正月早々、政治や社会の話は、また暗くなりそうなので、
今日は先日旅行してきたメキシコ・チアパス州の先住民のお話をしたい。
この地域の先住民は今も伝統習慣を引き継ぐマヤ人である。
まずマヤ文明とかマヤ人という言葉についてだが、
もともとマヤ文明とかマヤ人というまとまったものはなく、
メキシコの東南部に栄えた複数の部族国家を総称したものである。
現在マヤ人と呼ばれる人々は
マヤ諸語を話す人々のことである。
ほかにオルメカ文明やトルテカ文明、アステカ文明、その他があるが、
これらとマヤは互いの影響はあるものの、部族も地域も異なる。
マヤ人の居住地域はマヤ地帯(Maya Zone)と呼ばれるユカタン半島、
チアパス州、グゥアテマラ、ベリーズ、ホンジュラスにまたがる地域で、
マヤ北部低地、マヤ中央低地、マヤ高原の三地域に分類される。
マヤ文明は3000年以上前に中央低地に興ったが、9世紀頃に滅び、
北部低地に第二期目の文明が繁栄し、15世紀ころまで続いた。
このころアステカ帝国が繁栄していたがマヤ人は独立していた。
特筆すべきはマヤ人の社会はスペイン軍の侵略まで、
ただの一度として、同じ陸続きの外部勢力の支配下に入らず、
独自の言語や文字を持ち、衰退後もそれを維持し続けたことである。
これはどこかの1000年属国民賊とは大いに異なる。
旧称世界4大文明に優るとも劣らない、実に高度な文明を築いていた。
私など美術屋からみた建築・美術の造形性からも、その文明の高さはわかる。
これもどこかのヒトモドキ民賊とは大いに異なる文明的特徴である。
マヤ人は我々日本人と同じく
モンゴロイド系人種であり、
すべてではないらしいが赤ん坊のころ
蒙古斑が出るそうだ。
また世界中に日本とメソアメリカにしかない
翡翠信仰もある。
しかし同じ文化圏に暮らす人々だが、食習慣や宗教などは共通するが、
言語も30種類くらいあり、服装の種類やデザインは部族によって異なる。
骨格も見たところ若干異なっているように見える。
私が現在関わっているマヤ族の末裔の住む場所は、
ユカタン半島のマヤ北部低地と呼ばれる12世紀頃繁栄した地域である。
ここだけで
約80万人のマヤ系先住民が暮らしている。
今回の旅行はマヤ中央低地から高地に出かけた。
チアパス州では、低地帯は
熱帯雨林の湿気の多い
ジャングル地域と、
高地帯は乾燥した一日の気温格差の大きい
山岳地域に分かれている。
マヤ中央低地帯は、紀元前2千年より9世紀頃に滅ぶまで都市国家が栄え、
数多くの遺跡が今も鬱蒼としたジャングルの中でひっそりと眠っている。
この熱帯雨林の密林地帯が発掘を困難にしているとも言われている。
これは世界遺産に登録されている有名なパレンケ遺跡である。 ここのピラミッドは、
この地を支配したパカル王の墓として確認されている。
同じパレンケ遺跡内でもいまだ発掘が終わっていない遺跡が、まだまだ密林の中に
埋もれているそうだ。今でも全体の半分も発掘は進んでおらず、発掘調査が続行され、
今後の解明が待たれる。
こちらの低地帯はユカタン半島のやや乾燥した密林とはことなり、
12月にも関わらず、本当にム~ッとした湿気と暑さで汗が噴出してくる。
ちょうど沖縄の西表島の密林に似ているように思った。
しかし同じチアパスでも南部の高地地帯にいくと気候もガラリとかわる。
高度も1000~2000m平均の高地にあるので、一日の気温格差が大きく、
日中は25度以上になるものの、朝夕は5度前後まで気温は下がる。
南部高地の先住民集落は役場のある地域には、それなりに整備されて街としての外観があるが、多くの人々は写真でみるように山間に点在して暮らしている。家も昔は土塀だったが、最近は政府の援助でブロック作りの家が増えているようだ。
この地域に住むマヤ先住民は、ユカタン半島から、
スペイン軍に追われてきたマヤ人の末裔だという。
生活様式はユカタンマヤ人とは異なり保守的である。
今でも女性は伝統の民族衣装を身につけ、これが集落ごとにデザインや色彩が異なって
おり、グゥアテマラの先住民集落と同じである。ここはシナカンタンという村で、ある人の伝手で特別許可を得て写真を撮らせてもらった。
色とりどりの美しい刺繍や織物を販売している。ここはチャムラという村で、多くの女性は織物や刺繍など伝統工芸で生計を立てている。
先住民集落によっては男性も民族衣装を身に着けている地域もある。
これはテネハパという村の光景である。ここでも直接カメラを向けて撮影はできないので、望遠か隠し撮りである。彼らが極度に嫌がるからである。
ここに来て興味深いことがわかった。
征服された部族とそれを免れた部族の違いが、
現在の暮らしの中でハッキリしていることだ。
ユカタンのマヤ人は既に伝統的生活習慣は無くなっているといえるだろう。
また伝統工芸もほとんど存在しておらず、特に文化的なものは感じない。
これがスペインに征服され、文化を奪われた悲しい人々に思えた。
しかしチアパス高地のマヤ人は、スペイン軍から逃れてきただけあり、
今でも自分たちの文化的矜持を捨て去らず、維持しているように見え、
かたくなに伝統文化や習慣を守り続けている点が興味深かった。
それは宗教にも現れている。
チアパスのマヤ人も一応カトリックに改宗しているのだが、
実際には彼らの元からの信仰とダブらせた
混合信仰があるのだ。
だから村の教会に十字架もあり、パウロやヨハネの聖人も祭られている。
しかしこれらの
聖人はすべて彼らの元々の神様に置き換えられているのだ。
ちょうど日本に仏教が入り
神仏習合の
本地垂迹説が起きたのと同じである。
また一方ではこうも言えないだろうか。
長崎の
隠れキリシタンが禁教令に隠れて、白衣観音像をマリアに見立て、
マリア観音として信仰した苦肉の策みたいなものかも知れない。
土俗宗教とキリスト教が融合することは世界中あるようだ。
隣のヒトモドキの国でもキリスト教徒が人口の4割にもなるらしいが、
土俗宗教との混交であり、かなりいかがわしさ満点なようだ。
メキシコの
グアダルーペの聖母マリア自体が、ヴァチカンの認定する聖母出現の奇跡談ではあるが、実際にはカトリック布教を円滑化するための作り話ではないかと思われる。
別名『黒人のマリア』とか『インディオのマリア』とか言われるみたいだが、要するに布教のために先住民宗教と融合させた、一種の方便みたいなマリアさんではなかろうかと思うのだ。
グアダルーペというのはスペインの地名であるが、実は
コアトラロープという名前であったという。
その意味するところは
『石の蛇を粉砕した完全無欠の処女マリア』と言う意味だという。石の蛇というのはアステカの
ケツァルコアトル、マヤの
ククルカン、すなわち羽毛の生えた蛇のことである。
アステカではケツァルコアトルに捧げる生贄で多くの人々が殺されたが、
それを止めさせたさらに偉大な『神』だという意味であろう。
まさにカトリックの偉大さを誇示するような話しではある。
これはゲルマン人にキリスト教を布教した
聖ボニファチウスが、
ゲルマン人の信仰する御神木を切り倒し、自らがその災いを蒙らなかったことから、
キリストの神のほうが優っているといって、改宗させた話しと同じである。
所詮宗教などご都合主義の最たるものですな(笑)
また話しが脱線し、まとまりが無くなってしまいましたwww
いつものように他愛の無い雑談ということでお許しを!
明日からまた政治・社会のボヤキ記事をエントリします。
ということで、皆様、今年もヨロシクね~♪