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誰もが大学進学する必要ない!

2017年05月15日

東大を辞退して九大を選ぶ貧困家庭の事情
■親孝行なローカルに徹した進学と就職
家庭の貧困のため、東京や大阪の大学には進めず、地元にとどまることを強いられる子どもたちがいる。 親の経済的な負担だけを考えれば、公立小・中・高、そして地元の国公立大に進学するのが一番安上がりだ。 しかも塾、予備校に通わず、学校の勉強だけで進学してくれたら、親の経済的負担は最小限で済む。国立大出身となれば、学歴から考えても申し分ないことだ。

親も子どもを手元に置いておきたい気持ちは強い。これは昔から変わらない。
長子は家を継ぎ、第二子以降は都会に出てもいいという時代があり、今は少子化から一人っ子も少なくなく、そのまま手元に置いておくことになっているとも考えられよう。 就職を考えると地元で公務員になってくれるのが一番かもしれない。

グローバル時代といわれるが、ローカルに徹した進学、就職ということになる。大企業でも破綻する時代だ。地方の高校生には、それが最高のエリートコースと考える向きもあるという。

ただし塾、予備校に通わず難関の国立大学に合格するのは簡単ではない。

経済的に苦しい家庭であれば、受験指導に熱心な私立の高校に特待生で進学するという方法がある。 こうした私立校では、塾、予備校と提携して、受験に特化した授業が行われている。自習室などの設備も整っている。塾に通う必要はなくなるため、経済的な負担は小さい。
<中略>

■子どもが優秀ならさまざまなメリットも
経済的な問題をクリアするためには、どんな方法があるのだろうか。
ひとつは地元の国公立大に進学することだ。しかし受験生の負担は大きい。国公立大の受験では、5教科7科目をしっかり学ばなければならない。

特に首都圏では国公立大の入試は難関だ。そのため首都圏では、受験準備の途中で国公立大から私立大志望に変更する高校生も多い。私立大ならば3教科を勉強するだけで済むからだ。

私立大であっても、成績優秀であれば、給付制奨学金や授業料免除などの仕組みを利用できるため、経済的な負担をおさえることはできる。

なかには、国立大医学部を蹴って、特待生として私立大医学部に進学し、しかも6年間特待生を維持することで、国立大に進学するより安上がりに私立大医学部を卒業した学生もいるという。


成績優秀であれば、学費が無料の大学が選択肢になる。準大学といわれる防衛大学校、海上保安大学校、気象大学校などだ。文科省の管轄ではない、省庁が設置した大学校だ。 入学と同時に国家公務員になり給料や賞与も出るが、寮生活を強いられるなど制約も少なくない。卒業すると、将来の職業も決まってしまう。しかも受験は難関だ。防衛医科大学校の倍率は昨年17.4倍だった。
成績優秀でない場合、通信制や夜間部に進学して学費をおさえるという方法もある。※続く
プレジデント  2017.5.7
http://president.jp/articles/-/21987

<関連エントリ>
数が増えれば価値も下がる、大卒資格の価値の変換へ
http://ryotaroneko.ti-da.net/e6106729.html


誰もが大学進学する必要ない!

            日本最高学府の東京大学
      卒業生には鳩山由紀夫、志位和夫、福島みずほ、岡田克也・・・
      恐ろしく憂愁な人材が輩出して・・・・・・・・・・・と、言われている。

       



この記事にあるように優秀な学生は東大でもどこでも行けばいいし、
経済的に苦しくても奨学金、学生寮、その他の解決策はいくらでもあるだろう。
それに東大蹴って九州大に行ったっていいじゃないか、何か問題でもあるのか?

向学心が旺盛で優秀な高校生は大学に進学すればいい。

しかし大学は義務教育ではないから進学希望者であっても行く義務はない。
行けないのはおかしいのではなく、行かなくてはならない方がおかしいのだ。
誰もが進学したい希望を叶えるのが行政の義務だとは思わない。

それに・・・

 大学進学希望者に入進学する価値と
 向学心が本当にあるのか疑問である。


現在では私の頃の進学率(25%)の二倍以上の6割近い高校生が大学進学し、
大学行って学びたいという意欲も目的もない者が進学する風潮みたいだ。
しかも高校生の基礎学力がないバカが進学することに大いに疑問符だ。

そもそも何故、猫も杓子も大学進学するのか?
昨今のように大学生が方程式はおろか、分数計算もできず、漢字も読めず、
be動詞が何かもわからないバカ学生があふれているのにである。

というか・・・

そのレベルのアホ大学が全国にあふれているのだ。

     
    【あるある】Fランの講義がヤバいwまじでこんな内容なのかよ。。。笑


大学教授と称する者にも知的レベルにかなり疑問符が付くバカもいる。
新聞・テレビの論説委員や御用学者の発言の空虚さやアホらしさ、
この程度の知性・見識で大学教授やってる者が少なくない・・・

まずは偏差値50以下の大学には大学の価値はない。
大学という名の支援学校と解釈すべきである。
私ならそんな大学行くくらいなら高卒で結構である。

そしてハッキリ言うが・・・

  偏差値45以下の大学には、
  政府は私学助成金停止しろ!
  バカ養成大学は潰れろ!


誰もが大学進学する必要ない!

          実際この程度の大学がワンサカあるのだ・・・


猫も杓子も、バカでも●●●でも大学いけるなら、
そりゃあ大学の質が劣化するのは当たりまえだ。
でもなんでそんなアホまで大学行くのか?

私は二つの理由を考えている。
一つは91年の大学設置法基準の大幅緩和で、
雨後の竹の子のように大学が増えたことによるものだ。

文科省の説明では、来るべき国際化社会化に向けて、
日本人の知的、教養レベルを上げる事が目的だというが、
結果的に少子化と大学の増加により、大学の質的レベルが下がり、
大学生の価値のない「バカの粗製乱造工場」になっているのが現状である。

<参考>
大学設置基準の大綱化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E5%9F%BA%E6%BA%96%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B6%B1%E5%8C%96


誰もが大学進学する必要ない!



さらに近年少子化が加速し、私の高校時代の生徒数の6割に減少し、
私の時代の頃の2倍にも増えた雨後の筍大学の中で進学するのだから、
選ばなければ、相当なバカでも大学生になれる時代なのである。


誰もが大学進学する必要ない!

              少子化の推移



しかも学費・渡航費・生活費すべてタダという自民党の外国人留学制度という、
日本人差別のフザケた留学制度を利用してシナ人留学生が激増するも、
少子化の進む中、彼らは大学にとって単なる金蔓に過ぎない。

実際に大学の准教授やってる知人から聞いた話だが、
シナ・朝鮮人留学生の単位・学位認定は日本人よりかなり甘く設定されているそうだ。
理由は言葉のハンディがあるからとか。諸外国の大学でそんな優遇措置はないだろう。

だからシナ人留学生は言葉が不自由でも単位はとれるし、バイトに励む事が出来るのだ。
こいつらの費用を日本人の優秀な学生に回せば、記事の問題は解決するのだが・・・
この売国的留学制度を悪用し犯罪するシナ人もいるのだ。
  ↓
<参考記事>
中国人留学生の窃盗団、日本政府から金貰って泥棒、1000万円の荒稼ぎ。
ホウドウキョク 5/11(木)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170511-00011675-houdouk-soci

誰もが大学進学する必要ない!

      年間250万円もタダで貰い泥棒であら稼ぎのシナ人留学生


とにかく・・・

大学数の増加と少子化という反比例により、大学の経営は厳しい
そこでバカでもアホでも入学させる、シナチョンを入学させる、
一年生から中学の復讐させる、低能でも単位を取りやすくする・・・


ま、いろいろと低能を呼び込む学生募集に必死なのである。

だから・・・

「昨日マニラという国に行ってきましたw」、「日本は独裁国家だwww」など、
偏差値28というありえないアホが、わかった様な顔して政治を語り、
共産党が煽て、バカ新聞が持て囃す異常現象が生まれたのだ。


誰もが大学進学する必要ない!


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        ♪都の西北、早稲田の隣~バカ田、バカ田、バカ田・・・♪



もう一つは戦後のGHQの余計な教育改革のおかげで
複線型進学コースから単線型コースに変わったことである。

戦前に複線型とは、社会階層によってコースがある程度決まっていて、
職業によってコースが社会慣習的に決っていた。現在みたいに、
小中高大と誰もが同じコースを進む様になっていなかったのである。

例えば私の叔父(父の長兄)は尋常小学校からかなり絵が得意だったから、
京都絵画専門学校(現京都芸大)、東京美術学校(現東京芸大)に進んだ。
その後いろいろあって30歳くらいに早逝したが・・・

叔父の画学生時代のデッサンや水彩画を見たことがあるが、
12~14歳の子供が描く絵だとは思えないくらい恐ろしいほどの腕前だった。
そりゃあ中学校段階から専門教育を受けているのだから当然かも知れない。

現代は「天才が生まれない時代」というのがわかるな・・・


誰もが大学進学する必要ない!




次男の叔父は尋常小学校から商業専門学校に進学し稼業を継いだ。
父は兄弟で唯一中学校に進学し、大学予科にいって大学進学したが、
中途退学して新聞記者(東京日日新聞・現毎日新聞)になった。

同じ兄弟でもこのようにいろんな進学コースがあったのである。
しかし日教組などは複線型教育コースを差別的だという。
社会階層や職業により進路が限定されるからだという。

しかしそうだろうか?

戦前は進学に関しても個人の希望より家庭の事情の方が大きかったから、
そこに進路の選択肢の幅が限定される傾向は確かにあったが、
私の父みたいに職人の家庭の子供でも大学進学できたのである。

戦前でも法的、社会的に進路が絶対的に決定されて訳ではないのだ。
だから農業や商業などの家庭からも、親と家庭の事情が許すならば、
優秀な者は大学に行けたのである。まあ今とは時代も社会もが違うわな。

私なら叔父のように小学校出てから美術の専門教育受けれるなら、
むしろ複線型コースの方が現行の単線型より、私にとっては遥かによい。
選択肢が多いのはそれだけ個々人の個性に対応しているといえるだろう。


誰もが大学進学する必要ない!

               複線型教育コース



私は思うのだが・・・

戦後の平等を謳う単線型教育コースが、
ネコも杓子も学問の適正すらない者までもが、
進学しなければならない様な誤った風潮を作ったのだ。


単線型には教育の機会均等は実現できるが、
進路の自由な選択肢が少なく強制的に一律の教育を受けさせられる。
勉強の嫌いな私みたいな糞ガキには苦痛でしかない。

しかも学力差も考慮しない一斉教育だから落ちこぼれは自動的に生産される
勉強できる子は塾でさらに伸ばし、嫌いな子は益々落ちこぼれるのが単線型だ。
学級崩壊も授業崩壊も単線型コースに一因があると思うけどね。

ちなみにヨーロッパの学校制度は複線型を今でも採用している。
戦前からの日本の教育体系も、一度見直した方がいいんじゃないかな。
現代に復活させる複線型は、個々人の個性を大切にできると思うんだがな。

単線型も複線型も一長一短ありとは思う。
まあ平等と自由は両立しない概念だということだな・・・
個人的には平等より自由重視だけどね!


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Posted by トラネコ at 00:00│Comments(19)社会
この記事へのコメント
私的に、学校ってもの自体が明治の制度疲労だと思ってまして、大東亜戦争で結論が出たのであります。明治の教育って確かにあの時代には必要だった面があると思いますが、近代教育って、融通が利かないから、硬直化して柔軟な対応がそこまでできなくなってしまってるので、今の時代となっては、バカを作る装置で、子供の可能性を摘み取ってしまう害悪なものだと思ってます。理想としては、薩摩の郷中教育とか、長州藩みたいなのがいいかもしれません。

私も現代教育の犠牲者のようなもので、私は小2で歴史に目覚めたのですが、学校で歴史教えるのが小6で、しかもその間社会含めどの教科でも歴史を扱わない。親が学校のいうこと以外は快く思わないのと、そういうのが好きじゃないので、家に歴史の本が殆どなくて、広辞苑と数冊ある歴史の漫画で、しかも全巻揃ってないのを見たり、大河ドラマとか夢中で見てたくらいです、あとは学校の図書館でせっせと見てたりだったりで、実際小6のときの歴史の授業を受けたとき、教科書の内容が、単語が細切れで脈絡のない書き方で変な固有名詞があっちこっち行ってたりだったので、つまらなかったですし、歴史も含めて、教科書がつまらないのと、文脈関係なく意味不明な固有名詞だけ覚えさせるので、歴史は私個人は苦にならなかったとしても、他の教科は苦労しましたし、教科書の質が悪すぎます。例えば応仁の乱の説明だって、なんで家督争いが起きたんだとか、足利義政は例えればシナからカネを巻き上げる鳩山由紀夫を想像させるとか、東軍の細川と西軍の山名は姻戚関係だったとか、畠山氏の内紛とか、畠山義就は戦キチとか、説明の仕方がうまければこんな面白い時代はないのに、学校の教科書ではただあっちこっち敵味方が行ったり来たりでわけわからなくなるのが落ちです、当時の将軍義政は守護大名の屋敷に行って接待受けるのが仕事で、胃がもたれそうな料理食うのが嫌だけど、寺に行ったときに出される「お斎」が好物でそれがもとで日本料理が進歩したとか。畠山氏を見ないと日本史は理解できないですし、自民党派閥政治理解しようと思ったら応仁の乱は理解しておいたほうがいいですし、美術だって、教科書に書いてある固有名詞をただ覚えたって、そんなのでは子供には理解できません。情操教育からしてすでにできてないですから、そういうのも込みで学校はいらないのであります。スムーズにホームスクールとか、ぶっちゃけ10歳前後にはもう働いたりしたほうがいいと思いますけどね。12歳で海軍入りましたとか。伝統芸能とか3歳でデビューとかありますもんね。昔のニシン漁とか、地元の子供も総出でやったから、入学式が一か月遅れてやったりとかだったみたいで、子供なのに、今の価値に換算して月に300万ほど稼いでたみたいですもんね。

大学は、面白い話を最近聞いて、全国の大学の名前は東京大学にするのがいい。みたいな話を聞いました。
Posted by やま at 2017年05月15日 03:33
大学が増えすぎなのは事実ですね。というか、そんなに大学増やすなら研究所を増やして人材育成してほしいです。それ関連してもうすこし、理系の話を分かり易く広める方法を見つけて欲しいですね。「学会で発表しましたハイ終わり」では何をやっているのか、どこまで進んでいるのか科学とは何なのかが。さっぱり国民には伝わってきませんから。
最近、メタンハイドレードの本を読んで少しずつ進んでいるのが分かり、未来には日本国自前資源が来るかもなあ。と胸躍る気持ちでした、また、自前の資源が取れるだけで「外交」にも影響を与えると再確認も出来ました。こういう情報が科学を知らない人にも伝われば日本が少しでも良い方向に向かうと思いますねえ。

複線型が差別と日教組が言うのはかまわないですけど、だったら今現在高校・大学で、理系文系に分けているのも差別になるのでないでしょうか。それこそ理系文系分けずにの方が差別じゃないと思いますけどねえ。
Posted by おしょう at 2017年05月15日 08:03
やま様
同意です。
>歴史も含めて、教科書がつまらないのと、文脈関係なく意味不明な・・・
わかります。
基本的に縄文時代含めても1万2千年以上、皇統の歴史でも2千数百年もある国の歴史をたった一年で教えるという事に無理があります。隣の土人国のナンチャッテ捏造史でさえ、3年かけて教えるそうですよね。高々二百何十年の、日本史でいえば江戸時代くらいしかないアメリカ史でさえ、数年かけて教えるそうです。日本も小学校一年から6年まで古事記など神話から「国史」として教えればいいと思いますね。



おしょう様
同意です。
私は理系と経済学の話はまったくわかりません(笑)
メタンハイドレートって次世代の新エネルギーと注目されている資源で、日本近海には無尽蔵にあるそうですね。石油石炭などの化石燃料は大気汚染の原因ですし、発電所や自動車などに利用できるクリーンエネルギー開発できれば、石油の時と同じく一大エネルギー革命になるでしょう。そういう意味で理系に資金投資して研究推進してほしいと思います。しかし隣の国がアレですからね、公害被害がモロ日本に来ますし、列島ごと引っ越しできる発明って出来ないものかな・・・w
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月15日 09:35
私も工学系大学まで行かせてもらいながらスキルを生かせず・・・いや勉強しなかった部類です。
大学は数が増えすぎましたね。最近では「サイバー大学」とか社会人大学生とか。森友学園でも私立なのに国や自治体から金貰ってる。つまり公立・私立学校は設置では国の審査を受けないといけないのはしょうがないとして、運営に金貰わなければやって行けない。これでは私立の独立性だけでなく教育機関の独立性は保てない事が大きな問題。経済・経営学部がある大学で経営難ってジョークが。
 工学部に居る時思ったのが、「建築や電気科などあるんだから新しい建物作る時自前で出来んのかいな?」

 戦前の大学は学生が建てたとか作ったとか設計した話が良くある。かなり優秀だったんですね。明治時代の『琵琶湖疏水』の話があり興味深く車を止めて聞きました。
 以前から琵琶湖の開発はあったが何度も反対で立ち消えしたが北垣京都知事の働き掛けで動きが取れる様になったそうですが、その工事監督が東大出たばかりの田辺氏。卒業研究で「琵琶湖疏水工事の計画」を書いて海外の雑誌に掲載し賞を取る。という訳で工事責任者に決まるが琵琶湖周辺は手つかずの原生。機材持ち込みも馬車と徒歩。そんな状態でも完成させ西陣織の機械化と日本初・アジア初の電車が京都で走る電力を供給。任せた知事も凄いケド完成させた田辺さんもスゴイ。まあ現在ではゼネコンや利権で無理です。

韓国では
「東京よりソウルの方が先に電車が走っていた。アジア発ニダー」
と言っていたが京都が先でした(笑)
https://ameblo.jp/newnoboru/entry-12026212300.html
Posted by 朝鮮とは距離を取ります at 2017年05月15日 09:50
朝鮮とは距離を取ります様
同意です。
>これでは私立の独立性だけでなく教育機関の独立性は保てない事が大きな問題
現実に私立で助成金貰ってない学校ってないでしょ?
という事は、国から金貰って経営している私立の独立性なんてないんですよ。
学問の独立性って言いますけど、これを建て前にして大学はどんどん左傾化していきました。今ではシナチョン教授も増えており、学生不足をシナ人で補い、大学で日本人がシナチョンの思想汚染されるんじゃないかという危機感もありますね。

>戦前の大学は学生が建てたとか作ったとか設計した話が良くある
へえ、そうなんですか。
しかし戦前の大学生はエリート中のエリートで超が三つくらいつくえり抜きでしたからね。大学行く人ってコンマ以下だったんですよ。まあそう考えると学生さんでも設計・施工までできたでしょうねえ。まさか分数わかんねーってのはいませんでしたし・・・
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月15日 14:44
正直言ってみんな「大学」行き過ぎですね。今の日本は。
そこまで向学心があり、「目的意識」があって進学するのなら良いのですが。
「Fラン」大学では行く意味ありませんし、大学で高校の「おさらい」をするに至っては何をかいわんやです。
ましてや「奨学金漬け」になってしまうのなら尚更です。
奨学金のために「ブラックバイト」に手を出さざるを得ず、若くして「多重債務者」「奨学金破産」に陥ってしまう人も少なくありません。

「給付型奨学金」がついにスタートし、「教育無償化」も改憲の論点になっています。
が、そこまで「奨学金地獄」に陥らせ、または「タダ学」「安学」までにさせて大学に進ませて、果たして彼らにとってプラスになるのでしょうか。。。

「返済不要の奨学金」だの「教育無償化」は、財源はどこから出るのでしょうか。。。。
こういうものも決して「慈善事業」「ボランティア」ではありませんし、少なからぬ費用が掛かると思います。
いずれいつかは「増税」と言う形で跳ね返ると思いますが、そうなったら「返済不要の奨学金」だの「教育無償化」を主張している人たちは必ず文句言うでしょうね。

さらに言えば、みんながこれだけ大学に行きたがるのも、「大卒」という資格に「ブランド」があるからでしょう。
それでも、「中卒・高卒でも決して恥ずかしくない」という認識が日本に少しでも広がれば少しは変わると思います。
Posted by 成田あいる at 2017年05月15日 21:12
>基本的に縄文時代含めても1万2千年以上

山鹿素行先生にかかれば、200万年の歴史がありますから、それを小学校はたった一年で教えるっていうんだから、訳が分からなくなります。

歴史は長いですから、国語と一緒にしたり、哲学の話が出てきたら数学の話と一緒にしたり、原爆の話が出てきたら相対性理論を一緒に歴史の時間に教えるとかすれば時間も省けるのにって思うこともあります。

そもそも、芸事を稼業にしてる人や、職人、料理の世界、何かの家元とかの人とは、大学はもとより学校なんか行ってる時間勿体ないです。あんなところで、画一化された教育されてしまうと、感性がダメになりそうな気がしますし、薄暗い教室でず~っと均一化されてしまうと、既製品と変わらない価値しか出てこなさそうな気がします。学校の教育なんてブロイラー製造機と何ら変わりません。

そもそも帝国大学含めて大学の役割が第二次世界大戦の結果、使命を終えたので、私がいつも言ってるように、国立国会図書館と大学が合併して、働きながら研究機関へ通って、考古学の分野では学生だけど、化学では教鞭をとるっていう感じのほうがいいと思います。そうすればC14炭素半減期の測定法とかでも制度がさらに増すでしょうし、律令制は別の人に教えを乞うても、米英法では教鞭をとる立場とかにしたほうがいいと思います。

戦前、総力戦研究所が、若干学校みたいな機能を有してて、日本が戦争に負けるっていう結論だした成果を出してるくらいで、軍学校だって、陸軍大学校も山県有朋亡き後は徹底して長州閥の排除とかしてて、学校が派閥抗争の場所に成り下がってしまった例もあり、軍人が政治を理解できなかったのと、兵站を軽視してしまった失敗もあるので、軍学校に関しても、たぶん秀吉の主計将校長束正家、小牧・長久手の時の秀吉の器用な負け方、尼子と毛利の関係とかみたいな戦い方を教えられるように、軍学校ではなく松下村塾みたいな感じで兵学を教えたほうがいいかもしれませんね。畠山義就とか多分まともに教えてないでしょうし。知り合いの自衛官が畠山義就のことは、名前程度ってくらいですからね

室町時代の叡山延暦寺とかは、東大と住友不動産と山口組と山賊と道路公団が一緒になったようなもんですから、足利学校があったにせよ、学問を修める場所を大学に限るとかしないで、そもそも何かを知るという行為に対して、アレコレ箔を付け出すからFランク大学カタカナ学部、横文字学科みたいなのが出来ちゃうのであります。それこそ、松下村塾とか適塾みたいなのは理想的です。

学歴に箔をつける風潮はやめて、読み書きそろばんで充分であります。中世近世の日本人はカトリックの矛盾を指摘できるだけの知的水準はあったわけですし。
Posted by やま at 2017年05月15日 22:10
現代の学校教育では、教育者(教師など)も、教育政策を執り行う政治家や官僚も、何がしたい(どんな人物を作りたい)のか、はっきりとしないようなところがありますね。学校の行事だとか、教科の勉強等を見ても、目的がはっきりしないところがありますし、受験などをしようと思えば、学校の勉強だけでは、授業レベル的にとても足りない為、必然的に塾・予備校に通わなければならなくなるという、悪循環がありますね(中学校以上の教育は、ほぼ「進学(受験)」が目的になっているようなところがありますね)。

実際、国立・私立学校出身者と公立学校出身者とでは、「学力」や「学問」に対する意識の乖離が激し過ぎますし、同じ大学卒でも、「レベル」が違いすぎると思います。

偏差値50未満なんて、本気で受験する気があるわけでもない人でも受けるような模試であっても、「全国平均(高卒程度)」にも届いていないわけですから、高卒の学力すらあるのかどうか怪しいレベルですし、全て取り壊しでも構わないでしょう。定員割れしているようなところなど、支那人留学生で現状維持しているようなものですからね。

肝心の「学問」とか「仕事」を考える機会なんて、ほぼ無いような気がするのですが、こんな状態で、学校を卒業したら、即「働く」というのは、無理があるというか、「社会的乖離」が激しすぎるような気がします。

目的がよく分からない(敢て目的があるとすれば、学歴を身に付ける為に行く)学校教育全体を見直さなければ、人生で一番重要な時期である、幼少、少年時代を無為徒食に生きるだけで、社会で役にも立たない能力しか身に付かずに、ベルトコンベア式に卒業させられ、社会という荒波、荒野に放り出されるだけでは、示しがつかないと思いますね。

「生きていく力」を身に付けさせるような機会が無いような気がしますね。地域社会も崩壊し、子供たちは学校という狭いコミュニティに閉じ込められ、大人社会との交流がほとんどない現状では、そんな力を身に付けるような機会(仕事というものに対する意識改革)ができるような気がしません。

正直、大学進学前提の学校教育よりも、職業意識を養えるような教育、豊かな精神を身に付けさせるために行う情操教育、人格者やリーダーシップを発揮できるような機会を多く設けるべきだと思いますね。

江戸時代以前までは、学問だとか、芸術家(僧侶)なども結構身近な人だったというか、庶民にも開いていたところがありましたし、庶民であってもそういった道に入ろうと思えば、誰でも入る事が結構容易だったようですが、現代では遠く離れた世界というような感じで、むしろ「異世界人」みたいに感じている人の方が多いような気がしますね。

現代社会では、「その道」で活躍している人と、初等中等教育の段階で接する機会自体が少なくなっていますから、子供達の「職業意識」を養うのは結構難しいような気がしますね。

戦前の、明治以来の「富国強兵」だとか、「殖産興業中心」の「技術立国」という側面から一転して、戦後は産業社会を担う「労働者(サラリーマン、公務員)教育」みたいになってしまいましたから、現在の学校教育を見直すならば、「情操教育」と「職業意識」に対する改革を前提とした「教育政策」が必要になるような気がしますね。

この辺りは、国が主導して行うべきだと思いますね。
Posted by 西 at 2017年05月15日 23:27
「書棚」に教養本を陳列していたような家庭や、小学校や中学校にいた、所謂「(良い意味での)変人」も珍しくなってきた以上、芸術家肌を持った人だとか、正真正銘の学者肌の人物などは「稀少」になってきたと思いますね。

戦前までは、そういった類の人々がかなり多くいたような気がするのですが、現代人に少ないのは、「情操教育」が欠けているようなところが大きいのかもしれませんね。

就職するだけならば、尋常小学校程度の学歴(中退も可)でしたし、官僚や学者(大学教授)などを除けば、普通に就職できましたから、むしろ、そっちの方が一般的でしたね。

田中角栄や松下幸之助などは、小学校程度の学歴であっても、極めて優秀でしたから、戦前は初等教育や家庭教育の水準が相当高かったのだろうと思いますね。

地域社会の結びつきも強かったようで、子供も「仕事」を意識して生活していたと思います。

戦前までは中学校や高等女学校以上に進学するような人は、受験がありましたが、中学校(高等女学校)進学者は大学進学が前提でしたから、教師や、学者、官僚、士官、一部特殊職業になるような人でもない限りは、進学する方が珍しかったくらいですからね。それでも、受験は結構難しかったみたいですが。ただ、女子の方は進学しても、「結婚」で中退する人も多かったみたいですね。

戦前のナンバースクール(旧制高校)などは、誰がノーベル賞を取ってもおかしくない、どの分野に行っても「優秀な指導者」になり得るという、極めて優秀な学生が多く集まってきていたのですから、現在の「名ばかり大学生」なんかとはえらい違いですね。現在の偏差値80以上の学生がうじゃうじゃいたのだ、と思えば相違ないと思いますね。

そうやって考えると、大学以外にも専門学校のようなものを作った方が良いように思えますね。ナンバースクールみたいなものがあった方が良いかどうかはよく分かりませんが、大学進学ばかりが全てではないというのは事実ですからね。

実際、戦前でも、東京帝大卒でも、企業経営に失敗している人は多かったようですから、仕事と学歴は別というのは事実だと思いますね。

だから、この辺りの事を、大学進学などを考えている中高生等には教えるべきだと思いますね。

大学で人生が変わった人など、戦前でも、現代でも少ないような気がしますね。むしろ、初等中等教育の方が重要だと思いますね。

大学進学(東大進学)しても、人生で成功するというわけではない、むしろ、大学以上に、小中高の時期に学ぶ事が、人生で最も大切な事であるという「事実」を忘れている人が多すぎると思いますね。
Posted by 西 at 2017年05月15日 23:47
 大学が多すぎると生徒の学力低下だけでなく、教授の質的低下も閉口して問題になるのでは?ただでさえ大学がパヨク教授の巣窟になっているのに、徒に学校が増えればそれだけパヨク教授の増殖を招いて日本の教育界にとって害悪の結果しか生まないのは火を見るより明らかでしょう。
Posted by KOBA at 2017年05月16日 03:51
なんか自分の内側から湧き上がる想像力とか情緒、愛着、こだわりに基づいてキャリアを歩んでいる人が少なすぎる。やらされているからやっていたり、高学歴・名門企業=プライドというどこかで受けた刷り込み(主に母親)だったり、訳の分からぬ世間体(ホントにそれ正しいの?みたいなルール)であったりに従うだけで。
だから空しいですよ。そして、その刷り込みや常識に従うゾンビばかりで、他人にもそれを強要する。空しくて淋しいから仲間が欲しい。2chみてごらんなさい。そこそこの地位のあることが確実視される人(商社マンとか)が、「自分がいかに出来る人間か」と喧嘩をしている。まあ大昔でもあっただろうけど、自動機械のようにプライドにしがみ付いている傾向は今のが強いでしょう。生きづらさってそれ。簡単に自殺するのも、プライドの源泉がそれ(教授であること・大企業メンバーであること)しかないから、それが切れたら空になってしまう。そんな時に、教養の権威の美味とかじゃなくて、自分が好きだからという自発性でもって、戦国時代の合戦のただなかを想像できる人や詩を読んでリラックスできる人とかが生き残るでしょう。

駄目な人が、住宅ローンを組み、大企業とかに居座る。いや、大学教授として居座る。ヘタをすると社内政治などで優位に立ち、上に立ってしまうこともある。科学論文とかスポーツなどの評価が中立的な世界では、「実力不相応者」の出世は難しいとしても、確率的にダメな人がのし上がる危険性が出てくる。だからそんな中立じゃない競争ならどうなるのって。その確率大ありでしょう。のし上がると、その人たちが評価をし始める。面接官だとか、採点者だとか。その人たちを「粛清」できるかというと、安定性の問題から、全員ばっさばっさというのは実は難しい。一気に首に仮にしたとしたら、銀行の不良債権も十兆単位で増えるでしょうし。他に、その人たちの息子はどうなるのだとか。でも、ダメな人はダメな人。
だから地獄が始まるのは、今からかもしれません。
Posted by 東山 at 2017年05月16日 07:47
成田あいる様
同意です。
>「給付型奨学金」がついにスタートし、「教育無償化」も改憲の論点になっています。
個人的には反対ですが、シナ人や不逞外人にくれてやるなら日本人に奨学金を上げて欲しいです。しかしそれも一定以上の学力保持者と、一定以上の偏差値の大学に限定しないといけません。バカにやってもムダですからね。

>「大卒」という資格に「ブランド」があるからでしょう。
いやあ、それはどうでしょうか。
まあ個々人の価値観は違いますが、「雨後の筍大学」が乱立した事により、大学の序列化がさらに進み、ご指摘のFランク大学などバカにされるだけでしょう。一流企業では出身校で切られ書類選考で落とされるといいます。やはり仰る通り、中高卒でも十分社会に通用する教育は必要でしょうね。



やま様
同意です。
>歴史は長いですから、国語と一緒にしたり、
 哲学の話が出てきたら数学の話と一緒にしたり・・・
これは大賛成ですね。
歴史は人類の壮大な物語ですから、教育でも単に時系列的な話ではなく、ドラマとして面白いと感じさせるのが歴史教育の醍醐味ですね。

>そもそも、芸事を稼業にしてる人や、職人、料理の世界、
 何かの家元とかの人とは大学はもとより学校なんか
 行ってる時間勿体ないです。
若干異論在り。
学校というのは、単に学問的学習の習得の場ではないでしょう。
やはり集団生活を通じて社会性や社会のルール、人間関係の処し方を学ぶ場所でもあります。ドイツ辺りはバイオリンとかスポーツ関係で優れた人材には、普通教育免除して家庭教師の教育と進級テストで卒業資格与えていますが、専門技術は身に着け借る事は出来ますが、社会性や人格形成にはどうでしょうか?

>それこそ、松下村塾とか適塾みたいなのは理想的です。
元もと私立大学の出発点は塾でしたよね。
慶応義塾、津田英語塾など創始者の教育精神が少数精鋭の塾で生かされていました。まあこれが巨大化すてば、そんなものは形骸化するのもまた世の常です。初心に帰るのもいいですが、まあ時代の流れ、無理でしょうね・・・


西様
同意です。
そもそも高校レベルの学力がないのに、進学できる大学があることがおかしいのです。もちろん高校の学習が100%とはいわないまでも、せめて6割~7割は習得した者が進学できるシステムでは、大学の価値がありません。しかし少子化傾向を無視した文科行政が、結果的に日本の大学の質を下げてしまった事は事実でしょう。

個人的には義務教育終えれば、全員一度社会に出て労働させるというのがいいかと思います。働く中で自分の適性を見つけることも可能でしょうし、また学問や何かの技術を身に着けたい人は、学校に戻ればいいのです。

また昔エントリしましたが、ご指摘の専門学校ですが、これを高校にするというのも一案です。現在は普通科が殆どで、商業、工業、農業、水産業の職業高校に若干の芸術系、スポーツ系が入りますが、さらに専門学校にある調理、理美容、大工・左官・・・などの職人的な技術学校が高校としてあってもいいでしょう。言いたいことは選択肢の広さと多様性ですね。

戦後の「悪平等主義」は今考えなおし、もっと自由な幅広い教育があっていいと思います。


KOBA様
同意です。
その事は上に指摘した通りです。
さらに朝鮮人やシナ人の反日教師が増えているのも問題です。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月16日 08:13
東山様(素人推論です様)
HN変えたりしないで結構です。
仰りたいことがわかりません。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月16日 08:17
トラネコ様
>列島ごと引っ越しできる発明って出来ないものかな・・・w

これ出来たら最高ですよね~
もう隣国の悩みは全部取り除かれますから。まあ、不可能ですけど・・・私は「アンチ朝鮮・支那バリア」出来ないものかなあと。人だけでなく汚染物質も含めて朝鮮・支那全部を受け付けないバリアが出来たら・・・
北方領土・竹島を取り戻して色丹島・竹島・沖ノ鳥島・南鳥島・与那国島と日本を覆うようにバリアを張りたいですねえ。遺伝子研究で出来ないかなあ。
Posted by おしょう at 2017年05月16日 14:41
>やはり集団生活を通じて社会性や社会のルール、人間関係の処し方を学ぶ場所でもあります。。ドイツ辺りはバイオリンとかスポーツ関係で優れた人材には、普通教育免除して家庭教師の教育と進級テストで卒業資格与えていますが、専門技術は身に着け借る事は出来ますが、社会性や人格形成にはどうでしょうか?

何度かお話したことがありますが、社会のルール、人間形成も職人の世界、もはや一般社会に出した方が遥かに身をもって学ぶことができると思います、秩序が乱れていたら女性が気軽にどこへでも行けた江戸時代のこと説明つきませんからね、それこそ、だらしな中年太りの加齢臭プンプンの衣服のTPOも弁えない、品の欠片も無いやつが教師でございと、大した知識もなくただコネで教師になったやつが上から目線で謙虚さを訓垂れたところで、誰がそんな奴の話に耳を傾けましょうか。それに少し問題があれば、生徒をつるし上げて延々と自己批判させる。共産主義のやり方まんまじゃありませんか、そんな汚いおやじ教師、BBA教師をみて、悪い部分をまねされて将来加齢臭おやじや、しみったれた女になってほしくないですもんね。

幼いうちからビジネスマン、官僚、銀行の貸付担当とかを見てた方が遥かに役立ちます。社会人は身だしなみをキッチリしないと付け込まれることもあります。絶対数から言って出会う人の数、同じ業界の人とだけ出会うわけじゃないですし、極論から言えば、自分の身一つで勝負する水商売の世界のほうが学校行くよりも遥かに役立ちます。そこそこのスナックのママでもそれなりに教養は求められます。学校では想像しようのない空虚な机の上の話と、せいぜい社会見学で終わってしまいますから見る世界が全然違います。学びの場を学校という体裁を整える意味がないと思います。それ故Fラン大学が跋扈しまくってるのでしょう。教授だってFランだから、己の学説以前に研究活動をしない。学生と戯れてる空虚な連中が蔓延るのです。ぶっちゃけ、読み書きそろばんができればいいわけで、どこでそれを学ぼうが、知ればいいわけです。
Posted by やま at 2017年05月16日 19:58
抑々大学とは、「エリート養成機関」「研究機関」であり、「バカに箔を付ける場所」ではないはずです。天下り先欲しさに、大学を増設する文科官僚と、身の程を弁えぬバカ、需要と供給のバランスはよくとれてます。
Posted by NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥 at 2017年05月16日 22:54
おしょう様
同意です。
私、むかしこんな事書いたことあります。
科学者が朝鮮人の遺伝子のみに感染し、死亡させる細菌兵器を開発しないかと・・・。まあそれが可能なら既に開発されているでしょうけどね(笑)


やま様
まあ企業も礼儀や躾に関しては学校にも家庭にも期待していないですからね。昨今のように学級・家庭崩壊している状況では仕方ないですね。


NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥様
同意です。
ここで一度立ち止まって、大学の存在意義を官民ともに考える必要がありそうです。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月17日 01:31
文学で俵万智さん、夏木静子さんが在学中にデビューしたり、堀江隆文氏が東大在学中インターネットに触れてHP制作会社オンザエッジ(崖っぷち)つくり起業、後のライブドアになってます。
 昔の大学は行く人少なかったからエリート中のエリートだったと思います。今でも少ないですが優秀な人は居るんですね。
 (風雲児とか型破りとか言われるんでしょう)

 大学で教職課程を選択してたのですが、当時教師の過酷な労働とモンスターペアレント、体罰とか話題になってた頃でした。教員採用試験で集団討議してたけど、出て来る言葉が教育雑誌そのままので自分の生きた言葉が出て来なかった。私は道場で子供たちを指導(と言うか遊ばれてた)経験から発言するとまあ、熱心な奴から反発喰らうわ(笑)

 最近では北欧系の国々の教育が注目されてます。スウェーデンがOECDでトップ。人口が少なく産業規模小さく、少子高齢化が進む中で国民が財産なので育成する教師を育てるプロジェクトが推進されて結果出しています。
 人口と予算規模が違う日本がそのまま導入するのは難しいですが、子供たちを育成する教師を育成すると言う考え方は、明治の教育者福沢諭吉氏の考え方に通じると思います。
Posted by 朝鮮とは距離を取ります at 2017年05月18日 11:05
朝鮮とは距離を取ります様
同意です。
まあ型破りな人減は規定のコースの枠内に収まらないでしょう。
そういう人間が生まれる教育システムということでも、現代版複線コースを検討してほしいものですね。
Posted by トラネコトラネコ at 2017年05月18日 11:21
 
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