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国旗考

2009年09月04日

日の丸裁断による民主党旗問題 国旗の侮辱行為への罰則は是か非か
<前略>
■外国国旗への侮辱行為のみ罰則規定
百地教授が指摘するように、わが国は平成11年に施行された国旗国歌法で、「日章旗(日の丸)」を国旗と定めたが、そこに国旗への尊重義務の規定はない。
戦前においても、昭和6年にときの帝国議会に上程された大日本帝国国旗法案に「国旗ノ取扱ハ厳粛ヲ旨トシ苟(いやしく)モ尊厳ヲ汚涜(おとく)スヘカラス」(第11条)との条文が盛り込まれたが、衆院解散などの理由で審議未了のまま廃案となっている。

しかし、ひとたび海外に目を転じれば、法で国旗への尊重義務を規定し、刑事罰を科している国は多い。例えばフランスはその代表的な国家だ。

<中略>仏米露中独伊各国の国旗毀損への罰則説明

これに対して日本では、外国の国旗への侮辱行為について、「外国国章損壊罪」として刑法に定められているのみだ。同罪ではある外国を侮辱する目的で国旗などを損壊した場合、2年以下の懲役、または20万円以下の罰金が科される。
つまり日本は「自国旗への侮辱行為にはお咎(とが)はないが、他国へのそれは罰せられるという不思議な国」(百地教授)なのだ。それ故、昭和62年に沖縄国体会場で日章旗が燃やされた際も、器物損壊事件として処理されるにとどまった。

■国のシンボルどう取り扱う?
「国のシンボルである国旗は単なる器物ではないナショナル・フラッグへの敬愛の念は世界の常識。
本来なら法律で定めることではなく教育で教えることだが、日教組が力を持つ戦後の日本では難しい。教育が機能していない以上、法で定める必要もあるのではないか」と百地教授はいう。対して、「個人が国旗をどう扱っても何の問題もないし、国家が介入すべき事案ではない」との反対も根強くある。

また、国旗国歌法に反対してきた北野弘久・日大名誉教授(憲法学)は日章旗に限って尊重義務を設けるべきではないとして、次のように主張する。「国旗国歌に敬意を払うのは当然のことだが、(国旗で党旗を作成した)1人の軽率な行動をあげつらうべきではない。政治的混乱を避け、終戦日に靖国参拝をしなかった麻生首相にこの問題を糾弾する資格があるのか」
北野教授は続けて「米仏など欧米諸国と日本では国民の国旗国歌への歴史的なコンセンサスが大きく異なる。日章旗には歴史的、学問的に議論があり、侵略戦争という負の記憶にも繋がる以上、
尊重義務を規定することには反対だ」とした。

立場こそ違え、両教授が一致した部分もある。「この問題を単なる政争の具にすべきではない」という点だ。この問題が、国旗という国のシンボルマークを国民はどう取り扱うべきかという、より根深い議論に繋がっていることも間違いない。
8月30日16時21分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090830-00000520-san-pol

国旗考




以前にも国旗「日の丸」について述べたが、これは文化の問題であろう。
世界的な常識は国旗を尊重する義務や規定が法的に存在している。
戦前の日本も同じくそういう規定があった。
しかし戦後のマッカーサー占領軍体制と共産主義運動が、
本来は敬愛すべき対象である国旗「日の丸」への概念を変えてしまった。
<参考>「国旗・国歌考
      http://ryotaroneko.ti-da.net/e2271280.html


民主党の鹿児島での講演に使用された二枚の日の丸の切り貼り版「党旗」だが、
これを不敬に感じるのは、日本以外の国民なら普通の感情だと思う。

単純に布切れ」ごときに騒ぐな、という意見もあるようだが、
人間の文化にはたかがモノであっても、尊ぶべきモノというのが存在する。

たとえばイスラム教徒のコーランは神聖な神の言葉の象徴である。
彼らはコーランを単なる紙切れの集合体とは思っていない。
キリスト教徒の聖書も同じだろうが、イスラム教徒はそれ以上である。
ある意味命をもって守るべき価値のある「紙の集まり」である。

これは宗教関係だから別だと言われるかもしれない。
ならば、例えばあなたの顔写真を他人に足で踏みつけられたり、
破られたりしたら、どのような気持になるだろうか?

所詮顔の写った紙切れである。
別にどうと言うことはない、と言いきれるかどうかだ。
感情の大小は別にしても、快く感じる人はいないのではないだろうか。
たかが紙切れであっても、自分の顔が写っている写真に自分の分身を重ね合わさないか?
やはりモノ以上に何かの精神性を感じるモノが存在するのである。



国旗は国を象徴した紋章(マーク)である。
だから布切れであっても国の形代として、それは尊ぶべきものである。
自らの国家に唾するものは罰せられて当然であるとも思う。

そのものは我々国民が依って立つ基盤である。
その基盤を象徴し儀式や式典などで国民の基盤を掲げるマーク(国旗)は、
ある意味宗教性を帯びた神聖な存在であるといえよう。
社会主義の唯物論者で拝金主義の中狂ですら、
国旗を法的に尊重する規定を設けているではないか。

国家をどれほど罵倒し、否定しても良いが、
あくまでそれはその時々の政権であって、
国そのものの存在、すなわち国体ではない。

以前にも書いたが日本以外のどこの国でも、
反政府主義者はいるものだが、あくまで反政府であって、
その国それ自体を否定する反政府国民はいないだろう。
反政府勢力も体制側もどちらも愛国者であり、
政権を奪取すればそれぞれに国旗を揚げて尊ぶ姿勢は変わらないだろう。

ただし国家体制を根本から異なったものに変革する革命は、
国家も国体も変えようとする
ものだから、国旗や国歌も変更される。
この変革はその国の歴史の流れを否定する試みであるともいえる。
かつての辛亥革命の国民党政権、市民革命のフランス革命や
ロシアやシナの社会・共産主義革命
、さらには帝制をなくした
ドイツ革命後のヒトラーのような例もある。

私はこの国旗への尊重義務の法制化に関する議論には、
百地章・日大教授(憲法学)の意見に賛同するものである。
現在の日教組という革命団体が支配する公立学校では、
国旗・国歌に敬愛の念を教育することが困難である。
だから法律で規定すればよい。


北野弘久・日大名誉教授(憲法学)のいう、
「米仏など欧米諸国と日本では国民の国旗国歌への歴史的なコンセンサスが大きく異なる。日章旗には歴史的、学問的に議論があり、侵略戦争という負の記憶にも繋がる

私はこの考え方は既に成立しないものと考えている。
欧米諸国に限らずどの国とも、日本との歴史的過程は当然異なるが、
ここで違いを提示するとすれば、単純に、戦勝国敗戦国かの違いでしかない。

北野教授の視点でいえば、日本は敗戦国だから「極東軍事裁判」で、
戦争のすべてが敗戦国の日本の責任であるという前提に立った国家観である。
それが「日の丸=侵略戦争の象徴」であろう。

しかしながら「東京裁判史観」は既に一部の狂信的な支持者以外には、
様々な資料や証言によって論破された破綻した思想である。
単純に国旗「日の丸」が侵略戦争の象徴であるとの見方は、
中狂や南北朝鮮さらにはアメリカには都合の良い思想であるが、
日本にはその不合理性や不当性しか見当たらない。

東京裁判そのものが国際法上まったく成立しておらず、
その不当な判決をも受け入れざるを得なかった当時ですら、
戦後賠償も講和条約もすべて国際法に基づいた責任を果たした日本が、
戦勝国史観を受け入れる義務など一切ない。

こういう発想で国旗・国歌(日の丸・君が代)を否定したり、
毀損することに寛大な思想は論理として成り立っても、
どこかいびつで卑屈な思想であると思う。

理屈よりも常識的感性で捉えた方が、
意外にも整合性が存在することが多い。

国旗はそれぞれの国や民族の象徴として、その成立過程は様々だが、
国や民族の文化として自国は勿論、他国の国旗も尊ぶ必要性があると思う。






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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(12)文化
この記事へのコメント
こんばんは。

今日のエントリーを拝読して、田中康夫が、長野県庁に初登庁した時のことを思い出しました。
あの時、彼が差し出した名刺を、助役だか重役が折り曲げましたね…
あの時、マスコミはこのことを結構取り上げていたと思うのですが…

新党日本は、わざわざ日のところに、日の丸に、彼の顔と同じように、「斜め上」に鼻くそのような赤いドットをつけているので、今思えば助役の行為も肯定するのですが…
Posted by 坊主 at 2009年09月04日 07:47
坊主様
今の政治家の主流は40代後半は、ほぼ日教組全盛世代で、50後半以降は全共闘世代です。これらの世代はほぼ反日思想を植え込まれています。これはローレンツ博士のインプリンティング理論ではないですが、幼少期に刷り込まれた記憶は生涯変わらないかも知れませんよ。田中康夫は私と同世代ですが、彼の生育過程がどのようなものかでしょうね・・・
Posted by トラネコ at 2009年09月04日 08:26
トラネコ様
「侵略戦争という負の記憶にも繋がる」
国旗や国歌というか日の丸と君が代に否定的な方が必ずと言って良い程に使われるフレーズのように思います。
つまり、過去に侵略戦争(定義はこの際おいといて)を行った国では、自国の象徴に対する誇りや愛や忠誠といったものを持つなということでしょうか。
それは違うやろ、とモヤモヤしておりましたが、いわゆる田母神論文問題に関連して書かれたある雑誌のコラムで、「およそ近代国民国家というものは程度の差こそあれ全て侵略者の末裔であり、歴史的謝罪や和解を繰り替えしながら何度も戦争をしている。自分の国が侵略国家であったら国防に責任が持てないなどどいうナイーブな軍人など聞いた事がない」という意味の文章があり、非常に腑に落ちた次第です。
長々とすみません。
Posted by taku at 2009年09月04日 08:59
taku様
そもそも一回敗戦国になったからって、半世紀以上も遠い過去の敗戦の記憶を引きずって、いまだに贖罪意識丸出しの国は日本くらいでしょ。

しかもシナという戦後の侵略国家で、現在も不当な植民地支配と植民地でも46回もの原爆実験を行い、少数民族絶滅というナチス顔負けの非人道政策の世界代表に「侵略戦争」を反省せよって、まさに「お前が言うな!」じゃないですか。

仰るようにヨーロッパなど殆どすべてが過去500年間に侵略者でもあり、敗戦国でもあった国々では、WW2以降、日本みたいな馬鹿の一つ覚えみたいな謝罪すら行っていません。ドイツもイタリアもです。

日本など今度は絶対に負けないからな!、という意識で国防に力入れて欲しいものです。
Posted by トラネコ at 2009年09月04日 09:24
直接関係ありませんが、あるサイトのコメントから
「テレビの報道番組、時事問題番組のコメンテーターの発言を聞いて同調している人間は、実は人間ではなくてパボットと呼ばなければならない存在なんですよ。
衆院選での自民党の得票率は4割弱でした。
ということは、6割強の国民が、パボットだと断言してもいいでしょう。
ヒトラーの予言が現実化してきたのかも知れません。」引用終わり。
国民の6割がノンポリだというのは案外正しい数字なのでしょうか。
Posted by ケニヤッタ at 2009年09月04日 09:42
ケニヤッタ様
パボットってよーめんさんのブログでしたね。操り人形とロボットの複合語ですね。しかしどこの国の大衆も、自分の身の回りの暮らし以外余り関心なく、基本的には6割がノンポリというのは、案外そんなものかも知れませんよ。

ただ日本の場合は先進国の中でも、余りにも思考力が低下しているような気がします。恐らくテレビによる洗脳でしょう。大宅壮一の言った「一億総白痴」です。
もう少し広い視野が欲しいものですね。
Posted by トラネコ at 2009年09月04日 09:52
連続でコメントです。国旗絡みの話と言うと、有名な(そうでもない?)長崎国旗事件というのがありますね。
Posted by ケニヤッタ at 2009年09月04日 11:07
ケニヤッタ様
長崎国旗事件を知りませんでしたのでwikiで調べてみました。なるほど中華民国時代の中狂の旗の問題ですね。でもこの事件でもわかりますが、やはり国旗というのは国の形代であり、ある意味それぞれの国の「神聖」ともいえる象徴ですね。
Posted by トラネコトラネコ at 2009年09月04日 11:21
こんにちは

日本国旗、国歌が好きな自分としては、国旗を破損するものには厳罰でいいと思います。

国旗(象徴とされるもの)があらわす精神を馬鹿にしてはいけないと思います。
このように書くと怖いように感じられますが、公的な場所での国旗のことですから、女性が日章旗をモチーフにした服を作ってもこのような場合は除外されるのです。

おっしゃるとおり、東京裁判なんかにいつまでもこだわることもありません。ハワイを侵略した国に言われたくありません。

個人でも国でも光と陰があるのは当たり前、それら全てをふくんで日本国は本当に素晴らしい国だと思います。
Posted by 人形焼 at 2009年09月04日 18:38
人形焼様
よくチョーセン人などが日本への抗議集会などで、日の丸を焼いたり破損するパフォーマンスをします。しかし日本人の多くはニュース映像や新聞記事でそれを見ても、あまり怒りません。いずれの立場に置いても国旗の毀損であると思います。

チョーセンジンはあの民度ですから仕方ないとして、やはり自国も他国も同様に国旗は尊重させるべきものと思います。そういう意味で国旗に対する尊重の教育は公教育できちんとなされなければならないと思います。
Posted by トラネコ at 2009年09月05日 07:28
トラネコ さま

おっしゃるとおりです。

過去にヨーメンさんのところで星条旗に卍(ナチスのカギ十字ではありません)をつけた件で、他国の国旗を汚したと騒いだ人たちがいました。
でもその方たちは、日章旗は嫌いのようでした。

どうも、サヨクは日本人がまとまる事が嫌いなようで、シンボル象徴を破壊し日本を解体したいようです。サッカーでも日の丸が翻ると理屈抜きで胸が熱くなります。

>やはり自国も他国も同様に国旗は尊重させるべきものと思います。そういう意味で国旗に対する尊重の教育は公教育できちんとなされなければならないと思います。

おっしゃるとおりです。
Posted by 人形焼 at 2009年09月05日 14:48
人形焼様
二ヶ月くらい前だったか、民団の在日超賤人どもが日の丸をウンコに描き変えてデモだか集会だか、やってましたね。あれとても一緒に喜んでいる日本人支持団体もいたわけです。幸い日本人の保守系で、あのような下卑た行為をする人がいないのが救いでしょうか。
Posted by トラネコ at 2009年09月05日 14:56
 
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