「先住民族であるアイヌの人々…」新法に明記、万感の声
アイヌ民族を法律上初めて「先住民族」と位置づけたアイヌ新法が19日、参議院本会議で可決され、成立した。アイヌ文化を守り育てる施策を国の責務と定めたことに「一歩前進」という評価がある一方、土地や資源など先住民族としての権利に触れていないなど課題も残す。
「先住民族であるアイヌの人々」。新法の第1条はこうした表現で始まる。
アイヌ民族にかかわる従来の法律と大きく異なる点だ。差別禁止を明記し、アイヌ施策を国や自治体の責務とした。民族の儀式や文化伝承を目的にした国有林の利用、サケの採捕などに特例措置を設けた。
政府が公式に「先住民族」と法律で認めたことは評価する声も多い。
参議院の傍聴席では、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長(80)が何度もうなずきながら笑顔を見せた。一緒に成立を見守った協会の人たちと握手を交わしながら、喜びを分かち合った。
加藤理事長は「泣いています。うれしくて。北海道旧土人保護法からアイヌ文化振興法、そして今の新法へと、抱えきれないような苦しみと悲しみの歴史があり、長い時間がかかった。いま先住民族と認めていただき、今日から出発できるということは、歴史の大きな一ページ。感謝しています」と話した。
だが新法の目的はあくまで文化や経済、観光の振興。国連の「先住民族の権利に関する宣言」に盛り込まれ、アイヌの人々が長年求めてきた「先住権」は明記されず、生活や教育の支援も含まれなかった。
<後略>
朝日新聞 2019年4月19日
https://www.asahi.com/articles/ASM4M5H8TM4MIIPE021.html
初めに述べておく・・・
日本の先住民は縄文人である!
日本の先住民はアイヌ人ではない!
またしても
新たな弱者利権の発生である。
この
アイヌ新法の欺瞞性は別の機会にエントリする事にして、
今回はアイヌは日本の先住民ではないという「事実」を述べたい。
2008年国会で
アイヌが先住民であるというほぼ全会一致の決議、
アイヌ新法も制定された
アイヌ協会だが
政治的お墨付きをもらっても、
学問的には全く嘘なのである。
つまりアイヌが先住民族である、
というのは政治的規定であり、
学問・歴史的には根拠もなく
全く事実ではない大嘘である!
アイヌは先住民族という誤解を私もしていたことをここに明らかにして訂正する。
個人的には
アイヌは北方民族の一部や、あるいはその影響をうけた縄文人と、
彼らとの同化が進んだ混血の人々だと解釈していた。
基本的には、これはさほど大きく間違ってはいないのだが、決定的なことは、
アイヌと呼ばれる人々は10~14世紀以降大陸からの移住者であったということだ。
その新規移住者アイヌが、先住民である縄文系と混血・同化していったのである。
アイヌに関する文献資料、さらに考古学的資料は鎌倉時代が最古であり、
それ以前のものには、アイヌ関連のモノは全く出てこないのである。
しかし
和人が北海道に暮らしていた証拠は文献は奈良時代から存在する。
ただし・・・
これは文献上の記述に依るもので、アイヌがこの時期に大挙して来日したのか、
それ以前から大陸や島嶼から少しずつ漂流民のような形でやってきたのかは、
資料や証拠がないのでわからないが、いずれにしても・・・
アイヌが日本列島の先住民ではない事は確かだ!
田中英道「アイヌは”先住民族”ではありえない」
第63回 日本国史学会 連続講演会 2019年2月9日 拓殖大学
そもそも
アイヌとひとくくりにできる民族が北海道に住んでいたのではない。
近年の研究によれば、
7種類の部族がいてそれぞれの
出身系統も違うし、
言語や文化や生活習慣も異なっていることが判明している。
しかも
アイヌは国家形成もしておらず、狩猟民族の集落単位の社会で、
江戸時代から近代にかけて
本土系縄文人と混血が進んで行ったので、
DNAもほぼ本州人と変わらず、
現在は純血の「アイヌ人」はいない。
これらの事実からもアイヌと呼ばれる民族が日本列島にいた事もないし、
アイヌ人と縄文人と同根でもないし、縄文人(3万年以前から)より古い時代に
日本列島にいた事もない。さらには蝦夷や隼人などとも「アイヌ人」は違う
<参考>
アイヌの歴史:アイヌの歴史の始まり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A
約150年前のアイヌ人
<参考エントリ>
まだ言ってる「先住民差別」
https://ryotaroneko.ti-da.net/e2399345.html
日本人は単一民族である。改訂版
https://ryotaroneko.ti-da.net/e2769923.html
日本は日本先住民が作った日本先住民の国家である!
https://ryotaroneko.ti-da.net/e10669201.html
[有本香][竹田恒泰]アイヌ法案について[2月14日]
https://www.mamedane.com/?p=1499
そもそも日本人は大陸や島嶼地域や東南アジアなどからの移住者、
その混血によって形成された民族であるから、当然北方からの異民族もあっただろうし、
彼らと先住民の縄文系との混血した人々も少なからずいたと思われるからだ。
しかし13世紀といえば鎌倉時代だし、2万年前からの縄文人同士の混血が進み、
日本民族しての民族的形成が終わって数千年以上経った後の頃である。
この頃に移民して混血した民族を先住民などとは到底いうことはできない。
沖縄人も10世紀までは縄文人、その後は大陸系の江南地方の人々や、
東南アジア系の民族などとの混血であることはDNA解析でわかっているが、
基本的には原日本人である縄文人の末裔であることは変わらないのだ。
故に、沖縄人も本土系日本人と同じ縄文人の末裔という意味において、
「日本の先住民」とは言えるが
、アイヌ人とはまったく別系統の人種である。
ここはきちんと分けて考えるべきである。
ただし・・・
現在アイヌの末裔とされている人々も
縄文人のDNAを持っているが、
これは古代からのものではなく、
後天的に獲得された遺伝子である事は、
学術的に証明され、北海道議会にも質疑応答で提出されている。
これに対する疑問として・・・
アイヌ人と沖縄人は縄文人のDNAを本土人よりも多く受け継いでいるのは何故か?
学術的な分析は私にはできないが、縄文人遺伝子は
ハブロY遺伝子(父系)のD系統で、
これは
古モンゴロイド特有の遺伝子で東アジアの先住民に多く分布している。
そのD系統内でも
ハブロD1bというのが日本人特有の遺伝子とされる。
このことから東北アジア出自のアイヌ人のハブロY遺伝子D系統が
弥生系(ハブロ01b2系)の多い本土人よりも縄文系遺伝子の割合が多いのである。
基本的にアイヌは狩猟民族でありその生活も
宗教形態も文化もかなり和人のとは異なる。
まず北海道の歴史を見て見ると、北海道に人が住み着いたのは、
旧石器時代(2万年~1万3千年前)あたりから人骨や遺跡が発掘されているが、
これは
アイヌではなく我々日本人の祖先である縄文人の痕跡である。
また縄文時代においても縄文晩期からの遺跡が発掘されているし、
続縄文時代と呼ばれる
(BC.2~AD.8C )には弥生系と目される
人々の人骨が発掘されている。
この文化は水稲耕作はなかったが、青森県の
亀ヶ岡式文化の影響をうけた、
恵山式土器が多数発掘されており、鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。
北は樺太南端部、東は国後島・択捉島、南は宮城県北部から新潟県にまで及んでいる。
その後
擦文文化、
オホーツク文化と分類される時代にも多くの土器が発掘されている。
このように旧石器時代より北海道の地には
縄文系とされる日本人の祖先が暮らし、
アイヌ文化と呼ばれる民族の痕跡はまったく発見されていないことがわかる。
北海道埋蔵文化センター
「アイヌ民族は北方から渡来した民族であり、その渡来の経路は恐らく
カムチャツカ方面から千島列島を南下して北海道へ渡り、その一分派は
太平洋沿岸を南下して釧路、十勝の浜伝いにエリモの崎を越えて
日高のシズナイの辺まで進み、また他の一派はオホーツク海に沿うて北上し、
宗谷から一つの分派を樺太に送り、他の一分派は日本海沿岸を南下して、
ユーラップ、オシャマンベの辺で二つに分かれ、一つの分派は函館の方へ行って
津軽海峡を渡り、東北地方を占拠し、また他の分派はオシャマンベから
噴火湾に沿うて南下し、室蘭から幌別、白老を通って太平洋岸を東進し、
日高のシズナイの辺まで行って、あそこで十勝の方から西進してきた一派と衝突し、
そこからサル川沿いに奥地にはいったのが今の日高のサル地方のアイヌで、
このように一応北海道の各地の海岸に定着したアイヌが、そこから石狩川とか
十勝川とか沙流川とか、大きな川をさかのぼって次第に北海道の内陸に
占拠するようになったのが、現在われわれが見るアイヌの分布状態である
ということを、主として言語研究の立場から私は説いてみたのであります。」
アイヌ文化の探究にあたりて―知里真志保
https://www.aozora.gr.jp/cards/001540/files/53891_50779.html
アイヌ人の言語学者・知里真志保博士
さらに時代が下り、有史時代になると・・・
「蝦夷地が渡島の名で日本の国史の上にあらわれてくるのは、7世紀の中葉で、
すなわち、『日本書記』の斉明天皇5(659)年、阿倍の臣の遠征が記録され、
その時「問菟(トピウ)の蝦夷胆鹿島(イカシマ)・菟穂名(ウホナ)の二人進みて曰く、
後方羊蹄(シリベシ)を以て政所(まつりどころ)と為す可し、胆鹿島等が語に隨いて、
遂に郡領を置き帰る」
持統天皇10(696)年3月の条に、越度島の蝦夷伊奈理武志(いなりむし)と
粛慎(みしはせ)の志良守叡草(しらしゆえそう)とに錦の袍袴・緋紺の(あしぎぬ)、
斧などを賜わっていることが記され、奥羽と同様北方の住民の綏撫(すいぶ)が
盛んにはかられ、その効果があらわれたのをみて、和銅5(712)年9月には、
従来蝦夷地は越国守の管轄下にあったが、この時越国から出羽国に分け、
蝦夷地をその国主の管轄下に置くようになった。
また養老2(718)年8月には、出羽および渡島の蝦夷86人が上京し、
馬千疋(10匹の誤りか)を通貢した記録が見られるが、古代渡島の蝦夷に
馬を飼育した形跡がないから、おそらく出羽産のものであろうといわれている。
『続日本紀』の、養老4年正月の条によると「渡島津軽の津司従七位上、
諸君鞍男等六人靺鞨(まかつ)国に遣わし、その風俗を観せしめた」
函館市史 蝦夷が島 P319
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-01/shishi_03-01-01-00-01~02.htm
この記述を見ても
既に奈良時代には和人が北海道に定住しており、
大和朝廷もその事実を把握していたことが文献で証明されている。
ここには
アイヌに該当する先住民の記述はまったく存在しない。
<参考資料>
古代北方辺境における人的交流
樋口知志
https://core.ac.uk/download/pdf/144254415.pdf
諏方大明神画詞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E6%96%B9%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%94%BB%E8%A9%9E
イオマンテ:熊送りの祭り
現在では観光や文化行事のイベントになっている。
北海道には既に鎌倉時代に和人(本州人)が住んでいた事がわかっている。
知内町に1205年創建の
雷公神社、函館には1135年創建の
船魂神社がある。
当然のことだが、アイヌには神道も神社も宗教的に存在しない。
両神社とも鎌倉時代に和人がいた事を示す証拠になっており、
少なくともこの時代のアイヌの痕跡を見るモノはまったく存在しない故、
学問的にはこの時代にも
アイヌは存在していないと見るべきである。
ちなみに私見だが、この時代に東北や北海道にいた日本人は、
恐らく
縄文系の血統を強く残した人々ではなかっただろうか。
これは北と南の遠隔地のため、沖縄人もそうであるように、
弥生系の影響や混血が本土ほど強くなかったからだと思う。
北海道最古の雷公神社
船魂神社
では・・・
アイヌ人とはどこから来た何者なのだろうか?
これも明快な答えは出ていないが、ロシアのアムール川流域の少数民族と、
その風習が似ているといわれているが、中でも
ニブフ族がそれに近いといわれる。
彼らはモンゴル軍(元)の侵略で逃げてきた難民だったのである。
近年盛んなDNA鑑定でもかなり詳しいことがわかっており、
アイヌはモンゴル系でもツングース系でもない民族であり、
北方の
オホーツク系民族のニブフ族に最も近いとされている。
しかし、
現在のアイヌは和人との混血が明治以降さらに進んでしまって、
今は純粋なアイヌ人は皆無で、ほぼ日本人のDNA配列になっている。
「近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性がある
との研究結果も出ている。樺太起源とされるオホーツク文化は
5世紀ごろ北海道に南下したが10世紀ごろ姿を消している。」
「2009年、北海道で発見されたオホーツク文化遺跡の人骨が、
現在では樺太北部や外満州のアムール川河口一帯に住むニヴフに最も近く、
またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らす
イテリメン族、コリャーク人とも祖先を共有することがDNA調査でわかった。
また、オホーツク人のなかに縄文系には無いがアイヌが持つ
遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され、
アイヌとオホーツク人との遺伝的共通性も判明した。
アイヌ民族は縄文人や本土日本人にはないハプログループY遺伝子を
20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、
これまで関連が不明だった。」
「天野哲也北海道大学教授は『アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、
複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった』とコメントした。
増田隆一北大准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし
擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから
アイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測した。
この北大研究グループは、アイヌ民族の成り立ちに続縄文人・擦文人と、
オホーツク人の両者がかかわったと考えられると述べた。」
Wikipedia アイヌより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#%E3%82%AA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AF%E4%BA%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%84%E3%82%AB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E9%80%A3
自分がアイヌ人であることは申告制なので
アイヌになりたい人は誰でもなれるそうだ。
新たにアイヌになった人で朴だの李だの
日本人にはないような苗字の人もいるw
さらに・・・
アイヌ文化は、前代の擦文文化を継承しつつオホーツク文化
(担い手はシベリア大陸系民族の一つであるニヴフといわれる部族と
融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。
その成立時期は上記「えぞ」の初見と近い鎌倉時代後半(13世紀)と見られており、
また擦文文化とアイヌ文化の生活体系の最も大きな違いは、
本州や大陸など道外からの移入品(特に鉄製品)の量的増大にあり、
アイヌ文化は交易に大きく依存していたことから、アイヌ文化を生んだ契機に
和人との交渉の増大があると考えられている。
具体的には奥州藤原氏政権の盛衰との関係が指摘されている。
アイヌ文化:えぞ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7#%E3%81%88%E3%81%9E
北大のDNAの研究陣の報告でもアイヌの祖先は縄文人との関係が薄く、
むしろ
ロシアに居住していた「オホーツク人」種族との血縁の方が強く、
10~13世紀以降に北海道に移住した人々であり先住民ではない事が判明している。
また素人目に見ても、文化的にアイヌと和人である日本人はまったく異なる。
アイヌ語も日本語との文法も単語もまったく違うし、数基法もまったく違う。
日本人は十進法だが
アイヌ人は二十進法である。
これは同じく「先住民」などと大嘘を国連で垂れ流す、
琉球独立派と称するバカどもはよく学んだ方がいい。
沖縄の文化・風習さらに言語において若干の差異はあれど、
古代の日本のそれらとの共通性があり、DNA配列も似ていることから、
沖縄人も縄文人を祖先にもつ本土の日本人とまったく同じ民族である。
ニブフと呼ばれるアムール川下流域に暮らすロシア先住民族
この部族がアイヌの共通の祖先ではないかといわれている。
ニブフ族の熊祭り
ニブフ族はオホーツク文化の担い手といわれ、
その風習などはアイヌと似たものも少なくない。
ターズと呼ばれるロシアの先住民族
アムール川流域に暮らすツングース系の少数民族
どことはなくアイヌに雰囲気が似ているではないか。
結論として・・・
13世紀以降に日本に移住してきた大陸系の異民族が、
その後日本人と混血して現在に至ったのがアイヌである。
これは古代の日本民族の形成過程とまったく同じである。
アイヌ人は日本の先住民であった証拠も資料もない。
今ではアイヌ語もその文化的習慣も消滅しており、
純粋なアイヌ民族そのものが日本に存在しない。
従って・・・
アイヌ人は日本の先住民ではない!
アイヌ文様のような毛並みのネコ