
どこの国も似たり寄ったりで、あまり個性を感じさせないような旋律である。

こうしていろいろな国々の国旗や国歌を知ると、
日本の日の丸や君が代はなんと平和でノンビリしていることか。
日の丸は太陽であり、決して人々の流した血ではない。
しかも純白の背景は清潔さと純粋さが表れている。
またどんな宗教の象徴もこの旗や歌には含まれていない。

国旗・国歌考



君が代も「天皇の世」だというが、もともと「君」は天皇を指す言葉ではない
畏れ多くて天皇陛下を「君」などとは決して呼べなかったのだ。
平安時代に古今和歌集和漢朗詠集に収められた歌にも、
一家の長(おさ)の長寿を讃える歌として詠まれている。
この一家の長を指して「君」とし、君の繁栄した時代がいつまでも続きますように
と詠んだのである。

ところが明治時代に西欧への対抗からの、急速な近代化推進のために、
明治政府が国民国家としての統一を図る意味で、
君が代=「天皇の世」という解釈をこの歌込めたものだ。
そういう意味では天皇の世という解釈も間違いではない。
しかしあの時代背景を考えれば、これもやむを得ないことであった。
しかし敗戦によって日本も新しく生まれ変わった。
君が代も元のおめでたい祝いの歌の解釈にもどせばよいではないか。

諸外国に普通に歌われる革命賛美の戦闘的な国歌より、
「君が代」は実に平和で荘重な厳粛さ、格調の高さを感じさせる。


国旗・国歌考




「日の丸」も「君が代」も平和な日本民族の
格調高い象徴として誇りをもって讃えたい。



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Posted by トラネコ at 07:00│Comments(6)文化
この記事へのコメント
はじめまして。いつも楽しみにしています。
「君が代」の「君」ですが、私は「君=天皇」でいいと思っています。
これを叩く左翼は「君が代」は詩であり歌であるということがわかっていないと思うのです。
詩では直接的な言葉より、比喩とかを使った方が高度なものといえるでしょう。
「君である天皇が永遠に続くのを願う」ということは、「日本と言う国が永遠に続くのを願う」ということを間接的に歌っているのです。
天皇=皇室が代々続いているのに日本はずいぶん前に滅びてしまったということはありえないでしょう?(恐ろしいことにその反対はあり得ますが)

「星条旗よ、永遠なれ」という曲がありますが、「星条旗という旗が永遠に続いて欲しい。国は滅びてもいいけど。」という意味じゃないですよね。

いずれにしろ、日の丸や君が代に文句を言う人たちは、詩や歌詞が合理的でないとか本当のことじゃないとか真面目に叩くバカと一緒なんだと思います。
Posted by ひなげし at 2009年03月01日 07:51
ひなげし様
コメント有難うございます。

なるほどそうですね、「君=天皇」という解釈でいいわけだ。
天皇陛下は日本の象徴ですから、その天皇の世が長く続きますようにというのは、即ち日本国(国民・国土・国家主権)がいつまでも永遠に続きますように、という意味ですものね。
アメリカの「星条旗よ永遠なれ」という国歌の例はまさにそのことですね。

有難うございました、眼から鱗が落ちました!
Posted by トラネコ at 2009年03月01日 09:19
トラネコ様

「日の丸」、「君が代」は日本の国歌、国旗です。
多くの日本人が、オリンピックや各種国際大会で「日の丸」「君が代」に感動したと思います。馬鹿な左巻き団体は「あれはスポーツ団体が採用しているだけで、国歌、国旗とは意味合いが違う。」と屁理屈を言いますが、スポーツ団体も選手も日本人代表としての自覚を持って、競技していると思います。
仰るとおり、日教組などがいくら「日の丸」「君が代」を否定しても、日本人は「日の丸」「君が代」を大事にしていくでしょう。
何故なら、日本人だからです。
Posted by 涼太 at 2009年03月01日 20:52
涼太様
コメント有難うございます。
今の若い人たちに「日の丸」、「君が代」が抵抗ないのは、
恐らくスポーツの世界大会が大きいでしょうね。

オリンピックでもサッカー、バレーボールの世界大会でも、やはり日本人は日本チームを応援しますし、その日本の象徴する旗(マーク)と歌は日の丸と君が代しかないのですから、日本チームが優勝して日の丸掲揚、君が代斉唱は、誇りを持って行うのは当然ですよね。

また選手も日本国を背負っている以上、日の丸掲揚、君が代斉唱が目標でしょうし、そのために日夜練習に励んでいるんですよね。

とにかく朝日新聞やTBS、さらにはNHKなどという、反日売国マスゴミは早く国民から見放されるべきなんですね。でもまだまだ日本人の政治意識の低さがね・・・
Posted by トラネコ at 2009年03月01日 21:08
初めてお便りいたします。
ロサンゼルルに30年住んでいる変わり者です。

野茂投手がドジャーズで活躍していた頃、たくさんの日本人が観戦に訪れました。彼らのほとんど国旗や国歌に対する畏敬の念など持ち合わせなかったので、試合開始前の国歌斉唱のときに起立もせずしゃべっくていて、アメリカ人に馬鹿にされた様です。

全ては、日教組による偏向教育と、朝日新聞 NHKを代表とするあほなマスコミのせいでしょうね。
Posted by 野良猫次郎 at 2009年03月02日 10:24
野良猫次郎様
初めまして。コメント有難うございます。

自分も過去中米二カ国に暮らしたことがありますが、どちらの国民も国旗・国歌を大切にしまていましたね。これは国際常識であり、国際儀礼でもあります。アメリカという多民族人工国歌ではなおさらのことでしょう。

ですから国家間摩擦などが起きたときに、デモ隊がよく相手の国の国旗を焼いたり踏みつけたりする光景がありますが、あれは相手国に対する最大の侮辱なのだと思います。韓国やシナもよく日の丸焼いてますよね。

でも国旗に敬意を持たない日本人は大して腹も立たないのかもしれません。
本当は怒らなければいけないのですがね・・・
Posted by トラネコ at 2009年03月02日 20:27
 
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