帝国陸軍にいた朝鮮兵
2011年08月09日
先日のエントリで重要な点を忘れていたので付け加えておく。
これは読者の人形焼様のコメントから思い出したものである。
当時の帝国陸軍兵士には朝鮮人もいたことを忘れてはならない。
日韓併合により朝鮮人は日本人になり、陸軍士官学校へも入学が認められ、
少なくない朝鮮人将校も帝国陸軍に存在した。もちろん朝鮮人名のままの兵士もいた。
日支事変以降志願制による朝鮮人の軍への入隊を認めていた。
併合後の外地人を同国人と平等に扱う国家は、
欧米の植民地はもちろん、世界中になかっただろう。
いやジンギスカンの軍隊は純粋に実力主義だから、
モンゴル帝国の軍隊だけは差別はなかったらしい。
さて帝国陸軍内にいた朝鮮人兵士も、当時は日本の教育が行き届いていたから、
今の朝鮮人とは異なり、結構まともな連中もいたのだろうと思う。
しかし所詮、朝鮮人は超賎人だから奴隷属国のDNAは変わらない。
帝国陸軍も朝鮮人兵士には、その取り扱いには苦労したようで、
朝鮮人兵士マニュアルみたいなものが存在する。
帝国陸軍朝鮮兵取り扱い書(朝鮮軍司令部1904~1945)
一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、
脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、
日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
ついでに米軍による韓国兵の扱いマニュアルも載せておく。
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。
こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、
後で身辺には気をつけて行動しろ。
但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。
そして旧ソ連軍のものも・・・
1、頭痛の種になるだけだから関わるな。
2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな。
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな。
4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れること。
日本軍だけでなくその後かかわった米ソの軍人も朝鮮人の異常さに苦労している。
しかもどの軍隊も共通しているところが面白い。ほとんど動物並の扱いである。
おそらく朝鮮人の気質は今現在も「獣(けもの)」のままなんだろう。
また朝鮮総督府も同じような、もっと詳しいものを出している。
これを読むと益々朝鮮人の異常さがよくわかる。
↓ 朝鮮人取扱説明書のコピペ
http://copypelibrary.seesaa.net/article/103447955.html
ここから本題である。
第二次大戦中の日本軍兵士の残虐行為は事実あったとするも、
よくよく調べてみれば、日本人とはいえ中身は朝鮮人兵士だった、
というオチが結構存在するのに気がついたのだ。
それは現在日本国内の凶悪犯罪や性犯罪などで逮捕される日本人が、
実は通名の在日朝鮮人であることが多いのと似ている。
外国人に日本人も朝鮮人も区別はできない、ましてや帰化して日本人名なら、
日本人ですらなおさらわからないだろう。
当時大陸や東南アジア各地の戦場で起きたとされる、
日本軍兵士の残虐行為や戦争犯罪といわれるかなりの部分に、
朝鮮人がかかわっているのではないかと私は疑っている。
実際に当時の敵国側の情報にはそれを裏付けるものが少なくないのだ。
たとえば・・・
『別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりは毛頭ないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。その多くは憲兵隊に属し、のち戦犯に指定された。
たとえば戦後十年たってインドネシアで現地民の証人たちが私に話してくれたところによると、彼らは当時これらの警察官(憲兵)から自分たちを保護してくれた点では、日本の陸、海軍に感謝しているそうだ。』
アルフレッド・スムラー著「ニッポンは誤解されている」 日本教文社 1988 年
『山では仲間どうしの信頼関係が全てだ。
韓比日の3人で風雨の中、ピークを踏む寸前のこと、小休止のときアンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」一気に遭難しそうになったパーティを何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。その日も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない』
「キヤンガン、山下将軍降伏の地―フィリピンの心象風景 」色平 哲郎 内科医
月刊誌「DATUMS」1995 年10 号
http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html
『最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。
前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。
当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。
香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、 日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、 ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。』
謝永光著「日本軍は香港で何をしたか」
翻訳 森幹夫 社会評論社 1993 年 36~37頁
『昭和十七年の夏、マレー半島とシンガポールからイギリス人捕虜、将校以下千人が到着し、京城及び仁川に収容所を設置する。日本はジェネーブ条約の捕虜に関する事項については調印していないが、条約の精神は尊重する旨公表していた。下士官兵は仁川で港の貨物荷上げ労働につき、将校は京城で労働はさせない方針であった。マレー方面の将官級は台湾南部に収容されていた。
朝鮮人が李朝末期以後、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたがここに来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。
東南アジアから朝鮮まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人3500人が従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性ゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。
敗戦後、個人的怨みで戦犯に問われ、死刑その他重刑を受けた例が少なくない。
白人こそ報復と復讐の大家だったのだから』
古野直也著 「朝鮮軍司令部」 p.2201904/1945 国書刊行会
『とにかく、点呼のときに誰かが冗談を言った。当時私の脳の働きはいくらか鈍かったので、その冗談の落ちが私に判ったのは、やや間をおいてからだった。時や遅し。私がくすくす笑い始めたのは、ちょうど私たちの目の前に一人の日本人{*4}が立ったときだった。彼は「笑ったのは誰だ」と怒鳴って訊いた。このヤップはまさに悪魔のような奴だった。日本の現人神天皇のために直立しているときに笑うとは神聖の冒涜である、と彼は烈火の如く怒った。
私は、もうこれでやられてしまうと観念した。恐怖に震えながらも、私は名乗り出なければならぬと思った。さもなくば、ほかの笑わなかったかも知れない人々が犠牲者となるだろう。私が名乗って前に引き出されたとき、私は目がくらくらして、周囲のすべてが回り始めるのを感じた。恐怖のために堪え難くなった私の周りを、さまざまな色がぐるぐると、しかもだんだん急速に回転するのだ。ヤップが私を殴り始めたのを記憶に残っている最後の情景として、私は大きな暗い穴に落ち込んでしまった。
(中略)
私たちは、肉体的に傷つけられるだけではなく、精神的にも厳しい忍従を強要された。例えば、体がいくらか回復したとき、私は、何人かの捕らわれ仲間が拷問されるのを視るように強要された。一度の如きは、誰か{*5}が無茶苦茶に殴られるのを見せられた。殴打の終わったとき、その人の顔にはもはや生気は見られなかった。また別の機会には、一人の成年男子が四方から両手両脚を烈しく引っ張られ苦痛に泣き叫ぶ有様を、私は正視しなければならなかった。その後、この二人が生き延びたかどうか、私は知らない。』
脚注)この二人は同一人物で朝鮮人軍属であると述べている。
この男はマツザワ ゼンユーという名を持つ朝鮮人軍属という。
レオ・ゲレインセ自伝「日本軍強制収容所 心の旅」
難波収、トレナール藤木きよ、ボム三上なをみ訳
手帳舎刊 40~45頁
またシナ側からもこんな資料が出ている。
『ねえ、知ってたあ?』さんのブログより
http://xianxian8181.blog73.fc2.com/blog-entry-193.html
この記事によると・・・
南京後略戦のときの『松井石根の15師団の中の韓国連合チーム(団級部門)』で、
部隊の約4割は朝鮮人のだったと記事には述べている。
この朝鮮人兵が残虐非道な行いをしまくったと述べている。
当時も現在も朝鮮人の日本人成りすましは有名である。
だから日本兵の戦時犯罪は恐らくすべて朝鮮兵の仕業であろうことは、
当たらずとも遠からずの事実ではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いかがであろうか。
まあ以上を読めば、当時の朝鮮人兵士や軍属がどれほど残忍かがわかろう。
さらに私は知らなかったのだが、朝鮮人は憲兵隊に所属することが多かったという。
それは日本人は出身地域ごとに配属されるが、朝鮮半島出身者は、
所属すべき連隊が無かった為、憲兵や捕虜収容所監督を任される事が多かった。
それに加え朝鮮人兵士は臆病なので戦場では使い物にならず、
かえって足手まといになることから、あえて後方勤務にしたものと推測される。
なるほどそれで憲兵隊が、残酷なゲシュタポみたいに忌み嫌われるのだ!
それで沖縄戦のとき、方言のせいでスパイ容疑で殺された者がいたのは、
朝鮮人憲兵のせいだったといえば納得はいく。
とにかく朝鮮人は残虐非道であることは、ベトナム戦争のときも有名であったことは、
エントリにも何度か述べてきたし、恐らく第二次大戦の「日本軍兵士」の残虐行為は、
そのほとんどは朝鮮人兵士と軍属によるものだったと、私は想像する。
現代でも移民の盛んな南朝鮮人は、移住先の国々で問題をおこしている。
また国内に来た外国人労働者への暴力や賃金不払い、セクハラなどは、
アムネスティから指導勧告もだされているほどである。
↓
アムネスティ韓国支部・2006年八月の報告書
『大韓民国:移住労働者も同じ人間である』(日本語版)
http://resistance333.web.fc2.com/html/aikoreareportfinal.pdf
先回のエントリで述べてた日本軍の戦争犯罪の実態とは・・・
1.詐話師の金銭欲・名誉心による「作り話・法螺話」
2.シナ・旧ソ連共産党による洗脳・思想改造
3.朝鮮人兵士・軍属による残虐行為
ほぼこれら3点に集約されるのではないだろうか。
私は日本人兵士の戦争犯罪もまったくなかったとは思わないが、
少なくとも規律に関しては日清戦争以来世界一厳しい軍隊だったことは、
欧米各国の関係者も認めることで、欧米の軍隊と比較すれば、
日本人の戦争犯罪など微々たるものだと思う。
日本軍兵士とされる「戦争犯罪」は、現在の在日の凶悪犯罪と、
重なって見えるのは私だけだろうか・・・
これは読者の人形焼様のコメントから思い出したものである。
当時の帝国陸軍兵士には朝鮮人もいたことを忘れてはならない。
日韓併合により朝鮮人は日本人になり、陸軍士官学校へも入学が認められ、
少なくない朝鮮人将校も帝国陸軍に存在した。もちろん朝鮮人名のままの兵士もいた。
日支事変以降志願制による朝鮮人の軍への入隊を認めていた。
併合後の外地人を同国人と平等に扱う国家は、
欧米の植民地はもちろん、世界中になかっただろう。
いやジンギスカンの軍隊は純粋に実力主義だから、
モンゴル帝国の軍隊だけは差別はなかったらしい。
さて帝国陸軍内にいた朝鮮人兵士も、当時は日本の教育が行き届いていたから、
今の朝鮮人とは異なり、結構まともな連中もいたのだろうと思う。
しかし所詮、朝鮮人は超賎人だから奴隷属国のDNAは変わらない。
帝国陸軍も朝鮮人兵士には、その取り扱いには苦労したようで、
朝鮮人兵士マニュアルみたいなものが存在する。
帝国陸軍朝鮮兵取り扱い書(朝鮮軍司令部1904~1945)
一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、
脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、
日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
ついでに米軍による韓国兵の扱いマニュアルも載せておく。
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。
こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、
後で身辺には気をつけて行動しろ。
但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。
そして旧ソ連軍のものも・・・
1、頭痛の種になるだけだから関わるな。
2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな。
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな。
4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れること。
日本軍だけでなくその後かかわった米ソの軍人も朝鮮人の異常さに苦労している。
しかもどの軍隊も共通しているところが面白い。ほとんど動物並の扱いである。
おそらく朝鮮人の気質は今現在も「獣(けもの)」のままなんだろう。
また朝鮮総督府も同じような、もっと詳しいものを出している。
これを読むと益々朝鮮人の異常さがよくわかる。
↓ 朝鮮人取扱説明書のコピペ
http://copypelibrary.seesaa.net/article/103447955.html
ここから本題である。
第二次大戦中の日本軍兵士の残虐行為は事実あったとするも、
よくよく調べてみれば、日本人とはいえ中身は朝鮮人兵士だった、
というオチが結構存在するのに気がついたのだ。
それは現在日本国内の凶悪犯罪や性犯罪などで逮捕される日本人が、
実は通名の在日朝鮮人であることが多いのと似ている。
外国人に日本人も朝鮮人も区別はできない、ましてや帰化して日本人名なら、
日本人ですらなおさらわからないだろう。
当時大陸や東南アジア各地の戦場で起きたとされる、
日本軍兵士の残虐行為や戦争犯罪といわれるかなりの部分に、
朝鮮人がかかわっているのではないかと私は疑っている。
実際に当時の敵国側の情報にはそれを裏付けるものが少なくないのだ。
たとえば・・・
『別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりは毛頭ないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。その多くは憲兵隊に属し、のち戦犯に指定された。
たとえば戦後十年たってインドネシアで現地民の証人たちが私に話してくれたところによると、彼らは当時これらの警察官(憲兵)から自分たちを保護してくれた点では、日本の陸、海軍に感謝しているそうだ。』
アルフレッド・スムラー著「ニッポンは誤解されている」 日本教文社 1988 年
『山では仲間どうしの信頼関係が全てだ。
韓比日の3人で風雨の中、ピークを踏む寸前のこと、小休止のときアンがコリアンと知らないフィリピン人の彼が言った「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」一気に遭難しそうになったパーティを何とか支えつつ、私はキアンガンの将軍の亡霊を見たような心持だった。その日も各地でこの噂のような言説をきくたびに、愛国者たるアンの胸中が想われてならない』
「キヤンガン、山下将軍降伏の地―フィリピンの心象風景 」色平 哲郎 内科医
月刊誌「DATUMS」1995 年10 号
http://www.net-ric.com/advocacy/datums/95_10irohira.html
『最初の数日間は平穏無事で、「皇軍」の姿は全くみられなかった。ところがある日、突然五、六人の‘獣兵‘が現れ、麻雀をしていた四人の女優を輪姦したという。
前述の女優は日本軍の馬丁に暴行されたが、この馬丁とは恐らく朝鮮人に違いなかった。
当時朝鮮は亡国の運命を辿り、台湾も日本の植民地であった。日本は兵力不足のため、大量の朝鮮人や台湾人が戦場に駆り出されていた。
香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、 日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、 ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。』
謝永光著「日本軍は香港で何をしたか」
翻訳 森幹夫 社会評論社 1993 年 36~37頁
『昭和十七年の夏、マレー半島とシンガポールからイギリス人捕虜、将校以下千人が到着し、京城及び仁川に収容所を設置する。日本はジェネーブ条約の捕虜に関する事項については調印していないが、条約の精神は尊重する旨公表していた。下士官兵は仁川で港の貨物荷上げ労働につき、将校は京城で労働はさせない方針であった。マレー方面の将官級は台湾南部に収容されていた。
朝鮮人が李朝末期以後、神に近い特権を持った白人を見た歴史をもっていたがここに来て、心理的にも白人崇拝の観念は消えたらしい。消えたのはいいのだが、困ったことも起きて戦後まで尾を引いている。
東南アジアから朝鮮まで捕虜収容所の警備員として朝鮮人3500人が従事していた。弱者に残虐性を発揮する民族性ゆえか、軽蔑ついでに相当な白人苛めを隠れてやっていたらしい。
敗戦後、個人的怨みで戦犯に問われ、死刑その他重刑を受けた例が少なくない。
白人こそ報復と復讐の大家だったのだから』
古野直也著 「朝鮮軍司令部」 p.2201904/1945 国書刊行会
『とにかく、点呼のときに誰かが冗談を言った。当時私の脳の働きはいくらか鈍かったので、その冗談の落ちが私に判ったのは、やや間をおいてからだった。時や遅し。私がくすくす笑い始めたのは、ちょうど私たちの目の前に一人の日本人{*4}が立ったときだった。彼は「笑ったのは誰だ」と怒鳴って訊いた。このヤップはまさに悪魔のような奴だった。日本の現人神天皇のために直立しているときに笑うとは神聖の冒涜である、と彼は烈火の如く怒った。
私は、もうこれでやられてしまうと観念した。恐怖に震えながらも、私は名乗り出なければならぬと思った。さもなくば、ほかの笑わなかったかも知れない人々が犠牲者となるだろう。私が名乗って前に引き出されたとき、私は目がくらくらして、周囲のすべてが回り始めるのを感じた。恐怖のために堪え難くなった私の周りを、さまざまな色がぐるぐると、しかもだんだん急速に回転するのだ。ヤップが私を殴り始めたのを記憶に残っている最後の情景として、私は大きな暗い穴に落ち込んでしまった。
(中略)
私たちは、肉体的に傷つけられるだけではなく、精神的にも厳しい忍従を強要された。例えば、体がいくらか回復したとき、私は、何人かの捕らわれ仲間が拷問されるのを視るように強要された。一度の如きは、誰か{*5}が無茶苦茶に殴られるのを見せられた。殴打の終わったとき、その人の顔にはもはや生気は見られなかった。また別の機会には、一人の成年男子が四方から両手両脚を烈しく引っ張られ苦痛に泣き叫ぶ有様を、私は正視しなければならなかった。その後、この二人が生き延びたかどうか、私は知らない。』
脚注)この二人は同一人物で朝鮮人軍属であると述べている。
この男はマツザワ ゼンユーという名を持つ朝鮮人軍属という。
レオ・ゲレインセ自伝「日本軍強制収容所 心の旅」
難波収、トレナール藤木きよ、ボム三上なをみ訳
手帳舎刊 40~45頁
またシナ側からもこんな資料が出ている。
『ねえ、知ってたあ?』さんのブログより
http://xianxian8181.blog73.fc2.com/blog-entry-193.html
この記事によると・・・
南京後略戦のときの『松井石根の15師団の中の韓国連合チーム(団級部門)』で、
部隊の約4割は朝鮮人のだったと記事には述べている。
この朝鮮人兵が残虐非道な行いをしまくったと述べている。
当時も現在も朝鮮人の日本人成りすましは有名である。
だから日本兵の戦時犯罪は恐らくすべて朝鮮兵の仕業であろうことは、
当たらずとも遠からずの事実ではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いかがであろうか。
まあ以上を読めば、当時の朝鮮人兵士や軍属がどれほど残忍かがわかろう。
さらに私は知らなかったのだが、朝鮮人は憲兵隊に所属することが多かったという。
それは日本人は出身地域ごとに配属されるが、朝鮮半島出身者は、
所属すべき連隊が無かった為、憲兵や捕虜収容所監督を任される事が多かった。
それに加え朝鮮人兵士は臆病なので戦場では使い物にならず、
かえって足手まといになることから、あえて後方勤務にしたものと推測される。
なるほどそれで憲兵隊が、残酷なゲシュタポみたいに忌み嫌われるのだ!
それで沖縄戦のとき、方言のせいでスパイ容疑で殺された者がいたのは、
朝鮮人憲兵のせいだったといえば納得はいく。
とにかく朝鮮人は残虐非道であることは、ベトナム戦争のときも有名であったことは、
エントリにも何度か述べてきたし、恐らく第二次大戦の「日本軍兵士」の残虐行為は、
そのほとんどは朝鮮人兵士と軍属によるものだったと、私は想像する。
現代でも移民の盛んな南朝鮮人は、移住先の国々で問題をおこしている。
また国内に来た外国人労働者への暴力や賃金不払い、セクハラなどは、
アムネスティから指導勧告もだされているほどである。
↓
アムネスティ韓国支部・2006年八月の報告書
『大韓民国:移住労働者も同じ人間である』(日本語版)
http://resistance333.web.fc2.com/html/aikoreareportfinal.pdf
先回のエントリで述べてた日本軍の戦争犯罪の実態とは・・・
1.詐話師の金銭欲・名誉心による「作り話・法螺話」
2.シナ・旧ソ連共産党による洗脳・思想改造
3.朝鮮人兵士・軍属による残虐行為
ほぼこれら3点に集約されるのではないだろうか。
私は日本人兵士の戦争犯罪もまったくなかったとは思わないが、
少なくとも規律に関しては日清戦争以来世界一厳しい軍隊だったことは、
欧米各国の関係者も認めることで、欧米の軍隊と比較すれば、
日本人の戦争犯罪など微々たるものだと思う。
日本軍兵士とされる「戦争犯罪」は、現在の在日の凶悪犯罪と、
重なって見えるのは私だけだろうか・・・
Posted by トラネコ at 18:00│Comments(12)
│歴史
この記事へのコメント
年配の奥さんから聞いた話ですが、奥さんのご主人がまだ幼い時、満州で日本人の軍人が酷いことをしたのを目撃したそうです。
今、ご主人は中国に出かけて中国人の学生の世話をして学生に慕われそれが生きがいになっているそうです。
ご主人から直接聞いていないので、その軍人が本当に日本人だったのか?状況などわかりません。法的に間違っていない処刑でも幼い子供には酷く感じることもあるでしょうし。
前に書きましたいわゆる従軍慰安婦の世話をしている女性は、いいところのお嬢さんで、元教師、戦後の貧しかった朝鮮人の生活を見て衝撃を受けたそうです。
朝鮮人が大部分不法移民で悪いことをして生活が良い朝鮮人もいても貧しい朝鮮人も一杯いたわけです。
日本人は可哀そうに弱いのでしょうね。それが良い所でもあるのでしょうが。可哀そうでかえって状況を悪化させることも多いのですがね。
そんな隙をついて洗脳されるのかと感じています。
マスゴミは利用しますし、私は許せません。
今、ご主人は中国に出かけて中国人の学生の世話をして学生に慕われそれが生きがいになっているそうです。
ご主人から直接聞いていないので、その軍人が本当に日本人だったのか?状況などわかりません。法的に間違っていない処刑でも幼い子供には酷く感じることもあるでしょうし。
前に書きましたいわゆる従軍慰安婦の世話をしている女性は、いいところのお嬢さんで、元教師、戦後の貧しかった朝鮮人の生活を見て衝撃を受けたそうです。
朝鮮人が大部分不法移民で悪いことをして生活が良い朝鮮人もいても貧しい朝鮮人も一杯いたわけです。
日本人は可哀そうに弱いのでしょうね。それが良い所でもあるのでしょうが。可哀そうでかえって状況を悪化させることも多いのですがね。
そんな隙をついて洗脳されるのかと感じています。
マスゴミは利用しますし、私は許せません。
Posted by 人形焼 at 2011年08月09日 11:23
人形焼様
いや~、人形焼様のコメント読んで重大なことを思い出しましたwww
朝鮮人の存在です!これも以前資料にあたって知ってたことですが、朝鮮人の兵隊は相当残酷な行為をシナ人や、イギリス人捕虜にもしてたとい記録がありました。
早速改訂版かきます、有難うございました!
いや~、人形焼様のコメント読んで重大なことを思い出しましたwww
朝鮮人の存在です!これも以前資料にあたって知ってたことですが、朝鮮人の兵隊は相当残酷な行為をシナ人や、イギリス人捕虜にもしてたとい記録がありました。
早速改訂版かきます、有難うございました!
Posted by トラネコ at 2011年08月09日 14:29
上に書かれてあるフィリピンの心象風景を見ていたら中学生時代に図書室にあった日本が悪いことをしまっくた、と書かれた漫画を思いだしました。
その漫画の一つに赤ん坊を投げて銃剣で刺す、というそのままの内容で書かれてあり洗脳されまくった記憶があります(その漫画は全7巻ぐらいで朝鮮を植民地にして虐げたに始まり支那で南方で日本は悪いことをしまくった、疎開はこんな地獄だ、最終巻は原爆と基地外サヨクのオンパレード集です。その漫画が図書室に入ってきたのは92年で自分は当時中学2年、ソ連が崩壊してまだまもないころです)。
また最近の全て、という分けではないのですが漫画やこの電脳空間上でも加害者・犯罪擁護、被害者いじめやそれを過剰に礼賛・当然のように思う発言を見るたび冗談や表現とは分かるのもの同時に、自分達日本人の感性とは思えない・・まるで朝鮮人の思考みたいだ・・・・、と感じることが時々あります。
その漫画の一つに赤ん坊を投げて銃剣で刺す、というそのままの内容で書かれてあり洗脳されまくった記憶があります(その漫画は全7巻ぐらいで朝鮮を植民地にして虐げたに始まり支那で南方で日本は悪いことをしまくった、疎開はこんな地獄だ、最終巻は原爆と基地外サヨクのオンパレード集です。その漫画が図書室に入ってきたのは92年で自分は当時中学2年、ソ連が崩壊してまだまもないころです)。
また最近の全て、という分けではないのですが漫画やこの電脳空間上でも加害者・犯罪擁護、被害者いじめやそれを過剰に礼賛・当然のように思う発言を見るたび冗談や表現とは分かるのもの同時に、自分達日本人の感性とは思えない・・まるで朝鮮人の思考みたいだ・・・・、と感じることが時々あります。
Posted by 無所属廃人 at 2011年08月10日 11:00
無所属廃人様
私は読んだことないのですが、「はだしのゲン」という漫画もその系だったと思います。本宮ひろしなどの左翼系漫画家は、恐らく本人はそこまで偏っていると自覚はないのでしょうが、漫画という手段は少年への影響が大きいですよね。
それから日本人って本当にお人よしで、控えめ過ぎるのが民族的性格みたいです。これが逆に益々自虐を推進する原因でもあるようですね。でも無所属廃人様みたいに、少年時代に影響受けても立派に気がつく人もいます。現政権の菅や仙谷などは、そのまんま気がつかず大人になった馬鹿です。結局どこで目が覚めるかで、人間性の成長度がわかりますね。
私は読んだことないのですが、「はだしのゲン」という漫画もその系だったと思います。本宮ひろしなどの左翼系漫画家は、恐らく本人はそこまで偏っていると自覚はないのでしょうが、漫画という手段は少年への影響が大きいですよね。
それから日本人って本当にお人よしで、控えめ過ぎるのが民族的性格みたいです。これが逆に益々自虐を推進する原因でもあるようですね。でも無所属廃人様みたいに、少年時代に影響受けても立派に気がつく人もいます。現政権の菅や仙谷などは、そのまんま気がつかず大人になった馬鹿です。結局どこで目が覚めるかで、人間性の成長度がわかりますね。
Posted by トラネコ at 2011年08月10日 11:58
そういえば、日本兵がしたと言われる残虐行為は中国の古典小説に出てくる場面と同じ、と聞きました。
この手の話から感じる日本人の違和感はそこからでしょうね
この手の話から感じる日本人の違和感はそこからでしょうね
Posted by 人形焼 at 2011年08月11日 09:14
人形焼様
そうなんですか、知りませんでした。ということはシナのデッチ上げ、という説もいくつかは該当しそうですね。しかしよってたかって日本イジメですな・・・
そうなんですか、知りませんでした。ということはシナのデッチ上げ、という説もいくつかは該当しそうですね。しかしよってたかって日本イジメですな・・・
Posted by トラネコ at 2011年08月11日 09:53
戦時下沖縄の住民が日本軍部に自決を強要されたと何かの本にのっていたが本当か。
Posted by 三太 at 2014年04月03日 19:18
開戦時香港にいて戦中は日本の捕虜収容所で過ごし、戦後日本に住み捕虜経験を記した「おかわいそうに」という本を出版した英国人ルイス・ブッシュ氏も、確か収容所の護衛兵が朝鮮兵と交代したが彼らは普通の日本兵より大柄で輪をかけて粗暴だったと書いています。
その本はもう市場にないけど、Lewis bush pow camp hong kong などで検索すると記事が色々ヒットしますよ。
その本はもう市場にないけど、Lewis bush pow camp hong kong などで検索すると記事が色々ヒットしますよ。
Posted by へべれけ at 2015年06月12日 07:43
へべれけ 様
情報ありがとうございました。
情報ありがとうございました。
Posted by トラネコ at 2015年06月12日 07:55
ww2と朝鮮戦争、そしてベトナム戦争。その残虐行為には多くの共通点があり、どう見ても同じ血のつながりがある。例えば性器に剣を突き入れかき回す、乳房を切り落とす等は、いずれにも共通して言われている。明らかに、同じつながりがある。色々な文献を拝見したが、残虐性の項目は、ほぼ一貫して(多少の違いはあるが)同一のものである。以上の事から、その戦場すべてに参戦した朝鮮人による残虐行為であると私は、推察している。また、WW2の時にさらわれたとする記述だが、当時、最新鋭の零銭ですら、リヤカーに牛に引かれて工場から飛行場に移動しているのに、なぜ、女性をさらうのにトラックが使用できたのだろう、まずありえない。このことから(ほかにもあるが)しかし実際に、朝鮮戦争では行われており、加害者のすり替えであることは間違がないと思う。
Posted by きしゃぽっぽ at 2017年05月28日 22:01
デマの見本市みたいなブログですね。日本人として恥ずかしいです。
Posted by sabor at 2017年12月20日 15:55
sabor様
具体例も挙げられず、根拠も示せず、単なる感情論だけのバカ・コメント、人間として恥ずかしいです(笑)
具体例も挙げられず、根拠も示せず、単なる感情論だけのバカ・コメント、人間として恥ずかしいです(笑)
Posted by トラネコ at 2017年12月20日 18:46