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アイヌは日本の先住民というウソ

2020年01月10日

「先住民族であるアイヌの人々…」新法に明記、万感の声
アイヌ民族を法律上初めて「先住民族」と位置づけたアイヌ新法が19日、参議院本会議で可決され、成立した。アイヌ文化を守り育てる施策を国の責務と定めたことに「一歩前進」という評価がある一方、土地や資源など先住民族としての権利に触れていないなど課題も残す。

「先住民族であるアイヌの人々」。新法の第1条はこうした表現で始まる。
アイヌ民族にかかわる従来の法律と大きく異なる点だ。差別禁止を明記し、アイヌ施策を国や自治体の責務とした。民族の儀式や文化伝承を目的にした国有林の利用、サケの採捕などに特例措置を設けた。

政府が公式に「先住民族」と法律で認めたことは評価する声も多い。

参議院の傍聴席では、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長(80)が何度もうなずきながら笑顔を見せた。一緒に成立を見守った協会の人たちと握手を交わしながら、喜びを分かち合った。

加藤理事長は「泣いています。うれしくて。北海道旧土人保護法からアイヌ文化振興法、そして今の新法へと、抱えきれないような苦しみと悲しみの歴史があり、長い時間がかかった。いま先住民族と認めていただき、今日から出発できるということは、歴史の大きな一ページ。感謝しています」と話した。

だが新法の目的はあくまで文化や経済、観光の振興。国連の「先住民族の権利に関する宣言」に盛り込まれ、アイヌの人々が長年求めてきた「先住権」は明記されず、生活や教育の支援も含まれなかった。
<後略>
朝日新聞 2019年4月19日
https://www.asahi.com/articles/ASM4M5H8TM4MIIPE021.html

初めに述べておく・・・

 日本の先住民は縄文人である!
 日本の先住民はアイヌ人ではない!



アイヌは日本の先住民というウソ



またしても新たな弱者利権の発生である。
このアイヌ新法の欺瞞性は別の機会にエントリする事にして、
今回はアイヌは日本の先住民ではないという「事実」を述べたい。

2008年国会でアイヌが先住民であるというほぼ全会一致の決議
アイヌ新法も制定されたアイヌ協会だが政治的お墨付きをもらっても、
学問的には全く嘘
なのである。

 つまりアイヌが先住民族である、
 というのは政治的規定であり、
 学問・歴史的には根拠もなく
 全く事実ではない大嘘である!



アイヌは日本の先住民というウソ



アイヌは先住民族という誤解を私もしていたことをここに明らかにして訂正する。
個人的にはアイヌは北方民族の一部や、あるいはその影響をうけた縄文人と、
彼らとの同化が進んだ混血の人々だと解釈していた。


基本的には、これはさほど大きく間違ってはいないのだが、決定的なことは、
アイヌと呼ばれる人々は10~14世紀以降大陸からの移住者であったということだ。
その新規移住者アイヌが、先住民である縄文系と混血・同化していったのである。

アイヌに関する文献資料、さらに考古学的資料は鎌倉時代が最古であり、
それ以前のものには、アイヌ関連のモノは全く出てこないのである。
しかし和人が北海道に暮らしていた証拠は文献は奈良時代から存在する。

ただし・・・

これは文献上の記述に依るもので、アイヌがこの時期に大挙して来日したのか、
それ以前から大陸や島嶼から少しずつ漂流民のような形でやってきたのかは、
資料や証拠がないのでわからないが、いずれにしても・・・

アイヌが日本列島の先住民ではない事は確かだ!


     
          田中英道「アイヌは”先住民族”ではありえない」
       第63回 日本国史学会 連続講演会 2019年2月9日 拓殖大学



そもそもアイヌとひとくくりにできる民族が北海道に住んでいたのではない。
近年の研究によれば、7種類の部族がいてそれぞれの出身系統も違うし、
言語や文化や生活習慣も異なっている
ことが判明している。

しかもアイヌは国家形成もしておらず、狩猟民族の集落単位の社会で、
江戸時代から近代にかけて本土系縄文人と混血が進んで行ったので、
DNAもほぼ本州人と変わらず、現在は純血の「アイヌ人」はいない。

これらの事実からもアイヌと呼ばれる民族が日本列島にいた事もないし、
アイヌ人と縄文人と同根でもないし、縄文人(3万年以前から)より古い時代に
日本列島にいた事もない。さらには蝦夷や隼人などとも「アイヌ人」は違う


<参考>
アイヌの歴史:アイヌの歴史の始まり
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A


アイヌは日本の先住民というウソ

                  約150年前のアイヌ人

<参考エントリ>
まだ言ってる「先住民差別」
https://ryotaroneko.ti-da.net/e2399345.html

日本人は単一民族である。改訂版
https://ryotaroneko.ti-da.net/e2769923.html

日本は日本先住民が作った日本先住民の国家である!
https://ryotaroneko.ti-da.net/e10669201.html


     
         [有本香][竹田恒泰]アイヌ法案について[2月14日]
         https://www.mamedane.com/?p=1499


そもそも日本人は大陸や島嶼地域や東南アジアなどからの移住者、
その混血によって形成された民族
であるから、当然北方からの異民族もあっただろうし、
彼らと先住民の縄文系との混血した人々も少なからずいたと思われるからだ。

しかし13世紀といえば鎌倉時代だし、2万年前からの縄文人同士の混血が進み、
日本民族しての民族的形成が終わって数千年以上経った後の頃である。
この頃に移民して混血した民族を先住民などとは到底いうことはできない。

沖縄人も10世紀までは縄文人、その後は大陸系の江南地方の人々や、
東南アジア系の民族などとの混血であることはDNA解析でわかっているが、
基本的には原日本人である縄文人の末裔であることは変わらないのだ。

故に、沖縄人も本土系日本人と同じ縄文人の末裔という意味において、
「日本の先住民」とは言えるが、アイヌ人とはまったく別系統の人種である。
ここはきちんと分けて考えるべきである。

ただし・・・

現在アイヌの末裔とされている人々も縄文人のDNAを持っているが、
これは古代からのものではなく、後天的に獲得された遺伝子である事は、
学術的に証明され、北海道議会にも質疑応答で提出されている。

これに対する疑問として・・・

アイヌ人と沖縄人は縄文人のDNAを本土人よりも多く受け継いでいるのは何故か?
学術的な分析は私にはできないが、縄文人遺伝子はハブロY遺伝子(父系)のD系統で、
これは古モンゴロイド特有の遺伝子で東アジアの先住民に多く分布している。

そのD系統内でもハブロD1bというのが日本人特有の遺伝子とされる。
このことから東北アジア出自のアイヌ人のハブロY遺伝子D系統が
弥生系(ハブロ01b2系)の多い本土人よりも縄文系遺伝子の割合が多いのである。


アイヌは日本の先住民というウソ

           基本的にアイヌは狩猟民族でありその生活も
           宗教形態も文化もかなり和人のとは異なる。



まず北海道の歴史を見て見ると、北海道に人が住み着いたのは、
旧石器時代(2万年~1万3千年前)あたりから人骨や遺跡が発掘されているが、
これはアイヌではなく我々日本人の祖先である縄文人の痕跡である。

また縄文時代においても縄文晩期からの遺跡が発掘されているし、
続縄文時代と呼ばれる(BC.2~AD.8C )には弥生系と目される
人々の人骨が発掘されている。

この文化は水稲耕作はなかったが、青森県の亀ヶ岡式文化の影響をうけた、
恵山式土器が多数発掘されており、鉄器や碧玉製の管玉が見つかっている。
北は樺太南端部、東は国後島・択捉島、南は宮城県北部から新潟県にまで及んでいる。

その後擦文文化オホーツク文化と分類される時代にも多くの土器が発掘されている。
このように旧石器時代より北海道の地には縄文系とされる日本人の祖先が暮らし、
アイヌ文化と呼ばれる民族の痕跡はまったく発見されていないことがわかる。


アイヌは日本の先住民というウソ

                   北海道埋蔵文化センター


 「アイヌ民族は北方から渡来した民族であり、その渡来の経路は恐らく
 カムチャツカ方面から千島列島を南下して北海道へ渡り、その一分派は
 太平洋沿岸を南下して釧路、十勝の浜伝いにエリモの崎を越えて
 日高のシズナイの辺まで進み、また他の一派はオホーツク海に沿うて北上し、
 宗谷から一つの分派を樺太に送り、他の一分派は日本海沿岸を南下して、
 ユーラップ、オシャマンベの辺で二つに分かれ、一つの分派は函館の方へ行って
 津軽海峡を渡り、東北地方を占拠し、また他の分派はオシャマンベから
 噴火湾に沿うて南下し、室蘭から幌別、白老を通って太平洋岸を東進し、
 日高のシズナイの辺まで行って、あそこで十勝の方から西進してきた一派と衝突し、
 そこからサル川沿いに奥地にはいったのが今の日高のサル地方のアイヌで、
 このように一応北海道の各地の海岸に定着したアイヌが、そこから石狩川とか
 十勝川とか沙流川とか、大きな川をさかのぼって次第に北海道の内陸に
 占拠するようになったのが、現在われわれが見るアイヌの分布状態である
 ということを、主として言語研究の立場から私は説いてみたのであります。」


アイヌ文化の探究にあたりて―知里真志保
https://www.aozora.gr.jp/cards/001540/files/53891_50779.html



アイヌは日本の先住民というウソ

                アイヌ人の言語学者・知里真志保博士


さらに時代が下り、有史時代になると・・・

 「蝦夷地が渡島の名で日本の国史の上にあらわれてくるのは、7世紀の中葉で、
 すなわち、『日本書記』の斉明天皇5(659)年、阿倍の臣の遠征が記録され、
 その時「問菟(トピウ)の蝦夷胆鹿島(イカシマ)・菟穂名(ウホナ)の二人進みて曰く、
 後方羊蹄(シリベシ)を以て政所(まつりどころ)と為す可し、胆鹿島等が語に隨いて、
 遂に郡領を置き帰る」

 持統天皇10(696)年3月の条に、越度島の蝦夷伊奈理武志(いなりむし)と
 粛慎(みしはせ)の志良守叡草(しらしゆえそう)とに錦の袍袴・緋紺の(あしぎぬ)、
 斧などを賜わっていることが記され、奥羽と同様北方の住民の綏撫(すいぶ)が
 盛んにはかられ、その効果があらわれたのをみて、和銅5(712)年9月には、
 従来蝦夷地は越国守の管轄下にあったが、この時越国から出羽国に分け、
 蝦夷地をその国主の管轄下に置くようになった。

 また養老2(718)年8月には、出羽および渡島の蝦夷86人が上京し、
 馬千疋(10匹の誤りか)を通貢した記録が見られるが、古代渡島の蝦夷に
 馬を飼育した形跡がないから、おそらく出羽産のものであろうといわれている。

 『続日本紀』の、養老4年正月の条によると「渡島津軽の津司従七位上、
 諸君鞍男等六人靺鞨(まかつ)国に遣わし、その風俗を観せしめた」


函館市史 蝦夷が島 P319
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_03-01/shishi_03-01-01-00-01~02.htm

この記述を見ても既に奈良時代には和人が北海道に定住しており、
大和朝廷もその事実を把握していたことが文献で証明されている。
ここにはアイヌに該当する先住民の記述はまったく存在しない。

<参考資料>
古代北方辺境における人的交流
樋口知志 
https://core.ac.uk/download/pdf/144254415.pdf

諏方大明神画詞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E6%96%B9%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%94%BB%E8%A9%9E


アイヌは日本の先住民というウソ

                 イオマンテ:熊送りの祭り
           現在では観光や文化行事のイベントになっている。



北海道には既に鎌倉時代に和人(本州人)が住んでいた事がわかっている。
知内町に1205年創建の雷公神社、函館には1135年創建の船魂神社がある。
当然のことだが、アイヌには神道も神社も宗教的に存在しない。

両神社とも鎌倉時代に和人がいた事を示す証拠になっており、
少なくともこの時代のアイヌの痕跡を見るモノはまったく存在しない故、
学問的にはこの時代にもアイヌは存在していないと見るべきである。

ちなみに私見だが、この時代に東北や北海道にいた日本人は、
恐らく縄文系の血統を強く残した人々ではなかっただろうか。
これは北と南の遠隔地のため、沖縄人もそうであるように、
弥生系の影響や混血が本土ほど強くなかったからだと思う。


アイヌは日本の先住民というウソ

                 北海道最古の雷公神社


アイヌは日本の先住民というウソ

                    船魂神社


では・・・

アイヌ人とはどこから来た何者なのだろうか?

これも明快な答えは出ていないが、ロシアのアムール川流域の少数民族と、
その風習が似ているといわれているが、中でもニブフ族がそれに近いといわれる。
彼らはモンゴル軍(元)の侵略で逃げてきた難民だったのである。

近年盛んなDNA鑑定でもかなり詳しいことがわかっており、
アイヌはモンゴル系でもツングース系でもない民族であり、
北方のオホーツク系民族のニブフ族に最も近いとされている。

しかし、現在のアイヌは和人との混血が明治以降さらに進んでしまって、
今は純粋なアイヌ人は皆無で、ほぼ日本人のDNA配列になっている。



 「近年の研究で、オホーツク人がアイヌ民族と共通性がある
 との研究結果も出ている。樺太起源とされるオホーツク文化は
 5世紀ごろ北海道に南下したが10世紀ごろ姿を消している。」

 「2009年、北海道で発見されたオホーツク文化遺跡の人骨が、
 現在では樺太北部や外満州のアムール川河口一帯に住むニヴフに最も近く、
 またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャツカ半島に暮らす
 イテリメン族、コリャーク人とも祖先を共有することがDNA調査でわかった。

 また、オホーツク人のなかに縄文系には無いがアイヌが持つ
 遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され、
 アイヌとオホーツク人との遺伝的共通性も判明した。
 
 アイヌ民族は縄文人や本土日本人にはないハプログループY遺伝子を
 20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、
 これまで関連が不明だった。」

 「天野哲也北海道大学教授は『アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、
 複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった』
とコメントした。
 増田隆一北大准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし
 擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこから
 アイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測した。
 この北大研究グループは、アイヌ民族の成り立ちに続縄文人・擦文人と、
 オホーツク人の両者がかかわった
と考えられると述べた。」


Wikipedia アイヌより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#%E3%82%AA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%AF%E4%BA%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%84%E3%82%AB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E9%80%A3


アイヌは日本の先住民というウソ

            自分がアイヌ人であることは申告制なので
            アイヌになりたい人は誰でもなれるそうだ。
            新たにアイヌになった人で朴だの李だの
            日本人にはないような苗字の人もいるw



さらに・・・

 アイヌ文化は、前代の擦文文化を継承しつつオホーツク文化
 (担い手はシベリア大陸系民族の一つであるニヴフといわれる部族と
 融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。
 
 その成立時期は上記「えぞ」の初見と近い鎌倉時代後半(13世紀)と見られており、
 また擦文文化とアイヌ文化の生活体系の最も大きな違いは、
 本州や大陸など道外からの移入品(特に鉄製品)の量的増大にあり、
 アイヌ文化は交易に大きく依存していたことから、アイヌ文化を生んだ契機に
 和人との交渉の増大があると考えられている。

 具体的には奥州藤原氏政権の盛衰との関係が指摘されている。


アイヌ文化:えぞ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7#%E3%81%88%E3%81%9E


北大のDNAの研究陣の報告でもアイヌの祖先は縄文人との関係が薄く、
むしろロシアに居住していた「オホーツク人」種族との血縁の方が強く、
10~13世紀以降に北海道に移住した人々であり先住民ではない事が判明している。

また素人目に見ても、文化的にアイヌと和人である日本人はまったく異なる。
アイヌ語も日本語との文法も単語もまったく違うし、数基法もまったく違う。
日本人は十進法だがアイヌ人は二十進法である。

これは同じく「先住民」などと大嘘を国連で垂れ流す、
琉球独立派と称するバカどもはよく学んだ方がいい。

沖縄の文化・風習さらに言語において若干の差異はあれど、
古代の日本のそれらとの共通性があり、DNA配列も似ていることから、
沖縄人も縄文人を祖先にもつ本土の日本人とまったく同じ民族である。



アイヌは日本の先住民というウソ

          ニブフと呼ばれるアムール川下流域に暮らすロシア先住民族
        この部族がアイヌの共通の祖先ではないかといわれている。



アイヌは日本の先住民というウソ

                 ニブフ族の熊祭り
           ニブフ族はオホーツク文化の担い手といわれ、
           その風習などはアイヌと似たものも少なくない。




アイヌは日本の先住民というウソ

             ターズと呼ばれるロシアの先住民族
          アムール川流域に暮らすツングース系の少数民族
          どことはなくアイヌに雰囲気が似ているではないか。



結論として・・・

13世紀以降に日本に移住してきた大陸系の異民族が、
その後日本人と混血して現在に至ったのがアイヌである。
これは古代の日本民族の形成過程とまったく同じである。


アイヌ人は日本の先住民であった証拠も資料もない。
今ではアイヌ語もその文化的習慣も消滅しており、
純粋なアイヌ民族そのものが日本に存在しない。


従って・・・

 アイヌ人は日本の先住民ではない!


アイヌは日本の先住民というウソ

                  アイヌ文様のような毛並みのネコ








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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(23)歴史
この記事へのコメント
「ゴールデンカムイ」がヒットし、一昨年の「北海道150周年」あたりから、松浦武四郎が注目され、来年には白老町に「ウポポイ」なる民族共生施設がオープンします。「令和おじさん」菅義偉の意向を受け、北海道知事・鈴木直道が躍起になって宣伝に励んでますが、北海道アイヌ協会の弱者気取りやお涙頂戴の片棒を担がされるのがオチでしょう。展示品の解説には、「酋長」ではなく「首長」が使われ、しなくてもいい気遣いや忖度に、税金が投じられることと思われます。
Posted by NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 at 2020年01月10日 12:43
少数者に肩入れして差別だ差別だと騒ぎ、謝罪や賠償を求めるという手法はバカサヨクの得意とするところですが、アイヌもバカサヨクの新たなターゲットになりそうですね。そういえば、ケント・ギルバート氏の写真を燃やしたことで物議を醸した北海道の表現の不自由展でも実行委員にアイヌ民族風のおかしな格好をした胡散臭そうなババア(ジジイ?)がいましたね。ひょっとしたら、既にバカサヨクはアイヌにシンパを増やしつつあるのかもしれません。

バカサヨクはアメリカのインディアンやオーストラリアのアボリジニに倣って北海道にアイヌの保護区でも作るつもりでしょうか。しかし、純然たるアイヌなどとうの昔に消滅したと言われています。アイヌを自称する連中もいかにもアイヌっぽい風貌の者にアイヌ風の民族服を着せてそれらしく見せていますが、あんなのは所詮コスプレに過ぎません。トラネコ様もご指摘のように、アイヌは申告制なので「自分はアイヌだ」と名乗れば誰でもアイヌ人になれます。カネになりそうな所にはすぐ群がってくる卑しい中国人や韓国人、在日がアイヌを名乗ることも十分考えられます。一重・吊り目・エラ張りの醜いチョン顔丸出しの自称アイヌ人というのも現れるかもしれませんね(笑)。
Posted by アルファ at 2020年01月10日 12:55
いずれにしろ、日本の先住民族が縄文人であることには変わりません。 要するに彼らは「大和民族がアイヌが住んでいた北海道や沖縄を征服した」と主張したいのでしょうが、今日の日本はアイヌも沖縄人も普通の日本人ですから議論にはならないと考えます。

ただ、遺伝的には、現代日本人の平均よりもアイヌのほうが縄文人の遺伝子を多く持っていること以上に、もともと日本にいた縄文人が、2000年以上前に、大陸から来た縄文系弥生人や渡来系弥生人と混血し、さらにその後6〜7世紀までに渡来した新弥生人や南九州弥生人と混血した歴史の方がはるかに重要な出来事です。

つまり、侵略者という点においては、渡来人こそが侵略者であったのであり、その点に関して何の指摘もされない方が不自然です。 渡来系豪族(葛城、蘇我、物部、大伴、秦、藤原、その他…江南系、百済系、高句麗系、新羅系など)が日本文化の礎を造るのに果たした功績は疑いがなく、古事記や日本書紀の編集にも多く関わっており、彼らの中には中東系も含まれていた可能性があります。 ユダヤの血筋かもしれない秦氏(はたうじ・はたし)に至っては、京都に朝廷(平安京)を設立し、天皇家と血縁関係があったとされますし。
Posted by Black Joker at 2020年01月10日 13:14
私の聞いた話では、アイヌはモンゴルの帝国に押されて、北海道に移動してきて、もともと住んでいた日本人を、毒矢などの狩猟器具を用いて駆逐し、土地を乗っ取った、中世以後の、いわば侵略民族です。アメリカ原住民やアボリジニのような人達ではありませんね。

アイヌ協会の会長が自主の会(北朝鮮のチュチェ思想研究会)の会員であることは、よく指摘されていますし、このような日本分断工作が、かなり前から計画され、北海道や沖縄で少しづつ行われていたことも、元共産党の有名なジャーナリストによって説明されています。コリアンやシナ人どもの工作であることは間違いないでしょう。

アイヌ先住民、明治政府侵略迫害者の、馬鹿が信じ込みやすい伝説も、情報戦に弱く、無警戒すぎる日本人の性でしょうか、困ったものです。本当にこれでは日本はやられたい放題です。因みに、国連の人権委員会は北朝鮮の手先だらけ、それも日本人が多いそうで・・・アイヌにおかしな罪悪感を持つ日本人が増え、アイヌ?が日本の政府や自治体に先住民の権利を振りかざし、やりたい放題を主張するといった、最悪の組み合わせが作られ、国連絡みで、どんどん政治利用されていくことでしょう。

慰安婦問題のときも、保守の人々や政府が、呑気に構えていたからこんなことになったのです。

外国は手段を択ばず、利用できるものは、でっち上げであろうがなんであろうが、利用するのが常です。ことの真偽以前に、まず、そのことを意識するのが情報戦というものではないでしょうか。
Posted by 艮の金さん at 2020年01月10日 23:10
 今や眼の細いアイヌやエラの張ったアイヌまで出てくる始末。何とDNA艦艇すらせずに、関連組織が認定しただけでアイヌになれると言う笊よりもひどい認定法が罷り通っていると聞きますが、まさか事実ですか?
Posted by KOBA at 2020年01月11日 05:03
NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥様
同意です。
私もアイヌ利権について詳しく知ったのは最近の話ですが、ここまで行政府がアイヌの嘘に汚染されているとは思いませんでした。元共産党員の篠原常一郎によればこの運動の背景には北朝鮮の主体(チュチェ)思想団体が大きくかかわっているとのこと。これは沖縄の反基地運動も同様です。いかに日本人の思想戦術に弱いかがわかりますし、いつまでたってもスパイ防止法ができない一つの理由ですね。



アルファ様
同意です。
左翼は自分達の目的に利用できるものはなんでも利用するようですね。
そういう意味で弱者利権を隠して人権を主張する材料としては、「抑圧された先住民・アイヌ」は格好の材料になると思います。ただ沖縄の反基地運動とことなり、アイヌはいまはもう存在しない人々であり、先住民でもないことが学問的に証明されていますから説得力に欠けると思いますが、国会議員という思考停止の利権集団の前にはこれも通じなかったようです。益々アホが政治家になれる時代になって国益損失も正比例していますね・・・(悲)



Black Joker様
同意です。
>遺伝的には、現代日本人の平均よりもアイヌのほうが
 縄文人の遺伝子を多く持っている・・・
これに関してはエントリにも述べていますが、鎌倉時代の東北・北海道にいた日本人は、本州中央の日本人よりも縄文系のDNAが強い人々だったと推測されます。これは沖縄もそうですが、遠隔地域なので弥生系との混血が少なかったという理由だと考えています。だから沖縄人とアイヌ人も骨格は堀が深い点など似ているのでしょう。

>侵略者という点においては、渡来人こそが侵略者であった
まさにそうですね。
アイヌ人こそ先住民所ではなく日本への侵略者だったのです!
しかしアメリカ大陸みたく、侵略者の方が近代兵器など技術力がなかった点で劣勢になっていました。そしてラテンアメリカのように先住民と混血が進んだというのが歴史の事実です。

それと秦氏がユダヤ系かも・・・という説には私も大変興味をもっています。古代天皇家の風習や祇園祭や修験道の山伏など、古代ユダヤと共通したものが多いと聞きます。多分ですがユダヤの十氏族かどうかは分かりませんが、日本は大陸文化を取り入れて発展してき中で、恐らくユダヤ的なものも少なからずあって、それがまた天皇家の慣習や儀式に取り入れられたことはあり得るでしょう。ただ日ユ同祖論は信じません、基本的にユダヤ教と神道は一神教と多神教ですから。



艮の金さん様
同意です。
私も今では御指摘のように理解しています。
まずアイヌの服装や風習は日本民族のものとは大きく異なります。その点では沖縄の琉球文化はシナ文化の影響を受けてはいても、基本は言葉も服装も宗教も日本を基盤にしていますから、アイヌとはまったく異なります。

篠原常一郎氏の調査による主体(チュチェ)思想の浸透は、沖縄の反基地闘争も含めアイヌまで汚鮮しているのは深刻な問題です。しかしその批判がかなりネットを中心に拡散しているのにも関わらず、アイヌ問題が一般日本人には無関心なのをいいことに国政に携わる政治家の無知バカぶりには呆れてしまいます。



KOBA様
同意です。
李だの朴だのといった苗字のアイヌがいたんですかね???
それも近年になって俄かに出現してきたのも奇妙な話です。しかしまあ弱者利権あるところにこの手の虫が湧きてくることは珍しくないですから、さもありなんですが行政が丸ごと信じているのは理解できません。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年01月11日 07:25
道南地方にある白老町という町に「ウポポイ」という「先住民族アイヌ族」文化復興のためだかの施設があります。
行政はもちろん、数々の企業や官庁も宣伝しまくっておりますが、設立からずっと超不人気で客入りが悪いようです。
無論私の周囲にも誰一人興味を持つ者はありません。
にもかかわらず、振興局(昔の北海道庁)からはやたらと啓蒙に力を注ぐような指示が降りてくるのが非常に不快ですが、これってやはりアイヌ新法をごり押しした組織とそれに買収された政治家がらみだと思うと、知らない間に恐ろしい事態が進み切っていたと痛感せざるを得ないです。
Posted by ガトー at 2020年01月11日 07:59
ガトー様
同意です。
白老町って登別に行く途中に通ったことのある町ですね。
行ったことはないのですが、この町がアイヌに関係した地域だとは知りませんでした。元道議会議員の小野寺まさる氏の調査などで100億円もの税金が投入されているとのこと、これって道民の方々どう思っていらっしゃるのでしょうか? 

>行政はもちろん、数々の企業や官庁も宣伝しまくっておりますが・・・
もしかして都合の悪い事は「報道しない自由」の道新も、あまり取り上げないのかもしれませんから知らない人が多いのでしょうね。それと弱者には批判できない空気というか、批判するとヘイト扱いされる同調圧力みたいなものもあるんでしょうね・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2020年01月11日 08:25
こんにちは。
私たち日本民族も近代化の課程でちょんまげを切り落としたり、和暦からカレンダーの使用を強制させられたり、無理難題をなんとか乗り越えて今があるんですけどね。アイヌの人々に毎日、熊やら鹿やらを弓矢で捕って生活するように言ってみてはどうでしょうか?
Posted by ババロア at 2020年01月11日 23:24
子供の頃、「コタンの口笛」て言う物語を児童文学で読んだんですが、可哀想やなって思ったんですが。しかし、子供の頃なんで北海道なんて遠隔地・アイヌ民族て何?日本人じゃないのって?? そのうち大学生の頃、左翼学生で、天皇制打倒とかの人がアイヌ民族解放とか言ってましたが。 もう、スッカリ忘れてました。
物事の情報て自分で調べて勉強しなくては駄目ですね。 今回のトラネコさんの記事やコメンテーターの方達のご意見は、とても勉強になりました。
Posted by うさこ at 2020年01月12日 11:03
ババロア様
でもアイヌ民族など今はいないのですが・・・



うさこ様
同意です。
私もアイヌ人のとらえ方を間違っていました。
やはり学問的研究はどんどん進んでおり、新しい発見などもあって古い歴史は教科書を見ても書き換えられていますよね。ネットは情報と学習の最適ツールです。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年01月12日 17:11
トラネコ 様

学問的に完全に確立しているとまでは言えないのですが、日本の神道と天皇制そのものが、古代オリエント世界であるシュメール文明の多神教と北イスラエル王国の地位をそっくりそのまま受け継いでいる可能性があります。

① ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーク氏による解釈: 古代大和朝廷は古代北イスラエル王国の再興

アブラハムの正妻サラはシュメール人で、アブラハムの母もシュメール人である。 アブラハムはシュメールの精神文化を学んだので、聖書の神話がシュメール神話を元にしているのは当然で、ユダヤ教の本来は、シュメールの神々を信仰する多神教であった。

邪馬台国女王大日霊女貴尊(卑弥呼=アマテラス)の孫である神武天皇の和風諡号は「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」であるが、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを示唆している。

つまり、日本はアマテラスの時代からユダヤの血が関与しており、皇室の三種の神器がユダヤ由来であるという説とも完全に合致しています。 さらに、シュメール文明の後継である北イスラエル国のエフライム族含む10族の古代イスラエル人は多神教であり、多神教である神道の伝統を持つ日本人が古代イスラエル人の末裔であることとは矛盾しません。 実際に、日本には古代イスラエルの神さまを祀っている神社が存在します。


② 古事記や日本書紀、竹取り物語が、古代オリエント世界と酷似している: 古代オリエント神話・叙事詩を日本に適用

天皇家や諸氏族に口承で伝わった神話や伝説をまとめたとされる書物である「古事記」「日本書紀」ですが、人と神の間に生まれた存在である神々の物語には、ギリシャ神話と多くの類似点がみられます。 古事記のイザナキとイザナミの恋物語において、死後の黄泉(よみ)の国の住人となったイザナミを恋しく想い、耐えられなくなったイザナキは黄泉の国に出向き、なんとか愛する妻を連れ戻そうとしますが、後ろを振り向いて後を付いてくる妻を「見てはいけない」という約束を破る話があります。 これは、ギリシャ神話のオルフェウスとその妻エウリディケの物語と全く同じです。

日本書紀のホヲリとトヨタマビメにおける恋物語では、異郷である海からやってきたトヨタマビメが見るなと言う禁止を課すのですが、結局はそれを破り破局の原因となってしまいます。 日本書紀では、これによって海と陸の区別が生まれたのだとしています。

さらに、黄泉の国の食物を口にすることも同じです。 古事記では、あの世の世界の食物を食べたものは決してこの世に戻ってはこられないとしていますが、ギリシャ神話ではペルセフォネの物語がそれに当たります。

一夜の交わりで妊娠したことを「一夜孕み」と言いますが、一夜孕みによって、日本書紀のホノニニギはおなかの子が自らの子でないとの疑いをかけます。 コノハナサクヤビメは身の潔白を示そうと、産屋に火を放って出産します。 こうして三人の火のつく名を持つ神が誕生しますが、この「火中出生」は、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」にもあります。

竹取物語では、かぐや姫を迎えにきた天人が持ってきた不死の薬は、帝に贈られますが、かぐや姫を失った帝は嘆き悲しみ、薬を最も天に近い山の頂で焼くように命じました。 シュメールのギルガメッシュ叙事詩でも主人公が不老不死の薬草を手に入れますが、泉で水浴びをしている間に蛇に薬草を食べられてしまいます。


これら全ては、中近東からインド・中国を経由してきた渡来人が古代オリエント世界の神話や叙事詩を日本に伝えたからであるという説明が最も納得がいきます。 ギリシャ神話も古代オリエントの神話や叙事詩から大きな影響を受けているのは明らかですし。 ちなみに、中国には『斑竹姑娘』という物語があり、竹取物語と前半部分が似ています。 武から生まれた少女が成長し、5人の貴公子から求婚を迫られ「5つの難題」を課して彼らの求婚を断る場面です。

『竹取物語』でかぐや姫が貴公子たちに課した「5つの難題」
石作皇子には「仏の御石の鉢」
車持皇子には「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」
右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」
大納言大伴御行には「龍の首の珠」
中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」

『斑竹姑娘』で少女が貴公子たちに課した「5つの難題」
ものぐさな領主の息子には突いても壊れない黄金の鐘
金持ち商人の息子には通天河の打っても壊れない玉の木
役人の息子には燃えない火鼠の皮衣
臆病者でほら吹きのお坊ちゃんには海竜の額にある分水珠
高慢なお坊ちゃんには燕の産む黄金の卵
Posted by Black Joker at 2020年01月15日 00:03
麻生太郎が日本国は一民族一天皇の単一民族の国家発言して、圧力で撤回〜てヘタレ(>_<)
Posted by うさこ at 2020年01月15日 02:22
Black Joker様
日ユ同祖論は私も若いころから関心がありましたし、今も持っています。
イスラエルの十氏族の一つが日本にやってきた、それが秦氏ではないかという説は今も根強いですね。またご指摘の通り天皇家の風習には古代ユダヤと思われるものが少なくないというのも有名な話ですね。ただ現代はユダヤ人とはユダヤ教徒指しますが、古代ユダヤ人をどう民族的にとらえるのかがわかりませんよね。スファラディやアシュケナジム、さらにユーラシアを東進する中での混血もあったでしょうし、天皇家がユダヤの血=DNAを引いているのかどうかわかりません。

ただY遺伝子ハプログループがシナ朝鮮系にはなく、近縁民族がチベットに多い事を見ても、日本人は歴史的に一度も異民族の支配を受けておらず、独自の遺伝子配列をもっていることがわかります。その中でユダヤの「血」も一部にはあるのかもしれないですね。 また古代シュメール人の文明にも共通項目があるとか、シュメールがスメラミに音韻変化することはあるかもしれないですね。




うさこ様
同意です。
麻生太郎は言葉が軽いですね。いつも失言していますが、自分が正しいと信念をもっていないから非難されればすぐ謝り撤回するのです。日本は単一民族国家に関してですが、これに関しては後日エントリしますので宜しく!
Posted by トラネコトラネコ at 2020年01月15日 11:03
トラネコ 様

いわゆる日ユ同祖論ですが、私も懐疑的です。 一番の理由は、初代神武天皇~9代開化天皇までは「実在していなかった」「神話の中だけの存在」であり、しかも確実に実在していたのは15代応神天皇からとされているからです。

神武天皇が「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」であるのは、ユダヤの血を受け継いだ渡来人が日本に持ち込んだ神話だからでしょう。 君が代や囃子詞がヘブライ語に聞こえる、祇園や神輿、皇室の三種の神器がユダヤ由来であることも、単に渡来人が持ち込んだ古代ユダヤ文化に過ぎず、古代の北イスラエル王国の末裔が縄文人と混血して日本の国をつくったことの証拠にはなりません。

ほとんどの渡来人は中国・朝鮮半島を経由して日本に流入したのであり、日本人の遺伝子調査からも、日本人の大半は当時の中国南部やチベット、インドシナ半島北部の古代人の遺伝子です。 秦氏についても百済から来たとされており、人種的にはアジア系古代ユダヤ人と南部の古代中国人・百済人との混血だったでしょう。 つまり、アイヌも含めて、全ての渡来人がアジア系であったのは確実です。

ただし注目すべきなのは、最古の文明だったシュメール文明由来の多神教が渡来人によって日本に伝わったということです。 最古の多神教が現存する日本の神道に影響を与えたことは明白であり、神道も最古の宗教の一つであるということになります。

ちなみに、奈良の都(平城京)も京都の都(平安京)も大陸の文化をそっくり模倣しており、文字は中国の漢字、宗教はインド由来中国経由の仏教であることから、稲作や灌漑農業、神話(古事記や日本書紀、竹取り物語)に限らず、日本という国そのものがまるごと渡来人の影響でできたことになります。

考古学によると、日本にいた縄文人の人口は最盛期で26万人、寒冷化した3000年前には10万人以下、それに対して、弥生時代・古墳時代・飛鳥時代に日本にやってきた渡来人の累計は10万人以上だそうです。 渡来人による稲作で弥生時代には日本の人口が59万人を越えたとされていることから、日本人は縄文人の末裔である以上に渡来人の末裔なのです。
Posted by Black Joker at 2020年01月17日 13:38
Black Joker様
同意です。
まあ古代史に関しては何でもそうですが、なんせ証拠がない以上は何とでも仮説は作れますからね、そういう意味ではロマンがある分野です。神武天皇以来9代まで存在しなかったというのも、実在の証拠がないだけで「事実」はいまだわからないとする方が正解でしょう。

日ユ同祖論は先述したように、ユダヤ的な風習がシルクロードを経て日本に持ち込まれた可能性は否定しませんが、ユダヤ人が大勢日本列島に移住したとは考えません。天皇家の先祖が大陸系でユダヤの風習を受け継いでいたのではないかとも思いますが、それをもって日本人全体の民族的問題とは考えません。これに関しては後日エントリする予定ですので、その時に宜しくお願いします。

多神教に関しては、これは宗教の発生における人類共通の神概念ではないでしょうか? 古代ギリシャ・ローマでも、エジプト文明もそうですし、現在でも仏教もそうですし先住民文化の宗教はたいてい多神教です。まあ一神教がその教条性と政治性と軍事と結びついた結果、世界的に広がってはいますが、元来宗教とは多神教がベースだと個人的には思っています。

>弥生時代・古墳時代・飛鳥時代に日本にやってきた
 渡来人の累計は10万人以上だそうです。
それは知りませんでした。
26万人に対し10万人はかなりの人口ですね。
しかしBC6~10世紀から7世紀といえば少なくとも1000年以上ありますから、単純計算で100年で1万人、1年で1000人なら、やはり少数の移住者が来ていた事には変わりないですし、元来島国である日本民族はそうやって混血を繰り返してきたわけですし、渡来人も大陸は北から南までありシベリアから東南アジア地域まであって、限定的な一地域の人々だけではないでしょうから、特別「弥生系の子孫」と決めつけるべきではないと思います。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年01月18日 05:33
すなわち北海道は旧松前領以北はロシアに帰すべきであり、北方4島は歴史的には日本固有の領土ではないということですね、納得しました。
Posted by 蠣崎 at 2020年06月08日 01:28
蠣崎様
ハア?
ちゃんと読んだんですか?
奈良時代に和人が住んだ記録も書いてあるでしょ?
12世紀に創建された神社があると書いてあるじゃないですか?
それにいったいどこに松前藩以前にロシア領という記述があるのですか?

あなた国語の読解力、大丈夫ですか???
それとも日本語が苦手な国の方ですか?
Posted by トラネコトラネコ at 2020年06月08日 01:37
追記
松前藩だけでなく、北海道東部からも縄文土器や縄文人の人骨が発掘されてもいます。これは北海道史にものっており埋蔵文化センターの調査でも証明されています。そもそも北海道がロシア領というあなたの発想が理解できません。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年06月08日 01:42
稲作の話ですが、放射性炭素年代測定によって日本にいつ頃どこから稲作が持ち込まれたのかが判明したそうです、DNA解析によると、 日本のイネの起源は約1万年前の中国湖南〜雲南周辺、あるいは、ラオス、タイ、ビルマ周辺に広がる山岳地帯の野生種と確認されました。 今の所は、最古の稲作遺跡は8000年前の中国長江流域。 日本の最古の稲作遺跡は6500年前。 これは非常に古い時代であり、シュメール人の子孫が日本までわたってきた可能性があります。

面白い事に、万葉仮名で書かれた『古事記』が日本語で読めるのは当然ですが、なんと遥かな中東のシュメール語でも読めると言う説があります。 これは偶然なのかこじつけなのか、あるいは大発見なのか。

豊玉姫(トヨタマヒメ)の歌

■原文  阿加陀麻波袁佐閉比迦礼杼斯良多麻能岐美何余曽比斯多布斗久阿理祁理

■漢文語訳  赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

■シュメール語訳  aka dam,u sur gig rag.si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.
(アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タブ トク アルケル)

■シュメール語の日本語訳  私の愛した夫よ、宮中の僧侶は(あなたが)病気だから祈祷をすると、布施をせがみます。私の大君よ、もっと度重ねて消息を聞かせて下さい。手紙を頂くのを、心待ちに致しております。


以前から思っていたことですが、古事記のネタ本は旧約聖書なのではないか。 天地創造、イザヤとイザナギ、神々の数などには古事記と旧約聖書に共通点があり、旧約聖書の『創世記』の舞台が初期のメソポタミアの神話(つまりシュメール)であるのが確かなことから、古事記の大元がシュメールであったとしてもおかしくありません。

最古の時代には、オリエントの預言者が語った「東方にある島々が約束された楽園である」という言い伝えがあり、7000年前から3000年前の4000年間に国を追われた人たちがずっと東に移動してきたのだとすれば、北イスラエル王国や南ユダ王国が崩壊して、ユダヤの民が日本にまで到達したとしても何の不思議もありません。
Posted by もののけもののけ at 2020年06月08日 12:41
イスラエル系渡来人が日本を目指した理由
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=158
Posted by もののけもののけ at 2020年06月08日 12:44
もののけ様
稲作の起源はご指摘の通りシナの江南地方からの遺跡で明確です。
それと縄文時代中期頃、今から6000年前に既に日本にも稲作跡が九州のどこだかに発掘されていますから、弥生人が稲作をもたらしたのではないのは事実ですね。それと古代日本語がシュメール語や古代ユダヤ語で解読できるという話は、かなり昔からいわれています。ネットにも多く出ていますが、これは言語学のアカデミズムの世界でも認知されているのですかね? かなり昔ですが万葉集は古代朝鮮語で読めるなどという、トンデモ説が流布したことがありましたが、計量言語学の手法では完全に論破されrていました。そもそも古代朝鮮語などというものが10世紀以前にあったかどうかもわからないのです。同じくシュメール語の発音が楔形文字などから解明されているのか、この辺の学術的調査、研究でどう見るかが気になるところです。
Posted by トラネコトラネコ at 2020年06月08日 16:35
現在、学会でもっとも問題になっていて、学者を悩ませているのは、縄文人のDNAが沖縄人、アイヌ人のほうが、現日本人よりも大きな割合で受け継がれているという事実をどうせつめいするかです。上の説明を何度読んでも、これについて説明していないのでは?よろしくご教示下さい。
Posted by ゴンタロウ at 2022年10月11日 12:54
 
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