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辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

2018年12月23日

社説 問い直される民主主義 辺野古問題で議論活発に
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題をめぐり、民主主義論が盛んに論じられている。「知事選を通じてあれだけの民意が示されたのに政府はそれを一顧だにせず土砂投入を強行した。いったい日本に民主主義はあるのか」といった議論である。

■他県の模範に
政治学者で琉大名誉教授の江上能義さんが次のようなことを書いている。

「沖縄は戦後、米統治下で自治権を求めて米側の民主主義の原理に基づいて闘って民主主義を勝ち取ってきた歴史がある。本土にはない輝かしい歴史だ。民主主義の闘いという意味では他府県より進んでいる」(13日付琉球新報2面)。

その通りだと思う。
沖縄は戦後、サンフランシスコ講和条約で本土から切り離され米軍統治下での生活を余儀なくされたが、その間に政治、経済、社会、文化などあらゆる面で欧米型の方法論を学んできた。民主主義もそうだ。

教職員の政治活動の制限や労働組合活動の禁止などをもくろんだ教公二法案の阻止闘争における労働組合側の勝利があった。
米軍用地料一括支払い反対などを掲げた「土地を守る四原則」闘争でも民衆側の要求が実現した。

■理不尽な介入
このことは何を意味するか。米国政府の出先機関としての高等弁務官側が民主主義の原理に基づいて民意を優先したということである。

復帰前後の沖縄の政治状況を比べると以上のように復帰前は直接米軍側と沖縄側が交渉することでドラマチックに問題解決が図られた。
しかし、復帰後は沖縄と米側の間に日本政府が介入することによって沖縄の主張が通らなくなっている。なぜか。
日本の米側に対する忖度(そんたく)が働いている。同時に国と国との交渉という外交の原則から米側は沖縄問題を日本政府に任せているからである。


日米地位協定の改定問題がその典型的なケースである。翁長前知事の呼び掛けで全国知事会が初めて決議するなど米軍が駐留する他国との比較でも明らかにおかしい協定の内実が明確になっているのに政府は動かない。
こうした米側に対する忖度を背景にした政府の沖縄差別はどこから来るのか。

前述の通り沖縄がいち早く民主主義を勝ち取ったのに対して日本にはいまだに明治維新以前の封建思想や植民地主義の名残があるからではないか。そう勘繰りたくなるのである。

■議論を尽くす
「民主主義のショーウインドー」 という言葉が復帰前の沖縄にはあった。目に見える形の民主主義が息づいていた沖縄の姿を示す言葉だろう。それを形として残していたのが旧県議会棟と言われる。旧立法院議事堂をそのまま使用していたもので、議場はいわゆる馬てい形をしていた。

行政側と議員側が対峙(たいじ)する形の現県議会と違ってほぼ楕円(だえん)に近い形をしていた。それに伴い2階の傍聴席も同じように馬てい形になっていた。少数意見を尊重し決して強行採決をせず最後まで議論を尽くす姿勢を表していたという。

行政主席や県知事選挙で保革が常に逆転を繰り返してきたのも民主主義の歴史であり、沖縄が誇りにしていい文化ではないだろうか。
八重山毎日新聞 12月 20日
http://www.y-mainichi.co.jp/news/34665/


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

           辺野古で基地移設反対運動をする人々
           ここには辺野古地区住民はほぼいない。



少数意見を尊重し決して強行採決をせず
 最後まで議論を尽くす姿勢を表していたという。

ならば・・・
宜野湾市と宮古市と石垣市の意見も
県知事は尊重すべきではないのか?
相変わらずのWスタンダードだな(笑)


さらに沖縄市も糸満市も県民投票に否定の議会決議した。
  ↓
沖縄市と糸満市、不参加の可能性も 
県民投票否決が8市町に拡大

沖縄タイムス 2018年12月22日
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/362716

沖縄タイムスも琉球新報もデニー知事反日県政の御用新聞だが、
こいつらには政治の基本常識がまったく理解できないアホである。
そもそも外交に関する問題を県民投票して何の意味があるのか?

しかも宮古市だけで県民投票を実施する予算が約1400万円近くかかる
というから、こんな無駄なことに補正予算を組んでまで実施する意味が、
ほとんどないし、教育福祉に使う方がはるかに住民の利益になる。

これが県全体になれば何憶円かかるか想像してみるがいい。
県予算の8割を国の税金に頼る沖縄県で県民投票だけで
何億円もの支出なら、もっと他に有効な使い方があるはずだ。


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

         県民投票の予算執行に反対する宜野湾市議会


1996年大田昌秀県知事時代にも基地に関する県民投票があった。
この時の質問が「あなたは日米地位協定を見直し、基地縮小を望みますか?」
みたいな質問だった。当時石垣市民だった私はこれに賛成した。

当時、米軍兵士の少女暴行事件が背景にあり県民の怒りがあったが、
この問い方では基地反対の民意は明確にでてこないのだ。
これは今問われてもやはり私は賛成に投じると思う。

この質問の内容は実に巧妙かつ卑怯であると思う。
明確に基地反対とは述べないで、どうにでも取れる内容だからだ。
事実この県民投票の結果をもって県民は皆基地に反対しているという事にした。


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

            1996年の大田県政時代の県民投票


私の意見は何度も述べてきたが・・・

米軍基地の縮小には賛成だが基地完全撤去には反対だ。
米軍がいなくなっても自衛隊基地として存続は不可欠だと考えている。
なぜなら国境の島であり、シナの軍事的覇権が現実にあるからだ。

沖縄の置かれ地政学的位置に関連して近隣諸国は敵ばかりであり、
日本に弾道ミサイルの照準を合わせ配備し、尖閣諸島はもちろん、
沖縄県も自国領だと公言して侵略を進める国が存在するからである。

それゆえに「沖縄に過重な基地負担」があるのは仕方ないのだ。

だから政府は沖縄特措法を設けて様々経済的優遇政策をとっているのである。
これは沖縄振興開発予算をはじめ、ガソリン税やサトウキビなどの優遇税制など、
基地のない他府県よりも沖縄は経済的に優遇されているのである。


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

       シナの対日侵略政策についてマスゴミは殆ど報道しない。



辺野古の基地移設問題を別の問題に置き換えてみたら、
例えば日米安保の是非を一地方自治体の民意に問えるか?
という事とまったく同じなのである。

なぜなら・・・

こんなもの県民投票の結果が賛成であれ、反対であれ、
国家間の条約の存続や更新などには一切関係ないからだ。
国民の意見を問う国民投票なら話は別だがな。

何度でも繰り返し言うが・・・

 国の外交や安全保障に関して、
 一地方自治体に決める権利など、
 ないっ!


沖縄の自己決定権はあくまで県政に関してあるのであって、
国政に関して、ましてや国の存亡を左右する安全保障問題に関して、
各自治体の意思でそれが自由に決定されるなら国家は崩壊する!

県民投票に積極的な左翼系団体や沖縄タイムス・琉球新報など、
表向きのヘイワ主義、ジンケン第一主義者は、奴らが大好きな
シナで同じことが可能かどうか、一度でも考えたことがあるのか?

この基本的な政治概念が沖縄県の行政やマスゴミには、
まったく理解できないという知的レベルなのである(悲)
毎年、全国学力テストが全国最下位なはずである・・・


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

          沖縄の自己決定権とは沖縄独立を目指す、
          シナの傀儡どもの真意を隠した詭弁である。
          沖縄独立はシナの植民地自治区になる。



私は普天間基地の辺野古移設をはじめからずっと見てきた者だが、
これは明らかに沖縄県政の法治概念のない非民主的政策であると思う。
隣のキチガイ半島国家の情緒的な慰安婦問題とまったく同じである。

普天間基地の移設は受け入れ立候補した名護市辺野古地区の住民の民意であり、
それを当時の辺野古区長、比嘉鉄也名護市長、稲嶺恵一県知事が認め署名して、
名護市は辺野古への基地移設と引き換えに1000億円の振興資金を受け取った

のである。約束を守らないなら金を返してから言うべきである。

ところがあの精神異常者のL.鳩山という愚鈍が「最低でも県外」移設を公約に、
憲政史上最低の民主党政権が誕生して以来、辺野古移設反対派が優勢になり、
一旦合意し資金も受け取っておきながら、合意を不履行にしてきたのである。


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

       このバカでさえ「学べば学ぶほど海兵隊の重要さを知った」
       そして普天間基地の辺野古移設を閣議決定したのだwww



これなら・・・

 まさに南朝鮮のやってる事とまったく同じである。
 マスゴミに煽られた民衆感情で政治が動いている、
 これこそ民主主義の未熟な狭小な地域主義である。



辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

            米軍基地は確実に減っている反面、
            沖縄振興予算は毎年増えている。



こうした米側に対する忖度を背景にした政府の沖縄差別はどこから来るのか。

復帰前後の沖縄の政治状況を比べると以上のように復帰前は
 直接米軍側と沖縄側が交渉することでドラマチックに問題解決が図られた。
 しかし、復帰後は沖縄と米側の間に日本政府が介入することによって
 沖縄の主張が通らなくなっている。なぜか。
 日本の米側に対する忖度(そんたく)が働いている。
 同時に国と国との交渉という外交の原則から米側は
 沖縄問題を日本政府に任せているからである。

その通りである!

その理由は・・・

日本はアメリカの安保属国だから被る不利益である!
それが不満なら日本が自主憲法と自主防衛を確立し
日米安保を対等な条約に改正するべきである!


沖縄の本土復帰前は日本政府の主権が及ばなかった。
だから琉球民政府と米政府が直接交渉する以外に沖縄の
おかれた政治状況を改正する方法はなかったのは当然である。

そしてそれは沖縄県民が日本人であるという前提があり、
大東亜戦争を日本国民として戦った誇りがあるからではなかったか?
いいかえれば沖縄県民が祖国日本を愛する心があったからじゃないのか?

しかもアメリカは民主主義国家であり、一応の人権思想がある国だ。
もし沖縄がシナの属国であればチベットやウイグルと同じ目にあっていただろう。
むしろ日本や沖縄はアメリカの占領下におかれた事は不幸中の幸いだったのだ。


辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?

         もし沖縄が明治時代にシナの属領になっていたなら、
         シナの植民地新疆や西蔵自治区と同じになっていた。



しかし沖縄がアメリカの政権下から安保属国の日本に復帰したら、
日本政府はアメリカに忖度せざるを得ないのは当然である。

なぜなら・・・

 日本は自力で国家の安全保障を確立できず
 アメリカの安保属国に成り下がっているからだ。


占領から解放されて70年以上もたっても米軍作成憲法を有難がっている、
自主憲法さえ制定できず、自主防衛もできない安保属国が日本である。
だからどんな理不尽でもアメリカの言いなりなのである。

しかし自主憲法制定、自衛隊の国軍化=自主防衛を
猛烈に反対しているのが基地反対の平和団体である。


こいつらの真意は・・・

  駐留アメリカ軍を追い出した後、
  人民解放軍の受け入れである!



辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?




■議論を尽くす
その通りだが・・・

民主主義の基本は話し合い、議論だが、その前提は話し合いによって
自分が引っ込めるべき妥協点を持っているかどうか、という点である。
あくまで自己主張を貫く事が前提なら、話し合いは全く無意味である。

国政でもバカの巣窟の立件民主党や思想カルトの共産党みたいに、
自分の主張を何が何でも貫き通すのが民主主義だと勘違いしている。
これでは最初から話し合いをする意味はないのである。

民主的議論は意見の対立する両者が落としどころを模索することが目的である。
つまり妥協点を見出すこと、妥協することが話し合いの前提だというのはこれである。
沖縄の基地反対派はまさに妥協を捨て、話し合いもする気はないのである。



辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?



そうでなければ、実力闘争しかない。
これを国家間においては「戦争」というのである。
平和主義者は話し合いを拒否して戦争したい連中である。

平和を求めるが防衛する軍事力は拒否する、
それが通らないなら独立する、では話にならない。
子供の駄々こねとまったく同じで進歩がないのだ。


なぜトランプ政権になってから対中包囲網がEU,アセアン、
オーストラリアやインドなどで強まってきたのか?
シナが本当に世界平和や人類繁栄を推進しているのか?

沖縄はもっと世界の現実をしっかり見るべきである。

辺野古移設問題の民意? それは県民か、国民か?









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