渡部昇一先生のご冥福をお祈りいたします。
2017年04月19日
渡部昇一氏が死去 英語学者、保守派の評論家
英語学者で保守派の評論家として知られる上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。86歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は妻、迪子さん。
山形県出身。上智大学大学院を経て、独ミュンスター大大学院博士課程を修了。1971年に上智大教授に就いた。専門の英語学にとどまらず、歴史や政治などの分野でも評論活動を展開。政府の税制調査会の特別委員なども歴任した。
著書に「日本史から見た日本人」「知的生活の方法」など。天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議のヒアリングでは、退位に否定的な見解を示した。
日経新聞 2017/04/18(火)
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG17HAH_X10C17A4CZ8000/

渡部昇一上智大学名誉教授
渡部昇一氏の御逝去、謹んで悼み申し上げます。
私にとって渡部昇一氏は歴史観の大転換をもたらしてくれた思想的恩人である。
左巻き教育に汚染され、左巻き大学に進学し、左巻き学生と一緒の生活の私に、
日本史の歴史観の一大変換をさせてくれた人が渡部昇一氏であった。
当時私は教員をやっていたが、渡部昇一氏は竹村健一氏の「世相を斬る」
という番組にしばしばゲスト出演しており、名前も顔も知っていたが、
著書はまったく読んだことがなかった。
ある日紀伊国屋書店でふと目に留まったのが「教育はミニスクールで」という本で、
ここに書かれてある内容が共感をもって受け止める事が出来たのを契機に、
渡部氏の著作を次々読むようになったのである。
特に「日本史から見た日本人」は、一読目は頭が混乱状態であった。
というのも自分が習ってきた歴史観とは、全く別の観点から述べられており、
納得するには程遠かったのだが、あえて否定する根拠もなかった。

特に長年自分が日本史の謎であったことを見事に解説してあった。
渡部氏のような解釈を天皇と日本人の関係から洞察した学者は、
恐らく日本の歴史学者にもいなかったのではないだろうか?
それは何故日本史の権力者は天皇の地位にとって代わらなかったか?
という疑問で、これは天皇も日本人もすべて神話とつながった国民だから、
という解説で目から鱗であった。もちろん一読では理解できなかったが。
そしていまだに建国の歴史を神話にまで遡れる国民は日本人だけだ、
という日本人であるくせに「まったく知らなかった事実」を教えられて、
いかに自国の歴史に無知であったかが思い知らされた。
その後、渡部フリークになり歴史関係の著書を読み漁った。
特に近現代史は、当時シナ朝鮮の歴史戦が始まったこともあり、
「かくて昭和は甦る」には感動をもって何度も読み返した。

渡部昇一氏は英米文学者である。専門は英文法史だそうだ。
畑違いの歴史分野で日本史だけではなく、欧州史やシナ史にも精通し、
日本人の立場で深い洞察をする、そんな歴史学者が今日本にいるだろうか?
この歴史における日本人の立場という視点が重要である。
我々が学校で習った歴史はこの視点が欠けていたのである。
戦後の東京裁判史観で描かれた自虐史観への見直しである。
歴史は時代背景や国や民族や人の視点で大きく解釈は変わる。
必ずしも1+1=2になるとは限らないのが歴史の解釈である。
歴史が科学ではなく文学である証左だ。

14万冊もの蔵書を持つ渡部昇一氏の書斎
専門外だから責任が伴わないという見方もある。
そうかもしれない。確かに専門分野の学者は学閥や上司の教授の目を気にし、
主流の考え方や解釈と異なる主張をする事は、出世を考えれば勇気がいるだろう。
特に戦後GHQによって職場復帰した東大の左翼学者が支配する歴史学会では、
反日売国歴史学者の粗製乱造の工場と化してしまったのだから・・・
しかしだからこそ、自由な観点で歴史を解釈する学者が出てくることが、
旧態依然とした権威主義の歴史学会に新風を吹き込む契機にもなるのだ。
そういう意味で渡部昇一氏の歴史観は東京裁判史観に風穴を開けた偉業である。
しかも渡部氏の著作は皆読みやすく理解しやすいのも特徴だ。
難しい事を難しく言うのは簡単だが、誰でも理解できる文章は絶品である。
同じくドイツ文学者の西尾幹二氏も優れた歴史洞察をされる学者だ。

この著書も我々の習った歴史観とは別の観点で述べられ面白い。
ところで・・・
私にとって、というか保守論壇にとっては巨人といえる人物である、
渡部昇一氏の逝去を新聞各社が殆ど報じていないのも納得できる。
それは渡部氏が古くから朝日新聞の虚報主義に対決してきたからである。
あの教科書誤報事件も、「従軍」慰安婦も、南京「大虐殺」も・・・
朝日がデッチ上げた捏造歴史報道に、ことごとく氏は反証・反論してきた。
それも、ネットもない時代にたった一人でである。
渡部昇一氏は売国マスゴミ・バスターの先駆けである。
捏造&虚報の家元朝日新聞からすれば、渡部昇一氏が逝去されたのは、
社内で大宴会開きたいくらいうれしいニュースに違いないと思う。
まあ朝日に限らず、日本の腐った売国マスゴミは皆同じ感想だろう。
氏の論壇での活躍で、多くの保守論客がマスゴミに影響する勢いになってきた。
私のように渡部昇一氏によって左翼史観から脱出した人は多くいると思う。
朝日新聞どもが逝去を喜ぶ人物であることがよ~くわかった。
偉大な保守論客・渡部昇一氏の
御逝去を心から御悔み申し上げる。

英語学者で保守派の評論家として知られる上智大学名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。86歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は妻、迪子さん。
山形県出身。上智大学大学院を経て、独ミュンスター大大学院博士課程を修了。1971年に上智大教授に就いた。専門の英語学にとどまらず、歴史や政治などの分野でも評論活動を展開。政府の税制調査会の特別委員なども歴任した。
著書に「日本史から見た日本人」「知的生活の方法」など。天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議のヒアリングでは、退位に否定的な見解を示した。
日経新聞 2017/04/18(火)
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG17HAH_X10C17A4CZ8000/

渡部昇一上智大学名誉教授
渡部昇一氏の御逝去、謹んで悼み申し上げます。
私にとって渡部昇一氏は歴史観の大転換をもたらしてくれた思想的恩人である。
左巻き教育に汚染され、左巻き大学に進学し、左巻き学生と一緒の生活の私に、
日本史の歴史観の一大変換をさせてくれた人が渡部昇一氏であった。
当時私は教員をやっていたが、渡部昇一氏は竹村健一氏の「世相を斬る」
という番組にしばしばゲスト出演しており、名前も顔も知っていたが、
著書はまったく読んだことがなかった。
ある日紀伊国屋書店でふと目に留まったのが「教育はミニスクールで」という本で、
ここに書かれてある内容が共感をもって受け止める事が出来たのを契機に、
渡部氏の著作を次々読むようになったのである。
特に「日本史から見た日本人」は、一読目は頭が混乱状態であった。
というのも自分が習ってきた歴史観とは、全く別の観点から述べられており、
納得するには程遠かったのだが、あえて否定する根拠もなかった。

特に長年自分が日本史の謎であったことを見事に解説してあった。
渡部氏のような解釈を天皇と日本人の関係から洞察した学者は、
恐らく日本の歴史学者にもいなかったのではないだろうか?
それは何故日本史の権力者は天皇の地位にとって代わらなかったか?
という疑問で、これは天皇も日本人もすべて神話とつながった国民だから、
という解説で目から鱗であった。もちろん一読では理解できなかったが。
そしていまだに建国の歴史を神話にまで遡れる国民は日本人だけだ、
という日本人であるくせに「まったく知らなかった事実」を教えられて、
いかに自国の歴史に無知であったかが思い知らされた。
その後、渡部フリークになり歴史関係の著書を読み漁った。
特に近現代史は、当時シナ朝鮮の歴史戦が始まったこともあり、
「かくて昭和は甦る」には感動をもって何度も読み返した。

渡部昇一氏は英米文学者である。専門は英文法史だそうだ。
畑違いの歴史分野で日本史だけではなく、欧州史やシナ史にも精通し、
日本人の立場で深い洞察をする、そんな歴史学者が今日本にいるだろうか?
この歴史における日本人の立場という視点が重要である。
我々が学校で習った歴史はこの視点が欠けていたのである。
戦後の東京裁判史観で描かれた自虐史観への見直しである。
歴史は時代背景や国や民族や人の視点で大きく解釈は変わる。
必ずしも1+1=2になるとは限らないのが歴史の解釈である。
歴史が科学ではなく文学である証左だ。

14万冊もの蔵書を持つ渡部昇一氏の書斎
専門外だから責任が伴わないという見方もある。
そうかもしれない。確かに専門分野の学者は学閥や上司の教授の目を気にし、
主流の考え方や解釈と異なる主張をする事は、出世を考えれば勇気がいるだろう。
特に戦後GHQによって職場復帰した東大の左翼学者が支配する歴史学会では、
反日売国歴史学者の粗製乱造の工場と化してしまったのだから・・・
しかしだからこそ、自由な観点で歴史を解釈する学者が出てくることが、
旧態依然とした権威主義の歴史学会に新風を吹き込む契機にもなるのだ。
そういう意味で渡部昇一氏の歴史観は東京裁判史観に風穴を開けた偉業である。
しかも渡部氏の著作は皆読みやすく理解しやすいのも特徴だ。
難しい事を難しく言うのは簡単だが、誰でも理解できる文章は絶品である。
同じくドイツ文学者の西尾幹二氏も優れた歴史洞察をされる学者だ。

この著書も我々の習った歴史観とは別の観点で述べられ面白い。
ところで・・・
私にとって、というか保守論壇にとっては巨人といえる人物である、
渡部昇一氏の逝去を新聞各社が殆ど報じていないのも納得できる。
それは渡部氏が古くから朝日新聞の虚報主義に対決してきたからである。
あの教科書誤報事件も、「従軍」慰安婦も、南京「大虐殺」も・・・
朝日がデッチ上げた捏造歴史報道に、ことごとく氏は反証・反論してきた。
それも、ネットもない時代にたった一人でである。
渡部昇一氏は売国マスゴミ・バスターの先駆けである。
捏造&虚報の家元朝日新聞からすれば、渡部昇一氏が逝去されたのは、
社内で大宴会開きたいくらいうれしいニュースに違いないと思う。
まあ朝日に限らず、日本の腐った売国マスゴミは皆同じ感想だろう。
氏の論壇での活躍で、多くの保守論客がマスゴミに影響する勢いになってきた。
私のように渡部昇一氏によって左翼史観から脱出した人は多くいると思う。
朝日新聞どもが逝去を喜ぶ人物であることがよ~くわかった。
偉大な保守論客・渡部昇一氏の
御逝去を心から御悔み申し上げる。

Posted by トラネコ at 00:00│Comments(15)
│社会
この記事へのコメント
トラネコさん、
ご無沙汰です。
DHCテレビで先生の『書痴の楽園』のファンでした。
アーカイブ(42本)を観ながら、ご冥福をお祈りしております。
いつものことながら事後報告ですが、朝日新聞との経緯について詳細に説明されているので、私のFBのTLでシェアさせて頂きました。
それではまた、
在メキシコ パウロ伊藤
ご無沙汰です。
DHCテレビで先生の『書痴の楽園』のファンでした。
アーカイブ(42本)を観ながら、ご冥福をお祈りしております。
いつものことながら事後報告ですが、朝日新聞との経緯について詳細に説明されているので、私のFBのTLでシェアさせて頂きました。
それではまた、
在メキシコ パウロ伊藤
Posted by パウロ伊藤 at 2017年04月19日 00:52
パウロ伊藤様
お久し振りです。
昨年あたりから渡部昇一氏の動画を見るたびにお年を召されたなあ、と感じていました。86歳なら十分に人生を全うされたと思いますが、私達にとってはこのような保守の巨人が逝ってしまわれるのは実に残念ですね。
今はテマスにいますのでDFに来られるときはお声を御掛けください。
ではまた!
お久し振りです。
昨年あたりから渡部昇一氏の動画を見るたびにお年を召されたなあ、と感じていました。86歳なら十分に人生を全うされたと思いますが、私達にとってはこのような保守の巨人が逝ってしまわれるのは実に残念ですね。
今はテマスにいますのでDFに来られるときはお声を御掛けください。
ではまた!
Posted by トラネコ
at 2017年04月19日 04:32

また一人、[本物]の学者さんが遠行されてしまいました。ご冥福をお祈りします。
余談ですが、こんな時でも例の「しばかれ隊」は故人に対して大変無礼な発言をしているようですね。さすが人類亜種です。
余談ですが、こんな時でも例の「しばかれ隊」は故人に対して大変無礼な発言をしているようですね。さすが人類亜種です。
Posted by 無銘 at 2017年04月19日 07:07
専門外だから責任が伴わない。確かにそうかもしれませんが、言い換えれば専門家がしっかりと責任を取り、なおかつ専門家としての責務を果たしてないから渡部昇一さんのように専門外、よくいう畑違いの人が現れたと。歴史の専門家は恥を知るべきなのですが、そういう動きはありませんでしたねえ。
昭和一桁世代の猛者であり本物の知識人が亡くなられて残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
昭和一桁世代の猛者であり本物の知識人が亡くなられて残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by おしょう at 2017年04月19日 07:26
無銘様
同意です。
>こんな時でも例の「しばかれ隊」は故人に対して大変無礼な発言・・・
そりゃあ朝鮮人ですからね。
朝鮮とその宗主国のシナでは、死者を掘り返してまで鞭打つ国です。
憎き論客が亡くなったのは、朝日新聞と同じで大宴会ものでしょう。もっともそれだけバカ左翼に嫌われている渡部昇一氏は、本物の保守論客である証拠でしょう。心から悔やまれます。合掌。
おしょう様
同意です。
私など門外漢にはわからんのですが、日本の学会というのも相当なヒエラルキーが出来上がっており、完全な権威主義みたいです。これは美術界の日展なる組織もまったく同じです。ここには学問とか芸術よりも政治や人脈が優先する歪な人間関係の世界があるようです。ま、人間が集まれば否応なしにこうなっていくのでしょうね・・・。
同意です。
>こんな時でも例の「しばかれ隊」は故人に対して大変無礼な発言・・・
そりゃあ朝鮮人ですからね。
朝鮮とその宗主国のシナでは、死者を掘り返してまで鞭打つ国です。
憎き論客が亡くなったのは、朝日新聞と同じで大宴会ものでしょう。もっともそれだけバカ左翼に嫌われている渡部昇一氏は、本物の保守論客である証拠でしょう。心から悔やまれます。合掌。
おしょう様
同意です。
私など門外漢にはわからんのですが、日本の学会というのも相当なヒエラルキーが出来上がっており、完全な権威主義みたいです。これは美術界の日展なる組織もまったく同じです。ここには学問とか芸術よりも政治や人脈が優先する歪な人間関係の世界があるようです。ま、人間が集まれば否応なしにこうなっていくのでしょうね・・・。
Posted by トラネコ
at 2017年04月19日 07:56

渡部昇一先生の追悼記事書いて頂き有り難うございます。
産経新聞は流石に大きく業績も含め触れていました。
先日、桜プロジェクト大道無門でお見かけしたのが、私として
は最後となってしまいました。当日出演された田久保先生も
ずいぶんと気遣われておりました。その時の渡部先生は、声に
力も無く、言葉も不如意なようで、近々訃報に接することになるかなと
些か不謹慎な印象を持った位衰弱しておりました。
寂しくなります。
あらためて、渡部昇一先生のご冥福をお祈りいたします。
先生、御霊となって日本をお守りください。
産経新聞は流石に大きく業績も含め触れていました。
先日、桜プロジェクト大道無門でお見かけしたのが、私として
は最後となってしまいました。当日出演された田久保先生も
ずいぶんと気遣われておりました。その時の渡部先生は、声に
力も無く、言葉も不如意なようで、近々訃報に接することになるかなと
些か不謹慎な印象を持った位衰弱しておりました。
寂しくなります。
あらためて、渡部昇一先生のご冥福をお祈りいたします。
先生、御霊となって日本をお守りください。
Posted by 鉄槌28号 at 2017年04月19日 12:44
>トラネコ様
別件ですが。
朝鮮有事、次は4月25日が危ぶまれていますが、5月1日のメーデー
あたりが怪しいと小生考えているのですが、いかがでしょうか?
中朝国境で新たな情報ありませんでしょうか?
今、アメリカは中国から帰ってくるボールを待っていると思うのです。
別件ですが。
朝鮮有事、次は4月25日が危ぶまれていますが、5月1日のメーデー
あたりが怪しいと小生考えているのですが、いかがでしょうか?
中朝国境で新たな情報ありませんでしょうか?
今、アメリカは中国から帰ってくるボールを待っていると思うのです。
Posted by 鉄槌28号 at 2017年04月19日 12:54
鉄槌28号様
同意です。
渡部昇一先生は長寿を全うされたと思いますが、先生の撒いた種は見事に育って、全国でどんどん成長しています。私らも微力ながら頑張りたいです。
朝鮮有事ですが、私は専門家ではないので、何とも確実なことは言えませんが、アメリカが空母を派遣しなかったことが昨日わかりましたし、シナが何らかの手を打ったとも伝えられますし、また北はミサイル実験に失敗したといいます。もっとも核実験やったらわかりませんが、現段階においては戦争にはならない気がします。
同意です。
渡部昇一先生は長寿を全うされたと思いますが、先生の撒いた種は見事に育って、全国でどんどん成長しています。私らも微力ながら頑張りたいです。
朝鮮有事ですが、私は専門家ではないので、何とも確実なことは言えませんが、アメリカが空母を派遣しなかったことが昨日わかりましたし、シナが何らかの手を打ったとも伝えられますし、また北はミサイル実験に失敗したといいます。もっとも核実験やったらわかりませんが、現段階においては戦争にはならない気がします。
Posted by トラネコ
at 2017年04月19日 23:29

渡部氏は冷戦時代から保守論壇の筆頭として、まさに「孤独な戦い」を続けてきました。私が氏の名前を知ったのは悪名高い、昭和57年の「歴史教科書、侵略→進出誤報事件」の時ですね。あの時付和雷同で「文部省(当時)は歴史教科書の改竄を強要した」とマスゴミが横並びで報道する中、サンケイ新聞(当時)と歩調を合わせる形で具体的データを提示してそのような事実は無かった事を実証した数少ない「言論界の良心」でした。それから35年、劇的とは言わないまでも日本の世論はパヨクに牛耳られる事は少なくなりましたが、渡部氏にはパヨクの絶滅を見届けるまで生きていてほしかったです。
合掌。
合掌。
Posted by KOBA at 2017年04月20日 04:00
私、花粉症に苦しんでて、断食や一日一食の食生活始めるにあたって、渡部昇一先生が対談本の中で、石原慎太郎知事に勧められてやった結果を詳らかにされた内容は大いに参考にしましたが、ただ、一食の割には…っていうのがあったのですが、結果としては私自身、花粉症もなくなり、身軽になったの良かったです。
確かどこかで、90数歳以上は生きたいとか、この年になって家を新築して銀行が金貸してくれるから健康でなきゃいけないみたいな事をお話しされたので、凄いなぁとは思ってましたが、チャンネルくららにご出演されたときに、大分お痩せになってたのが若干気になってただけに、身まかられたのは無念だろうと思います。
言論界で凄かったのが左翼の妨害をもろともしなかったのと、ロッキード裁判の本質をかなり早くから見抜いて、それをずっと主張されて、小室直樹先生も似たようなことを言い始めたり、最初はほぼ一人だったのが小室先生たちとともに朝日新聞に対してもしっかりモノをいうようになり、歴史学を専攻していた者として、左翼の歴史観が跋扈していた時に風穴を開けたのは本当に大きな功績だと思いますし、私のいた大学の先生が同じことをやっても、歴史学者ではおそらく説得力もなかったと思います。仮に京都大学名誉教授で私の大学で教えてて、御前講義までされた先生であっても渡部先生みたいな発信力はなかったでしょうね。大河ドラマの時代考証がやっとだとおもいます。門外漢だからこそ説得力があったのでしょう。私は誰かの書いた歴史の本を読むということを原則やらずに、年表と当時の古文書と、付随する解説書的なものをよく見てたりとか、世界史だと、翻訳と年表、解説書が多いのですが、ただ、渡部先生の「ドイツ参謀本部」にはお世話になりました。
渡部先生、小室先生といい類は類を呼ぶという感じで、博覧強記ぶりには驚き数少ない「碩学」と呼べるに値する人だと思いますし、渡部先生は毎日いくつかを暗記する習慣を持ってたみたいですから、だから頭脳明晰でいられたのだろうと思います。
また、渡部先生は山形のご出身ということで、私東北人は戊辰戦争や、会津観光史観、極めつけは東日本大震災以降の動きを見て東北人には嫌悪感をむき出しにしていますが、ただ、山形の人間に関しては売国奴加藤紘一以外は特に嫌いな人はいないどころか、羽州探題の最上家は先祖が斯波氏なので、斯波は織田家の主君だった関係もあると思いますが信長と、最上義光とのやり取りがあり、義光の兜は信長から貰ったもので、鉄砲傷も残ってるくらいのがあり、お家騒動とか内紛とかは凄惨を極めたものの山形を米どころにして、大商人の本間家が出るくらいのところにした素地を作ったりして、独眼竜政宗では最上義光は原田芳雄さんが演じてましたが、あれで好感度が上がりました。加藤紘一の親戚の石原莞爾も生まれたところであり、山形の女の子にもずいぶん世話になりました。「水まま」っていう冷水をご飯にかけて食べるていうのをメシで出されたときはビックリしましたが夏の盛りだったのでうまかった記憶がありますw
もっと探せばいい人はいるでしょうが、渡部先生の損失は測りがたいので、我々が知恵を付けねばならないと痛感しておりますし、何でも知ろうっていう前面に出された姿勢には感服いたします。
まだ身まかるのは早いと思うので、生き返ってほしいです。
確かどこかで、90数歳以上は生きたいとか、この年になって家を新築して銀行が金貸してくれるから健康でなきゃいけないみたいな事をお話しされたので、凄いなぁとは思ってましたが、チャンネルくららにご出演されたときに、大分お痩せになってたのが若干気になってただけに、身まかられたのは無念だろうと思います。
言論界で凄かったのが左翼の妨害をもろともしなかったのと、ロッキード裁判の本質をかなり早くから見抜いて、それをずっと主張されて、小室直樹先生も似たようなことを言い始めたり、最初はほぼ一人だったのが小室先生たちとともに朝日新聞に対してもしっかりモノをいうようになり、歴史学を専攻していた者として、左翼の歴史観が跋扈していた時に風穴を開けたのは本当に大きな功績だと思いますし、私のいた大学の先生が同じことをやっても、歴史学者ではおそらく説得力もなかったと思います。仮に京都大学名誉教授で私の大学で教えてて、御前講義までされた先生であっても渡部先生みたいな発信力はなかったでしょうね。大河ドラマの時代考証がやっとだとおもいます。門外漢だからこそ説得力があったのでしょう。私は誰かの書いた歴史の本を読むということを原則やらずに、年表と当時の古文書と、付随する解説書的なものをよく見てたりとか、世界史だと、翻訳と年表、解説書が多いのですが、ただ、渡部先生の「ドイツ参謀本部」にはお世話になりました。
渡部先生、小室先生といい類は類を呼ぶという感じで、博覧強記ぶりには驚き数少ない「碩学」と呼べるに値する人だと思いますし、渡部先生は毎日いくつかを暗記する習慣を持ってたみたいですから、だから頭脳明晰でいられたのだろうと思います。
また、渡部先生は山形のご出身ということで、私東北人は戊辰戦争や、会津観光史観、極めつけは東日本大震災以降の動きを見て東北人には嫌悪感をむき出しにしていますが、ただ、山形の人間に関しては売国奴加藤紘一以外は特に嫌いな人はいないどころか、羽州探題の最上家は先祖が斯波氏なので、斯波は織田家の主君だった関係もあると思いますが信長と、最上義光とのやり取りがあり、義光の兜は信長から貰ったもので、鉄砲傷も残ってるくらいのがあり、お家騒動とか内紛とかは凄惨を極めたものの山形を米どころにして、大商人の本間家が出るくらいのところにした素地を作ったりして、独眼竜政宗では最上義光は原田芳雄さんが演じてましたが、あれで好感度が上がりました。加藤紘一の親戚の石原莞爾も生まれたところであり、山形の女の子にもずいぶん世話になりました。「水まま」っていう冷水をご飯にかけて食べるていうのをメシで出されたときはビックリしましたが夏の盛りだったのでうまかった記憶がありますw
もっと探せばいい人はいるでしょうが、渡部先生の損失は測りがたいので、我々が知恵を付けねばならないと痛感しておりますし、何でも知ろうっていう前面に出された姿勢には感服いたします。
まだ身まかるのは早いと思うので、生き返ってほしいです。
Posted by やま at 2017年04月20日 04:29
KOBA様
同意です。
>昭和57年の「歴史教科書、侵略→進出誤報事件」の時ですね。
あれは確か日テレの記者の裏どりしない勘違い取材が原因でした。
あのとき渡部昇一氏がいち早く、TVの「世相を斬る」で誤報であったことを世間に公表しなければ、あのまんま何年も放置され既成事実化していた事でしょう。たった一人でも事実は事実と言い切れる姿は立派であり、素晴らしいです。
やま様
同意です。
そうそうロッキード裁判のときに、付和雷同した世間とマスゴミは何が何でも田中角栄は有罪だと決めつけ、名前は失念しましたが女性弁護士で「田中角栄の弁護する者は犯罪者だ!」などと暴言を堂々とマスゴミに吐いたクズを、渡部昇一氏は「法治国家において弁護士という立場の者がいう事ではない!」と毅然と批判していました。確かこの経緯は「萬犬、虚に吠ゆ」という著書にまとめられていたと思います。
小室直樹教授も「知の天才」みたいな人でしたね。
私は多くは読んでいませんが、宗教関係の著書にはお世話になりました。この人もすごいというか、頭がそのまんまコンピューターみたいな人ですわ。まあこういった天才が後進の道を開拓してきたのですね。ホントに残念です。
同意です。
>昭和57年の「歴史教科書、侵略→進出誤報事件」の時ですね。
あれは確か日テレの記者の裏どりしない勘違い取材が原因でした。
あのとき渡部昇一氏がいち早く、TVの「世相を斬る」で誤報であったことを世間に公表しなければ、あのまんま何年も放置され既成事実化していた事でしょう。たった一人でも事実は事実と言い切れる姿は立派であり、素晴らしいです。
やま様
同意です。
そうそうロッキード裁判のときに、付和雷同した世間とマスゴミは何が何でも田中角栄は有罪だと決めつけ、名前は失念しましたが女性弁護士で「田中角栄の弁護する者は犯罪者だ!」などと暴言を堂々とマスゴミに吐いたクズを、渡部昇一氏は「法治国家において弁護士という立場の者がいう事ではない!」と毅然と批判していました。確かこの経緯は「萬犬、虚に吠ゆ」という著書にまとめられていたと思います。
小室直樹教授も「知の天才」みたいな人でしたね。
私は多くは読んでいませんが、宗教関係の著書にはお世話になりました。この人もすごいというか、頭がそのまんまコンピューターみたいな人ですわ。まあこういった天才が後進の道を開拓してきたのですね。ホントに残念です。
Posted by トラネコ
at 2017年04月20日 05:47

名前を失念した女弁護士って、恐らく小沢遼子じゃありませんかね?こいつ、弁護士ではないですが、パヨクで、何かの討論番組で小室直樹さんに足蹴にされたんじゃなかったかな??どこかの地方議員を一時期やってたはずです。
仮に小沢遼子じゃなかったとしてもあの時代も、例にもれず、空気で言論が醸成されてる時期だったので、論理とか学問とか勉強っていうものが不要だと思われても仕方ないですわ。そりゃ、大の大人が感情で発言するなら子供もグレると思いますし、スクールウォーズみたいなことがあってもおかしくないですわ
仮に小沢遼子じゃなかったとしてもあの時代も、例にもれず、空気で言論が醸成されてる時期だったので、論理とか学問とか勉強っていうものが不要だと思われても仕方ないですわ。そりゃ、大の大人が感情で発言するなら子供もグレると思いますし、スクールウォーズみたいなことがあってもおかしくないですわ
Posted by やま at 2017年04月20日 21:50
やま様
その弁護士は確かナントカ真理子と言っていた気がします。
小沢遼子って弁護士だったんですか、知りませんでした。まあ、あんな老害どうでもいいですけどね。
>空気で言論が醸成されてる時期
これって今でもそういう傾向はあると思いますが、ネットの普及でマスゴミに騙されない国民も増えてきたことは事実ですね。でもまあ一般大衆ってのは世界中似たようなものですけどね。
その弁護士は確かナントカ真理子と言っていた気がします。
小沢遼子って弁護士だったんですか、知りませんでした。まあ、あんな老害どうでもいいですけどね。
>空気で言論が醸成されてる時期
これって今でもそういう傾向はあると思いますが、ネットの普及でマスゴミに騙されない国民も増えてきたことは事実ですね。でもまあ一般大衆ってのは世界中似たようなものですけどね。
Posted by トラネコ
at 2017年04月21日 03:33

ああ、そうなんですよ。
なにしろニュース関連からすっかり遠ざかっていたもので、渡部昇一先生の訃報を知ったのは2、3日後だったんです。
こういうとき、情報網がないというのはいけませんわ。
心よりご冥福をお祈りいたします。
あわててネットでニュースを見たら、産経では「勇気ある知の巨人」と見出しをつけていて、まさしくと思いました。
あの当時、保守として発言するという事がどれだけ勇気のいる事だったかと改めて思わされました。
渡部先生といえば、私は皇統についての種と畑の例えですね、なんといっても。
農業国故に「種」を重要だと考え、畑にはこだわらなかったという話に非常に納得したのを覚えてますわ。
「畑」という例えにタジマなんちゃらが怒り狂うのが目に浮かびますがね。
なにしろニュース関連からすっかり遠ざかっていたもので、渡部昇一先生の訃報を知ったのは2、3日後だったんです。
こういうとき、情報網がないというのはいけませんわ。
心よりご冥福をお祈りいたします。
あわててネットでニュースを見たら、産経では「勇気ある知の巨人」と見出しをつけていて、まさしくと思いました。
あの当時、保守として発言するという事がどれだけ勇気のいる事だったかと改めて思わされました。
渡部先生といえば、私は皇統についての種と畑の例えですね、なんといっても。
農業国故に「種」を重要だと考え、畑にはこだわらなかったという話に非常に納得したのを覚えてますわ。
「畑」という例えにタジマなんちゃらが怒り狂うのが目に浮かびますがね。
Posted by きいろ香 at 2017年04月23日 21:56
きいろ香様
同意です。
私も皇室のお世継ぎ問題も最初わからんかったですけど、遺伝子の話で理解しました。渡部先生はどんな難しい話もわかりやすんです。これは頭がいい証拠であると同時に、優れた教育者でもあるんですね。
こういう大学の先生に倣いたかったですわ。
同意です。
私も皇室のお世継ぎ問題も最初わからんかったですけど、遺伝子の話で理解しました。渡部先生はどんな難しい話もわかりやすんです。これは頭がいい証拠であると同時に、優れた教育者でもあるんですね。
こういう大学の先生に倣いたかったですわ。
Posted by トラネコ
at 2017年04月24日 00:11
