オウム事件と宗教依存について考える

トラネコ

2018年07月09日 00:00

戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も
オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら教団元幹部7人の死刑執行を、海外の主要メディアも速報で伝えた。

地下鉄サリン事件について、英BBCは「治安の良さを誇りにしていた日本にショックを与えた」と伝えた。またAFP通信は「日本の首都機能を麻痺(まひ)させた。人々が空気を求めて地上に出てくる姿はまるで戦場だった」と振り返った。

一方で、死刑という手法には厳しいまなざしも向けられた。
<中略>各国の死刑廃止状況を紹介

今回の死刑執行を伝えた米CNNは、日本の死刑執行室の写真をウェブに掲載。「日本では弁護士や死刑囚の家族に知らせないまま、秘密裏に死刑が執行される」と指摘した。またロイター通信は、「主要7カ国(G7)で死刑制度があるのは日本と米国の2カ国だけだ」と指摘。日本政府の15年の調査で、国民の80・3%が死刑を容認していると示す一方で、日弁連が20年までの死刑廃止を提言していることも報じた。
<後略>
朝日新聞 7/7(土)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180707-00000009-asahi-soci

<関連記事>
後継団体、今も帰依=元信者含め警戒強化―警察当局
時事ドットコム 7/6(金)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000072-jij-soci&pos=1

オウム7人死刑執行、国連人権高等弁務官事務所が遺憾の意
TBSニュース 7/7(土)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180707-00000069-jnn-int
  ↑
年間2000人以上死刑にしているシナにも言えっ!


オウム真理教事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6



         一連のオウム関連事件の犯罪実行犯


オウムの地下鉄サリン事件以来23年たってようやく死刑が執行された。
それも一日に7人が執行されるのは戦後の司法史上初めてだという。
司法当局が極悪教祖の死刑にもたついているからこうなったのだ。

教祖の死刑執行すると旧オウム信者がまたテロを起こすとか、
理由はいろいろあれど、法務大臣が死刑執行を引き延ばしてきたから、
アーレフなどオウムの残党が勢力を拡張させたともいえるのだ。

それよりも・・・

   23年間も大量殺傷犯罪のテロリストども
   国税で養ってきた司法の怠慢を非難したい。
   法治国家日本は法に沿ってさっさとブチ殺…
   いや粛々と刑を執行すればいいだけなのだ。




              地下鉄サリン事件
       オウム真理教事件で亡くなった(殺された)人は30名以上、
       被害者は6000名以上に上る凶悪なカルトテロ集団である。



そしてまたぞろこの朝日の記事のような安っぽいジンケン屋どもの、
死刑廃止、死刑反対論が噴出している。
一般に死刑廃止論者は冷血漢が少なくないと聞く。
          ↓
 「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。
 被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」 


           ・・・菊田幸一著「死刑廃止・日本の証言」

菊田幸一 刑事法学者・弁護士(東京第二弁護士会所属) 
     明治大学名誉教授、法学博士(明治大学)








ちなみに・・・

死刑廃止国家は今や崩壊寸前のキリスト教文明圏が殆どだ。
多くの仏教圏、イスラム教圏の国家では厳然と死刑制度が存置されている。
そこでまず死刑絶対存置論者のトラネコが述べておくが・・・


 死刑は犯罪抑止が目的ではない。
 被害者と遺族の復讐権代行及び、
 復讐の連鎖防止が目的である!



 これが私の考える死刑存置論の大前提である。




だから・・・


私利私欲で殺人犯した奴の命など、
全く尊いと思わないし蚊以下だと思う。
此奴等に更生する権利はないと思う。



 もし私が法務大臣ならこいつらの死刑執行には、
 何のためらいなくバンバン執行の判子押してやる!






今回は死刑廃止論には言及しない。
過去何本か死刑存置論を述べてきたので、
興味ある方はこちらをご覧いただきたい。
   ↓
<参考エントリ>
死刑は廃止してはいけない!
http://ryotaroneko.ti-da.net/e10175540.html

「復讐」は基本的人権か?
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2367903.html

やはり死刑制度は必要だ
http://ryotaroneko.ti-da.net/e3803522.html

死刑が復讐で何が悪い!
http://ryotaroneko.ti-da.net/e3805301.html

正当防衛殺人と死刑を考える
http://ryotaroneko.ti-da.net/e5416766.html






すみません、長々と述べてきましたが、ここからが今日の本題です!
さらにまた(いつもの事ですが)長々とした駄文にお付き合い願いたい(笑)

今日はなぜオウム真理教のようなカルト宗教に今も、
入信する者が後を絶たないのか、実は私はこの事が
よく理解できないので読者諸氏と一緒に考えたい。

一応読者諸氏はご存知だろうが、私の宗教的立場を述べておく・・・

これまでの人生で特定の宗教に入れ込んだり、布教活動したこともないが、
無神論者ではないから神社仏閣教会など、どんな宗教施設にも一応敬意は払う。
まあ、私はごく普通の日本人の宗教観の持ち主だということである。





さて・・・

オウム真理教の松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こってから、
当時の世相を反映するかのように宗教論議が活発だったように記憶している。
特に新興宗教には高学歴のインテリが多く入信していたことも印象的である。

私は特定の教条的な宗教を熱心に信仰する人が理解できない。
そもそも日本人はアニミズムを基盤とする神道が無意識的にも根付いており、
一神教のようなドグマチックな宗教は日本の精神風土に合わないのである。

恐らく欧米化した現在でも日本人の多くの宗教感覚もこうではないか? 
だから明治以降、キリスト教解禁になって各地に教会やミッションスクールができても、
いまだに日本人でキリスト教を信じる人は人口の1%しかいない事がその証拠である。



      「何事のおわしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる」


ただ、そういう精神風土だからこそ、逆に見れば・・・

教義(ドグマ)がないから明確な「教え」にすがりたい者も出てくるのである。

価値観多様化の時代において、絶対的価値観を求める心理があると思う。
つまり善悪・好悪の基準がなくなりすべての存在理由が正当化されるから、
自分の価値基準がどこにおいていいのか不安になってくるのだ。

安っぽいジンケン屋にかかれば「凶悪」犯罪も正当化されるのである。
低能なヘイワ屋にかかれば、暴力も違法行為も正当化されるのである。
バカの野党にかかれば、国会欠席や審議拒否も正当化されるのである。


現代の価値観は、かつて「悪」とされたものも正しく、
「不道徳」とされたことも常識とされる時代なのだ。
これでは何が善悪の基準が分けるのか不明である。



             麻原彰晃弁護人の安田某







何が善悪の基準なのか? 何が真理と言われるものか? 何が人生の指針か?
・・・など、絶対不動の何かを人は求める傾向は大なり小なりあると思う。
この価値基準が崩壊しつつあるのが現代なのである。

そこに新興宗教が付け入るスキができるのである。
まさにオウム真理教とはそういう時代の申し子だったのではないか。
麻原彰晃はハッキリと明確に彼の言う「真理とは何か?」を答えているのだ。

価値観が多様化し曖昧になっている時代に、
「人生の指針はこうだっ!」と強く断言されれば、
その教祖に無条件に惹かれていくのもわかる。

問題はそれを受け入れる前に、少なくとも入信する前において、
客観的に分析し咀嚼し理解する思考力が欠けている気がする。
ここが高学歴の「優秀な者」がオウムに入信した問題点であろう。





高学歴の信者、とは言っても日本の優秀な学生とは暗記の秀才であって、
思考力の秀才とイコールではない。国会議員や官僚をみればわかるだろう。
高学歴バカの巣窟、特に立民、共産など売国左翼政党の特徴である。

高学歴とかエリートと言われる人は知識は持っているが、
この知識を知恵に転換できない「知識の倉庫」型の脳の人が多い。
もっと簡単に言えば、常識がないのである。

常識は知識や学歴がなくとも、バランス感覚のある人間性には備わるし、
それに見識と知恵が加われば良識という価値観が身に付くのである。
しかし新興宗教の高学歴信者にはそれらが欠落していたのである。

だから高学歴のバカは天才詐欺師麻原に簡単に騙されたのである。
だいたい麻原彰晃の風貌を見ただけで「聖者」の印象を感じるだろうか?
私は当時書店で彼の著書の写真を見ただけで胡散臭い野郎だと感じた。

人間への価値判断の基準は・・・

  言ってる事ではなく、その人の行動を見よ!

                     ・・・と誰かが言ってた。

確かに誰でも言うだけならどんな立派な高尚な事も言えるが、
それが生活にも言行一致の実践ができるかどうかは別である。
そしてその生活態度や生き方は人物の様相として現れるのだ。



          この風貌を見て聖人君子と感じるだろうか?
          これを判断するのは常識感覚の範疇である。



別の観点でみると・・・

私はこのような教条的宗教やカルト教団に引き込まれる人格とは、
自己確立のできていない未熟な人格の者が多いのではないかと思う。
或いは精神的に何らかの病理を持っている者もいると思う。

私自身もそれなりに人生に悩み苦しんだ経験があるし、
大なり小なり人間の苦悩とは一生続くものだと考えているが、
人生は苦悩があるからこそ人間は進歩向上もできるのではないか。

古今東西の哲学者は皆、不幸な生い立ちだったり、
様々な人生の苦悩に悩んだ人が多かったという。
だからそこから偉大な哲学思想が生まれたのであろう。

 「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。
 悪い妻を持てば私のように哲学者になれる。」


                      ・・・by ソクラテス



           悪妻に屎尿をかけられるソクラテス



以前何かで読んだが創価学会に入信する人々の共通点は、
貧困、病気、家庭不和が大部分を占めているという話だが、
創価学会に限らずカルトに入信する人に多い共通項だと思った。

このような人々は何らかの精神的病理に侵される可能性がある。

そこにカルト宗教は付け入り信仰というエサで救いを与えるのだ。
そして創価学会の「教え」で救われた人は大勢いることも事実だと思う。
しかし同じことは他の宗教でもいえることで信仰とはそういうものである。

まあ信仰を持つことは良い事であるが、あくまで個人的なマターに限定すべきだ。
これが教団という組織になれば必ず腐敗し、問題は続出してくるからである。
とにかく新興宗教の教団には入らないことが重要だ!



               人民寺院事件
         カルト教団に入信すると思考停止の洗脳を受け、
         自殺も犯罪もまったく抵抗感がなくなるのである。




なぜなら・・・

団体を維持するには金が要るのは当然のことである。
職員の給与、電気・ガス・水道費、通信連絡費、会場費・・・
これをどこから捻出するかといえば信者の会費しかない。

ハッキリいえることはどんな宗教団体であれ、
すべて金儲けが先行する事を知るべしである。
宗教の教えもあくまで自分で悩みながら考えることだ。

宗教団体に入れば必ず布教活動が信仰の証とか何とかいわれ、
高額な会費あるいは大量の機関紙や書籍を買わされるのも信仰、
ゆでガエルのごとく知らない間に教団の奴隷になっていくのである。

繰り返すが・・・

宗教団体には入ってはいけない!



   「いかなる偉大な宗教でも私事である。」

                  ・・・by インマヌエル・カント




               インマヌエル・カント


しかし人生の悩みや諸問題に関して私は・・・

自分の努力と知恵で大抵は何とかなるものだと考えている。
また宗教団体に頼らなくても宗教書は読めるし、名作映画を鑑賞するのもよい。
古今東西の名作と言われる文学哲学書も解決の糸口があると思う。

最近ではそれらが漫画化されているからマンガで読むのも良いだろう。

また自分が信頼できる職場や学校の上司や先輩、同僚と話すこともよい。
様々な考えの人から意見を聞く事で自分の価値観の位置が分かって来る。
その中でだんだんと自分の生きる方向性や解決の答えが見えてくると思う。

まあこういう人生の悩み解決法が一般的ではないかと、私は思う。
宗教に答えを求めるのもいいが、あくまで個人的に済ますことだ。
教団の話を聞くのもいいが、安易に入信はしないことである。


マルクスの言った格言で唯一名言なのは・・・

   「宗教はアヘンである。」

  でもマルクス主義も宗教みたいなアヘンだな、
  なあ、志位クン、小池クンよ・・・(笑)









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