日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

トラネコ

2020年05月21日 00:00

日本人は「徐福とその従者の末裔」だという説は本当なのか?
万里の長城を建設したことでも知られる「秦の始皇帝」の命を受け、不老不死の薬を求めて旅立った「徐福」という人物がいたという。徐福は3000人の若い男女と多くの技術者を従えて東方に船出したと言われているが、中国メディアの今日頭条はこのほど、「徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である」という説は本当かと題する記事を掲載した。

日本には徐福にまつわる伝承が各地に残されているのは事実だ。たとえば、徐福について「平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかった」という記録があることを伝え、記事はこの「平原広沢」は日本の九州地方のことだと主張。九州は気候に恵まれ住民も純朴で、地元住民に農耕や漁業などの技術を伝達して「王」になったのではないかと伝えた。徐福は中国を出るとき、稲など五穀の種子や財宝、各種技術者を伴ったと言われている。

記事は、徐福が日本を訪れた証拠は十分だと指摘。北宋の詩人・欧陽脩も日本刀についてうたった「日本刀歌」のなかで徐福が日本に渡ったことに触れているほか、古事記や日本書紀も秦から日本に渡って来た人に言及していると紹介した。

それに加えて、日本には各地に徐福の伝承が残り、徐福を祀った像や記念碑があり、徐福関連の催しが行われていて、徐福の子孫を名乗る人もいると紹介。徐福は伝説の人物ではなく、実際に存在して日本に渡ったに違いないと結論付けている。

日本各地にこれだけ伝承が残っているというのは、何ともロマンのある話で、中国人が興味を示すのも理解できる。日本人が徐福の末裔というのは誇張された表現であるにしても、徐福とその一行の末裔が日本人と同化したという見方はできそうだ。(編集担当:村山健二)
サーチナ 2020年5月5日
https://news.livedoor.com/article/detail/18216731/









徐福とは、司馬遷の『史記』の「淮南衡山列伝」に・・・

 「秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、
 始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女と百工(技術者)を従え、
 財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、
 「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかった。」


                    Wikipedia「徐福」より引用

徐福伝説は日本各地に伝わっており、いわゆる渡来人の一派で、
この徐福渡来においてもは、多くの技術者を伴っていることから、
日本に鉄器技術や大陸文化を伝えたのではないかとする説もある。

だが稲作技術は発掘により縄文時代中期(約7千年前)から存在していて、
昔から言われるように「弥生人」が稲作を伝えたというのではないが、
稲作の起源は1万年前の長江流域というから、その頃から渡来人はきていたと思われる。

しかし日本列島が大陸から切り離されてからも二万年経っているので、
既に列島内に暮らしていた縄文人は列島内で混血を繰り返し、さらに
渡来人をも吸収して独自の進化を遂げ、日本人の原型を作り上げていた
のだ。



            紀元前5000年頃・縄文中期の稲作


ただ弥生人、弥生時代といわれるように土器の様式から見ても、
縄文時代とは生活様式などが西日本から大きく変わってきているので、
この時代に多くの異民族(渡来人)がやってきたのだろうと思われる。

それは紀元前1000年頃、シナの春秋戦国時代の頃に戦争難民として、
江南地方の稲作民が渡来したのが弥生時代の始まりのようだが、
恐らく当時の稲作の最新技術を日本に伝えたのではないだろうか?

つまり縄文時代からあった旧来の稲作に新技術を伝え、鉄器の製作、使用も含め、
改良された品種の種子や籾などを日本に伝えた
という解釈がなされないだろうか。
これは後に述べる日本人、日本語の成り立ち過程と一致してくるのである。



          弥生式土器(左)と縄文式土器(右)



           復元された弥生時代の吉野ケ里遺跡


似たような話ではユダヤ人渡来説である。
昔からある日ユ同祖論で、近年では田中英道東北大学名誉教授などが唱えている。
大和朝廷に使えた渡来人のが実はユダヤ系の渡来人だったという説である。

秦氏は3世紀頃、大陸から日本列島に渡来したという。
その数は数千から1万人にも及んだといわれ、各地の豪族や大和朝廷に仕えて、
養蚕、機織り、土木技術など大陸からの進んだ文明をを伝えたとされる。

一説にはこの弥生系渡来人こそ、古代イスラエルからやってきたユダヤ人
大集団だったともいわれている。確かにこの時代に人口が急増したのだが、
それがすべてユダヤ人だという証拠はあるのだろうか?

また秦氏の出自は諸説あり、秦の始皇帝の子孫、弓月氏の子孫
さらには景教(キリスト教ネスリウス派)のユダヤ人だというが、
いまだ定説はない。





        関東の古墳から大量に出土する「人型埴輪」には、
        まるでユダヤ人を彷彿とさせるものがかなりある。

   

いずれにしても外来の一民族が相当数を率いてわざわざ海を渡って、
日本に向けてやってきた
という点は何らか重大な目的があったということだ。
これが徐福伝説にも重なってくるではないか。

それで徐福もジョフクという発音がジョセフに似ていることから、
徐福はユダヤ系渡来人でユダヤ民族の十支族の一つである、
ジョセフ(ヨセフ)族ではないか、という説さえもある。

まあいずれにしても多種多様な民族が日本列島に来ているから、
ユダヤ系渡来人が来ていても、まったく不思議ではないと思う。
しかし日本人の祖先がユダヤ人というのは絶対にあり得ない。

正確に言えば、日本人の祖先の一部にユダヤ人もいた
シナ人もいただろうし、ツングース系もいただろうし、●●系も・・・
これなら理解できるし、なんら問題はないと思う。


     
           日本から見たサピエンス全史#4◉田中英道
     ◉古墳時代 日本に渡来したユダヤ人。埴輪・天皇・国家という名の家族。



さて、日本人のルーツとか祖先を考えるのだが・・・

私は日ユ同祖論とか日朝同祖論とか・・・は一切信じない。
日本人の祖先は日本人であると思っているからである。

そこでまず日本人という民族を定義すると・・・

日本人は古来より多種雑多な民族の混血したハイブリット民族である。
だからその中にはユダヤ人やシナ人の血統が混じっていても不思議ではない。
多種雑多な混血が熟成して単一化してと考えれば実にガラパゴスな民族なのだ。


また日本民族がそういう多民族混合種の民族だからこそ、
いろいろな地域の文化的要素が混入していてもおかしくないし、
それこそユダヤ的要素が古代の日本文化にあっても不思議ではない。

そして私は日本人がユダヤ人やシナ人の子孫では絶対ないといえるのは、
日本語という世界唯一の言語を今でも話している事が何よりの証拠である。
もしユダヤ人やシナ人が先祖なら、言語もそれが継承されているはずである。



          いろいろな地域からきた様々な民族によって
          日本人は形成され、その後も混血は続いた。




なぜなら・・・

古来より、異民族に支配された地域は言語を失っている。

征服民族は被征服民族の言語や文化を破壊することが常であった。
その典型例が中南米諸国がスペイン・ポルトガル語が国語になっているし、
アメリカやカナダ、オーストラリアは英語(一部フランス語)になっている。

現在でもシナの侵略した植民地国であるチベット人ウイグル人の土地では、
シナ共産党政府の民族浄化政策が行われ、少数民族の文化や言語を
破壊されて漢民族に強制的に同化させられている
ことでもわかるだろう。

逆に日本にやってきた多くの渡来人は自ら日本人に同化している。
同化とは、渡来人は先住民である日本人と、子々孫々混血を繰り返して、
精神的、肉体的にも日本人になり、もちろん日本語を話したのである。

13世紀ごろ北海道に漂着したアイヌ人も同じである。
大陸のアムール川付近に暮らしていた狩猟民族のアイヌ人も、
日本人との混血を繰り返して今ではすっかり日本人になっている。





日ユ同祖論を唱える人は、民謡の掛け声や祭りの儀式の様式に、
いくつかの古代ユダヤ語との共通性があると主張する
。しかし
あくまで名称レベルの単語だけであって、文法や発音体系とは関係ない。

そもそも日本人が多種多様な様々な地域からの混血民族なのだから、
名詞の中にも外来語由来のものが混じっていても何ら不思議ではないし、
日本語自体が昔から外来語をそのまま取り入れる特徴を持った言語である。

古代にはシナ語、中世にはポルトガル語やスペイン語、江戸時代にはオランダ語、
明治以降には英語やドイツ語など、その時代に関わりのあった外国語を翻訳せずに、
そのまま単語として取り入れてきた
のである。現在のIT用語もその例にもれない。

日本人も日本語も多くの外来種(人と文化)を取り入れ、同化させ、
それを自らの特性として完全に自家薬籠中の物にしてきたのである。
これこそが日本人であり、日本語であり、日本文化なのである。




     現在では日本人を縄文人と弥生人という分け方も意味はない。


先述した事を繰り返すが・・・

日本人も日本語も様々な日本の文明的要素も日本文化も・・・
縄文時代から続く「日本人」のベースがあり、そこに外来の新しい文化的要素が、
時代ごとにに輸入され同化吸収して、日本化(Japanize)されていった
のである。

まったく素地のない所に新しいものは根付かないだろう。
受け入れるだけの有形無形の素地があってこそ外来種も根付くのである。
そう考えれば、日本人の祖先がユダヤ人とか漢民族とかはあり得ないのだ。

たとえ外来の民族が日本へ文化・文明的影響を与えても、
日本の文化・文明が基盤にあり日本人という素地があった上で、
渡来人が混じりあいながらさらなる日本人に発展していったのだ。

だから日本人の先祖の一部にはシナ人も、ユダヤ人もいておかしくない。
しかし単一の民族の末裔ではない、常に複数の渡来人的要素、
遺伝的、文化的要素をもった祖先の複合的末裔が日本人なのだ


言い換えれば・・・

 日本人とは様々な民族的要素をもった単一民族である。





      日本人の遺伝子配列は近隣のシナ人や朝鮮人とも異なる。


  このように数万年前から延々と日本人が形成され、
  その日本人が皇室を作り2千7百年もの伝統を、
  今日まで継承させてきた事は奇跡に近いのだ!


 日本人は縄文時代の遥か古代より
 種々雑多な渡来人と同化しながらも、
 現在に至るまで日本語を話している、
 その末裔の我々こそ日本人である!










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