聖書は神の言葉か?
2010年04月14日
先日私のデッサンクラスに来ている小学校の補助教員から、
宗教論議を持ちかけられた。論議というよりたまたまキリスト教のカトリックから、
プロテスタント各派の考え方、さらに仏教とはいかなるものか?という話だ。
私は一応、宗教に関心があり、付け焼刃の知識も多少は持っているが、
宗教の話となると、日本語ですら結構難しく言葉を選ぶのに苦労する。
ましてやスペイン語なら言葉を選ぶどころか、言葉を知らないときている。
彼女はカトリック信者ではなく福音派のクリスチャンである。
スペイン語ではエバンヘリコと呼ばれ、教会もカトリックとは別である。
また福音派は聖書を絶対視し、すべて神の言葉であり一切の誤謬はないとする。
これは現在アメリカの原理主義者も同じことを言っている。
私はそう思わない。
それで聖書は神の直接の「お言葉」ということへの疑問を述べたい。
聖書が「神の言葉」といっても、
所詮は人間が書いたものである。
神の言葉を当時のすべての人々が、その「肉声?」を聞いた訳ではあるまい。
いまでも沖縄のユタや恐山のイタコ、新興宗教にも「神の声」を聞く教祖がいるが、
神の声を聞けるのは、すべて霊能者か神の許しを得た特定の人間である。
我々庶民すべてが「神の声」など聞けるわけがない。
とくに私のような不信心者など、神の声など到底聞けるものではない。
またそれを「神の声」と感じ、そう解釈するのも聞いた本人であって、
何をもってそれが「神の声」なのかは、本人の主観的判断でしかない。
そうすると・・・
まず「神の言葉なるものを聞いた人」がいて、その人にそれを取材する記者がいたはずだ。
そしてそれらの「言葉」をまとめたり、構成する編集者がいたはずだ。
さらに編集されたものを公正し製本する作業をする人もいたはずだ。
しかも聖書は旧約・新約ともそれぞれ内容の成立時期も場所もばらばらである。
尚更のこと、伝聞情報になったものを取材・編集する作業は絶対不可欠である。
いわば出版社と同じ作業工程が聖書を生み出すまでにあったはずである。
新約聖書の各福音書は4人の弟子の口を通しているから、まず弟子の主観が入る。
それに加え上のような過程を経れば、当然、神の声は人の言葉に変化する。
つまり聖書を作本するにあたって複数の関係者が話し合い、検討しあい、
協力しながら一冊の聖書という本を制作していったということがわかる。
すなわち聖書には、人間の手作業と主観が随所にちりばめられているのだ。
だから神の言葉といってもその製作過程から、
相当いろんな人々の主観的フィルターを通じて、
言葉そのものが変化しているはずだ。
さらに言語の時代的変化と他言語への翻訳の問題がある。
旧約聖書は一番初めに書かれた言語がヘブライ語とアラム語だという。
ヘブライ語は現在のイスラエル語に当たるが、当然現代とは異なる古代ヘブライ語である。
それが後の新約聖書のギリシャ語からラテン語、そしてスペイン語やフランス語や、
ドイツ語、英語、さらにはアジアのシナ語や日本語などに翻訳されてきた。
つまり言語の時代的な経年変化とその翻訳過程においてすら、
多くの人々の思考回路と主観的解釈を経由しており、
また各言語間においても該当単語の有無もあったり、意味上のニュアンスの違いもある。
果たして日本語の聖書のある言葉の意味が、原典の古代ヘブライ語の該当単語と、
全くおなじ意味あるいは、ニュアンスかどうかもわからない。
聖書とは数千年に渡って数億人の思考回路を経た、
「壮大な伝言ゲーム」みたいなものである。
・・・と、私は考えている。
これは仏教の経典においても同じことが言えるだろう。
すべてが仏陀の直接の言葉かどうかなんてわかるわけがないのだ。
<参考>
「自由主義神学」http://ryotaroneko.ti-da.net/e2133389.html
宗教論議を持ちかけられた。論議というよりたまたまキリスト教のカトリックから、
プロテスタント各派の考え方、さらに仏教とはいかなるものか?という話だ。
私は一応、宗教に関心があり、付け焼刃の知識も多少は持っているが、
宗教の話となると、日本語ですら結構難しく言葉を選ぶのに苦労する。
ましてやスペイン語なら言葉を選ぶどころか、言葉を知らないときている。
彼女はカトリック信者ではなく福音派のクリスチャンである。
スペイン語ではエバンヘリコと呼ばれ、教会もカトリックとは別である。
また福音派は聖書を絶対視し、すべて神の言葉であり一切の誤謬はないとする。
これは現在アメリカの原理主義者も同じことを言っている。
私はそう思わない。
それで聖書は神の直接の「お言葉」ということへの疑問を述べたい。
聖書が「神の言葉」といっても、
所詮は人間が書いたものである。
神の言葉を当時のすべての人々が、その「肉声?」を聞いた訳ではあるまい。
いまでも沖縄のユタや恐山のイタコ、新興宗教にも「神の声」を聞く教祖がいるが、
神の声を聞けるのは、すべて霊能者か神の許しを得た特定の人間である。
我々庶民すべてが「神の声」など聞けるわけがない。
とくに私のような不信心者など、神の声など到底聞けるものではない。
またそれを「神の声」と感じ、そう解釈するのも聞いた本人であって、
何をもってそれが「神の声」なのかは、本人の主観的判断でしかない。
そうすると・・・
まず「神の言葉なるものを聞いた人」がいて、その人にそれを取材する記者がいたはずだ。
そしてそれらの「言葉」をまとめたり、構成する編集者がいたはずだ。
さらに編集されたものを公正し製本する作業をする人もいたはずだ。
しかも聖書は旧約・新約ともそれぞれ内容の成立時期も場所もばらばらである。
尚更のこと、伝聞情報になったものを取材・編集する作業は絶対不可欠である。
いわば出版社と同じ作業工程が聖書を生み出すまでにあったはずである。
新約聖書の各福音書は4人の弟子の口を通しているから、まず弟子の主観が入る。
それに加え上のような過程を経れば、当然、神の声は人の言葉に変化する。
つまり聖書を作本するにあたって複数の関係者が話し合い、検討しあい、
協力しながら一冊の聖書という本を制作していったということがわかる。
すなわち聖書には、人間の手作業と主観が随所にちりばめられているのだ。
だから神の言葉といってもその製作過程から、
相当いろんな人々の主観的フィルターを通じて、
言葉そのものが変化しているはずだ。
さらに言語の時代的変化と他言語への翻訳の問題がある。
旧約聖書は一番初めに書かれた言語がヘブライ語とアラム語だという。
ヘブライ語は現在のイスラエル語に当たるが、当然現代とは異なる古代ヘブライ語である。
それが後の新約聖書のギリシャ語からラテン語、そしてスペイン語やフランス語や、
ドイツ語、英語、さらにはアジアのシナ語や日本語などに翻訳されてきた。
つまり言語の時代的な経年変化とその翻訳過程においてすら、
多くの人々の思考回路と主観的解釈を経由しており、
また各言語間においても該当単語の有無もあったり、意味上のニュアンスの違いもある。
果たして日本語の聖書のある言葉の意味が、原典の古代ヘブライ語の該当単語と、
全くおなじ意味あるいは、ニュアンスかどうかもわからない。
聖書とは数千年に渡って数億人の思考回路を経た、
「壮大な伝言ゲーム」みたいなものである。
・・・と、私は考えている。
これは仏教の経典においても同じことが言えるだろう。
すべてが仏陀の直接の言葉かどうかなんてわかるわけがないのだ。
<参考>
「自由主義神学」http://ryotaroneko.ti-da.net/e2133389.html
Posted by トラネコ at 00:00│Comments(6)
│思想・宗教
この記事へのコメント
トラネコ さま
キリスト教は聖書が一番のもとで聖書に書いてある事で善悪の判断をします。
そうすると、その聖書そのものはどうだ、となると、トラネコさまの主張は正しいと思います。
しかし、聖書を書いた人は鳩山さんのような言葉の遊びをしていたわけでなく、本当に厳しい現実の世界で、人々を助けようと考えぬいて書いたのだと思います。ですから神からの贈り物なのです。
そして、聖書を基にしてさらにいろんな事を人々は考え行動したのでしょう。
私は今では文化になったキリスト教を信じるのはいいと思いますが、例えば天地創造など、世界には似た神話は多く存在するのですから、自分たちだけが正しいと狭く考え行動しないで欲しい、と思います。
もし原理主義的な信仰なら、それは聖書を書いた人たちの本当の心を理解した事にはならないのではないでしょうか?
神様の本当の心と言い換えてもいいかもしれませんが。
キリスト教は聖書が一番のもとで聖書に書いてある事で善悪の判断をします。
そうすると、その聖書そのものはどうだ、となると、トラネコさまの主張は正しいと思います。
しかし、聖書を書いた人は鳩山さんのような言葉の遊びをしていたわけでなく、本当に厳しい現実の世界で、人々を助けようと考えぬいて書いたのだと思います。ですから神からの贈り物なのです。
そして、聖書を基にしてさらにいろんな事を人々は考え行動したのでしょう。
私は今では文化になったキリスト教を信じるのはいいと思いますが、例えば天地創造など、世界には似た神話は多く存在するのですから、自分たちだけが正しいと狭く考え行動しないで欲しい、と思います。
もし原理主義的な信仰なら、それは聖書を書いた人たちの本当の心を理解した事にはならないのではないでしょうか?
神様の本当の心と言い換えてもいいかもしれませんが。
Posted by 人形焼 at 2010年04月14日 12:12
人形焼様
こちらラテン・アメリカ諸国は実に熱心なカトリックが多いです。というか、これが諸外国の普通の宗教事情なんでしょうねえ。
日本人は不信心ではないのですが、一神教のような教義宗教を信じませんので、そう思われるのかもしれません。もちろんこちらも国民全員が熱心と言うわけではないのですが、教会の数に通う人の多さをみていると、やはり日本人一般の感覚では理解しがたいです。
かれらにとって聖書は絶対の真理なのです。イスラム教徒のコーランもそうですが、こういう狂信的とはいいませんが、教条的宗教心を私は恐れます。ここから非寛容で非妥協のドグマチズムがうまれ戦争が起きるのだと思います。
こちらラテン・アメリカ諸国は実に熱心なカトリックが多いです。というか、これが諸外国の普通の宗教事情なんでしょうねえ。
日本人は不信心ではないのですが、一神教のような教義宗教を信じませんので、そう思われるのかもしれません。もちろんこちらも国民全員が熱心と言うわけではないのですが、教会の数に通う人の多さをみていると、やはり日本人一般の感覚では理解しがたいです。
かれらにとって聖書は絶対の真理なのです。イスラム教徒のコーランもそうですが、こういう狂信的とはいいませんが、教条的宗教心を私は恐れます。ここから非寛容で非妥協のドグマチズムがうまれ戦争が起きるのだと思います。
Posted by トラネコ
at 2010年04月14日 12:27

文脈から見て、とらさんの中には絶対の真理なる聖書が
存在していないですよね だとすれば なぜ 福音派と
言われるような人に批判されるような刺激ある日記を
公開するのはどうしてですか? 人々の心(脳)に
喧嘩や戦争を作る別の要因があると思いませんか?
論理的に考えて、狂信的な宗教に問題があると言うのは
筋違いでしょう 何よりもとらさんの記事が証明してますよね
存在していないですよね だとすれば なぜ 福音派と
言われるような人に批判されるような刺激ある日記を
公開するのはどうしてですか? 人々の心(脳)に
喧嘩や戦争を作る別の要因があると思いませんか?
論理的に考えて、狂信的な宗教に問題があると言うのは
筋違いでしょう 何よりもとらさんの記事が証明してますよね
Posted by anonymous at 2012年06月14日 04:31
anonymous様
>なぜ 福音派と言われるような人に批判されるような
刺激ある日記を公開するのはどうしてですか?
所詮ブログです。
ブログってそういうものでしょう。
私は福音派だかなんだか知りませんが、キリスト教もイスラム教も、カルトも創価も浄土真宗も、思うことがあれば批判も肯定もします。ほかのエントリをお読みになればわかりますが、私には宗教も政治も社会も同じです。
>人々の心(脳)に喧嘩や戦争を作る別の要因があると思いませんか?
はい、思います。
人間自身に闘争心や嫉妬心などがある以上、未来永劫戦争はなくならないと考えています。ただその闘争心は向上心につながる努力へ、嫉妬心は良きものへの憧憬になれば、いいと思います。しかし万人がそうならないのも人間です。
>論理的に考えて、狂信的な宗教に問題があると言うのは
筋違いでしょう
なぜ問題があるのか、あなたの論理や筋道が示されていませんから、なんとも言えません。狂信に走るのも個人の問題ですが、そういう心の弱い人の付け入るカルト宗教が多いことも事実です。
>なぜ 福音派と言われるような人に批判されるような
刺激ある日記を公開するのはどうしてですか?
所詮ブログです。
ブログってそういうものでしょう。
私は福音派だかなんだか知りませんが、キリスト教もイスラム教も、カルトも創価も浄土真宗も、思うことがあれば批判も肯定もします。ほかのエントリをお読みになればわかりますが、私には宗教も政治も社会も同じです。
>人々の心(脳)に喧嘩や戦争を作る別の要因があると思いませんか?
はい、思います。
人間自身に闘争心や嫉妬心などがある以上、未来永劫戦争はなくならないと考えています。ただその闘争心は向上心につながる努力へ、嫉妬心は良きものへの憧憬になれば、いいと思います。しかし万人がそうならないのも人間です。
>論理的に考えて、狂信的な宗教に問題があると言うのは
筋違いでしょう
なぜ問題があるのか、あなたの論理や筋道が示されていませんから、なんとも言えません。狂信に走るのも個人の問題ですが、そういう心の弱い人の付け入るカルト宗教が多いことも事実です。
Posted by トラネコ at 2012年06月14日 13:53
聖書が作られる段階のすべてに神が働きかけていたとしたら、それは神の言葉となりませんか
Posted by Caya at 2014年07月07日 22:24
Caya様
それをどうやって証明するのですか?
それをどうやって証明するのですか?
Posted by トラネコ at 2014年07月08日 11:13