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保守思想について

2011年09月12日

どうもエントリ書く気力がなくなってしまい、
ニュース記事読んでいても何もイメージがわいて来ない。
イメージがわかないというのは芸術家や作家にとって致命的である。

もっともアートのほうはその心配はないのだが、
これまで日課になっていたブログが書けないのも困ったものである。
これも気分的なものだろうから、しばらくすれば元に戻るだろう。

それで日ごろ考えていることを書く。
まとまらないのは承知なので、そこを突っ込まないようお願いしたい。
なぜ民主党や売国左翼が戦略的に長けているのか考えてみた。
以下に述べることは渡部昇一先生のお考えに依拠するものである。


以前保守思想は思想ではないというようなことを書いた。
本来土着民国家は、わざわざ国家成立の理論や思想を必要としない。
自然発生的に生まれ地域共同体に受け継がれてきた文化や習慣を、
長い歴史の淘汰のなかで洗練し、時代の要求で改良するだけのものである。

このもっとも典型的な国はイギリスであろう。
ご存知のようにイギリスは成文憲法が存在しない
伝統習慣に基づいたいわゆる慣習法というものである。

この考え方の基本になったのはおそらくエドモンド・バーグや、
デイヴィッド・ヒュームらのイギリス経験主義哲学者たちの思想だろう。
イギリス経験主義者は啓蒙思想やフランス革命を否定する。

啓蒙思想とは・・・

人間の理性や知性を万能としてその理論構成によって、
理想的国家形成が可能だとする考え方であり、
国家論の理論的整合性が、理想的国家を実現
すると考えた。
J.Jルソーなどがその思想の代表でフランス革命はその帰結である。

しかしフランス革命は所詮野蛮な権力闘争と殺戮とに終始し、
ジャコバン派の台頭で、何万人もの首が断頭台の露に消える恐怖政治を招き、
結果的にナポレオンが登場して軍事独裁政治で内乱の収拾をはかったのは皮肉である。

ちなみに10年間の革命の嵐で490万人も虐殺されたのだ。


人間の理性が理想国家を実現させるとした、
啓蒙思想とは一体何だったのか?


その点1689年の名誉革命以降『権利の章典』により議会制を確立し、
王制度を維持しつつも『王は君臨するとも統治せず』という
王位より議会制優位を確立したイギリスは偉大である。

E・バークの保守主義は英国憲法の根源的発想であるコモン・ローをベースに、
祖先から受け継がれた習慣や文化を経験と必要に応じて改良しながら、
子々孫々に継承していくという政治哲学
である。

おそらくNATION国家というのはあえて成文化された憲法を持たずとも、
慣習法によってうまく社会を機能させてきたのだと思う。
イギリスは現在においても慣習法で国家運営できている。

日本もあの帝国主義時代に西洋と同じ産業革命を経験しておれば、
あえてプロイセン憲法を手本とした明治の帝国憲法を持たずとも、
十分に西洋国家や共産主義とも対抗していけたのではないだろうか?



ちなみにマルクス主義(社会・共産主義)もこの理性万能主義の流れから
生まれた屁理屈思想であったが、それだけで済まなかったwww

マルクスは人類の理想国家を理性的理論で実現できると考えたのだが、
1917年の史上初の社会主義革命によって、
70年以上の壮大な社会・人体実験はシャレにならない悲劇を生んだ。

千万、億万とも言われる膨大な犠牲者と国家停滞と侵略輸出をだして
完璧に崩壊したソビエト社会主義共和国連邦が、
その見事なまでの大失敗の実例になったのである。

啓蒙思想のフランス革命も、社会・共産主義思想も
人類の歴史的経験からみれば、多大な犠牲と破壊を出して、すべて大失敗に終わっているのである。



所詮人間が頭の中で屁理屈こねくりまわして作り上げた理論よりも、
地域ごとに民族が何千年もかけて作り上げてきた経験則のほうが、
安定した社会や国家を作れるという証左ではないだろうか?


すなわち地球市民だの東アジア共同体だのは、
かつて共産主義者が唱えた国境や国家を解体消滅させ、
世界の労働者よ、団結せよ!世界はプロレタリアートのものだ!
というスローガンをアレンジしたものに過ぎない。

一説によればマルキシズムはユダヤ人思想であるという。
二千年来国を持たず、世界を流浪し迫害されてきたユダヤ人である、
マルクスやレーニン(ユダヤの血筋)が自分たちの理想を実現するために、
無理やりにでも実現したかったのが共産主義思想だったという。

共産主義は一見人類の理想郷を目指し、理論構成も完璧であるが、
18世紀の啓蒙主義と進化論に社会を被せた屁理屈だということが、
今では証明されているが、屁理屈を述べさせれば世界一である。

だから共産・社会主義は理論的整合性や詭弁術には長けているのだ。
保守思想は一種の経験値と生地主義に基づく感覚的要素が強いので、
ディベート的なという意味では理論武装が弱いのである。


あえて理論が云々・・・とはとても素人の私には言えないが、
保守思想の一つの考えを定義すれば、自分の生まれた郷土や国を愛し、
その先祖と共同体に感謝と愛着を持ち、その文化や習慣を維持温存し、
子々孫々に継承していこうとする思想
である。

ゆえに保守思想とは、反共・反ファシズムの思想である。

現在の日本人がいかに似非理想主義に毒されているか、
所詮はシナ・チョーセン人などと共存など夢のまた夢である。
地球市民など馬鹿をほざいているのは似非日本人の証拠である。

自分の生まれた郷土や国が大切なら、
このことを忘れるべきではない。

シナ・南北朝鮮は日本の敵国である。
民主・社民・共産・公明各党も、
内なる日本人の敵である。





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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(2)思想・宗教
この記事へのコメント
トラネコ さま

人の心はサーチライトのようだといいますね。サーチライト光が照らしたところにはよく見えますが、
照らしていないところは見えずに心の中にないのと同じです。

私も民主党政権を見てきました。これは人間を情けなくします。ゴキブリやドブネズミを観察し続けるようなものですから。
素晴らしい光景 書物 芸術 人 などをみたり学べば、英雄のように戦う人を見れば、心が高まり、同じレベルにまで到達できる、と言いますね。
トラネコ さまは真逆のことをされたので心がふさぐのは当然のことです。

まして、仲間だと思っている情報弱者が情けなくてはねぇ。
でも、何時の世もこの様な人はいるのですが、トラネコ さまのような方をみてレベルが高まっていくのだと思います。

さて、今日の記事の感想ですが、

私は革命を目指す人は、幼い子供のころ母親に世話をされていたころに戻りたい方だと思います。あのころは良かったと理屈をこねるのです。

しかし、大人になるとき成人式や元服式のように儀式で大人の人間に生まれ変わり、責任をもち集団に加わるのが本来の生き方だと思うようになりました。
保守ですね。

今日もありがとうございました。
Posted by 人形焼 at 2011年09月13日 10:49
人形焼様
毎回示唆に富んだコメント有難うございます。
過去何度か質問を受けたのですが、なぜ私は絵を描くのか?といいますと、実は現実逃避ではないかと中年以降わかってきました。これは私の幼少年期の問題もいろいろあるのですが、私の場合は現実が怖いという臆病さが、絵という避難所へ向かわしているように思います。

弱者は弱者なりに自己主張するべきであり、またその方法もあると思います。しかし無関心は一番卑怯ではないでしょうか?いや卑怯が言いすぎなら、少なくとも一社会人として無責任だと思います。メラニー神父の告解ではありませんが、無関心が結果的に自分の首を絞めるということが、やはり国民にはわからないのでしょう。もっとも享楽と退廃を電波で垂れ流してきたマスゴミの工作の賜物ともいえるでしょうね・・・

>私は革命を目指す人は、幼い子供のころ母親に世話をされていたころに
 戻りたい方だと思います。あのころは良かったと理屈をこねるのです。
面白い見方ですね。
或る意味、民族レベルで見ると先祖返りみたいなものかも知れません。革命ということば自体が元に戻るという意味ですからね。

いや~それにしても解散総選挙にならんでしょうかねえ・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2011年09月13日 11:30
 
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