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日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

2020年05月21日

日本人は「徐福とその従者の末裔」だという説は本当なのか?
万里の長城を建設したことでも知られる「秦の始皇帝」の命を受け、不老不死の薬を求めて旅立った「徐福」という人物がいたという。徐福は3000人の若い男女と多くの技術者を従えて東方に船出したと言われているが、中国メディアの今日頭条はこのほど、「徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である」という説は本当かと題する記事を掲載した。

日本には徐福にまつわる伝承が各地に残されているのは事実だ。たとえば、徐福について「平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかった」という記録があることを伝え、記事はこの「平原広沢」は日本の九州地方のことだと主張。九州は気候に恵まれ住民も純朴で、地元住民に農耕や漁業などの技術を伝達して「王」になったのではないかと伝えた。徐福は中国を出るとき、稲など五穀の種子や財宝、各種技術者を伴ったと言われている。

記事は、徐福が日本を訪れた証拠は十分だと指摘。北宋の詩人・欧陽脩も日本刀についてうたった「日本刀歌」のなかで徐福が日本に渡ったことに触れているほか、古事記や日本書紀も秦から日本に渡って来た人に言及していると紹介した。

それに加えて、日本には各地に徐福の伝承が残り、徐福を祀った像や記念碑があり、徐福関連の催しが行われていて、徐福の子孫を名乗る人もいると紹介。徐福は伝説の人物ではなく、実際に存在して日本に渡ったに違いないと結論付けている。

日本各地にこれだけ伝承が残っているというのは、何ともロマンのある話で、中国人が興味を示すのも理解できる。日本人が徐福の末裔というのは誇張された表現であるにしても、徐福とその一行の末裔が日本人と同化したという見方はできそうだ。(編集担当:村山健二)
サーチナ 2020年5月5日
https://news.livedoor.com/article/detail/18216731/





日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!




徐福とは、司馬遷の『史記』の「淮南衡山列伝」に・・・

 「秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、
 始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女と百工(技術者)を従え、
 財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、
 「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかった。」


                    Wikipedia「徐福」より引用

徐福伝説は日本各地に伝わっており、いわゆる渡来人の一派で、
この徐福渡来においてもは、多くの技術者を伴っていることから、
日本に鉄器技術や大陸文化を伝えたのではないかとする説もある。

だが稲作技術は発掘により縄文時代中期(約7千年前)から存在していて、
昔から言われるように「弥生人」が稲作を伝えたというのではないが、
稲作の起源は1万年前の長江流域というから、その頃から渡来人はきていたと思われる。

しかし日本列島が大陸から切り離されてからも二万年経っているので、
既に列島内に暮らしていた縄文人は列島内で混血を繰り返し、さらに
渡来人をも吸収して独自の進化を遂げ、日本人の原型を作り上げていた
のだ。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

            紀元前5000年頃・縄文中期の稲作


ただ弥生人、弥生時代といわれるように土器の様式から見ても、
縄文時代とは生活様式などが西日本から大きく変わってきているので、
この時代に多くの異民族(渡来人)がやってきたのだろうと思われる。

それは紀元前1000年頃、シナの春秋戦国時代の頃に戦争難民として、
江南地方の稲作民が渡来したのが弥生時代の始まりのようだが、
恐らく当時の稲作の最新技術を日本に伝えたのではないだろうか?

つまり縄文時代からあった旧来の稲作に新技術を伝え、鉄器の製作、使用も含め、
改良された品種の種子や籾などを日本に伝えた
という解釈がなされないだろうか。
これは後に述べる日本人、日本語の成り立ち過程と一致してくるのである。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

          弥生式土器(左)と縄文式土器(右)


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

           復元された弥生時代の吉野ケ里遺跡


似たような話ではユダヤ人渡来説である。
昔からある日ユ同祖論で、近年では田中英道東北大学名誉教授などが唱えている。
大和朝廷に使えた渡来人のが実はユダヤ系の渡来人だったという説である。

秦氏は3世紀頃、大陸から日本列島に渡来したという。
その数は数千から1万人にも及んだといわれ、各地の豪族や大和朝廷に仕えて、
養蚕、機織り、土木技術など大陸からの進んだ文明をを伝えたとされる。

一説にはこの弥生系渡来人こそ、古代イスラエルからやってきたユダヤ人
大集団だったともいわれている。確かにこの時代に人口が急増したのだが、
それがすべてユダヤ人だという証拠はあるのだろうか?

また秦氏の出自は諸説あり、秦の始皇帝の子孫、弓月氏の子孫
さらには景教(キリスト教ネスリウス派)のユダヤ人だというが、
いまだ定説はない。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

        関東の古墳から大量に出土する「人型埴輪」には、
        まるでユダヤ人を彷彿とさせるものがかなりある。

   

いずれにしても外来の一民族が相当数を率いてわざわざ海を渡って、
日本に向けてやってきた
という点は何らか重大な目的があったということだ。
これが徐福伝説にも重なってくるではないか。

それで徐福もジョフクという発音がジョセフに似ていることから、
徐福はユダヤ系渡来人でユダヤ民族の十支族の一つである、
ジョセフ(ヨセフ)族ではないか、という説さえもある。

まあいずれにしても多種多様な民族が日本列島に来ているから、
ユダヤ系渡来人が来ていても、まったく不思議ではないと思う。
しかし日本人の祖先がユダヤ人というのは絶対にあり得ない。

正確に言えば、日本人の祖先の一部にユダヤ人もいた
シナ人もいただろうし、ツングース系もいただろうし、●●系も・・・
これなら理解できるし、なんら問題はないと思う。


     
           日本から見たサピエンス全史#4◉田中英道
     ◉古墳時代 日本に渡来したユダヤ人。埴輪・天皇・国家という名の家族。



さて、日本人のルーツとか祖先を考えるのだが・・・

私は日ユ同祖論とか日朝同祖論とか・・・は一切信じない。
日本人の祖先は日本人であると思っているからである。

そこでまず日本人という民族を定義すると・・・

日本人は古来より多種雑多な民族の混血したハイブリット民族である。
だからその中にはユダヤ人やシナ人の血統が混じっていても不思議ではない。
多種雑多な混血が熟成して単一化してと考えれば実にガラパゴスな民族なのだ。


また日本民族がそういう多民族混合種の民族だからこそ、
いろいろな地域の文化的要素が混入していてもおかしくないし、
それこそユダヤ的要素が古代の日本文化にあっても不思議ではない。

そして私は日本人がユダヤ人やシナ人の子孫では絶対ないといえるのは、
日本語という世界唯一の言語を今でも話している事が何よりの証拠である。
もしユダヤ人やシナ人が先祖なら、言語もそれが継承されているはずである。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

          いろいろな地域からきた様々な民族によって
          日本人は形成され、その後も混血は続いた。




なぜなら・・・

古来より、異民族に支配された地域は言語を失っている。

征服民族は被征服民族の言語や文化を破壊することが常であった。
その典型例が中南米諸国がスペイン・ポルトガル語が国語になっているし、
アメリカやカナダ、オーストラリアは英語(一部フランス語)になっている。

現在でもシナの侵略した植民地国であるチベット人ウイグル人の土地では、
シナ共産党政府の民族浄化政策が行われ、少数民族の文化や言語を
破壊されて漢民族に強制的に同化させられている
ことでもわかるだろう。

逆に日本にやってきた多くの渡来人は自ら日本人に同化している。
同化とは、渡来人は先住民である日本人と、子々孫々混血を繰り返して、
精神的、肉体的にも日本人になり、もちろん日本語を話したのである。

13世紀ごろ北海道に漂着したアイヌ人も同じである。
大陸のアムール川付近に暮らしていた狩猟民族のアイヌ人も、
日本人との混血を繰り返して今ではすっかり日本人になっている。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!



日ユ同祖論を唱える人は、民謡の掛け声や祭りの儀式の様式に、
いくつかの古代ユダヤ語との共通性があると主張する
。しかし
あくまで名称レベルの単語だけであって、文法や発音体系とは関係ない。

そもそも日本人が多種多様な様々な地域からの混血民族なのだから、
名詞の中にも外来語由来のものが混じっていても何ら不思議ではないし、
日本語自体が昔から外来語をそのまま取り入れる特徴を持った言語である。

古代にはシナ語、中世にはポルトガル語やスペイン語、江戸時代にはオランダ語、
明治以降には英語やドイツ語など、その時代に関わりのあった外国語を翻訳せずに、
そのまま単語として取り入れてきた
のである。現在のIT用語もその例にもれない。

日本人も日本語も多くの外来種(人と文化)を取り入れ、同化させ、
それを自らの特性として完全に自家薬籠中の物にしてきたのである。
これこそが日本人であり、日本語であり、日本文化なのである。



日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

     現在では日本人を縄文人と弥生人という分け方も意味はない。


先述した事を繰り返すが・・・

日本人も日本語も様々な日本の文明的要素も日本文化も・・・
縄文時代から続く「日本人」のベースがあり、そこに外来の新しい文化的要素が、
時代ごとにに輸入され同化吸収して、日本化(Japanize)されていった
のである。

まったく素地のない所に新しいものは根付かないだろう。
受け入れるだけの有形無形の素地があってこそ外来種も根付くのである。
そう考えれば、日本人の祖先がユダヤ人とか漢民族とかはあり得ないのだ。

たとえ外来の民族が日本へ文化・文明的影響を与えても、
日本の文化・文明が基盤にあり日本人という素地があった上で、
渡来人が混じりあいながらさらなる日本人に発展していったのだ。

だから日本人の先祖の一部にはシナ人も、ユダヤ人もいておかしくない。
しかし単一の民族の末裔ではない、常に複数の渡来人的要素、
遺伝的、文化的要素をもった祖先の複合的末裔が日本人なのだ


言い換えれば・・・

 日本人とは様々な民族的要素をもった単一民族である。


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!


日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!

      日本人の遺伝子配列は近隣のシナ人や朝鮮人とも異なる。


  このように数万年前から延々と日本人が形成され、
  その日本人が皇室を作り2千7百年もの伝統を、
  今日まで継承させてきた事は奇跡に近いのだ!


 日本人は縄文時代の遥か古代より
 種々雑多な渡来人と同化しながらも、
 現在に至るまで日本語を話している、
 その末裔の我々こそ日本人である!



日本人の祖先は日本人、ユダヤ人でもアイヌ人でも中国人でもない!









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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(13)歴史
この記事へのコメント
以前、歴史は神話だ、と申し上げましたが、
自分達だけがノアの子孫、つまり人間様であり、モンゴロイドやネグロイドはそうではないと、いまでもその名から暗に主張するコーカシアンや、東インド会社の御用学者がインド支配のためにでっち上げたアーリア人神話をいまだに信仰する北方系白人、中国4000年の「嘘歴史」を平気で主張するシナ民族に比べて、我々日本人はあまりに謙虚なのです。
だから逆に、日本人はシナ人の子孫だとか、ユダヤの一族だったとか「外国由来の枝葉の民族」のような神話を、自ら作ったり、受け入れたりしやすいのだと思います。これはオカルトのみならず、正統なはずの歴史学会にも共通した問題でしょう。たった一遍のシナの文献を絶対化し、卑しい巫女の支配する、邪(よこしま)の馬の大国が、日本の原型でなければならない、などという、日本歴史学会の根拠も遺跡もない自虐的ドグマもその典型です。
一方で、放射線炭素年代測定法や遺伝子の分析といった、自然科学的方法の利用によって、我々が子供時代に教わった、文化文明のシナ朝鮮ご先祖説が、相当に覆ったように思われます。私もよくわかりませんが、どうやら日本は、昔から民族的にも文明的にも、かなりの自立性を持っており、その後、大陸その他の外来の影響を受けて、それらを吸収していったのかもしれません。
私の知っている、某日本画最高権威?の団体展のお偉方は、はっきりとは言いませんが、どうやら竹内文書に書かれた歴史?の信奉者らしいです。
ご存じのように、このアニメのような夢のある歴史観は、日本人がアレンジが上手いのではなく、もともと日本人があらゆる文明や技術の開発者であって、それを世界に広めて、自分は忘れてしまった。だから、逆輸入のようにして、海外の文化文明科学技術を仕入れても、もともと自分のものであったのだから、外国よりも上手に利用できるのだ、という珍説です。ちょうど、上記の日本語の成立、さまざまな言語が収斂して、枝から幹が作られるような図を、逆転させて、日本から全てが広がった、言語も、五色人も、すべての大元が日本である、という考え方です。
私も笑って聞いていましたが、しかし最近、外来物と思われていた多くの正倉院の宝物や絵画が、実は日本人の手になるものであることがわかって、本当にあの時代に、輸入したばかりの唐の文物以上の優れものを、こんな形で自ら具現化できたのだろうか?と、いぶかしみながら、なんとなく、竹内文書を思い出すようになりました。
まあ、竹内文書は極端だとしても、中国四千年の中華思想や、アーリアンとかコーカシアンの神話、そんな与太話や幻想をシナ人や西洋人が信じて、我々にまで強要するのであれば、我々ももっと自らの歴史を検討し、場合によっては、創造してもいいのではないでしょうか?
Posted by キジトラキジトラ at 2020年05月22日 01:15
因みに、なんかシステムが変わったようで、会員になってログインして、いろいろ探して、トラネコ日記で検索しないと、コメントが書けませんでした。ログイン後、このトラネコ日記のブログに簡単にたどりつく方法はないでしょうか。
Posted by キジトラキジトラ at 2020年05月22日 01:24
キジトラ様
同意です。
一般的にどこの国の国民も民族も、自分の国が世界最高~♪みたいな意識は持ちたがるものじゃないですか? それが国家的プライドにつながり愛国心にもなります。ただそのプライドもヒトラーの民族主義みたいになれば問題なだけです。
ユダヤ人はそれでも選民思想の宗教を精神的支えとして、国家を持たずに2000年も継続してきたのは凄いと思いますね。 

国家がなく迫害され続けてきたので頼れるものは頭脳と金、それだけ信仰心も篤く教育も熱心だったということでしょう。 ただしシナ人=漢民族はユダヤ人のように民族的アイデンティティのはないと思いますね。むしろだから国家も同族も信じないのでカネに固執するのでしょう。

竹之内文書ですが、メキシコ人の友人の女性がすごくはまっており、日本は凄い!なんて言ってますw 竹之内文書ってスペイン語翻訳されたのもあるんですね、私はこっちに驚きましたw 実は私は30代の頃「津軽外三郡史」にはまり青森県巡りをしたことを懐かしく思い出しました。しかしいわゆる古史古伝のナントカ文書というのは殆どが、江戸時代以降に作成された偽書といわれています。今は信じていませんが面白いのは面白いですね。しかし日本が世界の中心だったなら、その痕跡があるはずですが、証拠にあげられているのはすべてコジつけばかりですからまあ、SF的に楽しむのはいいでしょう。

しかし日本は世界的見ても特殊な国と民族でることは事実です。
日本語も日本人も形成の仕方が世界的に類例を見ない言語と、民族であることは科学的に証明されています。だから特別エライというのでもないし、日本人の良さも悪さもすべて相対的なモノに過ぎない、という普通の見方でいいのではないでしょうか。

かなりの部分かどうかは知りませんが、正倉院御物の何割かはコピーだというのは文化庁の研究でも公式に認めていますよね。それだけ当時の日本の技術力が高かったということでしょうか。或いはすべて渡来人の技術だったかも知れませんが、日本人はそれをしっかり受け継いだということですね。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年05月22日 03:18
キジトラ様
追伸
>会員になってログインして、いろいろ探して、トラネコ日記で検索しないと、
 コメントが書けませんでした。ログイン後、このトラネコ日記のブログに
 簡単にたどりつく方法はないでしょうか。
すいません。
ご指摘の意味がよく理解できないのですが、コメントに関してはブログの開設当初から一切の規制はかけていませんので、どなたでも自由に投稿できるはずなんですが、どういう事なんでしょうね?

一応調べてみますが・・。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年05月22日 03:24
トラネコ様。
現在は、ログインをしなくても、コメントを書き込めるようになりました。
会員になって、いちどログインしたからでしょうか?
お騒がせいたしました。
Posted by キジトラキジトラ at 2020年05月22日 07:56
日本の祖先に関してはトラネコさまの言われる通りだと思いますが、疑問なのは「なぜ日本人は漢字を文字として採用したのか」という点です。 考えられるのは ①当時の外国との交渉で漢字が使われていたから ②天皇の権威のもとで、古事記の編纂に渡来系の人々が携わったから。

そもそも日本語はSOVであり、中国語(漢語)はSVOですから、日本語と中国語は言語の系統が異なります。 つまり、日本人は外国語の漢語文字を採用して古事記などを編纂したということになります。 これは動かし様のない事実です。

私は「カタカナは古ヘブライ文字を基に創られた日本最古の文字を引き継いでいる」可能性があると考えます。 つまり、カタカナこそが日本最古の文字であり、ひらがな はカタカナと漢字から創られた女ことばなのかもしれません。
Posted by もののけもののけ at 2020年05月22日 14:13
Black Joker です。コメントするのに ti-da.net 会員登録が必要になったみたいなので、IDを「もものけ」で登録したら名前が変わりました。

ところで、ウズベキスタン東部にある中国が作ったダムで今月1日決壊する事故が発生して9万人以上が避難していますね。 巨大プロジェクトだったのですが、完成後わずか3年しか経っていません。 中国がエクアドルで作ったダムもヤバイ状態みたいですし、世界は中国に工事発注するのを止めないといけない。
https://asia-news.tokyo/05-06-514/
Posted by もののけもののけ at 2020年05月22日 15:00
もののけ様
恐れ入ります。私は会員形式で他のブログへコメントしたことがないのでわかりませんが、拙ブログにはコメントだけに関していえば会員登録は必要ないと思います。

さて・・・
古代日本で漢字採用は恐らく近隣諸国のシナが当時の文明国で、周辺国家が冊封していた関係ではないでしょうか? つまり今国際共通語が英語みたいなものでしょう。今でも楽天や一部の企業では、社内言語を英語に規定するなど軽薄なバカ企業もありますから、当時は漢文・漢字は文明後だったのでしょう。

片仮名に関してはネットにも出ていますが、確かに古代ヘブライ文字とそっくりですね。その可能性は大いにあるでしょう。しかし私は一説には数十万~100万人以上ものユダヤ系渡来人、しかも高度な産業技術をもった異民族集団が、推定60万人しかいなかった当時の日本に来たのに、なぜ日本を征服しなかったのか? なぜ天皇・皇室に服属して大和朝廷創建に向けて尽力したのか? です。何かご意見があればご教示お願います。

シナの進める一帯一路にもボロが出ていますね。
しかし基本的に途上国というは、賄賂で簡単に政治家は転ぶし、安物買いの銭失い系の貧乏根性です。まあシナからのオファーも一度痛い思いをして高い授業料を払うことですね。もっともそのころはシナの属国になって手遅れかもしれませんが・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2020年05月22日 20:09
トラネコ さま

日本は7世紀に国の基礎が出来て税制や律令制度が作られ、天武天皇は国の成り立ちと天皇家の起源(神道)を記すために古事記の編纂を命じたのですが、その際に舶来の文化であった渡来文化を参考にしたのではないか。 というのは、有力豪族だった曾我氏や秦氏は渡来系であり、天皇家にも強い文化的影響を与えていたと推測されるからです。
http://bewithgods.com/hope/doc/4-5.html

例えば、古事記には「イザナミを連れ戻しに黄泉の国へ行ったイザナギが、何とか連れ戻すことができることになります」が...これはギリシャ神話『オルフェオとエウリディーチェ』と全く同じ話であり、私には偶然とは到底信じられません。 日本には元来太陽信仰は存在したでしょうから、日本古来の文化としての天照大御神とオリエントの言い伝え(神話)が融合したのが古事記の物語であると解釈されます。

カタカナは基本的に漢字を日本語として読むためのふりがなとして作られたとされていますが、その際に古代ヘブライ文字と漢字の部首を参考にしてカタカナを作ったとすれば、古代ヘブライ文字とカタカナが酷似している説明がつきます。 神社と天皇家には古代ユダヤの影響が多く存在します。 当時の日本は、隋および唐(中国)の制度・建築・漢字、仏教(天竺インド)とオリエント(古代ユダヤ)という3つの外来文化の影響を受けていたのでしょう。
Posted by もののけもののけ at 2020年05月24日 12:05
もののけ様
同意です。
そうですね、古事記や日本書紀の記述には東南アジアの神話に似た話も登場しています。因幡の白兎などインドネシアにも似た話があるようです。神社の鳥居もミャオ族だったかシナ南部と、東南アジアの部族社会の結界に似ているようですし、結構日本神話も南方系の影響もあるようですね。言語的には北方系言語からの影響が強いらしいです。

古事記の記述がギリシャ神話の影響があるとすれば、景教あたりからの伝搬かもしれませんね。聖徳太子が厩戸皇子というのもキリストの誕生に似ていますから、この辺の景教からの影響かもしれません。いずれにしても古代日本の文化や制度には、ユダヤ的な要素が多分にあるのは本当みたいですね。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年05月24日 12:17
トラネコせんせー

私の周りにはいまだに縄文人がいーっぱいいますよ~(笑)
うちの父は腕の毛に蚊がからまって出られなくなった武勇伝(?)がありますが、やっぱりうちも縄文人系ですかね?

どっかで聞いた話ですが、耳アカがサラサラ(カサカサ?)していたら弥生人系で、むちゃむちゃしてたら縄文人だとか。

学問的なことはわかりませんが、沖縄には古い平仮名の文献があります。
沖縄の言葉には古い日本語が残っているといいますし、うるま市にはイザナミイザナギ神話のゆかりの洞窟もあります。
そうだとすると、沖縄にも天皇家の祖先やユダヤの末裔がいたんですかね?

なんだかロマンあふれる話です^^
Posted by 自称29歳 at 2020年05月27日 20:52
ブログを拝見しました。、
トラネコ様が、日本の歴史や日本の国柄につよい誇りを持っていらっしゃることは良くわかります。

ところで、冒頭で批判的に引用なさってる『徐福・日本渡来説』ですが、
実証的な歴史学の立場からは、全く根拠はありません。
まったくの妄説です。
徐福そのひとは、歴史的に実在した人かも知れませんが、徐福が日本に渡ったということは、その当時の文献には、何ひとつ記録されてはいません。徐福が日本に来たという伝説は、すべて後世に作られた虚構です。
 日本にも、、確かに徐福渡来伝説がありますが、おそらく支那びいきの儒教学者が創作したファンタジーです。
 支那側では、第二次大戦直後に、『衛挺生』という人物が、極めて強硬な態度で『徐福日本渡行説』を、唱えていましたが、この人物は、明らかに反日的な人物で、そもそもハナから信用できません。

『ユダヤ人渡来説』に関しては、もっと荒唐無稽です。
日本人が、本物のユダヤと遭遇したのは、明治時代以後のことであり、
古代にユダヤ人が日本に渡来した可能性は、ほとんど無いと思いますよ。
ただし、信長の時代にやって来たスペイン人の中にはユダヤ人やアラブ人の血を引く人もいたかも知れませんが、そうだとしても、取るに足りません。
(ただし、ぼくは、『ユダヤ人嫌い』だというわけではありません)
平安時代以前の古代日本人が、西アジア地域(中東)の民族で明らかに認識していたのは
ペルシャ(イラン)人だけです。

『日韓同祖論』にいたっては、聞くのも不愉快な説で論じるにも足りません。
ただし、第二次大戦以前は、朝鮮半島統治の配慮の上で、日韓同祖論が
大日本帝国政府から黙認された時代もあったらしいです。
 まあ、今でも、右翼の親分に案外『韓国びいき』の人がいるのは、その
時代の歴史観の残滓なのでしょうね。

★まあ、少し断定的な、ものの言い方をして、トラネコ先生や他のコメント者のかたに失礼だったかもしれませんが、。。、
要するにトラネコ先生のおっしゃるように、日本人はあくまでも、日本人であつて他のなにものでもないと、いうことですわ。

☆日本古代史や、日本人のル-ツを論じますと、必ず奇矯な自説を持っている人が、しゃしゃり出てきて、辟易いたします。
Posted by 桜井猛夫  at 2020年05月27日 21:57
自称29歳様
同意です。
沖縄は実は日本の源流的な地域みたいです。
例えば御嶽は神社の原初的形態で、日本本土も社殿や鳥居をもつようになったのは、仏教が入ってきてからそれと区別する必要性があったからみたいです。また琉球王朝の公文書は漢字と平仮名が混じった純然たる日本語で、本土の政権が漢文の公文書だったのと対照的です。平仮名は13世紀に曹洞宗の坊さんが本土から持ってきたと文献記録にあります。また人種的には縄文系というか、日本人の原種的な血統が強いようです。ただし沖縄創生神話のアマミキヨ&シネリキヨに関しては古事記の影響がみられるともいいます。10世紀を境に九州系の弥生人との混血種が南下して沖縄に定住したというのは、琉球大学の形質人類学の先生がおっしゃってました。いろんな意味で沖縄も古代日本を解くカギになっていますね。



桜井猛夫様
徐福伝説に関しては根拠に乏しいですね。
しかしユダヤ人の文化的影響に関しては、単なる想像の域は出ていると思います。特に物的証拠もかなり出ていますし、秦氏の存在や皇室儀式や古代の祭りの様式などはユダヤ人のそれを彷彿とさせるものが発見されています。しかしだからと言って日ユ同祖論は、まずありえないのです。日本は世界中の文化の吹き溜まりみたいな地域ですし、日本人も日本語もそういう形成過程を経ていますので、古代にユダヤ人或いは、ユダヤの文化や風習をもった渡来人が日本に来ていても何ら不思議ではないと思います。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年05月28日 00:40
 
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