旧日本軍兵士は戦後もアジアの独立に貢献していた!

トラネコ

2015年07月21日 00:00

日本の捕虜を、蒋介石も毛沢東も「作戦投入」していた! 
中国メディアは「国際法」との兼ね合いには触れず

中国共産党機関紙・人民日報系のニュースサイト「人民網」は6月29日、「抗戦勝利後、国共双方は大量の日本軍捕虜を作戦に使った」と題する文章を掲載した。同文章はその後、環球網、北京晨報など多くのサイトが記事として掲載した。  

記事は、蒋介石は日本軍の「侵華総司令(中国侵略総司令官の意。日本側の正式呼称は支那派遣軍総司令官)」岡村寧次の罪を問わず、顧問にしたと紹介。「東条英機ら戦犯は東京で裁かれることになったが、国民党は敗軍の将に指揮権を与えた」などと非難した。  

共産党側については、旧満州に残っていた軍と医療スタッフを「使用した」と紹介。国民党との内戦では、日本人医師や看護師が三日三晩不眠不休で前線から運ばれてくる負傷した将兵を治療したなどと紹介。実戦で敵の陣地を確実に壊滅させる砲撃を見せ「神の砲撃手」と呼ばれたが、武器点検中の事故で「若い命を捧げた」旧日本軍人も紹介した。  

記事は、共産党がそれまで保有していなかった空軍を獲得したのは、関東軍の錬成飛行隊長だった林弥一郎(最終階級は少佐)によることも触れた。同隊は投降後、操縦士20人、整備士など約100人、その他の地上スタッフ200人が共産党の軍事組織である東北民主聯軍に加わった。中国共産軍初のパイロット160人を育成したとされる。


◆解説◆  
現地指揮官が「了承」したとはいえ、投降した将兵を作戦に投入することは国際法違反の疑いがある。
中華民国が1907年に調印したハーグ陸戦条約は、投降兵に対す労役について「一切の作戦行動に関係しないものでなければならない」(第6条)、「平和克復の後はなるべく速やかに、俘虜をその本国に帰還させなければならない」(第20条)などと定めている。  

上記記事では、国民党に協力した旧日本軍人を非難する一方で、共産党への協力は称讃するなどの「不整合」もみられる。  なお、中国民国軍が人民解放軍の金門島上陸を撃退できたのは、旧日本軍人による国民党政府の軍事顧問団の「白団」の作戦による。白団はその後も中国民国軍の再建に大きな功績があったとされる。  

林弥一郎氏が育成したパイロットは朝鮮戦争でも活躍した。米軍は「せいぜいプロペラ機時代」と考えていた中国側がソ連製の「MiG-15」ジェット戦闘機を投入し、自軍戦闘機を撃墜したことに衝撃を受けた。  

中国軍がジェット戦闘機パイロットを急速に育成できたのは、第二次世界大戦時の「最速機」のひとつだった米国製の「P-51」を共産党が手に入れ、林氏が率いる日本人グループが徹底的に研究し、中国人の練習生に「高速機の操縦」を伝授したことによるとされる。(編集担当:如月隼人)(写真は北京晨報の上記記事掲載頁のキャプチャー)
サーチナ 2015年7月13日
http://news.searchina.net/id/1581127?page=1




実はこの話は私が中学生時代に父から聞いていたのだ。
私の父は戦後シナで捕虜として3年間の抑留生活を送っていた。
父は国民党軍の捕虜収容所にいたといっていた。

捕虜収容所にはシナ人の物売りがしばしば出入りしていたが、
彼は実はシナ共産党のスカウトマンであり、来るべき国共内戦、
社会主義革命への戦闘や戦術の指導者を物色していたというのであった。

シナ共産党のスカウトマンは、日本が無差別爆撃や原爆で焼け野原になり、
捕虜たちの出身地に家族も誰も生き残っていないといい、これから自分達が、
新しい労働者の国家建設をするが協力しないか? と声をかけていた。

参加する意思のある兵士は、例えば伍長、軍曹など下士官は尉官クラス、
衛生兵は軍医待遇で迎えられ、「契約」というか、交渉成立した兵士は、
誰も知らないうちに、いつのまにか捕虜収容所からいなくなっていたそうだ。

そういう兵士が何人かいたと父は話していたが、
今回この記事を読んで、父の話は実話だったのだと再確認した。



            ビルマにあった英軍の日本兵収容所



また私の中学生時代にはベトナム戦争の最中だった。

このとき北ベトナムのベトコンのゲリラ戦術のいくつかが、
旧日本軍のそれと似ていて旧日本軍将兵が指導しているのではないかと、
噂されていたことがあったが、その噂は事実だったのかも知れないと思う。

この話の真偽は別としても、旧日本軍の将兵が東南アジア各地に残留して、
植民地独立に貢献したことは有名な話である。
日本の売国新聞は報道しないが、
こういう話は歴史教科書に載せるべきではないかと思う。

よく知られているのは・・・

インドネシア独立に日本軍将兵約2000名が参加したことだ。

日本の将兵は、現地人を軍事指導し武器を与え、自らも先頭に立って
オランダ軍やイギリス軍と戦い、インドネシア独立に多大な貢献をした。
ちなみにオランダ兵は欧州のシナ朝鮮人みたく、冗談のように滅茶弱かったそうだ。

そのときの日本軍戦死者約1000名は、
インドネシア政府によって今も国立墓苑に手厚く葬られており、
毎年独立記念日には当時の生き残り軍人を式典に招いている。



        映画化されたインドネシア独立で闘った日本軍将兵


インドシナ戦争にも日本軍将兵が参加しフランス軍と戦った。

帝国陸軍第34独立混成旅団参謀の井川省少佐を始めとする、
約600名の日本軍将兵がベトミン軍に軍事訓練や作戦指導を行い、
独立後のベトナム士官学校の全教官(中原光信中尉ら)を勤めたのである。

彼らはベトナム独立に貢献し、日本兵の指導した遊撃部隊は各地で善戦し、
井川省大佐は、フランス軍から殺害要人の第一目標にされていたそうだ。
戦後、日本軍将兵30名以上がベトナム政府から勲章授与されている。

ベトミン軍のグエン・テ・グエン大佐は日本軍将兵についてこう語った。、
「飢えたときの(米飯の)一口は、満腹時の(食べ物の)一包みに勝る。
我々の最も苦しかった時代の彼ら(日本人)の貢献は何よりも貴い」

       


           クァンガイ陸軍士官学校の日本人教官


ビルマでは鈴木敬司陸軍大佐の南機関が、ビルマ独立義勇軍の指導をがおこない、
ビルマ侵攻作戦に協力した。戦後は南機関の一部が残留してビルマ防衛軍(BDA)、
後のビルマ国防軍の創設に指導的役割を果たした。



        昭和56年鈴木敬司少将は旧ビルマに招かれたが、
        すでに他界しており鈴木未亡人が代わりに出席した。
        ビルマ最高の栄誉「アウンサンの旗」勲章が授与された。



また記事にもあるが、台湾では・・・

終戦時に駐蒙軍司令官だった根本博中将は、49年に本土を制圧した共産軍が
台湾沖の金門島に侵攻した際に、中華民国の軍事顧問として現地指揮官に
助言をしてシナ共産党軍の撃退に成功した。

もしかすると、この金門島の戦闘には日本人指導者が、
国民党軍とシナ共産党軍の双方にいて戦闘指導を行っていて、
日本人同士の作戦がぶつかった戦闘だったのかも知れない。

支那派遣軍総司令官だった岡村寧次(やすじ)大将のグループは、
私的に軍事顧問団を結成。現地に49年から68年まで断続的に
100名ほどの旧陸海軍の将校を台湾に送っっていたそうだ。







←根元博陸軍中将

     岡村寧次陸軍大将→







その他記事にも照会されているように・・・

シナ内乱の国共内戦にも双方に日本軍兵士が参加していたり、
またシナ人民解放軍の空軍設立にも日本軍兵士が多く関っていることなど、
本当に日本はアジアに迷惑どころか独立や革命に貢献しているのだ。

このことからもシナ共産党の抗日勝利などということがなのがわかる。
シナ共産党軍などに負ける弱い日本軍に戦闘指導など頼むわけがないだろう。
日本軍が勇猛果敢で優れていたことを知っていたから指導を依頼したのだ。

もっとも・・・

シナの社会主義革命に日本兵が貢献したことは、今の我々には素直に喜べないが、
実はそれ以前のロシア革命にも革命勢力に資金援助をしたのも日本であった。
日露戦争を有利に展開するための明石元二郎大佐の工作話は有名である。


        ロシア革命、シナ革命、日韓併合・・・
        善意の行為が結果的には日本に不幸をもたらし、
        さらに世界を不幸を与えてしまったのだwww
        日本は世界史の流れを本当に変えてしまった、
        やはり大東亜戦争の一部は反省せんといかんな・・・

    日本人って何てお節介な民族なのだ(笑)



              戦前のアジアの植民地地図
        これらの植民地が日本のせいで皆失ったんだから、
        そりゃあ、欧米諸国が怒るのは当然だろうなwww
        日本はアジアじゃなく、欧米に悪いことしたんだな(笑)



こうしてみてくると、アジアを白人の植民地支配から解放し大アジア主義を掲げた、
大東亜共栄圏構想は、戦場に残った兵士たちの志に受け継がれていたことがわかる。
国家の戦争だったものが終戦後も一兵卒にまで引き継がれていたのだ。

これが侵略戦争なら、ここまで他国の独立に命を捧げたであろうか?

侵略戦争などと言ってるアジア諸国はシナと南北朝鮮だけではないか!
これがバカサヨが言うような、嫌々戦場に引っ張りだされた徴兵の姿であろうか?
バカサヨの言ってる歴史観がすべてウソ八百なのがこれでわかる。

もちろん・・・

大東亜戦争がすべて美名のスローガンで行われたとは思わないが、少なくとも、
東南アジア各国の独立を実現させ、そのいくつかは日本軍将兵の命をかけた、
血の滲む決死の協力の元に実現
したことも事実なのだ。

もし日本がバカ左翼のいうようなアジア諸国に多大な迷惑をかけたなら、
殉職者たちが国立墓苑に今も祭られ、多くの勲章を授与などされなかっただろう。
現在に生きる私たち日本人はこれを誇りに思うべきだろう。



            当時の大東亜共栄圏のポスター



   大東亜戦争を侵略戦争と言いくるめる、
   売国左翼は英霊を穢す罰当たりである!

 今年の戦後70周年の談話には無理かも知れないが、
 安倍首相はアジア各地の土になった我らの英霊への
 感謝の気持ちも込めて談話を発表してほしいと思う。




          「アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!」
            高山正之 著(WAC BUNKO) 新書




         日本はアジアを侵略などしていないじゃないか・・・






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